第三五話 怪しげな女4
この主人公、やっぱり面倒な性格してますね。
「とりあえず仲間と合流するので、俺が去った後でしたらどうぞご自由に泣いてください」
慌てた様子のアデライーデが口を開きかけた辺りで、俺は移動を開始する。
「ワタシ、置いていかれる? っていうか既に置いていかれてる!?」
山中の道無き道を、エディターを振るって切り開く。その間も念のためマップで周囲を確認しつつ、特にアデライーデの動向を探る。
案の定俺に付いて来ているが、特に反応を返すつもりは無い。一見して無防備に背中を晒している今、果たしてどう動いてくるか確認させて貰う。
「待ってよー。待ってってば! これでも一応、情報提供者なんだけどー! そりゃー、一番派手な戦闘は全部お任せしてたけどさ?」
ぐちぐちと文句を言ってくるアデライーデだが、残念なことにその情報はエディターから得ていたものが多い。その情報の背景までは把握できている訳も無かったが、それが事実である保証も無ければ現状において知っている必要があるかどうかも微妙なところだ。
エミュレーターの偽物が存在している以上、今回破壊した一つだけで終了だと楽観はしなかっただろうし、どちらにせよ調査は続行せざるを得ない。故に、こいつから得た情報によって今後の俺達の行動が変わったかというと、ほとんど変わらなかったとしか。全く変わらなかったはずは無いが、エディターの調査能力がある以上は誤差の範囲だ。
「あ、ほら、ワタシの持つエミュレーターには興味無い? オリジナルがここにあるんだから、コピーへの対処法とか分かるし! それにある程度近付けば、コピーの詳細な場所だって分かるんだよ、今回みたいに!」
コピーから取った情報がエディターに保存されているから色々調べられるし、コピーの詳細な場所はやっぱりエディターで同じく分かる。不確定要素を抱き込むデメリットと比べて、多少の労力で補えそうなメリットを提示されたところで……。
「こんな騒動に今後も巻き込まれることを前提で話をされても。降りかかる火の粉は払いますが、燃え盛る建物の中に突入していくつもりはありませんよ」
どうしても通らなければならない場所に燃え盛る建物があり、仕方なく火の粉を振り払う可能性は否定しないけど。
「え……、でも、調査に来たんだよね? だったら、事情を知ってるワタシが──」
ただし、あくまで振り払うだけであって、根本原因の解決をするなどとは言わない。
俺は立ち止まり、振り返って、アデライーデの赤茶色の目を真っ直ぐに見る。
「ええ、調査で来ました。仕事で来ました。ですので貴女のように個人の事情は無く、これ以上この件に関与しなければならない積極的理由は皆無に思われますが。冒険者ギルドには俺以外にも沢山のギルド員が居て、無数の仕事が舞い込み、しかしそれら全てに優先して俺がこの件、エミュレーターのコピーに関して行動しなければならない理由を、今ここで、簡潔にお答え頂けますか? さあ、早く。理由があるのであれば聞きましょう」
アデライーデにとっては使命であるかもしれない。けれど、俺にとっては無数にある仕事の内の一つに過ぎない。そう断じた。
それでも食い下がるなら、恐らく彼女なりの理由はあるんだろう。それを見極める。
そう思ったんだが、返事が来ない。アデライーデは俯いて、黙っている。良く見ると肩を震わせているようにも見える。俺の言い様に怒ったのだろうか。
「ぅえっ、……ぇぐ、っひ、うぁ、ぁああああ……っ!」
そして、盛大に、号泣し始めた。
「は? え? ちょっ……!」
涙腺から滂沱の涙を溢れさせ、それを両手でぐしぐしと拭うアデライーデ。目元はすぐに赤くなり、鼻水まで出てきて顔面はぐちゃぐちゃ。その場に崩れ落ちて、いわゆる女の子座りになり、自身の膝の上に涙か鼻水か分からない液体をぼたぼたと落とす。
「やっと、やっと、見付けたのに……っ! なんでぇ、そんな、どうしてぇ……!」
見付けた? 何を? エミュレーターのコピーか? でもそれは色々とタイミングが違うだろう。
方々に考えを巡らせつつ、エディターのマップに視線をやる。そこに表示されているのは、アデライーデを示すマーカー。警戒の三角ですらない、平時を示す丸い形をしているマーカーだった。
……泣く演技だと仮定して、その状況から警戒も敵対もせずにいる場合が有り得るか? あー、くそ、何だよこれは。
まず天を仰ぐ。それから、女の涙という凶悪な武器を使われてお手上げ状態の俺は、アデライーデに──アーデに近寄る。
「流石に、言い方がきつ過ぎた。俺が悪かったよ」
顔の高さが同じくらいになるようにしゃがみ、アイテムボックスから取り出したハンカチをアーデに差し出す。青地に白いラインが入った、シンプルなデザインのものだ。
目元を赤く腫らしたアーデは呆けた顔でハンカチを見て、それから俺の顔を覗き込んでくる。数秒間のスパンでハンカチと俺の顔とを行き来する、アーデの視線。何往復かした後、ようやく、そして恐る恐る、アーデはハンカチを受け取った。
アーデが俺からハンカチを受け取って数分後。何とか落ち着きを取り戻したようなので、声をかけてみよう。
「少しは、落ち着いたかな?」
お前が言うなと言われそうな気がしたものの、特に気の利いた言葉が出てこなかった。
アーデは俺の目を見てゆっくりと頷く。俺が渡したハンカチを握り締めながら。
「あ、洗って返すね、これ! ちゃんと、綺麗にして……」
落ち着いてきてはいるものの、本調子ではなさそうだ。
泣かれるほどの対応を取ったつもりは無かったものの、それでも泣かせたという事実は変わらない。今は意識して優しい対応を心掛けよう。
「良いよ、そのまま貰っといて。それより今後の話だけど」
アーデの顔に緊張の色が走ったのが分かる。意図しない生殺し状態は俺も望んじゃいないので、さっさと先を話そう。
「正直なところ、全面的にアーデへの協力ができるとは限らない。けど、これからはそう無碍に扱うつもりは無いよ。アーデが必要だと思うなら、冒険者ギルドに俺への指名依頼を出しても良い。……ま、ひよっこの一つ星冒険者に指名依頼を出すなんて、酔狂な真似ができるならだけど」
最後に少しだけおどけて見せて、少しでも場の空気を和ませようと足掻く。意図して浮かべた涼しげな表情の裏に、俺の内心を隠す。
「ともあれ、今は俺の仲間と合流しよう」
それから程なくしてフランとエルさんの二人と合流を果たしたんだけど、それまでのアーデとの会話が妙に近い距離感を覚えさせるものだった。
俺がさりげなく愛称であるアーデと呼んだことや、敬語が取れたことなど。その辺りが非常に強く作用していたように感じた。
ただ、俺が一つ星冒険者を名乗ったことは冗談として受け止めたらしく、誤解を解くのには少し時間がかかるかもしれない。
さて、合流を果たしたと言ったが、それはつい今し方。場所は当然山の中で、討伐したコマンドワイバーンの死体をフランとエルさんの二人が検分している場面だ。
「リクにアーデさん。待っていました」
普通に足音を立てながら近付いてくる俺達に気付き、フランがコマンドワイバーンから離れて俺達を迎えた。エルさんもこちらに軽く手を振ってくる。
「……何かありましたか?」
アーデの顔を見たフランが、不意に質問してきた。目元が赤いことに気が付いたんだろう。
「な、なんでもないよ! 別に、そう、なんでも!」
挙動不審に全力で否定することによって、何かしらがあったことを分かり易く明るみにしたアーデ。そもそもなんでもないじゃなくて何も無いと言うべきだったろうに。本当に何がしたいのだろうか。
そしてフラン、普段より冷たい目で俺を見るのはやめて欲しい。俺だって泣かせたことは反省しているんだ。
「そうそう、何も無かったよ」
≪後で正直に話すよ≫
全てを諦め、ディスプレイに表示した文字列をフランにだけ見せる。
それを見たフランはこの場での追及をしないことにしたのか、そうですか、と小さく返した。傍目にはただ追及しないことにしたように見えただろう。
「協力者、というのは君のことで間違いないかな?」
タイミングを見計らっていたのか、会話に入ってきたのはエルさん。事前にフランから話は聞いていたらしく、その視線はアーデに向かっている。
「あっ、そうです。アデライーデって言います」
敬語使えたのか、と俺が驚くと、アーデが肘で小突いてきた。解せぬ。
「アデライーデさんだね。僕はエルケンバルト。白のラインハルトと言った方が分かり易いかも知れないね」
色持ちであることをさらりと告げたエルさんだが、その態度には驕りの類は全く見られない。極自然に、ただそれを伝えた方が理解が早そうだと判断しただけのようだ。
対するアーデはこれまた分かり易く動揺している。世界にたった七人しか居ない色持ちが目の前で自己紹介しているのだから、それも当然だろうか。
「シュトラール……」
小さく、掠れるような声でアーデが呟いた。何だろうか。
「うん、そうだね。白の神授兵装、シュトラールは僕のこの手にある」
エルさんの手が白く輝くと、次の瞬間にはそこに剣の柄が握られていた。
分類はロングソードだろうか。大雑把に言えば縦長の二等辺三角形の白い刃を持ち、イメージとしては王道ファンタジーの勇者が持つ聖剣といった感じ。実用性を損なわない程度に装飾が施され、なるほど如何にも神が授けた兵装らしさが溢れている。
聖騎士様っていうか勇者様だったのか、エルさんは。
「……済まない、驚かせてしまったかな?」
聖騎士様から勇者様へと(俺の認識の中で)ジョブチェンジしたエルさんが、心配そうにアーデの表情を窺う。アーデの顔色は、お世辞にも良いとは言えなかった。
「違いますっ、そうじゃなくて、ええと……さっきまで緊張しっぱなしだったから、今は少し気が抜けてて……」
取り繕うように言ったアーデの言葉に、エルさんもどう対処すべきか迷ったような反応を見せる。
ひょっとすると俺がさっき泣かせた影響が残っていたりするかも知れないので、俺にも責任があるかも知れない。なので仕方なく、そう仕方なく、助け舟でも出そうじゃないか。
「出会った当初から訳が分からない反応をする人なので、あんまり真面目に反応しなくて良いですよ、エルさん。それよりコマンドワイバーンの方はどんな感じですか? 何か分かりましたか?」
助け船を出すというより轢き逃げでもしているような感覚で口を動かしつつ、ついでにコマンドワイバーンの死体に向けて歩き出す。
「凄くぞんざいな扱い! 出会い頭に登山家を名乗ったり、ついさっきも一つ星冒険者とか言ったりしたリッ君に言われたくないし!」
何か聞こえてきた気がするが、気にせず歩いてコマンドワイバーンの傍へ。
「あの、アーデさん。登山家というのは別にして、リクが一つ星冒険者というのは事実ですよ」
「え、フランちゃんまでそんな冗談言ってくるの? もー、騙されないよー? ……え、ホントに? いやだって、中級の魔物を紙切れみたいに切り裂いてたよ? え、冗談だよね?」
エディターを取り出してコマンドワイバーンの頭部に突き刺す。アナライズモード起動。
俺の代わりに誤解を解いてくれているらしいフランにアーデを任せ、本格的に調査を開始する。
「その剣、ただの武器ではないね。もしや、それが今回の件で迅速な対応ができた理由なのかな?」
隣にやってきたエルさんが、真剣な目付きで俺の剣を見ている。
「はい、そうです。詳しい話は後ほど。今はただ、様々な情報を得られる特殊な剣とだけ」
ちらりと背後に視線を送るが、そこでは冷静な表情のフランと、突き付けられた事実を受け止めるので精一杯なアーデの二人が顔を突き合わせているだけだった。
「それは、警戒かな? それとも気遣いかな?」
俺の視線の意図に気付いた様子で、エルさんは意味深な笑みを浮かべつつ問い掛けてきた。
「警戒ってことにしといてください。もしくは、自分でも良く分からない気紛れ、とかかも知れません」
ただでさえ厄介な事情を抱え込んでいるらしい奴に、俺の厄介ごとを生み出しそうな武器について情報を与えるってのは、あまり得策とは思えないからね。もしそれが必要とあらば、その時はもう躊躇わないけど。