第三九話 宿屋決め
この二人の距離感が曖昧すぎて良く分からぬ。分からぬ。
「リッ君はもう少し紳士的になるべきだと思うんだ、ワタシは」
「それは問題無いかな。淑女に対しては紳士的に接する人間だから」
とまり木亭を後にした俺達は今、冒険者ギルドに向かって歩いている。なんでも、冒険者登録をするらしい。
今まで登録していなかった理由を聞いたが、タイミングが無かっただとか、良く分からないことを言われて茶を濁された。
「ねえ、今ワタシのこと、遠回しに淑女じゃないって言った?」
「アーデを淑女だと思ったことは一度も無いよ」
「遠回しじゃなきゃ良いなんて言ってないからね!?」
エキサイトするアーデを伴いながら街中を歩いていると、それなりに目立つ。先程から通行人の視線を集めてしまっている。
「もう少し静かに話してくれよ。別に俺の耳は遠くない」
「もう少し私に優しく接してくれたら考えるよ」
明らかに厄介ごとを運んできている胡散臭いアーデに対し、俺としては既に最大限の譲歩をしているつもりだ。これ以上優しくというのは、幾らなんでも俺の精神的負担が大きすぎると思う。
少なくとも現時点において、アーデから恩恵を受けた覚えもないし。コマンドワイバーンの件は、エディターがある俺なら労せず同じ結果を得られた。
それどころか、ギルドマスターにアーデのことを伏せたという恩すらあるし、その代償だって俺にとって不本意な高評価という形で支払った。そう考えれば、現時点で優しすぎるとすら言えるのではないか。
「……せめて何か言って欲しいんだけど?」
そんなことを考えて黙っていたら、アーデが言葉を催促してきた。
「現状維持はしてやるから、感謝して欲しいくらいだ」
「……はぁっ!?」
アーデが憤慨している。俺も言葉を選ばなかったから、予想通りではある。
「今の俺の言葉の意味、本当に分からないって言うならもう良いけどな」
ただそれでも、こちらに迷惑をかけているという点について自覚しているかどうかは、ここで確認させて貰おう。
「うっ……、でもその言い方はちょっと、卑怯じゃない?」
俺に文句は返しつつ、その勢いは弱い。最低限の自覚はあるようだ。
「都合の悪いことから目を逸らしている人間は、卑怯じゃないとでも?」
俺から見たアーデは、色々なものをすっ飛ばしてこちらに接近してきている。これで警戒するなというのが無理な話だ。害意の類が無いのは分かっているが、それは俺がエディターを持っているからであって、それを理由にアーデに対し配慮する義理は無い。
「どうも認識の差があるようだから、この際はっきり言わせて貰おうか。俺はアーデを不当に扱わないと決めたけど、それは優しく接するという話とは根本的に違う。具体的には、ギルド員としてアーデから仕事を依頼された場合に、正当な理由無く断ったりはしないだけだ。特別に便宜を図るとは言ってない。もしアーデが親しさと馴れ馴れしさを履き違え続けるなら、その対応も考える必要がある」
我ながら攻撃が苛烈だと思ったが、こちらも自分の身を守るので精一杯だ。気に掛けられる他人の数は少ない。そして、その少ない枠に、利をもたらしてくれる訳でも無い人間を入れるつもりは無い。
アーデの表情が目に見えて暗い。注意深く観察してみれば、涙目になっている気もする。あんまりと言えばあんまりな俺の言い分に、反論する様子も無い。
俺は溜息を吐きながら、仕方なくほんの少しだけ、フォローの言葉を入れることにした。このまま落ち込まれていても面倒だしな。……元気な状態でも面倒な気はするけれど。
「そもそも信頼関係っていうのは、もっと時間をかけて築くものだろうに。アーデはまず、自分が信頼に値する人間だと行動で示してくれ」
どんよりと暗いオーラを纏っていたアーデの表情が、徐々に明るくなってきた。
「リッ君ってさ、厳しいけど優しいよね」
「言語野が死んだか」
「生きてるよ! ワタシの言語野は元気いっぱい絶好調だよ!」
わざとらしく咳払いをして仕切り直し、アーデは再び口を開く。
「容赦無く言葉のナイフを突き刺してはくるけど、傷薬が入った瓶を放り投げる程度のアフターケアはしてくれるって言うか」
「それ、優しいか?」
「世の中、言葉のナイフを突き刺してぐりぐり傷口を抉った上、その後は興味無しと言わんばかりに放置する人間が多いこと多いこと。駄目なところを指摘しつつ、努力の方向性を示してくれるって、優しい部類だよー?」
真顔でこんなことを言ってくるものだから、珍獣か何かでも見ているような目をアーデに向けてしまっている。
「何で褒めてるのにそんな目で見られてるのかなー、ワタシは。ま、良いけどねー」
本当にどうでも良さそうに、それきり話題を打ち切ったアーデ。今は鼻歌まで歌って機嫌良さげだ。
こいつの相手をするのは、精神的に疲れるな。
ギルド本部に到着し、アーデのギルド登録に付き添う。受付担当はフランの先輩、フロランタンさんだ。
簡単にギルド員としての活動内容を説明され、一つ星のギルドカードが発行された。
「ふっふー! これでワタシも冒険者だね! ほら、ほら!」
アーデは一つ星のギルドカードを俺の目の前に持ってきて、これでもかと見せびらかしてくる。
「カードを紛失したり破損したりした際には再発行に金が掛かるけど、今持ち合わせはあるか?」
「ちょっと調子に乗ってたのは認めるけど、いきなり怖いこというのやめてよ!?」
慌ててギルドカードを引き戻し、胸元に抱くアーデ。警戒の色が濃い視線を俺に向けてくる。
「用事は済んだし、ここでお別れだな」
「リッ君って、話のペースを全くワタシに合わせてくれないよね。あ、ところでさ、これから宿を探しに行くんだけど、良かったら付き合ってくれない? まー、無理にとは言わないけど」
話のペースを合わせていないのはお互い様だと声高に叫びたくなりつつ、誘い方には一定の配慮が見られたので少し考える。
俺としては今の安宿でもう少し金の節約をするつもりだが、ある程度を目処に変えるつもりではある。その為の下見と考えれば、アーデに付き合うのもそう悪くないか。
「今日は予定も無いし、そのくらいなら」
「おー、駄目元で考えてたんだけど、意外なことに良い返事が貰えたねー」
目に見えて機嫌が良くなったアーデと、宿屋巡りをすることになった。
とりあえず俺が知る宿ということで俺が泊まっているところを案内してみたが、アーデには合わなかったらしい。一応部屋の中まで見せてはみたものの、ベッドの硬さに文句を垂れ流し、部屋の狭さに文句を垂れ流し、こんな部屋に住めるなんて頭おかしいんじゃないのと文句を垂れ流し始めたので眼鏡を俺の指紋だらけにしてやった。
今はレンズを布で拭いて、指紋など残ってはいないけれど。
「だってあの部屋、本当に寝泊りしかできないでしょう? ワタシは生活のためのスペースを求めてるの!」
駆け出しである一つ星冒険者としては恐らく下の下な台詞を吐くアーデだが、実力的には三つ星か四つ星程度はある。ここアインバーグまで戻ってくる間に魔物や人と戦闘になる機会は数回あり、一度だけアーデにも参加させて実力を見た。
戦闘スタイルとしては魔法剣士で、取り回しの容易な小剣であるエミュレーターを振るいつつ、地水火風の四属性を使いこなすオールラウンダー。魔法は全て中級までを修めているそうで、誇らしげに語っていた。
尤も、水は上級、闇以外の他四属性は中級まで修めていると発覚したフランを前に、無様に撃沈していたが。ちなみにこれは、アーデを苛める意図無く俺がフランに質問した結果分かったことだ。流石の俺も、あの時はアーデにフォローを入れた。
「……まあ、中級くらいにはすぐ上がるだろうし、別に良いのか」
「そうだよ。というか、実力的には明らかに上級冒険者クラスのリッ君があんなところに泊まってるのがおかしい」
少なくとも、部屋を借り始めた時点では相応のグレードだったんだけどな。
その後幾つかの宿屋を巡り、日の光が赤みを帯びてきた頃。ようやくアーデが宿を決めそうだ。
そこは、アインバーグの建造物の例に漏れず石造りで、一軒家ならちょっとした金持ちが暮らす程度の大きさ。その気になれば二人が一つの部屋に泊まれる広さがあり、実際そう使用されている部屋もあるそうな。備え付けのテーブルやイス、ベッド、クローゼットがあり、自分の荷物さえ運び込めばすぐにでも生活ができる。
「うん、良さげだねー。リッ君もここにしたら?」
アーデが部屋の中を見渡しながら、俺を誘ってきた。
「遠慮しておく」
笑顔でお断りしておいた。
「うーわー……、何の迷いも無いお断りの言葉。……あ、別に同棲しようって言ってる訳じゃないよ? 単純に、この宿の別の部屋を借りたらどうかなーって」
「遠慮しておく」
もう一度笑顔でお断りしておいた。アーデの表情は固まった。
「ギルドから少し距離があるしな。それよりここの二つ前に行った宿屋が、部屋のグレードは多少落ちるけど選択肢に入る」
それに何より、同じ宿屋にしたらアーデは確実に俺に絡んでくるだろう。それも恐らくは毎日に近い頻度で。
俺は一人の時間が一定以上定期的に確保できないと、耐えられない人間なんだよ。
「あー、あそこも割と良かったよねー。……あっちの方がここよりギルドに近いし、便利かな?」
「けど、アーデは俺ほど頻繁にギルドを利用するつもりじゃないだろ?」
雲行きが怪しくなったので、軌道修正を図る。あの宿は俺が目を付けているんだ。アーデに利用されては困る。
「うーん、確かに……。それにここだって、ギルドから遠いって程でもないしねー」
通勤に使う駅までの距離に悩む、みたいな会話だ。この場合は駅ではなく、職場だけど。
「そうだね、うん。ここに決めるよ」
結局アーデはこの宿に決めたようなので、俺は安心してあちらの宿に移ることができる。
近くはない。けれど遠くもない。