第一三七話 三百年前の災厄
昔話。俯瞰視点です。
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時を遡ること三百余年。
今よりも文明が進んでおらず、今よりも魔物の脅威が身近にあった時代。
その災厄は、在った。
それは、山の如く巨大であった。
それは、砦の如く堅牢であった。
そしてそれは、聞くも悍ましい異形であった。
それがいつ現れたのか、何を目的としていたのか、誰も知らない。
しかしその当時、誰もが知っていた。それが、この世に顕現した地獄であるということを。
緑と紫の斑模様。大小様々で不揃いな無数の足が半ば無秩序に蠢き、鈍重な移動速度は牛の歩みが如く。体表にはヒトの腕を材料に活け花の真似事をしたように、やはり大小様々な無数の触手が伸びていた。
のろまな移動速度からは想像もできないほど迅速に触手を伸ばし、自身の近くにあるものを動植物の区別無く捕らえ。獲物を引き込むと唐突に出現する口のような穴へ、際限無く放り込む。その際、口のような穴からは悪臭が──腐肉を三日三晩煮込んだかのような臭いが発せられたという。
それが通った跡は、草木の一本も生えない不毛な大地がどこまでも続き。元は街や村があった場所であっても、あるいは砦のように外敵への備えが十分な場所であっても、区別無く同様であった。
諍いを起こしていた小国同士は、一も二も無く結束した。世界の覇権を狙う大国は、好機としてひとまずの静観を決め込んだ。
結束した小国は果敢にそれへと挑み、人も大地も呑み込まれた。静観していた大国は遅い焦りを覚え、戦力を集め始めた。
それの存在が世界に知れ渡ってから、五年ほどの歳月が過ぎた頃の話だ。
十把一絡げの戦力では、それにエサを与えるだけとなる。幾つもの小国が文字通り呑み込まれた時点で明らかなことであり、ならばどのような戦力を集めるべきか。当然、一騎当千の、規格外の力を持つ存在だ。
神授兵装の存在は、その当時であっても有名だった。何せ、転生者が神に与えられた不変不朽の規格外兵装。有名にならないはずがない。
白、赤、青、緑、紅紫、黄、藍緑。そして、黒。
計八人の神授兵装の使い手を、あらゆる手段を用いて集め、それを対抗策とした。
けれどその準備の間、災厄の方も漫然と世界を喰らっていた訳ではない。何かを喰らう度に少しずつ巨大化していたそれは、絶望の上塗りをするように──分裂能力を、新たに使用し始めていたのだ。
不幸中の幸いというべきか、分裂の頻度は月に一度程度と高くはなかった。またそれは小さな分体を作るといったものであり、更にその分体が分裂するということも無かった。それでも脅威が拡散するということに変わりは無く、人々の恐慌はますます悪化していった。
集められた八人の目的は、それぞれだった。地位や名声、莫大な報酬、あるいは単に暴れる理由が欲しかっただけ、など。そんな中で純粋に世界を救いたいと願ったのは、白と青、そして──黒だった。
彼らの内、黒の神授兵装所有者だけが転生者であった。つまり直接神から神授兵装を受け取った人間であり、第二の人生をこの世界で歩むと決めた者だった。
世界を破滅させ得る存在など、断じて許容できる訳が無かった。
八人の規格外戦力を一つのパーティーとしてまとめることは、困難を極めた。何せ人格や相性は度外視されているのだから。
例えば赤は一人で敵に突撃し、黄は立ち寄った街中でふらっと居なくなる。紅紫はこれといって問題行動を起こす訳でも無いが、他者の問題行動を止める訳でもない無関心。藍緑はひたすらマイペースで、歩調を合わせる気が無い。緑はそれらを一歩も二歩も引いて見て、実に愉しそうにしている。
常識人だった白と青、苦労性な黒が手を回して、何とか一つのパーティーとして成立していた。
そんな状態であったパーティーは当初、その当人たちの認識として数ヶ月で解散になるだろうと思われていた。しかし、そうはならなかった。
状況がそれを許さなかったというのもあるが、問題行動を起こす筆頭であった赤が何だかんだと仲間思いでもあったことが大きい。
大量の災厄分体が同時に襲い掛かってくる、という絶体絶命の危機に直面したのは、パーティー結成からようやく一ヶ月が経とうかという頃のことだった。
あらゆる負傷は青の神授兵装により完治するが、戦闘の只中で複数の重傷者が出てしまう激戦では手が回り切らない。前衛である白・赤・緑・藍緑の内、赤以外の三名が重傷を負ってしまい前線が崩された。
そんな時、自身が持つ全魔力を神授兵装へと注ぎ込み、後先考えぬ大立ち回りをしたのが赤だった。
そも、八人の中で最も敵に接近し最も防御を捨てた戦い方をする赤が、何故前衛の中で最も軽傷で済んでいたのか。それは赤以外の前衛三人が、彼を庇ったからに他ならない。白は純粋な仲間意識から、緑は壁役という自身の役割から、藍緑は彼を攻撃の要と認識していたから。やはり理由は様々だったが、それでも赤からすれば身を挺して自身を守ってくれた仲間であった。
彼らが持つ神授兵装には、リミッターが掛けられている。それの解除には、激しい感情の発露が必要だ。
一度でも解除できればそれ以降は意識的に解除可能になるが、その一度が難しい。そしてその一度が、赤にはその時訪れた。
赤の神授兵装マハトは、ナックル型の武器だ。対象を殴り付けて破壊する、シンプルにして強力な特性を持つ。
リミッター解除前の段階では、込められた魔力によって破壊力を増す。一定値を超えれば破壊不可属性を持つものさえも破壊する。
しかし、リミッター解除後は込められた魔力によって──破壊範囲を拡大させる。それも、破壊力は効果範囲内で均一に、かつ最大威力で。
赤が放った渾身の一撃は空間を軋ませ、一切の区別無くそこに在る全てを破壊した。範囲内に居た分体複数が微塵も抵抗を許されず、一瞬にして物言わぬ塊になった。
赤はその場で気を失ったが、その前にも多少は敵の数を減らしており、更に彼による先の一撃で残りも僅か数体になっていた。そのような状態であれば青の回復も十分に間に合い、赤以外の前衛である白・緑・藍緑の三名が戦線に完全復帰。間も無く全ての分体を討伐した。
先の一件の後、八人の間には多少なりとも絆のようなものが生まれた。
赤は突出を多少控えるようにもなり、それ以外のメンバーも協調性を──個人差はあれど──見せるようになっていった。
しかし。
黒に、僅かずつだが異変が訪れていた。
彼女は中衛を基本スタンスとする、剣も魔法も使うオールラウンダー。魔物を支配下に置き強化することも可能で、彼女自身が積極的に前へ出る必要は、あまり無い。
無論、エミュレーターで直接斬りつけた際の効果は先にも述べた通りであるが、パーティーがパーティーとして正しく機能し始めた段階において、最早必須ではない。
しかし、災厄を前にした彼女は次第に好戦的になっていった。支配下に置いた魔物達を伴って接近するため、特に危うい立ち回りをしている訳ではない。それでもどちらかといえば内向的な彼女が、それまでよりも明らかな積極性をもって切り込んでいく姿は、仲間たちから見て少しだけ妙に映った。
赤は言った。体を張るのは俺の仕事だと。
白は言った。君がすぐ後ろに控えてくれるから安心して斬り込めるのだと。
青は言った。最近あなたの負傷が増えてきていると。
それでも黒は、首を横に振った。
災厄が現れたこの時期に転生した私の武器が効果的なのは、きっと意味があることだからと。
その言葉を聞いて、彼女に声を掛けた三人も、それを聞いていた残りの四人も、一応の納得をした。
神授兵装についての習熟が進んだためか、別の要因があるのか不明だったが、当初から災厄に対し高い効果を示していたエミュレーターは、ますます高い効果を示すようになっていたことも大きい。
当時の紅紫、マルティナ・エクスナーは後に、こう残した。
あの時、彼女のことを止められていれば、と。
件の八人が災厄本体に戦いを挑んだことは、一度や二度ではない。
災厄が持つ山の如き巨体は単純な物量の暴力で、しかも疲労という概念も持ち合わせていないらしかった。そのような相手を一度の戦闘で殺し切るというのは、考えるまでも無く非現実的であり、それは規格外の戦力である彼らであっても同様だった。
被害を拡大させる分体を適度に処理しつつ、折を見て本体へも攻撃を加え少しずつ削っていく。
幸いにも知能についてはまともに持ち合わせていなかったようで、手のような無数の触手が高速で一斉に迫ってきても、慣れてしまえば──少なくとも彼らにとっては──然程の脅威ではなくなっていた。
──だからこそ、油断があった。
それは、あと三回程の機会を設ければ本体を削り切れる、と当たりを付けて挑んだ災厄本体への攻撃のときだ。
黒が、災厄に取り込まれた。
中衛であるため、前衛の面々と比べれば身体能力で劣っているだろう。しかしそういう問題ではなかった。
全くの、無抵抗。
戦闘中、突然空ろな目になった黒がされるがままに捕獲され、本体の穴に放り込まれた。
残った七人は戸惑いつつも、揃って救出すべく動こうとした。
だが遅かった。あるいは敵の動きが早かった。
災厄は急速に体積を減らし、山のようだったそれを直径三メートル程度の球体に変え、そこから蝙蝠のような翼を生やして素早く飛び立った。目的は達したとばかりに、そしてこれまでの鈍重な動きが嘘だったかのように。
後衛組が撃ち落そうと魔法を放ったが、異様なほどの堅さを見せた災厄には傷一つ付けられなかった。内部に取り込まれた黒へ被害が及ぶのを恐れた、ということもあったが。
ともあれ結論を述べれば、彼らは災厄に逃げられた。
そこからしばらくの間、災厄の被害はぱったりと止んだ。分体の目撃情報すら無くなったのだから、非常に徹底していたといえる。
黒を攫った途端のその状況に、残された七人は不安と苛立ちの両方を抱えることとなった。
状況が変わったのは、災厄の被害が聞かれなくなって半年後。
辺境の人里が幾つか消えた、というもの。
二人ないし三人の三組に分かれて世界中を捜索していた彼らは、その情報を聞くや否や現場へ急行した。
目撃情報があった付近を捜索して見たものは、信じられない光景だった。
黒が居た。五体満足で、けれど以前と異なる風貌で。
黒髪黒目だった彼女だが、髪には紫が混じり、目には赤が混じっていた。そして罅割れたように肌を奔る、赤い線があった。
それから当然の如く、何の違和感も無く災厄が隣に在った。
そこは、村だった場所。生き物は死体すら無く、建物の廃材のようなものが幾らか疎らに転がっているだけの、それこそ何十年か前に村があった場所と言われれば誰しも納得するような寂れ方をしていた。
第一発見者は、紅紫と藍緑の二人組。他の組よりも近くに居たため、到着が最も早かったのだ。
どう見ても、黒が災厄と共に村を壊滅させたとしか思えない状況。それでも二人は、黒に問い掛けた。
状況を説明して欲しい、と。
返ってきた答えは非常にシンプル。
見ての通りです、と。無色透明な印象を受ける、以前の優しい彼女とは似ても似つかない声色での返答だった。
直後に災厄の触手が二人を襲い、これに応戦したものの動揺が激しかったためまともな戦闘にならず。戦闘継続に支障をきたす怪我を負い、二人は已む無く撤退を選択した。
七人が揃ったのは、その数日後のこと。
直接その光景を目撃した訳ではない五人は、何かの間違いではないかと言った。──彼ら自身も、それが現実逃避に他ならないことを知りつつ。
藍緑は黙って首を横に振った。紅紫は辛さを押し殺すように、間違いならどんなに良かったかと呟いた。
更に二年後、災厄と共に黒が討たれた。黒を討ったのは、白の神授兵装シュトラールの使い手。
しかし、世界中に広まった報は災厄が討たれたという部分的なもの。
七人にとっては不幸中の幸いというべきか、災厄の脅威は嫌というほど知れ渡っており、それへの接近は極めて厳重に禁止されていた。故に、黒が災厄の傍に在るという事実を伏せておくことは、容易とまでは言わないが不可能というほど難易度の高いことでもなかった。
せめて。せめて、黒の名が災厄と共に歴史書へ記される事態だけは避けたいと、七人全員がそう願ったためであった。
焼け石に水程度の救済要素。