第一話 受付嬢1
異世界、エクサフィス。
この世界の住人は天動説を信じているし、水平線の向こう側には世界の終わりがあり、そこには虚空へと落ちていく巨大な滝があると思っている。
まあそれって、この世界では単なる事実なんだけどさ。
元の世界で言うなら、神話の時代の世界って表現が多分妥当。神様が居て、悪魔も居る。
人の生活圏を一歩抜ければ魔物がそこかしこを闊歩し、弱肉強食が唯一の理として不動の地位を獲得している。
そんな魑魅魍魎が跳梁跋扈する場所に赴いて生きて帰れる人間は極一部で、けれど魔物を殺して得られる魔石は例え最下級のそれであってもかなりの価値を持つ。だからこの世界には冒険者という職業が当たり前のように存在して、彼らは武器を手に魔物と命を削り合う。
他人事みたいに言ったけど、今は俺もその内の一人だ。
転生してから七回目の朝を、安宿の硬いベッドの上で迎える。
初回なんかは身体の地味な痛みに泣き言を言いたくなったが、七回目にもなれば流石に慣れる。というか諦めもつく。幾ら泣き言を言っても、ベッドは決して柔らかくなってくれはしないんだから。
狭い部屋を見渡せば、ベッドの他に四角いテーブルが一つ、ぼろい椅子が二つある。それ以外には何も無い。
アイテムボックスなんていう便利機能はしっかり神様から貰ったから、こんなセキュリティも何も無い場所に自分の所持品を置いておく意味が無いし。
盗まれて困るほどの物を持っていないのも事実だけど。
幸いにして、俺をこの世界に転生させた神様──最高神だったらしい──は俺に一週間程は何もしなくても生きられるくらいの金を与えてくれていた。
転生先は草原で、遠めに街が見える場所だった。
街に向かう短い距離で魔物に遭遇した時は本気で神に呪詛を吐きかけたくなったけど、イノシシの様なブタの様なそいつは幸いにしてあまり強くなかった。
神様から貰ったチートツールな両手剣をへっぴり腰で振り回して何とか倒した俺は、その際に得た経験値によりレベルアップ。いきなり身体の調子が良くなるという不思議な感覚に妙な感動を覚えつつ、これまた神様に貰ったこの世界の知識に従ってしっかりと魔石を回収。ちょっとした手土産を持って街の中へと入っていった。
緩い検問を抜けると見えたのは、とにかくふんだんに石材を使い込んだ街並みと、大通りを行き交う沢山の人々。建物こそ建材が似たり寄ったりなせいで特徴らしい特徴も無かったが、人々は多種多様だ。
失礼を承知で言えば、モブキャラの中のモブキャラと称したいほど特徴に乏しいザ・一般人といった外見の人が居たり。かと思えば、ボディビルダーの身体に百獣の王ライオンの頭を乗せたような、元の世界においては人間のカテゴリを大きく逸脱した獣人と呼ばれる人種が居たり。
人種のサラダボウル、なんて言葉を思い出しつつ、この街に入った瞬間取得した地図に従って、目的地である冒険者ギルドを目指した。
冒険者ギルドを目指した理由は単純、金だ。
とにもかくにも、生きる為には金が必要。幸いにして、ただの武器として使用してもそれなりに使えるらしい剣を、俺は既に持っている。商売道具が一応はある訳だ。とはいえ防具が何一つ無い状況で、ガンガン狩りに出かけようという訳でも無い。勇敢と蛮勇は違うと思ってる。
だから剣はあくまで自衛手段として、やる仕事は採取なんかの比較的安全な内容に絞る。
……そんな風に考えていたその時の俺は、実に平和的な思考の持ち主だった。
冒険者ギルドの建物に入った俺が真っ先に思ったことは、意外と秩序を保っている、だった。
何となく荒事担当なイメージが強かったので、極端な想定として世紀末でヒャッハーしてそうな野郎集団、というのもあったのだ。ところが実際には、確かに荒事は得意そうな人が多かったものの、不良の溜まり場のような淀んだ空気は無かった。床までピカピカ、とまでは言わないものの、それなりの清潔感というものがある。
もうすぐ昼食時だろうかと思われる今の時間帯はさほど仕事も無いのか、若い受付嬢がギルド所属と思われる冒険者風の男と談笑している姿も見えた。
受付には三人の受付嬢が居て、一人は前述の通り。
残る二人の一方は、もう少し歳が上のベテランといった感じだが、何処と無く疲れたような雰囲気が滲み出ている。
そして最後のもう一方は、如何にも事務仕事が得意です、といった冷静そうな──悪く言えば冷たそうな──印象を受ける少女。
俺は少し迷って、三人目の受付嬢のところへと向かった。
「おうおう、テメェみてぇなひょろっちいガキがこのギルドに何の用があるってんだ?」なんてベタな絡まれ方をすることも無く、全く何事も無く受付嬢の前に到着した俺。
まず何を話すべきか、喋りながら考えていこうと口を開く直前に、
「当ギルドへの登録をご希望ですか?」
目の前の受付嬢が落ち着いた声で問い掛けてきた。
青み掛かった銀髪を肩まで伸ばし、瑠璃色の目を持つこの少女。顔は小さく、輪郭がすっきりしていて、西洋人形的な美しさがある。
「……そんなに俺、分かり易かったですかね?」
目的をずばり当てられた俺は、思わず苦笑い気味に質問を返してしまった。確かにこの建物に入ったとき、物珍しそうに周囲を見渡していたけれど。
「はい。失礼ながら」
随分とはっきりモノを言う子だ。
思わず目を丸くする俺を見かねたのか、隣のベテラン風受付嬢が目の前の受付嬢の後ろにやって来た。
「ああ、すまないね。悪気がある訳じゃないんだけど、この子ったら愛想が無くて。気を悪くしないでやってくれないかい?」
おお、後輩をフォローする優しい先輩だ。さっきは失礼な印象を抱いてすみませんでした。
「いえ、驚きはしましたけど、元々気にしてないです」
それなら良いんだけど、と言ってベテラン風受付嬢は下がっていった。
何と言うか、こういうやりとりに慣れてる感じがあったな。
目の前の受付嬢は自分の席に戻ったベテラン風受付嬢に小さく一礼して、すぐに俺へと向き直る。
「先程は失礼しました。それでは、ご登録ということですのでこの用紙に必要事項を記入してください。なお、虚偽の情報を含んでいても登録自体は可能です」
「登録自体は」ってのが、何とも地味に警戒心を煽ってくる。
「ちなみに虚偽の情報を含ませた場合、もっと言えばそれが発覚したときは、何かペナルティがあるんですか?」
念のため、確認しておく。
この異世界に来て、いきなりトラブルに遭遇したらたまらない。
受付嬢は人形のように変化が無かった表情を、ほんの僅かに変えた。具体的には、口角がほんの僅かに上がっている。
「いえ、特にギルドからはありません。ただし周囲から身元を隠さなければならない人間として認識されますので、それが間接的なペナルティと言えるかも知れませんね」
若干こえーよこの子。
まあ良いさ。どのみちここでの俺は、年に一人か二人現れる異世界人だ。
虚偽の報告に意味が無い以上、事実を書くだけ。
差し出された用紙に書かれた文字は、アルファベットに良く似ていた。そして一つ一つの単語もまた、英語に似ている。英検二級くらいあれば、そのままこの世界に放り込まれてもこの世界の言語を自力で習得できるんじゃなかろうか。
俺は転生時に言語を習得したから関係無いけど。
住所、氏名、年齢、使用武器、使用魔法などなど。色々細かな情報を記入したり、記入しなかったりして、受付嬢に返却する。
「恐れ入りますが、住所をご記入頂けておりません」
やっぱりそこが空欄だとそう返されるか。
「生憎と、少し前から根無し草なもので。長期で借りられる安い宿屋があれば、そこを教えて欲しいくらいなんですけど」
そう、ほんの数時間前から根無し草だ。野宿は嫌だけど。
俺の返答に思案顔をし始めた受付嬢が、数秒後にまた口を開く。
「……転生者、の方でしょうか?」
僅かに首を傾げて、自分でも半信半疑といった様子の言葉を紡いだ受付嬢。
ちょっと可愛らしい。
「さっきから良く分かりますね。そうです、俺は数時間前にここへ転生してきたばかりなんですよ」
話が早くて助かるなぁと感心しながら、あっさり身の上を話した。