第一五六話 ズュートケーゲル調査2
ひとまず現地に到着。
いくつかの村を経由して、ズュートケーゲルに到着したのは次の日の夕方。
山肌には巨大な岩が無造作に転がっており、山頂は雲を突き抜けている。エディターのマップ上には夥しい数の魔物が表示され、その全てが上級なのだからとんでもない。
尤も、広い範囲の魔物を一斉に表示しているだけなので、こちらが下手を打たなければそれらの魔物のほとんどと交戦することは無い。
「本当に便利なものね。魔物の位置を完璧に把握できるだなんて」
この場に居る四人全員に見える設定で表示しているマップを、マリアベルさんが覗き込むように見ている。
「その為にエルさんから呼ばれた訳ですから、しっかり仕事はこなしますよ」
何ならエルさんにエディターを貸し出すことも、できなくはなかったけれど。
とても悪用するような人ではないし、誰かに奪われるということもないだろう。もしエルさんが持っていて奪われるなら、俺が持っていても同じ結果になるというのもある。
まあ、結局こうして俺自身が現地に来ている訳だけれど。
「そこは心配していないわ。何せ貴方は白のラインハルトの再来だもの」
「せめて【黒疾風】の方で勘弁してください。エルさんよりずっと弱い俺がそう呼ばれることには、流石に忌避感と羞恥心があります」
若干の弱音を吐きつつ、マップの情報を精査する。
まず、現在表示できているのは麓から中腹辺りまで。山頂付近の情報を得るには、実際に足を運ぶ必要があるだろう。
前情報通り、麓は然程荒れた様子が見られない。以前、俺とフランとドミニクさんの三人で来た時と、様子が変わらないように思える。
ただ、中腹は少々魔物の数が多いようだ。そして異種族での争いがそこかしこで起こっているらしく、時折表示の数が減っている。つまり、その場で魔物が死んでいる。
また、麓であれば空を飛ぶ魔物は時折中腹から降りてくるグリフォンくらいしか居ないが、その中腹に行くとハルピュイアなど他の種類の名前も確認できた。当然、種類だけでなく個体数も増えるため、空の危険度は増す。
「あら、六つ星に昇級したらしいのに謙虚なものね」
「その上の七つ星冒険者が二人、物理的に近くに居ますけど」
「ふふ、そうだったわね」
なんとも掴みどころのないやり取りを繰り広げていたら、準備を終えたエルさんがこちらへやって来た。
「二人とも、展開できたから中へ入ると良い。フランセットさんはもう入っているよ」
そう、準備。夕方という、魔物がこれから動きを活発化させていく時間からの調査は避けて、今日のところは野宿をするための。
……今回のこれに野宿という表現が相応しいかは、別として。
というのも、今俺の視線の先にあるのは立派な扉。とても頑丈そうで、シェルターの扉と言われても違和感の無いものではあるが、扉しか見えない。けれどその扉を開ければ、きちんと家としての空間が広がっているのだから。
導師サギリ・アサミヤ作の、魔法具なんだそうだ。
初めてその魔法具を目にしたのは、昨日のこと。
ここまでの移動の間で既に一泊しており、その際には大いに驚かされた。それは魔法具としての規格外さもそうであったし、導師の魔法具を持っていること自体もそう。
聞けば導師とは最近になって知り合ったそうで、知り合った場所も四大霊峰の東オストケーゲルだとか。
元々エルさんは今回やって来たズュートケーゲルを主として、四大霊峰に異変が起こっていないか定期的に調査を行っているらしい。
その一環として四大霊峰の東オストケーゲルに立ち入ったそうなのだけれど、その山頂付近で薄墨色の着流しを着た仮面の男性を見たと。当然、それが導師サギリ・アサミヤだ。
こんなところで人と会うとは珍しい、などと言われて普通に会話が始まって、成り行きで行動を共にして。恐ろしく精度の高い魔法の数々を、呼吸するように繰り出す導師という存在を知って。別れる際に、魔法具を受け取ったそうな。
出会いの記念に、と渡されたらしいけれども、果たしてそれは偶然だったのか。黒の神授兵装への対策のため、白の神授兵装の所有者と会っておいたのではなかろうか。
もしそうなら別に悪だくみではないし、エルさんに口止めしておいた様子が無いことからも、疚しさは感じられない。けれど何故、こうも悪だくみをしているように思えるのだろうか。
導師だからか。そうか。
まあそんな話は横に置いて、家の中へと入る。
内装は簡単に言えば洋風に近いもので、この世界の一般的なそれと言える。しかし二階建て8LDKの十分に過ぎる広さがあり、何なら俺の自宅より大きい。
玄関から入って右手にリビングがあり、そこからダイニングとキッチンが並んでいる。フランはキッチンに居て、既に夕食のための調理を開始していた。
マリアベルさんが調理に参加するのを見届けて、俺とエルさんはリビングへ。昨晩は俺が料理をしたし、エルさんはマリアベルさんから止められていたから。
……まあ、なんだ。別にエルさんは料理ができない訳じゃあ、無いらしいんだ。上手ではないだけで。
そういうことなので今現在、男二人はリビングのソファーに隣り合って座り、マップと睨めっこをしている。
「現状、俺の武器で確認できるのは山の北側、それも中腹までです。山頂付近は実際に行く必要があります。そして中腹までの話であれば、エルさんが仰っていた通り元凶らしきものが見当たりません」
「となるとやはり、山頂付近に何かがあると見るべきだね。しかし、こうして見ると麓に影響が出ていないのが不自然に思える。異変が山中で留まり過ぎている、というべきかな」
エルさんの指摘は、俺がこの件の話を聞いた時点で抱いていた疑問を強める内容だ。すなわち、エミュレーター・コピーが元凶なのではないか、という疑問。
幸いにしてこちらにはエディターがあるので、もし本当にそうであれば元凶の特定が非常にスムーズになってはくれる。その代わり、対処の難易度が恐ろしく高くなるが。
何せ上級冒険者でも命の危険がある場所なのだから、合成や支配の対象である魔物が総じて強い。特に合成によって生み出される異形は、果たしてどれほどの脅威になるやら。
「麓から中腹を突っ切って、一気に山頂へ向かいたいところですね。エルさんは、ペガサスに乗ったままの戦闘はどのくらい行えますか?」
俺はエディターと八咫烏を組み合わせた大薙刀形態を使えば良いし、フランやマリアベルさんは魔法を使えば良い。だがエルさんの武器は長剣で、騎獣に乗ったまま使うには少しばかり長さが足りないように思うけれど。
「心配は要らないよ。僕も騎獣に乗ったまま使える武器を持っているから。といっても、それもこの家と同じく導師から貰ったものだけどね」
苦笑しながら答えるエルさんを見ながら、脳裏には導師の仮面を思い浮かべている。
聞けばその武器は円錐形であるランスを少し平たくし、片刃を付けた形状をしているそうな。輝煌と名付けられたそれは当然の如く破壊不可属性を持ち、光属性魔法の刃を纏うこと、そして射出することが可能だという。
ところで、俺が受け取った邪道極まる武器との差異は何だろうか。他の武器である熾焔や氷雨なども、極めて真っ当な魔法具だったというのに。
「何でも、その内僕に頼みたいことがあるから、その前払いだと思って欲しいとか」
「受け取ってしまって大丈夫だったんですか? 今回の調査が終わったらすぐ、返しに行きませんか?」
俺も八咫烏を受け取ってはいるが、少なくとも名目上はお詫びの品だった。けれどエルさんは報酬の前払いとして受け取ってしまっている。これを心配せずにいられようか。
「随分な反応だね……。いや、僕も少々迂闊なことをしているような気はしていたけど」
「じゃあ返しに行きましょう」
「待って欲しい、リク君。落ち着いてくれ。君と導師との間で何が起こったのかは知らないけれど、僕は彼を信じたいと思っているんだ」
良い人なのは大変結構だけれど、その人の良さを発揮する先は選ぶべきだと俺は思う。
「導師は何処か偽悪的だ。それでいて言葉の端々からは、真摯に人と向き合う心根が垣間見える。だから、もし彼が僕を利用するつもりなのであっても、ある程度まで許容しようと思っているよ」
「マリアベルさん! ちょっと今よろしいですか!?」
僅かな隙を突かれてボロボロにされるやつだよこれ!
「何かあったのかしら?」
マリアベルさんは思いの外、素早くこちらへやって来た。今回の件に急な参加を決めたことと言い、どうにもフットワークが軽いようだ。
「いや、今晩のメニューは何かと思ってね! マリアの料理はとても美味しいという話をしていたから、リク君も気になってしまったんだろう!」
身振り手振りを交え、咄嗟に言い訳を口に出したエルさん。必死さが見え隠れどころが、派手なブレイクダンスでオーディエンスの注目を集めている。パフォーマンスとしては完璧に近いな。
「そう。今晩は新鮮な野菜のバーニャカウダーに、これまた野菜たっぷりパスタのオルトナーラよ」
マリアベルさんは笑顔で答えてくれた。それを見てエルさんが安堵の表情を浮かべてしまっている。
いや、これはどう見ても平穏なやり取りではない。だってほら、物騒な笑顔のマリアベルさんが次の言葉を言うぞ。
「ところでエル? 後で本当の話を聞かせて頂戴ね」
エルさんが浮かべていた安堵の表情は、瞬間冷凍された。
マリアベルさんがキッチンへ戻る様子を、虚ろな目で見送っている。
「今ので誤魔化されるような人じゃないでしょう。交流がほとんど無い俺にも分かる話ですよ」
おおよそ七つ星冒険者筆頭に向けるものではない自覚がありつつ、俺は冷めきった視線をエルさんに向けてしまった。
「君がかき混ぜなければ、誤魔化そうとする必要も無かったんだけどね」
恨みがましい視線を返された。けれどここで日和るつもりは全く無い。
「タイミングの違いしか無かったと思いますが。いえ、むしろ想定される被害の大きさを思えば、俺は自身を早期解決に導く立役者だとすら思っています」
故に堂々と、そう宣言した。
エルさんは諦めたようなため息を吐いて、また口を開く。
「……一つ聞いておきたい。君から見た導師は、どういった存在かな?」
多少は俺の警戒心をお裾分けできたのかな。この様子なら、マリアベルさんとの話もちょっとは穏便に済むだろう。
「そうする理由さえあれば、どのようなことでも行う者。行う能力を持ち合わせている者。……一応、身内に対しては甘いようですが」
弟子のクズハさんに対してとかな。あとは、剣道場師範のスミレさんに対してもだったか。
「導師から何か妙なことを頼まれたら、紅紫のエクスナーと関係がある話か確認すると良いかもしれません」
若干迷ったが、ここまで言った。判断材料とけん制の意味としては、悪くないだろう。問題は、こんなことを言った俺がその紅紫のエクスナーに怒られるかもしれないことだ。
「前触れも無く出てくる名前としては、中々衝撃が大きいね。詳しい話は聞けそうにない言い方をされたように思うけど」
「今のところは、詳細を伏せさせてください。俺とフランも一枚噛んでいる案件なんですが、そう遠くない内にお話することになるとは思います」
もう話してしまって良いような気はしているけれど、独断で決める訳にもいかない。ただし今回の問題、ズュートケーゲルでエミュレーター・コピーが出てくるようであれば、いっそそれも視野に入れるが。
「何やら厄介なことに巻き込まれているようだね」
「巻き込まれているというか、俺の場合は半ば当事者でした。知らない内にそうなっていた、という表現をしたいところですが」
面識すら無い者から黒の神授兵装を狙われるなんて、俺にどうしろというのか。
いや自衛するけれども。けれども。
「面倒なトラブルに関わらなければならないというのは、僕も度々経験しているからね。気持ちはある程度分かるつもりだ。今回はこうして協力を仰いでいる側だけど、だからこそリク君が困っているときは相談に乗るよ」
微笑みを浮かべてこちらを見るエルさんは、そんな優しい言葉を掛けてくれた。
「困ったときは、本当に頼らせて頂きます」
対する俺は、素直に頭を下げた。
自分だけでどうにかなる問題ばかりならまだしも良いけれど、それは楽観が過ぎる。困るのは俺だけでは済まないだろうしな。
……それにしても、やはりエルさんも巻き込まれ体質か。
諸々の準備。