第一〇七話 縮地
主人公のちょっとしたパワーアップイベント的な。
さてさて、行く先々で戦う機会が多い俺です、どうも。
今回はアサミヤ家にお邪魔しまして、胡散臭い面を被ったサギリさんに会ってその胡散臭い印象を強めた後、アサミヤ家の様子を見学させて貰うという名目で連れて行かれた剣道場で戦うことになりました。
四十人程の門下生が稽古をしている中でお邪魔したのですが、俺と試合を行う一人を除いて全員が観戦するようです。
何でこう、あくまで試合とはいえ戦うことになるかね。まあ冒険者として名が売れてしまった時点で、今更言っても仕方無いか。
剣道場の中央付近に、五歩分程度の距離を置いて俺と対戦者が相対している現在の状況。アインバーグの訓練所にある結界と同様のものがこの剣道場にも備えられているそうで、それが今起動している。
つまり、ここで相手を殺しても結界の外で復活する訳で。つまり、実戦用の武器を使用する試合な訳で。ちょっと本気過ぎると思うんだけど。
「随分と強い視線を向けてきますね。何か気になることでもありましたか?」
俺は敵愾心剥き出しで睨んでくる対戦相手に話し掛けた。さて、反応や如何に。
「……別に。早く始めよう」
無愛想に答えて刀を構える、か。つまり、多少は理性的な判断ができていると。
スミレさんが怪訝な表情で俺の対戦相手を見ているけれど、ここで止められても時間の浪費になるだけ。だから俺もエディターを構え、準備完了を示す。
「双方、用意はできているようですね。……では、始め!」
僅かに躊躇いを見せたものの、スミレさんは開始の合図を出した。
すぐには動かない俺に対し、一直線に距離を詰めて上段から刀を振り下ろしてくる相手。太刀筋は真っ直ぐで、実に素直だ。
俺は正眼に構えていたエディターを僅かに傾かせ、攻撃を受け流す。同時に半歩踏み出し、足払い。
相手は転倒こそ免れたものの、体勢を崩した。
あえて、その隙を見過ごす。ただ黙って距離を取り、相手が体勢を整えるのを待つ。
「何のつもりだ!」
当然の帰結として相手が激昂するが、取り合わない。澄ました顔で、相手が全力を出してくれるのを待つ。
正直なところレベルが違うので、速やかに全力を見せて欲しいんだ。何せ俺は九〇、対する相手は五三。
ステータス編集を加味せずとも、この差は絶望的だろう。
ところで実は、刀を武装のレパートリーに加える予定がある。叩き切る西洋剣よりも引き切る刀の方がきっと、より一層洗練されたスタイルを確立できると思うから。とはいえ俺の周囲に刀を使う人など居ないため、アサミヤ家におけるこの機会は折角なので活かしたい。
クズハさんとの試合を切っ掛けとして思ったことで、既に多少の準備はしていたりするのだけれど。
無言を貫く俺に、更なる怒りを募らせている様子の相手。けれど今度は摺り足でじりじりと間合いを計り、慎重さを見せる。
歩法は武術の基本というし、しっかり観察させて頂くとしよう。
観察なので、こちらからは積極的に仕掛けたりしない。大丈夫、もし何か物言いが入ったとしても焦らし戦法と言い張れば良い。だから徹底的に観察する。
左前方への移動を除き、常に右足が前にある。また、移動した際には後ろの足がすぐにそれを追いかける。
踏み込みの際には、左足で身体を押し出すように。右足の着地と同時に刀を当てる。
ざっと観察した程度では、こんな理解しかできないか。
「真面目に戦う気は無いのか!?」
キレられた。しかし、いやいや、俺は大真面目だとも。
「自分の攻撃が全く通用していないからと、声を荒げてどうしますか。時間を追うごとに、攻撃が精彩を欠いていっていますよ」
淡々と返答しつつ、随分と荒くなった攻撃をあえて真正面から弾き返して強引に距離を取らせる。
ここまで基本的には受け流すばかりだった俺の唐突な変化に、相手は対応できず体勢を崩した。けれどやはり、今回も追撃は行わない。
その代わり、別のことは行う。早速だが、準備していたものを使うことにしよう。
「何だ、武器が……?」
一秒ほどの時間を掛けて、エディターは変形を完了させた。
両手剣としての剣身を大幅に削り、残ったのは反りのある細い刀身。削られた部分は右腕へと移動して、篭手と肩鎧を形作る。
「私の武装の大太刀形態です。両手剣が私の主な武装ではありますが、他の武器を使うこともそれなりにあるものでして。どうやら貴方は肩慣らしに丁度良い実力をお持ちのようですし、ここで使ってみることにしました」
ただ本音を言っているだけだけれど、当然のように挑発の意味も込めている。
「馬鹿に、するなよ……!」
劇的に効果が見られた。
精神修行が足りていないなぁ……。むしろ精神修行なんて一秒もしたことが無い俺より、精神的に脆いようだけど。
とはいえ相手もそれなりの実力は持ち合わせている訳で、先程よりも力強い踏み込みを──おや、一瞬で間合いを詰められた?
鋭い切っ先が俺の喉元を狙ってくる。今までで最も鋭く速い一撃だ。
思い出すのは、クズハさんがアインバーグの訓練所で放った最速の一閃。けれどもそれと比較してしまうと、目の前のこれは明確に遅い。攻撃の認識が、完了した後になってからではないのだから。
体勢を右下前方へ落として回避。擦れ違い様に大太刀を構え、そのまま翔ける。肉を斬る感触が両手剣のそれよりも、ずっと滑らかだった。
翔け続けて間合いを取り、すぐさま反転。刀身に付着した血糊を飛ばし、再度正眼に構える。
俺に左脇腹を斬られた相手は苦しげな声を上げつつも、こちらに振り返って刀を構えた。
どうやら刃の角度が甘かったらしく、傷は浅いようだ。
ところで、エディターの大太刀形態の形状について語っておこう。
元が両手剣なだけあって、この形態の刀身も同程度に長い。また反りはやや浅く、切っ先は諸刃になっているため突きにも十分使用可能だ。そして鎬地──刃と峰の間の、西洋剣でいうところの腹──には樋という溝がある。本来ならば軽量化が主な目的の形状だけれど、エディターなのでモードを示す青や緑の光を放つ。
篭手は手の甲までを覆い、肩鎧と合わせて鎧武者のような見た目になっている。
さてさて。相手はというと、多少は冷静になってきた様子が窺える。もう少しちゃんと戦えそうだ。
しかし、先程の急加速はやはりクズハさんが見せてくれたものと同種のそれだったのだろうか。今の今まで速度に制限を掛けていた、ということは無さそうな感じがするし、可能性は高いか。
急加速からの、不自然なまでの制動。クズハさんの口から語られた、ステータスシステムの特殊な運用法との言葉。この二つから、何となく正体が推測できる。
俺だってステータスの運用法はずっと学び続けているんだ。発想のクレイジーさが中々のものだけれど、俺の推測が正しければそれはすぐ使えるようになる。
「単発は避けるか。だったら、連続で……!」
わざわざ宣言しなくても、と思いつつ、ギアを上げてきた相手の動きに対応する。
相手の速度上昇は移動のみで、刀の振りは今までと同速。小刻みな移動を入れ、フェイントを織り交ぜて攻撃してくる。
このままでは、こちらも余裕までは無い。
『エアロⅠ』
大太刀で攻撃を受け流しつつ、風属性補助魔法を発動。効果はこちらも速度上昇。これでまた余裕が確保できる。
「ところで、何をそんなに怒っているんでしょうか?」
余裕綽々と相手の間合いから逃れつつ、質問を投げてみた。
「その舐め切った態度が、不愉快極まりない……!」
また随分と、殺意すら感じられるほど元気良く斬り掛かってくるものだ。
ところで、戦闘中に余裕がある態度を取れるというのはむしろ、褒められるべきことである気がして仕方がないのだけれど。
向かって右からの横薙ぎを、勢いが乗り切る前に接近し大太刀で受ける。そして上に弾く。
無防備となった胴に、足の裏を叩き込む。
相手は床を四メートル程転がり、止まった。
「そういう貴方はよく吼える。昔住んでいた家のご近所さんが可愛らしい小型犬を飼っていまして、いやあ、同じくよく吼えていたのを覚えています」
気分が乗ってきてしまったので、剣道場の皆さんが見ているというのに中々の台詞を吐いてしまった。全て承知の上で、後悔など微塵も無いけれど。
「このッ、我流の剣士ごときが、調子に──」
AGIの適用範囲を限定的に。指定するのは目標地点までの移動距離。目標地点への到達を以って速度は失われるため、減速を考える必要は無し。
後先考えぬ正真正銘の全力で、前に進む。
「──……カフッ」
俺の想定通り、指定範囲で得た速度はその範囲が終了した瞬間に失われて。範囲の終点である、相手の一歩手前にて綺麗に停止。前方へ伸ばした大太刀の切っ先は、過たず相手の喉元を貫いた。
一拍遅れて、相手の姿が消失。結界外にて再出現する。
「馬鹿、な……。何で、縮地を……」
何やら呆然とした様子で、結界外から俺を見て呟く男が一人。勿論、先程の試合相手だ。
……縮地とな?
「やはり、何度も目の前で実演されれば自力で会得してしまうか」
観戦していた人達のほとんどが言葉を発さずにいる中で一人だけ、至って普通の様子でいるその男性。言うまでも無い気がするけれど、サギリ・アサミヤさんだ。面の奥に見える目はとても静かに、俺の姿を映している。
「ステータスシステムの特殊な運用法、とは聞いていましたし。それと今の技法、縮地というんですか?」
それ以外に無いだろうけれど、話の取っ掛かりとして訊いてみた。
「分かり易くて良いだろう? もっとも、それはあくまで基本である移動にのみ適用した場合の呼称なのだが」
「ああ、それならクズハさんのアレはまた、別の呼び名があるんですか」
「攻撃終了までを加速の適用範囲とした、電光石火だね。それをすら回避してのけた君には、今回の試合は些か以上に物足りなかったのではないかな」
まさかのアサミヤ家側から、追撃が放たれた。先程の対戦相手は床に崩れ落ちた。
「ははは、衝撃が広がっているね」
サギリさんは愉しげに、視線を周囲に向けている。
剣道着を着た人々は全員、動揺を隠し切れないでいる。
「ところでサギリさん。一つ質問がありまして」
あえて空気を読まず、俺も平常運転でいってみよう。そんな訳で質問許可を要求する。
「君の対戦相手が敵愾心を剥き出しにしていた理由であれば、クズハに認められた剣士である君のことが気に入らなかった、もっと言えば嫉妬してしまったためだよ。剣術が我流というのが、それに拍車を掛けてしまったようだね」
「質問内容はそれで合っていますが……、当事者の彼が死にそうな顔をしていますよ?」
俺としては一応小声で話すつもりだったのを、あろうことかサギリさんは周囲に十分聞こえるボリュームで話してしまった。
さっきからやりたい放題だな。そんな気楽な感想を、俺はこの瞬間まで抱いていたのだけれど。
「彼我の実力差を把握できず、何よりアサミヤの者としてあまりにも礼儀を弁えない馬鹿者には、良い薬になったくらいさ」
そうだろう、と。唐突に、背筋が凍るほど冷たい視線を、サギリさんは俺の対戦相手に向けた。
「試合を中断させることこそ控えたが、先程の君の言葉は目に余るものだった。……特に、我流の剣士ごとき、と言ったね。私が呼んだ客人など、軽んじて当然ということだろうか?」
相変わらず面を被ったままで、表情は読み取れず。けれど前述の視線が、重く冷たい声色が、まるで実際の重みとなってのしかかって来るようだ。
「も、申し訳ございませんでした、導師!」
額から滝のような汗を流し始めた対戦相手が、かなりの勢いで頭を下げた。その怯えようは尋常ではなく、距離があるここからですら身体全体の震えが分かるほど。
けれど、それも無理からぬことか。ただ近くに居るだけの俺ですら、あまりの威圧感に鳥肌が立つのを抑えられないでいる。
ひょっとして、ギルドマスターと同様の威圧スキルか? この人の場合、何が飛び出ても不思議じゃない。
「真っ先に私へ謝罪する時点で違う。それは、直接無礼を働いた相手にすべきものだ」
いやどう考えても、そちらに謝罪させるようなミスリードがあっただろうに。とんでもなく底意地が悪いぞ、この人。
相手も相手で、ここですぐ俺に謝罪すればまだ良かっただろうに。視線を向けてきつつも、口が開かないようだ。
「すまないね、リク君。彼はここ最近で随分と増長していたものだから、この辺りで一度近い世代の、できれば同性の相手に打ち負かされておいて欲しかったんだ」
いきなり態度を軟化させて、サギリさんは中々のことを暴露した。
「つまり最初から全て計算ずくだった、と。都合良く使われたものですね」
「そんなことは無いさ。例えばクズハが君を応援してくれたことなどは、出来過ぎていて笑いが漏れてしまいそうだったからね」
これは酷い。
そういえば、そのクズハさんは今どうしているだろうか。気になって視線を向けてみれば、何とも微妙な顔をしていた。
「師匠、質問があるのであります……」
クズハさんは気が進まなそうな足取りでこちらに近づき、ぺたんと閉じた狐耳やら全く揺れない尻尾やらで内心を分かり易く表現しつつ、言葉を続ける。
「自分は、失言をしてしまったのでしょうか……?」
「いやまさか。ここがアサミヤ家の剣道場で、客人と門下生が試合を行うことになった上で客人の方を応援したとしても。その客人は君が使いとなって招待した、君の師匠の客人なのだから。むしろ客人に対する気遣いができていると褒められこそすれ、責められる謂れは無いよ」
即答だった。
「ですが、その結果がこの──」
尚も食い下がろうとするクズハさんの頭に、サギリさんの手が優しく乗せられた。
「自分自身はクズハの足元にも及ばぬ癖に、知らぬこととはいえクズハを打ち負かした相手を罵倒するような愚か者へ、とてもとても良い薬を処方できた。そして、一応は今回の被害者と取れるリク君の方を見てごらん」
サギリさんがクズハさんの後ろに回り、クズハさんの頭ごと俺に向けさせる。
困惑した表情が向けられているので、早いところ要件を終わらせよう。
「縮地の会得ができたので、とても良い結果です。何より俺自身を被害者と呼ぶには、あまりにも相手を圧倒していました。彼から得る物はもう何も無さそうですし、ついでに謝罪も不要です。興味がありません」
「そ、そうでありますか……」
やや引き気味に返事が来た。実のところ狙い通りなので良し。
「まあ、縮地について言えば、サギリさんが約束を守ったというだけの話でしょうけど」
余計な一言を付け足しておいた。視線はサギリさんに向けている。
「一応は部外者である君に私が直接ものを教える状況は、実をいうと少し避けたかったからね」
「一応も何も、完全に部外者ですが」
黒髪黒目の日本人ということで、アサミヤ家からすると無関係ではいられないのかもしれないけれど。
「いやいや、君はもうクズハの友人じゃないか。ならば完全な部外者とは言えないよ」
その言葉を聞き、内心で舌打ちする。
この人にとって俺がアサミヤ家に入るかどうかは、本当に重要ではなかったんだ。自身の弟子の友人、その立ち位置に居ればそれで良いということか。
俺を武術都市オルデンまで呼び出したことといい、一体何が目的なのやら。
「お話中に申し訳ありません。少し、宜しいでしょうか?」
剣道場の面々を無視して話を続けていたら、師範であるスミレさんが言葉通り申し訳なさそうに割って入ってきた。
するとサギリさんが即座に一歩、クズハさんの両肩を掴んで一緒に下がってから、更に無言で俺の方を手で示す。
「リクさん。この度、私の教え子が働いた無礼な言動、誠に申し訳ありませんでした」
スミレさんが深々と頭を下げてくる。
監督不行き届き、なんて言葉はあるけれど。それでも俺個人の感想としては、スミレさんが悪いとは思わない。試合開始の直前で様子のおかしさに気付いていたし、それでも開始を押し切らせたのは他ならぬ俺なのだから。
「いえいえ、お気になさらず。人を手のひらの上で転がしていたサギリさん程ではないにしろ、私もある程度は承知の上で動いた結果ですので」
本当に気にする必要は無いのだけれど、スミレさんは納得していない様子で。そのまま謝罪の言葉を何度も述べられた。そもそも怒っていない旨を伝えても、謝罪の言葉すら拒否されていると勘違いされる始末。
困っていた俺に手を差し伸べてくれたのは、やはりと言うか何と言うか、
「リクは本当に、怒ってなどいませんよ。ですから、怒っていないことについて謝罪されて、今はどんな言葉を返せば良いのか分からずに困ってしまっているくらいです」
苦笑しながら俺の隣にやってきた、フランだった。
……相変わらず俺の心理分析が的確だな。
そんな訳で、フランのファインプレーにより事態はその後すぐに収束した。
その収束した直後に、では次の場所へ向かおうか、なんて言ってきたサギリさんの顔をぶん殴ってやりたくなった俺の精神は極めて正常だと思う。
サギリの面を叩き割ってやりたい。




