第二〇三話 ケンドール男爵家2
会話のできなさ加減が、誰かさんの過去を思わせて懐かしいですね。
リビングで待っているであろうマティアス兄さんと姉上へ、エミーに言伝を頼んでから。僕は父上と共に書斎へと向かった。
その際エミーから不安そうな目を向けられたが、大丈夫だよと声をかけたら頷いてくれたので、きっと大丈夫だ。
久方ぶりに入った父上の書斎は、古い本の香りがした。壁際にある本棚はびっしりと本が詰められ、僕の記憶と相違無い。
父上は二つある内の一つの椅子に座ると、僕にもう一つの椅子を勧める。
僕が椅子に座って父上と対面すると、父上はおもむろに口を開いた。
「お前を我が領地の軍に入れる。冒険者として上には行けずとも、これまでに上げたレベルはそれなりだろう。役立たずにはならないはずだ」
寝耳に水というか、なんというか。提案ではなく確定の形で言われたので、僕の反論を受け付けるつもりは無いのだろう。
「……話が読めないのですが」
「読む必要など無い。これは単なる確定事項だ。お前は言われた通りにすれば良い」
ああ、やはり。
「どうせこれ以上冒険者を続けたとして、得るものは無い。ならば堅実な選択肢を選ぶというのは、当然のことだ」
「お言葉ですが父上、僕はつい先日星の数を増やして──」
「どうせ、冒険者ギルドのお情けで四つに上げられただけだろう。長く三つ星を続けていたのだ、そういうこともある」
やはり、やはりだ。どうせと言って、僕に対して何も期待しない。
だから僕はこの家を出たんだ。耳にこびりつくその言葉が、心の底から嫌いだったから。
……とはいえ誰かさんのお陰で、今はその言葉に対し、それほど鬱屈した思いを抱えてはいないのだが。
「明後日、近隣にて確認されたオークの群れを軍が討伐する予定だ。それに随伴するため、明日は顔合わせとなる。準備をしておくように。話は以上だ」
それはそれとして、僕の意思が介在していないことに変わりは無さそうだ。以前の僕ならば、どうにかして会話を試みたと思うが、今となってはそんな無駄なことをしたいとは思わない。
だから、僕も一方的に言葉を使おう。
「分かりました。冒険者は辞めませんが、ひとまず父上の仰る明後日の予定はこなしましょう」
「アレックス」
「僕からも、話は以上です。それでは夕食の際に、また」
呼び止めるような素振りを見せる父上を放置して、僕は書斎から退室する。
リビングに行くと、そこには姉上とエミーが居た。
二人ともソファーに座っていて、何やら深刻そうな表情を浮かべている。
「ああ、アレックス!」
そして僕に気付いた姉上が、心配そうに僕の名を呼んだ。
「父上から、軍に入れと言われました。断りましたけどね」
何でもないことのように言った僕は、二人にとって意外だったようで。二人とも、目を丸くしている。
「ですが、ご安心を。近隣に出たというオークの群れは、軍と協力してきちんと討伐しておきますから」
オークの群れの規模がどの程度かは知らないが、今なら変異種であろうと確実に討伐できるだけの実力を付けている。しかも軍と協力して、というのであれば、これはますます不安に思う必要が無い。
「お前は昔から変わっていないな、アレックス」
冷ややかな響きの声が聞こえたので、僕はそちらに振り返った。
そこには、声の印象と同じくらい冷ややかな目をしたマティアス兄さんが立っている。
「七つ星冒険者になるんだ、などと叶うはずもない夢を語って家を出た癖に、三つ星で止まっていただろう。大口を叩く前に、実力を付けろ」
「すみません、マティアス兄さん。その手の話はかの有名な【黒疾風】から聞かされて、既に骨身に染みています。世界有数の冒険者の口から語られた言葉を、今更マティアス兄さんの口から聞いても、僕には何も響きません」
あ、マティアス兄さんが顔を真っ赤にしてプルプルし始めた。
……というか僕は、彼から変な影響を受けているような気がするな。煽りの自覚は無かったけれど、冷静に考えれば完全に煽ってしまった。
「【黒疾風】、だと!? 確かに【黒疾風】はお前が活動しているアインバーグに居るらしいが、だからといってお前程度の冒険者に接点などあるはずが無いだろう! 作り話をするな!」
「信じられないのも無理は無いと思います。ただ、【黒疾風】はあれで結構気さくですし、交友関係も広いですから、少なくともアインバーグの冒険者なら接点がある者も珍しくありませんよ?」
極自然に出た僕の反論に、マティアス兄さんは二の句を継げないでいる。
この前、王都で行われたという黒の神授兵装所有者のお披露目でも、民衆相手に笑顔を振り撒いていたらしいし。気さくだという僕の言葉を、一概に否定できる訳は無いだろう。
「まあ、有名な方とお知り合いなのね、アレックスは。折角だからゆっくりと……そうね、今晩の夕食の時にでも話を聞かせて欲しいわ」
停止していたマティアス兄さんの隙を突くかのように、姉上が話に入ってきた。もし僕が本当に作り話をしていたとしたら、かなり動揺させられていただろう言葉だった。
「ええ、構いませんよ。といっても、僕が冒険者として彼とまともに行動を共にしたのは、ダンジョンに潜った一度きりなので、大した話はできそうにありませんが」
火属性魔法使いであるエリック君の武器の素材を集めるため、ダンジョンアタックの人員として僕は声を掛けて貰った。予想外のトラブルこそあったものの、蓋を開ければ僕が居なくとも問題にはならなかったであろう状況だったのを思い出す。
ここで改めてマティアス兄さんの様子を伺うと、奇妙なものでも見たような目を向けられていた。
ところでまだ母上に会っていないから、夕食の前に顔を見せておこう。なお、次男は今この家に居ないのでまたの機会に。
少しして夕食の時間となり、父上と母上も交えて食事をとった。
約束通り僕は姉上に【黒疾風】の話をして、それには他の家族も耳を傾けていた。
先にも言っていたように、冒険者として行動を共にしたのは一度きりだから、大した話はできなかったと思うけれど。それに、僕はさほど活躍もできなかったから、少々情けないような気持ちもあった。
ただ、意外にもエミーが僕の活躍した話を聞きたいと言ってくれて、その流れで僕自身の話もした。具体的にはジェネラルオークが率いる群れを、僕の友人であるカルル達三人と協力して討伐した話などだ。
父上とマティアス兄さんは懐疑的な視線を向けてきて、どうやら僕の話を信じていない様子だった。母上も曖昧な笑みを浮かべていたので、恐らくは。
けれど姉上とエミーは何の含みも無さそうな笑顔を浮かべながら聞いてくれたので、きっと信じてくれたのだと思う。
そんな具合に和やかなのかそうでないのか、判断に迷う夕食を終えてから。母上がこっそり控えめに、あまり自分を大きく見せるような話はしない方が良いと、僕に忠告した。
僕の話を全く信じてくれていないという訳ではなさそうだったものの、やはり誇張したものだとは思われていたようだ。少なからずショックを受けるが、僕を心配する母上に対して強い言葉で反論するのも違うだろう。だから僕は、明後日のオーク討伐で結果を出すことを約束した。
翌朝。
自室のベッドで目を覚ました僕は、使用人に呼ばれて再び父上の書斎へ。
書斎には父上だけでなく、冒険者風の見慣れない男三人が居た。
剣士と、槍使いと、魔法使い。バランスが良さそうな構成だ。全員が四つ星らしい。年齢は僕と同じか、少し上くらいだろうか。
お互いに自己紹介をしたけれど、僕が名乗った際に一瞬だけ目を見開いたのが気になる。それも、三人ともだったから。
父上から、明日は彼らと共に軍と協力すること、今日の内に作戦を行う軍の部隊との顔合わせも済ませておくようにと言われた。
軍の部隊の中に冒険者一人を放り込む、という訳ではなかったらしい。
言うだけ言って、父上は僕らに退室を促した。
反抗する意味も無いのでそれに従い、僕らは退室。そのまま屋敷の外にまで出る。
「それにしても、驚いた。いや、ケンドール男爵家の家名を聞いていた以上、思い当たってもおかしくはなかったんだが」
唐突に剣士の男──フォルカーという──が、気になる言い回しをした。僕の自己紹介を受けて驚いた様子を見せていたことと、何か関係するのだろうか。
「光属性の魔法剣士、アレックス・ケンドール。アンタの噂は最近よく聞くよ」
「……それは一体どんな噂なのだろうね」
一応、ここ最近では特に下手を打ったということも無いと思うから、そう悪いものでもないと思いたい。
「何だ、知らないのか? そういうことなら、噂の真偽は明日の戦いの中で確かめさせて貰おうか」
まずは意外そうに。続いて楽しげに。フォルカーは僕の目を見ながら言った。
「教えては貰えないのかい?」
「別に悪い内容じゃないさ。それに、真偽を確かめた後でなら、ちゃんと教えるつもりだ」
噂というのは得てして大げさになりやすい。そして悪い内容でないとすれば、僕が過大評価を受けている可能性は高いだろう。
「ああ、けど一つだけ。アンタが【黒疾風】から剣を受け取ったってのは、本当なのか?」
それが噂の内容の一つ、か。
今となっては世界的に有名な冒険者となった彼の二つ名が、僕にまつわる噂話に絡むらしい。全容を聞くのが既に恐ろしいんだが。
「それは本当だよ。風魔法が刻まれた両手剣だね」
この僕の返答に、フォルカー達三人は何故か笑みを浮かべた。
いや、本当に何だ。一体どんな噂が流れているんだ。
僕らはその後、軍の詰所にて僕らを待っていた部隊の指揮官と顔を合わせたが。そこまでの道中で、フォルカー達から僕に関する噂の内容を聞き出すことはできなかった。
一体どんな噂でしょうね。