第二〇六話 ケンドール男爵家5
途中から主人公が出てきます。
アレックスにスポットライトを当て続けていた為か、久しぶりな感じがしますね。
所有者に再生能力を与える謎の魔法具を持つジェネラルオーク三頭、その群れと僕らは戦っている。
時間こそ長くはないが、内容の濃さ故に激戦と言えるであろうこの戦いは、ようやくジェネラルオーク一頭を葬ったことで進展した。ソルジャーオークや通常のオークなど、もう一頭も残っていない。
つまり、倒すべき敵はジェネラルオーク二頭を残すのみ。
いよいよ僕の限界が近いことを除けば、未だ人間側に死者が出ていない状況というのは悪くないだろう。無論、負傷者は多く居るが。
敵主戦力の一角を下したのが効いたのか。フォルカー達だけでなく軍の部隊も僕を中心に、僕を守るように立ち回り始めた。
更に要請していた援軍も先程到着し、負傷者が出て減っていたこちらの数も、戦い始めより多くなっている。
手放しで喜べる状況でこそないが、少なくとも好転していると言って差し支えないはずだった。
けれどそれは、突如として崩れる。
「何だ、アレは……?」
残る二頭のジェネラルオーク、その片方が持つハルバード。そこから黒い腕のような物が、無数に伸びる。
それはもう片方のジェネラルオークの身体を掴み、引き込み、黒い腕で見えなくなるまで絡め取られた。
そうして、繭のようにされたジェネラルオークが、音も無く何処までも圧縮されていく。繭は豆粒ほどの大きさになってから、ハルバードの中へと引き込まれていった。
残ったのは一頭のジェネラルオークと、その手にある赤黒いハルバードのみ。
ただしハルバードの方は、蔓のような意匠の赤い輝きを強めて。まるで心臓の鼓動のように、明滅し始めた。
ジェネラルオークが口を大きく開け、天に向かって絶叫する。
雄々しい雄叫びのようにも、痛みに苦しむ悲鳴のようにも聞こえる不快な声だ。
聞いているだけで精神を削るようだと感じたそれは、僕だけの印象ではなかったらしく。無意識か意識的にかは分からないが、皆一様に後ずさり、距離を取り始める。
突如として絶叫が終わり、辺りには耳が痛くなるほどの静寂が訪れた。
けれど、これで安堵する者は居ない。
僕でも分かる。これは嵐の前の静けさだと。
「全員、街まで退避を! ここは僕が引き受け──」
背筋を這う怖気を感じ取りつつも、僕は皆に下がるよう言おうとした。
だが、それを最後まで声に出すことはできなかった。
ジェネラルオークの鎧がボロボロと崩れ落ちる。
露わになった生身の肉体に無数の裂け目が生じて、そこから這い出す無数の手足。這い出た手足にまた裂け目が生じ、やはりまた手足が這い出る。それをひたすら繰り返す。
何処までも悍ましい光景。生き物への冒涜としか思えぬそれは無秩序な動きに思われて、その実徐々に形を整えていった。
巨大なオーク。無数の手足によってそのような形を取る異形の怪物が、僕達の前に現れた。
僕の背丈の十数倍といったところだろうか。
四大霊峰が南ズュートケーゲルに住まうギガントという巨大な人型の魔物が、概ね僕の背丈の六倍程度らしい。更にその二倍というのは、全く質の悪い冗談のような話だ。
さて、どうすれば倒せる?
「アレックス! いくらアンタでも無茶だ! あんな訳の分からない化け物、見たことも聞いたことも無い!」
僕の思考を遮ったのは、必死の形相で僕の腕を引いてくるフォルカーの声だ。その仲間のニルスとロニーも、口々に似たようなことを僕に言ってくる。
「君達は逃げると良い。元々の契約からは既に大幅に逸脱しているし、目の前のアレは誰がどう見ても危険だ。僕は故郷が後ろにある以上、逃げる訳にはいかないよ。三男とはいえ、領主の息子だからね」
全く、とんだ帰郷になってしまった。
冒険者としてようやく成長し始めたと思ったところで、父上から軍に入るよう強制されて。まあそれは断ったけれど。
オークの群れ討伐という、中級冒険者でも行うようなことをするだけのはずが、現実はこうで。
ところで、軍にも一旦は引いて貰おう。
僕が倒れても、その頃には敵の戦力もそれなりに削れているだろうから。だけどその時に戦える者が居ないのでは、意味が無くなってしまう。
「ケンドール男爵家当主ゲルト・ケンドールが三男、アレックス・ケンドールの名において命じる! 僕が倒れたその時は、お前達が領民を守る壁となれ!」
まあ、僕に命令権など本当は無いけれど。こうでも言っておかなければ、彼らがどう動くか分からないからね。
逃げ出す者も居るだろうし、立ち向かう者も居るだろう。けれどそのどちらもタイミングを見極めなければ、最悪の結果に繋がってしまう。……と、そのように考えていたけれど。
軍は律義に僕の言葉を聞き入れて、見事な整列で待機している。逃げる素振りを見せる人間は、一人も居ないようだ。
「それじゃあ、僕は行ってくるよ。今の今まで身体の調子を確かめていたらしい巨大なオークも、どうやら準備ができ──」
不意に、風が吹き荒れた。その轟音により僕の言葉は遮られ、何事かと辺りを見渡してみれば嫌でも気付く。
巨大オークの胴体に、これまた巨大な風穴ができていた。
「──ていたようだけど、ちょっと状況が分からなくなったね」
そのまま立て続けに三度、風が唸りを上げて巨大オークに襲い掛かる。
右腕、左腕、左足。風は目にも留まらぬ圧倒的な速さでそれらを切断し、ここまで来れば誰がそれを行っているのか僕にも分かる。姿が見えなくとも……というよりは、姿が見えないからと言うべきか。
両腕と片足を失ってバランスを崩した巨大オークはゆっくりとうつ伏せに倒れ、軽い地響きが起こる。
周囲が呆気に取られているのを、僕は何処か冷静な心境で眺めた。
上から甲高い鳴き声が聞こえたので視線を向けると、僕の思った通りの姿を確認できた。【黒疾風】リク・スギサキと、その騎獣たるグリフォンだ。
グリフォンはその立派な翼を大きく広げ、地面に倒れ伏す巨大オークをつまらなそうな目で見下ろしている。
グリフォンは僕の前に音も無く着地し、その背に乗っていたリク・スギサキもまた自身の足を地につけた。
リク・スギサキは僕に背を向けていて、何故かグリフォンの方は僕を真っ直ぐ見つめてくる。
「ここは俺が引き継ぐ。ゲイルを──俺の騎獣を貸すから、アレックスは街の方へ急いでくれ」
言われたその言葉に最初、理解が追い付かなかった。そして一瞬遅れで理解したとき、僕は全身から冷や汗が出るのを感じた。
「──ッ、分かった!」
グリフォンの背に僕が飛び乗ると、次の瞬間には地上十数メートルの地点に居た。更に次の瞬間には眼下に街並みが広がっていて、僕らの前方に大きくマップが表示されている。
縮地を二連続で使用した上、主が所有する黒の神授兵装の能力を一部使用している……?
いや、今はそれらを気にするよりも優先すべきことがある。
マップ上には人を示しているのであろう青いアイコンが沢山、それから魔物を示しているのであろう赤いアイコンがいくつか現れている。
普段はただの広場である場所が避難所になっているらしく、青いアイコンはそこへ集中していた。だからこそ、赤いアイコンもそこへ向かっている。
「広場へ──ッ!」
僕が叫ぶように言うより僅かに早く、グリフォンは翼を動かしていた。
巨体を揺らして接近していくソルジャーオークと、それを迎え撃たんとする領軍の兵士達。その両者の間に割って入った僕ら。
背後に居る兵士や領民からの視線を感じつつ、僕の意識は前方の魔物へ。
──紫電、衝波。
不可視の刃がソルジャーオークの首を落とし、物言わぬ骸を作った。
「こんなところにグリフォン!?」
「いや待て、誰か乗っているぞ! 騎獣だ!」
僕らの登場により場が混乱している様子だが、それに構っている暇は無い。この場の敵は、今ので終わりではないのだから。
建物の向こうから続々と登場してくる複数のソルジャーオーク。それら一頭一頭に狙いを定め、紫電と衝波の同時使用で狙撃していく。
距離のある標的に狙いを定めるのは難易度が高かったが、紫電の攻撃速度の上昇適用に遅延を掛けて思考速度の上昇を優先してみたところ、ぐっと難易度が下がった。勿論、衝波を放つ瞬間には通常の紫電と同じように十分な加速をしているから、肝心の攻撃を避けられることも無い。
十頭ほどをそうして片付けて、ひとまず目に見える範囲に魔物が居なくなったタイミングで。
「アレックス……」
僕の父上であり、何よりこの地の領主であるゲルト・ケンドールが、何処か呆然とした様子で声を掛けてきた。
◆◆◆◆◆
俺ことリク・スギサキは、今しがた俺が貸与した騎獣に乗って街へと戻るアレックス・ケンドールを見送ってから、歪で醜悪なオークの融合体に視線を送る。
胴体をぶち抜いた上、右足以外の四肢は全部切り落としてやったが、既に再生が始まっていた。
「【黒疾風】……か……?」
怒涛の展開に頭が追い付いていないのだろう。アレックスの近くで途中からずっと戦っていたらしい冒険者の一人が、ひとまず俺に誰何してきた。
「ラウネン湿地で会って以来かな。フォルカー、ニルス、ロニー。生憎と、フランは居ないけど」
俺とフランが喫茶店巡りの旅として魔法都市クヴェレに向かった、その途中で通ったのがラウネン湿地だ。
騎獣に乗って快適な空の旅を楽しんでいたところ、彼らが魔物に囲まれる危機に晒されているのをマップ上で確認したことが出会いのきっかけだった。
まさかこんなところで再会するとは思っていなかったよ。
「率直に聞く。アンタならアレを倒せるのか?」
俺が作った巨大な断面から新たな通常サイズの手足を無数に生やし、着実に再生している巨大オーク。
それを嫌悪に満ちた目で見ながら、フォルカーは俺に問うた。
「倒すさ」
そもそもその為に来たのだから、当然だ。
気負い無くさらっと答えた俺に、フォルカー達は半笑いになった。
「街の近くで戦うのも何だし、場所は移すけどな」
今まさに、再生を完了させた巨大オークが身を起こそうとしている。
軍人らしき集団がにわかに騒ぎ始めるが、特に気にすべきことでは無いか。今しがた言ったように、場所を移すことだし。
今度は不思議そうな顔をし始めたフォルカー達を尻目に、俺は八咫烏の切っ先を標的に向ける。
『トリ・ウィンド──三重結合起動』
大太刀である八咫烏の刀身に風が巻き付き、高密度に圧縮された空気が光を捻じ曲げる。
刺突。
放つは風の砲弾。
狙い過たず命中したそれは、巨大オークの鳩尾辺りにめり込みながらその巨体を浮かせ、直進を続行。
上級魔法の三重結合起動という、出力では最上級魔法を上回る魔法を受けて、巨大オークはろくな抵抗もできずに遠くへと飛ばされていく。
「……ほんの一分前まで絶望の象徴のように見えていた化け物が、紙屑みたいに吹き飛ばされていく様を見た俺達の今の気持ちが分かるか?」
「ちょっと経験が無いから、俺には分からないな」
分かる必要があるとも思わないし。
「それじゃあ、俺はあの豚を片付けてくる。終わったらどうなったか説明に戻ってくるつもりだから、ひとまずフォルカー達も街に引き返したら良いんじゃないかな」
「……そうだな。こっちはアンタに任せるしかない状況だし、アレックスの加勢に行ってくる」
加勢?
フォルカー達が今から全速力で街に行っても、アレックスが片付ける方が早いと思うぞ?
──もっとも、俺が遠くへ吹き飛ばした方は、そう簡単に片付いてくれるか分からないんだけどな。
ほんのり不穏な空気。