第二〇二話 ケンドール男爵家1
元々は閑話にする予定だったお話ですが、本編に組み込んでお送り致します。
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俺の名前はリク・スギサキ。広い国土面積を誇るリッヒレーベン王国内をあちこち飛び回っているが、一応の活動拠点は城塞都市である冒険者だ。
……最近はあまり自宅のベッドを使っていない。俺が持つエディターとは異なる黒の神授兵装、エミュレーター……のコピーが大量に準備されているという情報を導師から得て、その対策の為に奔走しているが故のことである。
大国であるリッヒレーベン王国の四大都市の一つの一等地に家を持ったというのに、俺は何故こうも忙しくしているのか。
それもこれも全て、エミュレーターのコピーなどという物騒なものを量産しやがった馬鹿野郎の所為なんだ。
まあ、愚痴はここまでにしておこうか。
過日に行われた新たな神授兵装所有者のお披露目にて、戦力として加わってくれた赤の神授兵装所有者であるアクセル・ゲーベンバウアー。俺のパートナーであるフランセット・シャリエ。
上記二名と共に、エミュレーター・コピー対策の中心人物である導師を訪ねたのは先日のこと。
その際、俺を含めた三名がそれぞれ導師作の魔法具を受け取っており、戦力の増強を行っている。
また、かねてより予定されていたエルケンバルト・ラインハルト──白のラインハルトへの協力要請も導師からあったそうで、そのままマリアベル・シャリエ──青のシャリエの協力もまた得たそうだ。
そんな訳で戦力の拡充は着々と行われており、予測される敵の襲撃の規模を考えれば安心まではできないものの、必要以上に不安がることもない。
とはいえ前述の通り俺が忙しくしているのは、その襲撃の予兆のようなものの所為だ。──散発的に、エミュレーター・コピーが現れている。
少し前までは落ち着いていたエミュレーター・コピーの出現が、リッヒレーベン王国の各地で確認されるというこの状況。機動力に優れる俺とゲイルが対策に出るというのは、至極当然のことと言えるだろう。
激務と言って差し支えない忙しさではあるが、三度の飯より空が好きなゲイルはとても機嫌が良い。率直に言ってそのメンタルが羨ましい。
さて。
そうこうしている内に、また新たなエミュレーター・コピーの反応が見つかったから、急いで向かおうか。
……おや?
なんと、あいつが近くに居るじゃないか。前はあんなに間が悪い人間だったのに、今ではすっかり逆になっているな。
しかし、どうしてこんな場所に……って、なるほど実家があるのか。
何にせよ、今回は保険があると分かって少し安心だな。
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僕の名はアレックス・ケンドール。城塞都市アインバーグで冒険者をしている男だ。
けれど今日はそのアインバーグを離れ、とある街へと向かっている。
そこはケンドール男爵家──僕の実家が治める、さほど大きくもない街。
生産した農産物を日持ちするよう加工して売っている以外、特にこれといって語れるようなことも無い。そんな場所だ。
要は実家に帰っているところである訳だが、それは先日僕のもとへ男爵家の当主である父から手紙が来たためだった。
元々短い内容だったが、あえて更に短くすればこうなる。一度帰って来い、と。
要件としてはただそれだけ。何故、という部分は書かれていなかった。
僕は三男ということもあり、家を継ぐ可能性も低いので、たまには顔を見せろということだろうか。それとも、他の理由があるのだろうか。
……何となく、他の理由があるように思う。顔を見せろという穏便なことであれば、あれほど短い手紙は寄越さない気がするからだ。
アインバーグから馬車に揺られて五日。僕はケンドール男爵領へと入った。
馬車を降り、凝り固まった身体の節々を解すように動かしつつ、街の様子を確認する。
悪く言えば寂れた、良く言えば長閑な街だ。人通りはまばらで、大きな都市であるアインバーグの様子を普段から見ている僕にとってはかえって新鮮に感じる。幼い頃は、僕もこの街で過ごしたというのに。
街の様子を確認しながら僕は歩き、この辺りで最も大きな家──ケンドール男爵家の屋敷に着いた。大きいと言ってもあくまで周囲と比較しての話であり、貴族の屋敷としては、そう立派なものでもないが。
こっくり、こっくり。門の傍で簡素な椅子に座り、船を漕いでいた門番が、僕の足音に気付いて即座に立ち上がる。
「止まれ。ここはケンドール男爵のお屋敷だ。関係者以外は……あれ?」
門番の視線が僕の顔に固定された。
「やあ、ロルフ。久しぶりだね。僕だ、アレックスだよ」
もうすぐ四十になるはずの門番の男は、僕が幼い頃からずっとこの屋敷の門番を続けている。だから必然、僕のことも知っている。
「アレックス坊ちゃん……? ああいえ、旦那様が手紙を出して、近々坊ちゃんが戻られるはずってぇのは聞いてたんですが。いやぁ、随分と立派になられたみたいで、気付くのが遅れました」
まだそんな歳ではないが、好々爺然とした雰囲気は僕に懐かしさを覚えさせる。
そうだ、彼は昔からこんな人間だった。
「僕だって、少しくらいは成長するさ。ロルフの方は、職務中にうたた寝をするくらい平和に日々を過ごせているようだけどね」
「ははは……いやぁ、それは……ここだけの話ってぇことで、ひとつ」
そんな具合に門番のロルフと雑談をしてから、ようやく僕は屋敷へと入る。
屋敷に入った僕を出迎えてくれたのは少々草臥れてきている絨毯と、古い木の香りと、ケンドール男爵家の長女──僕の姉上であるアネット・ケンドールだった。
「おかえりなさい、アレックス。長旅で疲れたでしょう」
身内の贔屓目はあるかもしれないが、優しげな顔立ちの美人だ。性格も顔立ち通り優しく、結婚する前は引く手数多だったと聞く。
そう、結婚しているのだ。隣町の商家の跡取り息子と。だというのに、この家に居るのは一体……?
「アレックス? 何をそんなに不思議そうにして……ああ、何故私がこの家に居るのか、ということね? 可愛い弟が久しぶりに実家へ帰るというのだから、私も顔を見たかったのよ」
「わざわざ実家に帰ってこなくても、後で僕の方から姉上を訪ねましたよ」
苦笑しながら僕は言ったが、姉上は気にした様子も無い。ただ穏やかに笑みを浮かべている。
そのまま姉上に流されるようにして場所を移し、リビングに居た長男のマティアス・ケンドール、次女のエミー・ケンドールと顔を合わせる。
なお、次女のエミーは僕より年下の妹だ。
リビングに居た二人は大きなソファーに並んで腰掛けていたが、僕の姿を認めるとマティアス兄さんがまず立ち上がり、続いてその影に隠れるようにしながらエミーも立ち上がる。
「ようやく来たか」
まずはマティアス兄さんが、僕に声をかけた。
「お、お帰りなさい、アレックス兄様……」
そしてエミーが控えめな様子で。
「ただいま戻りました、マティアス兄さん。エミーも、元気そうで何よりだよ」
僕に返事をされたエミーが、マティアス兄さんの影に完全に隠れてしまった。
これは別に、僕が嫌われているという訳ではない。きっと、恐らく、その筈だ。
「父上が書斎で待っている。旅装を着替えたらすぐ行くように」
「マティアス。アレックスは今帰ってきたばかりなのだから、少し休ませてあげるべきだわ」
事務的に僕へと用件を伝えたマティアス兄さんに、眉を顰めながら姉上が言った。
「姉上はアレックスに対して甘すぎる。今日この家に戻らせたのだって、そもそもアレックスが──」
それでもマティアス兄さんは引き下がる様子を見せず、何やら僕が知らない情報を出そうとした。
「マティアス」
けれど、トーンを落とした姉上の声に、気圧されたように口を閉じる。
あまり楽しい帰省にはならないだろうと予想はしていたけれど、これはもう少し覚悟を固めておくべきだろうか。基本的にとても穏やかな人である姉上が、今は微かに怒気をすら滲ませているのだから。
「帰って早々にごめんなさいね、アレックス。貴方の部屋はお掃除だけしてそのままにしてあるから、ひとまず着替えだけは済ませてきて貰えるかしら?」
「分かりました」
僕は余計なことを言わず、言われた通り着替えてくることにした。
久方ぶりの実家の自室にて、懐かしさを覚えつつ着替えを済ませた僕は、すぐにリビングへと戻ろうとしていた。
けれどそこに現れたのは、妹のエミーだ。
僕の自室の扉の前に立っていたようで、ドアを開けると驚いた顔で僕を見上げてきた。
「エミー? どうしたんだい?」
正直に言えば、エミーは僕と距離がある。僕がまだこの家で暮らしていた時も、声をかければ返事はしてくれるし、エミーの方から僕に声をかけてくることもあったけれど、何処か余所余所しさがあったことは否めない。
そんなエミーが、わざわざ僕の部屋の前に来ているのだから、何かしらの用件があるのだろう。
……別に悲しさなんて覚えていないよ。少ししか。
僕のそんな悪足掻きは横に置いて。
エミーは、何かを言いかけては口を閉じてを繰り返している。
僕は腰を落としてエミーと目線の高さを合わせ、優しい口調を心掛けながら口を開く。
「僕に何か、伝えたいことがあるんだね? ゆっくりで構わないよ。ちゃんと、待つから」
できるだけ自然な笑顔を心掛けて、僕はそう言った。
エミーはまたしても何かを言いかけ、口を閉じてしまった。
これはやはり長期戦を覚悟すべきか。そんな風に思った僕だったが、思わぬ形で終了することになる。
いや、これは中断か。
「何をしている、アレックス」
突然声を掛けられた僕は勿論、エミーもまた、声がした方へと顔を向ける。
視線の先に居たのはケンドール男爵家当主、ゲルト・ケンドール。僕の父上だった。
「帰ってくれば、すぐに私の書斎へ来るよう、マティアスへ言付けていたはずだが」
父上が挨拶の一つも無しに会話を始めてしまう辺り、僕にとって好ましい話は待っていないのだろうなと改めて確信した。
ケンドール男爵家の家族仲は、よろしかったりよろしくなかったりします。




