第一八四話 舞台裏
イベント開始まで行きませんでした。
「……良し、何とか姿を見せずに到着できましたね」
ここは大広場の仮設スタジオ。イベント終了後は撤去される予定の施設だ。
仮設とはいえ規模は中々のもので。しかし何千と並べられた客席は超満員、立ち見客は押し合いへし合い少しでも良い場所を取ろうと躍起に。ライブ会場を思わせる特設ステージに注がれる熱い視線は、ここへやって来た観客の共通項目だ。
「今日の主役が侵入者みたいに会場入りするって、どうなのかしら」
エディターのマップと魔法具による自由自在の進行ルートの併せ技で、今回のイベントスタッフ用の部屋へと侵入──もとい到着した。それについての、マリアベルさんからのツッコミだった。
「余計な心労を抱えずに済むなら、その方が良いじゃないですか」
「それはそうなのだけど」
こちらに一定の理解を示しつつも、言いたいことがありそうな反応。けれど言葉が続けられることは無く。
「良いじゃないか。使い方はともかくとして、神授兵装を使いこなせているのは間違いないんだから」
「爽やかな笑顔でさらっと刺してきますね、エルさん。ひょっとして無自覚ですか」
使い方はともかくとして、って言ったもんな。
「そんなことよりも、行きましょう。スタッフの皆さんも待っています」
「雑な時は本当に雑だな、フランの俺の扱いは!?」
無遠慮に俺の背中を押し急かしてくるのは、俺の彼女であるフランセット・シャリエ。
それに流されて、素直に歩いている俺も俺かもしれないが。
なお、視界の端にチラッと見えたマリアベルさんの生暖かい目は無視しておく。
さて、ここはミーティングルーム。
数名の現場スタッフと事前に打ち合わせておいた段取りの最終確認をし、あと三十分後には俺の出番というタイミングで。何やら部屋の外が騒がしい。
はてどうしたのか、と今の今まで意識から外していたマップに視線をやると、俺の思考が停止しかけた。
ジーグルト・ゲーベンバウアーとアクセル・ゲーベンバウアーという名の表示が、この部屋へと近付いてきている。
普段は俺とフランのみに見えるマップ画面の設定を、この部屋に居る全員に見えるよう変更する。
「なんか来てます……」
彼との邂逅はパーティー会場だと思って油断していた俺には、覚悟が足りていなかった。現状の詳しい説明をするという労力を払うのも嫌になり、投げやりな情報提供をしてしまう。
反応は様々。
フランは困惑気味に首を傾げ、エルさんは苦笑い、マリアベルさんは特大のため息。そしてスタッフ達はドアと部屋の中を忙しなく交互に見て、大慌て。
そうこうしている内に、件の二人がこの部屋のドア前に来たことをマップ上で確認した。
「この部屋かのう!?」
歳を重ねた、けれど力強さのある男性の声が、ドアが勢い良く開くと同時に聞こえてきた。
姿を見せたのは、獅子獣人。赤みを帯びた金色の鬣がまず目に入り、真紅の目と相まって燃え盛る炎のようにも見える。服の上からも分かるがっしりとした胴体からは、丸太のように太い手足が伸びていた。
ちなみに今はスーツ姿だが、普段は全く着ないのが一目で分かる。首元で結ばれたネクタイがグシャグシャだ。
「おお、白のと青のもおるではないか! とすると、そこの小僧が!」
部屋に入るなり大声で言いたいことを言う獅子獣人は、道中で止めに入っていたのであろうスタッフ二名をアクセサリーのように引っ付けた状態で俺の方へと歩いて来る。
「困ります、ゲーベンバウアー殿! 繰り返し申し上げている通り、ここは関係者以外立ち入り禁止です!」
アクセサリーと化しているスタッフの一人が、ここまでの苦労を伺わせる内容で必死に抗議をしている。
「赤の神授兵装を持っておるワシが関係者でないはずが無かろう! 意味の分からんことを言うでない。現に、白のと青のはここにおるではないか!」
俺分かった。無理。この爺さんを仲間にするの、無理。
紅紫のエクスナー、クラリッサ様は何一つ間違ってなかった。
「お久しぶりですね、ゲーベンバウアー殿」
さあどうしてくれようか、とやや物騒な思考に偏っていく俺を他所に、エルさんが椅子から立ち上がって対応を始めた。
「うむ。久しいのぅ、エルケンバルトよ。相変わらず良い目をしておる。どうじゃ、この後一戦やらんか?」
「可愛い後輩の晴れ舞台が待っていますから、遠慮しておきます。それよりも、先程スタッフの方が言ったように、ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ。申し訳ありませんが、この場はお引き取り願えますか」
穏やかな口調でありつつも有無を言わさぬ雰囲気に、普段のエルさんとはまた違った印象を受けた。
けれど、どうやらそれで引いてくれる相手ではないらしい。
「ワシに引けと? 冗談を言うでない。招待状を寄越してきたのは王国であろう? ならばワシは勝手にさせて貰うとも。それが当──」
「──当然じゃねえよクソジジイ!」
ゴッ、と。鈍く響く、大きな音が聞こえた。
見えたのは燃え盛るように赤い拳、ナックルか。獅子獣人の後頭部にめり込ませる勢いで放たれたそれは、彼が連れてきた人間の装備品だ。
マップ上の表示にある名はアクセル・ゲーベンバウアー。
彼と同じ赤みを帯びた金髪と真紅の目は明確に血の繋がりを感じさせるものの、その姿は獣人族というより人族のそれに見える。見たところ、歳は俺と同じくらいだろうか。
野性的な雰囲気ではあるが、顔立ちとしては整っている。今は怒りを露わにしており、より野性的な雰囲気が濃い。
「おぉ……アクセル……、不意打ちとは小賢しい真似を……。ここまで大人しかったのは、この一撃の為か……」
受けたのが常人ならば頭部がトマトのように弾けていたであろう強烈な打撃を、よろける程度で済ませていた獅子獣人。けれどダメージはそこそこあったようで、後頭部を擦りながら犯人を睨む。
「俺はアクセル・ゲーベンバウアー、コレの孫だ。ウチのクソジジイが迷惑かけちまって、本当に悪い」
けれど犯人──アクセルはそれを完全に無視して、俺達への謝罪を優先した。
「できればここに来る前に止めたかったんだが、俺じゃ止め切れねぇと思ってここまで来ちまった」
先の一撃は、はっきり言ってかなりのものだった。格闘技の造詣は深くない俺だが、それでも相当な実力者であることくらいは分かる。
そんな彼がここまで言うのなら、やはり赤のゲーベンバウアーの実力は本物なのだろう。ああ、実力は。
「アクセル、お前──」
「じゃ、これ以上邪魔しても迷惑でしかねえし、これで失礼させて貰うわ。おらクソジジイ、大人しくしやがれ」
「やめんか、アクセル! ワシを不意打ちで弱らせてから勝手をするなど、恥を知れ!」
「この現状、一番の恥はテメエなんだよ!」
アクセルは獅子獣人の首根っこを乱暴に掴み、外へと引っ張っていく。
そのまま部屋の外へと出て行って、そして静寂が訪れた。
「……嵐が去っていった」
「【黒疾風】が言うと、なんだか趣がある気がするね」
「要らないなぁ、その趣……」
エルさんの発言に微妙な反応を返しつつ、他の人間の様子を伺ってみる。
フランは何か考え込むような表情。マリアベルさんはただ疲れたようにため息。
スタッフ数名は、安堵と疲労が浮かぶ表情。
フランの様子は気になるけれど、必要ならあちらから話をしてくれるだろう。
「孫の方は、まともそうだったわね」
マリアベルさんがぽつりと言った言葉に、内心で九割方同意する。しかして残る一割は。
「祖父の後頭部を不意打ちで殴りつけるのがまともなのか、少し議論の余地はありそうですが」
「でも、状況が状況だったじゃない?」
「それはまあ」
半ば思考停止したような会話をしつつ。ハーブティーでも飲んで気分を変えたくなったので、アイテムボックスから色々と取り出し用意をする。
さて、カップは幾つ出そうか。
「あら、口直しに良さそうね。リク君の淹れるお茶はほっとする味がして好きよ、私」
「そんな遠回しに催促なんかしなくても、ちゃんと人数分用意しますよ」
まあ、全員分用意するか。スタッフの人達も含めて。
リッヒレーベン王国の首都、ゲゼルシャフト。本日大々的にイベントが発表されていた大広場には、多くの都民、そして遠方から集まって来た地方民が詰めかけ、実に盛大に賑わっている。
ライブステージのような様相を呈するここは、今の王国で最も熱い場所だろう。
「……熱気で干からびそうだ」
ステージ裏に居る俺のこのテンションとは、まさに反比例していると言っても過言ではない。
信じられるか? これでも主役なんだぜ、俺。
「リク。笑顔、ですよ?」
しなやかな細い指に両頬を緩く摘ままれ、持ち上げられた。
犯人はフランだ。
「……大丈夫だよ。登場直前に笑顔を貼り付けるくらいの気力は残してる」
俺の頬を摘まんだ手をそっと外しつつ、フランに返答。
「それなら良いのですが」
「それで良いのね」
呆れたような顔をしながら会話に参加してきたのは、フランの姉であるマリアベルさん。
「この状況下で心からの笑顔を要求する程、私は鬼ではありません」
「一応確認したいんだけど、これって本当に晴れ舞台なのよね?」
マリアベルさんも、俺がこのイベントに対してネガティブな感情を抱いているのは知っていたようだけれど。それでもここまで酷いとは、どうやら思っていなかったらしい。
「しゃんとしなさいな、リク・スギサキ。ワタクシ達と同じ神授兵装所有者として、これから広く認知されるのだから。そう簡単に無様を晒すものではありませんわ」
叱咤激励、といった様子の言葉を俺にくれたのは、鮮やかな赤いドレスに身を包んだエルフのご令嬢。紅紫のエクスナーことクラリッサ様だった。
そう、彼女も王国に居る神授兵装所有者として、今は舞台裏に待機している。
「これは失礼を致しました、クラリッサ様。この失態は、本日これからの行動にて雪がせて頂きたく存じます」
「それなら宜しい」
こちらが胸に手を当て、首だけを傾けるように一礼すると、クラリッサ様は満足そうに仰った。
「リク君。実は、かなり余裕があるんじゃないかい?」
半笑いのエルさんがそんなことを言うが、とんでもない。
「余裕がある振る舞いを演じているだけです。イベントが終われば、即座にふて寝しますよ俺は」
予定より早く顔に笑みを貼り付けて、俺はエルさんに返答した。
「……すまない」
本当に申し訳なさそうに、謝られた。
次話こそイベント開始、予定。