第一〇八話 結合起動
近接戦闘に関する技法の次は、魔法に関する技法をば。
ひと悶着あった剣道場を後にした俺達は今、次の目的地に向かって歩いている。
今度は魔法関連の研究所だそうで、少なくとも武術都市オルデンにおいては最先端の魔法技術を誇るという。王国の西側には魔法都市クヴェレがあるので、そこと比べてしまうとどうなるか分からない、とはサギリさんの談だが果たして。
ものの数分で到着したその場所は、やはり日本家屋の様相を呈していた。
配色だけなら剣道場に似ていて、黒い瓦葺きの屋根に白い壁。ただしこちらは二階建てになっており、エディターで調べたところ地下室もあるようだ。
「剣道場では騒動が起こってしまったからね。今度はそういった心配が無いところを、と思ったんだ」
「起こってしまったのではなく、起こしただけですよね?」
「何を言うんだ。元々騒動になる可能性があったのは否定しないが、能動的に起こした訳ではないよ」
軽く笑いながら、言い訳未満の戯言で茶を濁して建物内へと入っていくサギリさん。
俺が剣道場での一件を気にしていないのは事実なので、これ以上不毛なやり取りはやめよう。
「まあ結果的に、こちらの利益はあったしな」
ぽつりと溢し、それからサギリさんを追って研究所へと入る。
内装も、外装に違わず日本家屋の雰囲気だった。ただ、間取りがあまり日本家屋らしくない。
一本の長い廊下の左右に、広い部屋が複数並んでいる。もしこれが片側だけだったなら、学校の校舎のような間取りと言えるか。
それぞれの部屋の広さも学校の教室ほどで、しかし勿論、机が並んでいたり教壇があったりはしない。用途不明な機具が棚の中に並べられていたり、数名が何らかの作業を黙々と行っていたり。研究所というよりは作業場といった印象を受ける。
「ここに来るのは久々であります」
クズハさんが頭の上にある三角形の耳を色んな方向へ動かし、視線は前方へ向けたままで呟いた。
他に話題も思いつかなかったので、ここで何をしていたのか質問をしてみることに。すると返ってきたのは苦笑だった。
「妖術の訓練でありますよ」
魔法の亜種ということなので、そう不思議なことにも聞こえないけれど。
俺はそう思った訳だが、実情は少し異なるようで。
「通常、狐獣人は生まれつき妖術の扱いに長けているものなのですが、自分の場合は人族と狐獣人族の混血であるためか不得手でありまして。アサミヤに来る前は少々、肩身の狭い思いをしていたのであります」
黒髪黒目が重視されるアサミヤ家において、そのどちらも持たない身でありながら一目置かれている様子すら窺えるクズハさんの今を考えると、ちょっと想像が難しい。
「多少使えるようになった今でも、師匠の方が妖術を巧みに使うのでありますが。……狐獣人の血は、一滴も入っていないはずなのでありますが」
クズハさんの目が少しだけ遠くなった。
「理論上、人族でも妖術を使うことは可能だと聞いたことがありますが、サギリさんは実際に使えるのですね」
ここでフランから新情報。
理論上可能という言葉は、場合によって実質不可能という意味にもなると思うのだけれど。これは該当するのだろうか。フランの驚いた言い方を考えると、どうもそんな感じがする。
「使える、という程度の言葉では足りないのであります。……あれはまだ自分が狐獣人の村に居て、そして師匠に引き取られた日のことでありました」
そこから、昔話が始まる。
妖術が使えない混血ということで、どうやら村で迫害を受けていたらしいクズハさん。何の用事か村へ立ち寄っていたサギリさんがその現場を目撃し、見咎めた。
しかし閉鎖的な村であり、そんな大人の様子を見て育った子ども達がいじめを行っていたので、部外者が何を言おうと気にした様子は全く無く。更なるいじめをしようとしたところに──百を越える狐火がいじめっ子達の周囲に現れたという。
サギリさんは酷く穏やかな声で、こう言ったそうだ。妖術をまともに扱えないことが理由でその子がいじめられているのなら、君たちもいじめられなければならないね、と。
実に大人気ない話ではあるが、あくまで脅しの手段として使っただけで、火傷一つ負わせはしなかったらしい。ちなみに狐火の数だが、普通は三十も同時に出せれば賞賛されるのだとか。
ともあれその場は酷いパワープレイで治められた訳だけれど、そこから黙っていなかったのが大人の方。特にいじめっ子の親達。
狭い村での出来事なのであれよあれよと話は広まり、すぐに村長まで出張ってきた。
自分の子ども達が寄ってたかって一人の子どもをいじめていた事実は棚に上げて、サギリさんの行いを糾弾する親達。部外者が村の問題に口を出すとは何事かと、声を荒げる村長。
クズハさんが妖術を使えないことを理由にいじめられていた、ということの事実確認をして、言質を取ってからは早かったようだ。
千を越える狐火を出し、更に昼間だった景色を夜のそれに変えたサギリさんが、こう言ったらしい。
皆さん等しく未熟者なので、あまり偉そうなことを仰らない方が身のためですよ、と。
夜の闇に浮かぶ千の狐火を背景に、白い猫のような面を被ったサギリさんの姿。これで恐怖を覚えなければ、それは勇者か馬鹿のどちらかだ。百の狐火はあくまで子ども達の証言によってしか大人達に伝わっていなかったようで、大げさな数を言っているだけだと判断されていたのだろう。
ともあれ、数にものを言わせたパワープレイの次は、更に酷い数のそれだった訳だ。
そこからは、ネチネチとした攻めが展開されていたと。
二十や三十ばかり出せたところで、千と比べれば無いようなものですね、とか。生まれ持った素質に胡坐をかき、研鑽を怠った者がどうして他者を嗤えるのでしょう、とか。妖術が狐獣人の専売特許だと思っていらっしゃったようですが、今の認識をお伺いしても宜しいでしょうか、とか。強者が弱者を淘汰するのがこの村のしきたりならば、たまには淘汰される側に回ってみるのは如何ですか、とか。
もう十年ほど昔の話らしいので、断片的に覚えている内容とサギリさんの性格を踏まえて、そういうことを言っていたはず、とのこと。大体合ってそうな気がする。
それにしても思う。いじめられていた子を救う、といえば間違い無く善行に思えるのに、どうしてこうも悪行寄りに聞こえてしまうのだろうかと。
昼を夜に変え、千を越える狐火を従えたまま続けられたそうなので、絵面的に大妖怪の敵役だ。
その後、クズハさんには既に両親が居なかったこともあり、サギリさんが半ば強引に引き取ることに。更にその後、クズハさんを連れ帰ったアサミヤ家の方でもひと騒動あったらしいが、そちらは穏便に解決させたそうだ。
「参考までに聞きたいんだけど、歴史上で最も多く狐火を操った記録はどの程度の数字なのかな?」
「師匠の暴力的な数字を無視すれば、百八というのがどうやら最大のようでありますね。狐獣人の中でも妖術に長け、その尾は九本もあったといわれている術者の記録であります」
煩悩の数。そして九尾の狐かな?
日本や中国辺りの昔話でも聞いている気分だ。
「文字通り、桁違いってことか」
アサミヤ家の中でも、そりゃあ一目置かれる訳だ。冒険者で言えば、ひょっとして七つ星相当になるんじゃなかろうか。
「人を煙に巻くことが多い師匠ではありますが、それ以上に実績を残しているのであります。人が悪いとは言われますが、悪い人とは言われないのであります。先程の剣道場でも、何かを書いた紙をリク殿の試合相手に渡して、事後処理をしていたようでありますよ」
弟子に褒められている当の本人は、地下へ向かう階段の前で腕を組みこちらを見ていた。なお、距離は普通に会話可能なほど近い。
「弟子から特殊ないじめを受けているのだが、どうにか助けてもらえないだろうか?」
「無理です。それよりも地下に行くんですよね? 早く行きましょう」
さあ行こう。
地下室は、様相がガラリと変わっていた。現代日本の隔離病棟のような内装で、ガラス張りの箇所が多いため閉塞感まではないが、かといって開放感も無い。
とりあえず、これまであった和の雰囲気は消し飛んだ。
奥へと案内されながら、周囲に立ち並ぶ機械を眺める。
ああ、機械だ。精密機器だ。先程、隔離病棟と表現したのは全く誇張していない。
例えば遠心分離機のようなものがあるし、例えば顕微鏡のようなものもある。用途不明なものは沢山。
「リク君には、そこまで目新しくは映らないかな」
先を行くサギリさんに遅れず付いていく中、声を掛けられた。
「現物は見たことのないものばかりですよ。こちらの世界では、科学はさほど発達していないのかと思っていました」
電気式の街灯は王都にあったので、全く発達していない訳ではないと知っていたけれども。
「純粋な科学技術でいうなら、確かにその通りさ。ただしこちらの世界には魔法があり、ステータスシステムがある。そちらの分野にまで手を伸ばしてしまえば、実現可能なことは飛躍的に増える訳だ」
科学が研究対象とする現象の中に、魔法とステータスシステムを取り入れたということか。
「科学……というと、物理現象などに主眼を置いた技術体系なのですよね?」
隣から投げ掛けられた質問に対し、すぐに顔を向ける。フランの瑠璃色の双眸がこちらを見ていた。
フランから知識について問われる日が来るとは。ちょっとした感動を覚えつつ、補足説明をすることに。
「こっちの世界だと、概ねその理解が正しいみたいだ。ただ、俺が居た世界における科学っていうのはあらゆる現象の原因究明が目的で、恐らくこの地下で行われているのはそちらに近い」
答え合わせをして欲しくてサギリさんの方を見ると、後ろに目でも付いているようにタイミング良く返事が来る。
「その通り。分かり易いところでは、魔法属性に対する適性の差異は何故起こるのかだとか、魔法そのものがどういった仕組みで成立しているのかだとか。まあ、私の研究対象としては魔法関連がどうしても多くなってしまうね」
そこまで言って、サギリさんが立ち止まった。
ここに来るまではガラスの窓があって中を窺える部屋ばかりだったけれど、今目の前にある扉は分厚そうな金属製に見える大きなものだ。防火扉のように味気無いデザインをしている。
「実は剣道場を後にしてすぐ、妖術を使って周囲から我々の姿を隠していてね。ここに部外者を案内したという事実を知るのは、ここにいる我々だけなんだ」
こちらに振り返り、扉を背にして突然そんなことを言ったサギリさん。マップ上の表示は平常のまま。それでも、どうしても警戒したくなる言い回しだ。
「ああ、それで自分達がここに来ても誰も声を掛けてこなかったのでありますね。研究員の皆さんに気付いた様子すら窺えなかったのは、やはりそういうことでありましたか」
クズハさんは特に変わった様子も無く、ただ納得しているだけに見える。
というか、ある程度気付いていたと。それであんなに耳を動かしていたのか。
「そういう訳で、これからここで知る事をここで知ったという事は伏せておいて欲しい」
……今、サギリさんから妙な言い方をされなかったか?
「知った事そのものは、特に他言無用ではないということでしょうか?」
フランも同様に感じたらしく、俺が抱いた疑問と同じそれを口に出した。
「人前で使用するならば、そうそう隠し通せる技法ではないからね。出所さえ伏せてくれればそれで構わないよ」
サギリさんは実にあっさりと言い切って、無造作に扉を開け放った。
果たして、そこにあったのは広い空間。テニスコートなら四面分はあるだろうか。壁も床も天井も、ただの白いコンクリートに見える。
これといって目ぼしいものは無く、強いていえば部屋の奥に射撃用の的らしきものが複数並んで見えるくらい。アバウトに人の形をした黒い板の胸部に、同心円を縦に引き伸ばしたようなものが描いてあった。
「……広い、射撃場?」
研究所の地下にて、見るからに頑丈な扉で守られた場所。それがこの見た目では、拍子抜けというか何というか。きっとこの後、驚かされるんだろうけど。
「見た目だけさ。私はここで、五重塔に居たときと同じことができる、といえば伝わるだろうか」
ほらやっぱり。ここでは何が出てくるのやら。
「理解の範疇を超える、ということは伝わりました」
俺のそんな答えに対し、サギリさんは肩を竦めるだけで言葉を返さなかった。
「さて、実演しよう。これから見せるのは魔法の並列起動を前提とした、その一段階上の技法──結合起動。初級魔法が中級魔法を打ち破り、戦術レベルだった最上級魔法が戦略レベルの威力を持つようになる、なんとも愉快な技法さ」
そして視界が切り替えられた。
日の光が辺りを照らし、穏やかな陽気。背の低い草が柔らかい風に煽られて、景色の遠くまで波を作る。
とても綺麗に地平線が見える、何処までも広がる長閑な草原だった。
咄嗟に背後を見て、そこにあったのはこの景色に不似合いな扉。壁は無く、その扉だけがぽつんと立っている。
扉の存在だけが異質で、しかし本来ならばその扉だけがここにあって当然のものだった。
エディターのマップ表示が、先程までと異なっている。
仮想空間? 新規作成された領域? 何だよ、この表記は。
……はは、本当に何でも有りか。
「けれどまず比較対象として、単一起動の威力を先に見て貰おうかな」
この空間に対し、エディターで強制アクセスすることは可能だろうか。いや、基点が分からない。恐らく元の場所に繋がっているであろう、背後の扉にアクセスすれば或いは?
というかこの異常事態に、フランが驚いてはいるけれど警戒している様子が無いのは何故だろう。検知スキルには何も掛かっていない? いや、俺のエディターでもおかしな反応は見られないけれども。ただ、その事実を以ってしても警戒したくなる──これは感情論でしかないのか?
至ってしまった不本意な結論に釈然としない気持ちを抱えつつも、エディターの平常判定、フランが警戒していないという事実、同行しているクズハさんの信頼できそうな人柄を踏まえて、この場は大人しくしておくという決断をする。
そんな風に俺が葛藤している間に、サギリさんが魔法を展開しようとしていた。
『テトラ・フレイム』
魔法行使の補助をするものが何一つ見当たらない中、至極あっさりとした調子で宣言されたのは、火属性最上級攻撃魔法。
──地表付近に、太陽が出現した。
そんな認識をした直後、俺達の前方にある大地は赤い輝きに蹂躙される。
まるで初級魔法のような気軽さで放たれたそれは、俺達から十メートルばかり離れた地点より広がる、赤黒い扇形の地獄絵図を作り出した。
流石に地平線までは届かない。けれど自然にそれを基準としてしまうほど広範囲に齎された破壊は、なるほど天災に等しいといわれる最上級魔法の威力を雄弁に示していた。
さながら火山の噴火後。新緑の草原が、容赦なくマグマに蹂躙された後のような荒寥とした風景。
「単一起動ではこの程度。まあ、最上級魔法としては平凡な威力だね」
「最上級魔法である時点で、平凡という表現が意義を見失っているのであります」
「ははは」
冷静に突っ込みを入れるクズハさんに対し、サギリさんは軽い調子で笑うのみ。
「それでは本番、結合起動をご覧頂こう」
流れるように言葉を続け、何事も無かったように話を進める。眼前に広がっていた惨状は、いつの間にやら元の長閑な風景へと戻っていた。
『テトラ・フレイム──』
宣言された魔法名は先程と同一のもの。しかし、
『──二重結合起動』
そこへ付随した言葉があり、広がる光景は更に激しさを増していた。
地表付近に太陽が出現したという、その印象は変わらない。けれど輝度が違う、熱量が違う。
最初の単一起動の時点で分かっていたが、しっかりと志向性を持たせているためこちらへの影響は最小限に抑えられている。その上で、汗が一瞬で噴き出してきた。一体どんな威力なんだ。
思わずフランの前に出て、背中に庇ってしまった。
そして視界が全て赤に染まり、収まった後。現れた光景は──先程のものが児戯に思える程。
扇状の破壊跡は同様。しかしその範囲は地平線まで到達し、マグマが蹂躙した後ではなく蹂躙している最中。粘性を持った赤熱する液体が煌々と光を放ち、魔法により放たれた熱量の膨大さが分かろうというもの。人工的な蜃気楼を拝むことになるとは思わなかった。
如何に障害物が無い状況とはいえ、この規模の破壊を一撃で、しかも然程労した様子も無く放つということの異常さ。結合起動の特性なのか、サギリさんの能力が高いからなのか。何にせよ、この人の能力の高さは疑いようが無い。
もしこの人が本気を出したら、一体どれほどの魔法を行使可能なのか。想像すらできない次元の話だ。
アサミヤ家のヤベー奴。