第一二六話 静かな怒り
冷静なまま、攻撃的になります。
気付いたら身体が動いていた、という経験は、誰しもあるだろう。
例えば飲み物の入ったコップが倒れそうになっていたり、自分に向かって何かが勢い良く飛んで来ていたり。そんなときは考えるより先に、身体が動いているものだ。
そして、今のは我ながら素早く動けたな、などと驚いたりすることもある。
けれど。
今の俺は、驚く余地を自分の心に残していなかった。
そんな無駄な感情に脳の処理能力を回すくらいならば、至近距離から俺に切っ先を向けられている目の前の男を害する手段を模索するべきだ。
「十中八九、今の内容を実行しないだろうことは俺にも分かっています。あくまでこちらを本気にさせる目的の言葉で、だから現状は貴方の狙い通りでしょう」
俺が握っているエディターの切っ先は、先ほど述べた通りサギリ・アサミヤに向けられている状態だ。そして俺は、それを押し込むべく前方へと力を込めている。
だが、手のひらサイズの円形の盾──恐らくは地属性補助魔法のシールド──が行く手を阻み、僅かに刺さってそれ以上は進まない。
「ただ、冗談でも言って良いことと悪いことがありますし──、実行する可能性を完全に否定できるほど、俺は貴方を信用していない」
目の前の男は相変わらず白い面を被っており、表情を伺い知ることはできない。けれど、何故だか俺には笑っているように見えた。
「なら、どうするのかな?」
「さあ、どうしましょうか」
このまま押し込むのは無理だ。こちらの攻撃を防いでいる盾は大きさこそかなり控えめだが、それは単純に密度を高めているだけ。むしろ小さい分、より強固になっていることが、柄を握る手から伝わってくる。
故に俺は、僅かに引いて切っ先を離し、最速で踏み込み斬りに移行する。
だが、新たに出現した同じ大きさの盾に防がれる。
続けて斬撃を繰り出すこと五回。全て同様に、盾によって防がれた。
「この程度かい?」
安い挑発を受けている。
無視して再び刺突。やはりこれも盾に防がれた。
切っ先が僅かばかり、盾へ食い込むのみ。
「……仕組みは、聞いた」
「うん?」
貫けないなら、貫けるようにすれば良い。
STR値適用の有無を、切り替える。
キン、と。触れたままである盾と切っ先の間で、それでも音が鳴った。
それに伴いほんの少しだけ、切っ先が奥へと進む。
何だ、案外簡単じゃないか。後はこれを連続で、狂ったように高速で行えば良い。
キン、キン、キン、と音が鳴る。盾には小さく罅が入った。
「……ほう」
感心したような、そんな声が聞こえた。どうでも良い。
金属同士を打ち鳴らすような音が、鳴り続ける。一定のリズムのようでいて、次第に間隔を短くしていく音が。
当初は一音一音の区別が付いた。
間隔が短くなるにつれて、音が重なり始める。
間も無くして切っ先を突き立てられている盾が割れたが、その直前に三枚の同じ盾が追加されていた。
更に音の間隔が短くなると、例えるなら高速回転するモーターのような喧しさになって。
最早一つの音にしか聞こえないほど重なり合ったそれらの音──それを発生させている原因たる重撃は、追加された三枚の盾をほとんど同時に貫き破壊することで、その効果の高さを示した。
防ぐ物を失って無防備を晒すサギリ・アサミヤはしかし、縮地と思われる速度で以って俺の間合いから速やかに逃れる。
「重撃はまだ、クズハも訓練中の技法なのだがね」
そんなことを、本人から聞いたな。
「電光石火との組み合わせができると良いなと、クズハさんは言っていましたね」
悪いが、俺が先にそれを実現させよう。この場で。
縮地は会得している。電光石火はAGI値の適用範囲を広げるだけ。だったらそれも会得できる。
離された距離をこちらから詰める。エディターを振るう。
今度はバックラー程度の大きさの盾が現れ、攻撃を受け流された。
しかし攻撃が完了した時点でその勢いはゼロになっており、切り返しは極めて迅速。立ち位置を一歩左に変えて横一閃。
だがこれも盾に受け流される。
構わない。これは電光石火の練習だ。
今は意識して行わなければならないこれを、無意識で行えるようにと自身の脳に身体に叩き込む。
魔法具を引いてからは防戦に徹していたサギリ・アサミヤだが、俺からの攻撃を更に数回防いでから、ようやく動いた。
『テトラ・フレイム』
俺の頭上に、灼熱が出現する。
ともすれば術者をも巻き込みかねない──否、巻き込んで当然の近距離ではあれど、気付けば俺と敵対者の間に巨大な氷の壁が現れている。ちょっとした城壁と呼んで差し支えない規模を見るに、恐らく水属性最上級魔法か。
俺は已む無く回避を選択。斜め上後方に全速力で飛ぶ。
球状の灼熱は大地に触れそれを溶かし、氷壁を融かし、世界を漂白する。
俺が纏う風を容易く貫通してくる熱気はまさに殺人的で、大急ぎでアイテムボックスから取り出したタワーシールドは数秒でゴミになった。
タワーシールドというものは、一人の人間が持つ盾の中でも最大級の大きさと防御力を誇るものだが、俺はしばしば使い捨てている。俺の使い方が雑なのもあるが、それ以上に俺が受ける攻撃の威力がおかしいのだと思う。
そういう訳で、タワーシールドが駄目になるたび新たなタワーシールドを取り出し、攻撃を凌いだ。
俺が回避することを懸念して広範囲に向け放ったらしき先の火魔法は、大地を焼き尽くしてその役目を終えている。
氷壁はかなり融けてボロボロになっていたが、それでも穴が開いていないところを見るに、こちらも役目は十全に果たしたのだろう。
空を飛ぶ俺の眼下に、剣山を大量に並べたような光景が広がる。恐らくは地魔法による、金属光沢を持つ大量の槍だ。
一本一本が人一人を串刺しにして余りある大きさを持ち、総数は三千。
先端を地面に対し垂直に向けていたそれらが、一斉に俺を向く。一斉に、俺に向かう。
回避? 防御?
──冗談じゃない。迎撃だ。
風を解除。新たな風魔法を発動させる。
『ジ・ウィンド──三重結合起動』
この風に移動用・攻撃用の区別は無い。風は俺の身体の周囲を循環し、エディターの刀身も包み込む。
相対するのが無数の槍だというのなら、俺自身がそれら全てを貫く槍となろう。
俺は、俺の身体を大地に向けて射出した。
普段なら絶対に回避を選んでいたであろう攻撃です。