第二〇七話 色欲1
明確な敵の登場です。
7/22、サブタイトル変更しました。
ひとまず街の危機の一つは遠ざけられたとして、フォルカー達冒険者と領軍の皆さんには街へとお帰り頂いた。
俺はといえば当然ながら、自分が吹き飛ばした巨大オークを片付けなければならない。
いつもの通り風を纏って空を飛び、標的の方へと向かった。
近付くにつれてはっきり見えてくるその姿は生理的嫌悪感を呼び起こし、それをそのまま暴力に変えて突き返してやりたくなる。
今度は仰向けに倒れていた巨大オークは、俺の接近に今しがた気付いたようで。緩慢な動きでのそりと起き上がり、俺をじっと……見ているのだろうか?
如何せん、通常サイズのオークの腕と足を乱雑に継ぎ接ぎしてオークのような形になったものでしかないので、きちんとした目が存在しない。だから疑問形にもなってしまう。
何にせよ、顔の形をした部位が俺の方に向けられているのは確かだ。
──まだ、茶番を続けるつもりなのか。
「その悪趣味な着ぐるみ、まだ脱がないということは気に入っているのか? だとすれば、余程に惨めで陰鬱な幼少期を過ごして美意識を歪ませてきたらしい」
我ながら安い挑発だ。とはいえこれで、気付かれていることには気付くだろう。
すると案の定、巨大オークの形が崩れた。具体的には頭部が──肉が千切れ骨が折れる音を伴って割れ、中からヒトらしきモノが姿を現した。
そのヒトらしきモノは薄っすらと紅の入った長い白髪を持ち、目の色は真紅だった。顔立ちは細目の和風美人と言ったところで、着ているものもどうやら着物のよう。黒地に紫の花をあしらえた、何処の極道の姐さんかと聞きたくなるような──けれど一目で上等と分かる、美しい着物だ。
「あは、嫌やわぁ」
はんなりとした笑い声。平和な状況であれば聞き惚れていたかもしれないそんな声に、だからこそ俺は警戒を強める。
「うちかて好き好んで、こない不細工な子ぉらを使とる訳やないんよ? せやけど、うちの我儘に使てもええ言われたんは、たぁんと用意できとるモノだけやったから」
ころころと、やはり笑いながら話すその女。立ち振る舞いからはこちらに対する敵意を感じられず、されど油断できるはずも無し。
「ああ、せや。自己紹介はせなあかんねぇ。うちは、ルクスリア言います。親しみ込めて、リアと呼んでくれてもかまへんよ? そんで黒髪の兄さんは、リク・スギサキはんで間違いあらへん?」
何の前触れも無く攻撃を仕掛けてみても良いだろうか、と思ったものの。会話で敵の情報が得られる可能性も、無くはない。現に色々と推測できるワードは出てきている。
当然、鵜呑みにするのは愚行だが。
ところでルクスリアというのは、七つの大罪の中の色欲を示すものだったはず。最低でも七人は敵が居ると見るべきか、ただのミスリードを疑うべきか。
まあ、今は話を進めよう。
「おっと、これは失礼を。俺の名前はランド・クリプトミリア。残念ながら人違いだ」
「あは、冗談がお上手やねぇ。淀みなく言葉を紡いで、表情も自然で。ただ、風魔法を飛行に使てしまえるようなお人は、一人しか知らへんわ」
こちらが戯けた対応をしても、態度は穏やかなままか。
「ところでリクはん。うち、今日は挨拶に来ただけなんよ」
挨拶、と来たか。これはこれは、随分とまた。
「負傷者が出るような行動を挨拶とは、蛮族か何かかな」
エミュレーター・コピーを持っているだけあって、普通の人間とは感覚が違うらしい。
「すこぉし小突いてみただけやないの。それやのに、えらい大仰に騒ぎ立てて。弱さは自己責任やと思うんやけど……この世界に来て、あっちゅう間に強なったリクはんは、そう思わへんの?」
なるほど?
自衛手段として戦う力を求め、実際にそれを身に付けてきた俺だ。一概に否定できる内容ではない。
とはいえ。
「その理屈で言えば、今からお前が俺に殺されても自己責任だな」
それは発言者にそのまま跳ね返ってくる類の理屈だ。
会話を始めてから若干緩めていた風の制御を、引き締めなおす。
「あは、せやねぇ。……せやけど、止めた方がよろしいやろなぁ」
口元を袖で隠しながら、またころころと笑い始めたルクスリア。
相手のペースに乗るのは癪だが、ここまでのやり取りから言ってどうやら会話自体はできる手合いのようだ。無視してしまうのは、かえってリスクが高まるか。
「街の中に送った子ぉやけど──ヒュドラの毒腺を、持たせてあるんよ」
ヒュドラ。太い胴体に九つの首を持つ、巨大な蛇の魔物。
放つブレスには極めて強力な毒性があり、直接浴びれば骨をも溶かされ、空気中に散ったそれを吸っただけでも肺腑が焼かれて死に至る。
俺の神授兵装のマップでは存在を確認できない。だが、敵の神授兵装の魔物を収納する機能はこちらの探知をすり抜ける。魔物自体を収納できて、魔物の一部を収納できない道理も無いだろう。
となればブラフと断定することもできず、かといって今すぐその毒腺をぶちまけられでもすれば、俺の対処はどう足掻いても遅れる。
──即座に始末すべきか?
「いやいや、早とちりせんといてぇな! あくまで保険をかけさせてもろてる、っちゅうだけの話なんよ!」
俺の剣呑な様子に何かを察したらしく、ルクスリアは本気で慌てたように釈明してきた。演技だとすれば大した役者だ。
「うちが安全な場所まで逃げるまでの時間稼ぎ。それさえできるんやったら、毒腺を破裂させるようなことはせぇへんよ? ほんまに、今日は挨拶だけのつもりやし」
「毒腺を破裂させない、という言葉の信憑性はともかくとして。逃げるというのは、随分と弱腰な物言いをするじゃないか。そちらの邪魔をし続けている俺を前にして、倒そうという気概は一切無いのか?」
敵意を上手く隠している可能性はあるが、ここまでずっと俺に対して攻撃の意思を見せないままに会話を続けている。俺の目には、いっそ不自然に映るほどに。
「無理言わんといてほしいわぁ。直接戦うんは苦手なんやから、うち」
それに、と。ルクスリアは笑みを深めながら続ける。
「リクはんとは、仲良うなりたいんよ」
この女、一体何を企んでいる?
「何が狙いだ?」
俺はドライに返答。
見た目こそ綺麗だが、そういうのはフランで間に合っている。今更ハニートラップに掛かるつもりは無い。
……とはいえ、色欲を名乗ったことには注意が必要か。
「あは、つれないお人。肩にしな垂れかかって、耳元に吐息を掛けたら、どないな顔を見せてくれはるんやろ」
おい待て、何でむしろ嬉しそうな顔をしてやがる。
頬を赤らめるな。舌なめずりをするな。
「今の嫌そな顔も、それはそれでええねぇ」
「悪趣味と言われたことは無いか?」
思わず素の返しをしてしまった。
それ故に、俺としては何気ない言葉だったのだけれど。
「発情期の獣みたいな雄ばかりを見続けとったら、無理も無いんと違います?」
すっと目を細め、ルクスリアは俺と相対してから初めて明確な負の感情を見せた。
「物心ついた時には、色街におったんよ、うち。親の顔は知らんし、当時は街の外のことも何にも知らんで。まだ子ぉを作れる身体でもない内から、仕事も任されてなぁ。逃げる、っちゅう選択肢も無かった」
仕事、とはそういうことだろう。どうしてこんな話を俺にしているのかは──分かってやるつもりもないけれど。
「ああ、同情してほしい訳やないんよ? うちは容姿に恵まれた方やったから、お客の機嫌を取っておけば十分暮らしていけるだけのお金も手に入ったしなぁ。……そのお金で、街の外に出てみたんは失敗やったけど」
はて、俺はどうして敵の身の上話などを律義に聞いてやっているのか。
その疑問はさておき、話の続きも含めて内容を以下に示そう。
物心つく頃には色街に居たというルクスリアは、親の顔も知らずに育ち、またそこで仕事をする以外の生き方も知らなかった。不幸中の幸いと言うべきか容姿には恵まれたため、固定の客も付き、金に困ることは無かったという。
その金で、これまで出て行かなかった街の外へと出てみたらしい。そしてそれが失敗だったと。
自分用に服や化粧品を派手に買い漁り、ついでに同僚への土産も買って。意気揚々と帰るところで、一旦記憶が途絶えたそうだ。
意識を取り戻すと、そこは真っ暗闇。冷たい床の上に薄っぺらい布が敷かれ、どうやらそこに寝かせられていたらしい。後頭部からは鈍い痛みを感じ、恐らくそこを殴られて意識を失ったのだろう。
起き上がって周りを調べようとするが、中途半端な高さで首を絞められたような感覚があり、そのまま転倒。首元に手を触れてみれば、首輪がはめられ鎖で繋がれていた。
物音に気付いたのだろう。真っ暗闇だった部屋の扉が開かれて、一人の人間が姿を現した。
急に浴びせられた光に怯み、それでもルクスリアは現れた人間をしっかりと見ようと目は閉じない。
やあ、と嫌に穏やかな声色で声を掛けられた。状況にそぐわないそれはルクスリアに不快感を抱かせ、同時にその人間の正体を把握させた。
何度か自分を指名した客の男だった。
手荒な真似をしてしまったことを謝罪され、けれど首輪を外す様子は無い。仕方が無いのでルクスリアの方からそれを願うも、すげなく断られる。だって首輪を外せば君は逃げてしまうだろう、と言って。
またしても不幸中の幸いというべきか、監禁生活は三日目で終わった。男に必死に媚を売り、精神的にも肉体的にも気持ち良くさせて警戒を緩めさせ、隙を突いた結果だ。
街に、家に帰ったルクスリアはしかし、喜びを噛み締めることは無かった。
色街で働く女が、同性からどれほど蔑まれているのかを教えられた。自分たちを蔑んでいる普通の女がどのような生活をして、自分たちが仕事でしている行為は愛する人としか行っていないのだと教えられた。
当然、おぼろげには分かっていたことだ。ただその輪郭が、はっきりしただけ。
その間、だから君を本当に愛してあげられるのは僕だけなんだ、などと気味の悪いことを言われていたのは何となく覚えているらしい。
家に帰ってしばし呆然としていたルクスリアは思い出したように娼館の主のもとへ行き、数日間消息を絶っていた事情を説明した。
稼ぎ頭だったルクスリアの姿を数日ぶりに見た主は、説明を進めていくにつれて額に青筋を浮かべていったという。説明が終わって、ルクスリアに待機を命じてすぐに何処かへ走り、戻ってきたときには幾らかすっきりした顔になっていたそうだ。
数日は外出をしないよう言われ、寝泊りも娼館でするよう言われて。言われるがまま客も取らず、無為に時間を過ごしていたら、笑顔の主がやって来てこう言った。
あいつは無事始末した、と。
王国の法に照らせば、死刑になるほどの罪ではなかったはずだ。所詮は娼館の女一人をほんの数日間、監禁しただけ。もし被害者が貴族の令嬢だったならば、平民だった犯人は有無をいわさず死刑だっただろう。
それからルクスリアは再び客を取り始め、表面上は元の生活に戻った。
隙あらば自分語り。