第一〇六話 剣道場にて
何の含みも無く素直に動くキャラクター(クズハ)を書くの、凄く楽しいです。
「当主には私から、断られた旨を伝えておくよ」
「お願いします」
嫌にすんなり了承されたので、むしろ気味が悪い。胡散臭さに拍車がかかる。
我ながらとんでもなく失礼な感想だとは思っているよ。
「とはいえ折角ここまで足を運んで貰ったのだから、少しばかりアサミヤの様子を見ていってはどうだろうか。若い女衆が特に、君の姿を一目見てみたいと騒いでいたものでね」
にやりと笑っていそうな声色で、サギリさんが言ってきた。
「それを聞いて、今すぐに帰りたくなりました」
心からそう思う。
「ははは、まあ待ちたまえよ。アインバーグの訓練所では、クズハの最速の一閃を見たのだろう? その秘密を教えると言ったらどうする? アレは私が教えた技法によるものだ。君が会得した場合、相当に有用だと思うのだが」
確かに、それは気になっていた。けれど一度、クズハさんの方を見てみる。
「あの攻撃は一体どういう仕組みだったんですか?」
耳がぴこぴこと動き、尻尾がふわりと揺れる。表情は笑顔だ。
「ステータスシステムの、かなり特殊な運用法でありまして──」
「待ちなさい、クズハ。君はどちらの味方かな?」
一分の迷いも無く語り出したクズハさんの言葉を遮って、サギリさんは問い掛けた。
「敵味方の話ではなく、自分へ向けて頂いた信頼に応えようとしたまでであります」
真っ直ぐサギリさんに視線を向けて、クズハさんは堂々とした態度だ。
「私の弟子とは思えない素直さで、大変結構なことだ。……本当にどうして私の弟子でありながら、こうも素直なままに育ってくれたのやら」
後半部分の感情の込められ具合が尋常じゃなかった。基本的に胡散臭い人だけれど、本心で語っていると信じられる言葉が時々出てくるな。
「特に秘匿している訳でもない技法をそれっぽく語るのは、卑怯であります。それにきっと、リク殿はこちらが真摯に頼めば、顔見せ程度にはお付き合いくださる方だと思うのであります」
ソウデスネー。貴女みたいな人からの、それほど無理でもない頼み事を断るのは大変ストレスなので、全くその通りの展開になるのでありますよ! なんてなハッハー! ……クソォ。
というか、アレが秘匿技法じゃないのか。会得が理不尽な程に難しい? 或いはあれほどの技法ですら序の口? アサミヤ家が魔の巣窟に思えてきた……。
「いやぁ、思い出すなぁ……。クズハは昔からこうだったよ、うん。……リク君、観念したまえ」
サギリさんと、変なところで通じ合ってしまった気がする。
「そうですね、そうします。何処へなりとも連れて行ってください」
下手に策を巡らせられるより、ずっと強い。サギリさんに言われるまでも無く、俺は観念していた。
隣のフランが微笑ましげに俺を見てくるのが、また更に辛い。
「せめて何か言って貰えるかな、フラン?」
「では、リクらしいですね、と」
大変穏やかな笑みが俺に向けられて、この笑顔にも勝てないんだよなと再確認した。というより、この笑顔が一番勝てない強敵だ。一生掛けて挑んでも負け続ける気がする。
「話は纏まったようだし、散歩がてら歩いて回ろうか」
そう言ってサギリさんが立ち上がると同時に、視界が切り替わる。元の御堂のような内装に変わった。
本当にどうなってんだこれ。
茶と菓子を頂いた五重塔から出て、お行儀良く待っていたゲイルに更なるお留守番を命じてから。サギリさんを先頭に、俺達四人はアサミヤ家の敷地内を歩いている。
見れば見るほど和の雰囲気で、ここが異世界であることを忘れそうになる。もっとも、すっかりこちらに馴染んでしまった今となっては、異世界という表現に抵抗が生まれてしまっているのだけれど。
擦れ違う人々が皆、笑顔でサギリさんに挨拶をしていく。
導師、こんにちは。導師、先日はありがとうございました。導師、今度息子に稽古をつけてやって頂けませんか。
そんな具合に、誰もが好意的。サギリさんも慣れた様子で、自然に受け答えをしていた。
ちなみに、俺の髪と目を見て驚いた表情を浮かべるのまでセットになっていた。
そんなに珍しいか。あなた方も、髪か目のどちらか一方は黒いことがほとんどだけれど。
「随分と、慕われているみたいだね」
やや小声で、俺の右隣を歩くクズハさんに話し掛けた。今は敬語無しだ。
「ああ見えて、大変に面倒見が良いものですから。自慢の師匠でありますよ」
笑顔でそんな返答をされるとは予想外だった。
クズハさんはサギリさんに対して結構な毒を吐いていた気がするので、そんな師弟関係なのかと思っていた。しかしどうやら情報の訂正が必要らしい。
よくよく考えてみれば、初対面のときもサギリさんの弟子だと元気良く名乗っていたのがクズハさんだから、納得できる部分はあるか。
もし彼を味方にできれば、恩恵は大きい? けれど、距離を置きたい気持ちがあるんだよな。
「それにしてもやはり、リク殿の黒髪黒目は人目を引いているようであります。噂には聞いておりましたが、自分も初めて拝見した際には随分驚いたものですので、無理からぬことですが」
クズハさんはしげしげと、俺の髪と目を交互に見てくる。
「自分が知る限り、アサミヤ家においてですらここまで深い黒というのはご当主か、或いは師匠くらいなものでありますので」
羨望を隠そうともしないその言葉に、表情に。何と言葉を返せば良いのか分からなくなる俺が居る。
「……実は、ご当主か師匠の隠し子ということは」
「無いよ。俺は転生者。この世界においては天涯孤独」
怪しむように目を細めてこちらを見始め、あらぬ疑いを口に出し始めたクズハさんに、即座に反論する俺だった。
「失礼したのであります。本気で疑った訳ではないのですが」
ははは、と誤魔化すように笑ったその顔を見るに、そこそこ本気で疑っていたような気がする。
「仮に隠し子だったなら、確かに妥当な扱いだとは思うけど。それなりに名が売れた冒険者で、黒髪黒目は日本人転生者と名乗るに十分な説得力があって。とりあえずここに呼んでみよう、となってもそれほど周囲から不自然に思われず実行できる」
「こらこら。当主はともかく、私はそんな大きな子を作れるほど歳を食ってはいないよ」
話が聞こえていたらしい。先を歩くサギリさんがアサミヤ家当主の弁解を放り投げて、自分だけ言い逃れをしていた。
「師匠は年齢不詳であります」
「どう見積もっても、三十過ぎが精々の外見だと思うのだがねぇ……」
年齢を判断し易い顔を隠しているものの、肌が見える首と手の様子や声の感じからして、三十程度には思える。もし三十代後半と言われれば、それなりに驚くだろう。
ただこの人の場合、例えば百歳などと言われれば一周して納得してしまいそうな気もしている。
「この際なので言わせて貰うのですが、師匠はそろそろ身を固めても良いと思うのであります。引く手は数多でありましょう」
「何故に今、そんな話をしているのかね」
子ども云々の話をしたからだろう、とは思う。客の前でそんな話をするのか、という疑問はあるけれど。
「それに引く手数多などと言うが、私にそんな人気は無いさ」
「先週は三人程でありましたか。夜中、師匠が居る五重塔に入っていった女性は」
「……それぞれ速やかにお帰り頂いたよ。情熱的な女性は嫌いではないが、得意でもないからね」
サギリさんは肩を竦め、疲れたような声を出した。
つまり、今の話は事実だったのか。
「それよりも、目的地に着いたようだ」
気を取り直そうとするようなハキハキとした声を聞き、先程から見えてきていた眼前の建物を確認する。
黒い瓦葺の屋根に、白い壁。外から見た感じ、広さは学校の体育館ほどだろうか。ただし高さはそれほどでもなく、一階建てだ。
裂帛の気合が込められた声が、外にまでしっかりと聞こえてくる。正面の入り口付近では、紺色の剣道着らしきものに身を包んだ数名が水を飲んでいたり、手ぬぐいで汗を拭いたりしていた。
「導師!」
彼らの内の一人がこちらに気付き、素早く頭を下げた。それを見た他の人間もまた、同様に。
「そんなに畏まる必要は無いと、いつも言っているだろうに」
サギリさんの表情は今も面によって隠されて見えないが、苦笑するように言っているところを見るに、それなりな顔をしているのだろう。
「見ての通り、今は客人を案内しているところでね。少しお邪魔しても構わないだろうか?」
「はい、師範に伝えて参ります!」
最初にこちらに気付いた一人がそう言って、素早く踵を返し剣道場へと入っていった。
それから程なくして戻ってきたその人が、師範から許可を貰った旨を伝えてくれて、俺達も剣道場の中へと入る。
剣道場の中は、外からの光をふんだんに取り入れて十分に明るかった。床は全面板張りで、奥の壁の中央には明鏡止水と漢字で書かれた掛け軸がある。
外に居ても聞こえてきた声は、距離が近付いたことでより迫力を増していた。そこかしこで竹刀を打ち合い、切磋琢磨している剣士達の声だ。
人数は合計四十名ほどか。当然、その人数が一斉にではない。どうやら試合と見学でローテーションしているらしく、先程から試合を行う人が変わっていっている。
そんな中の様子を眺めていると、こちらに近付いてくる人物が居た。
身長は俺より頭一つ分弱低く、フランより若干高いか。艶やかな黒髪を後ろで一つに縛り、凛とした雰囲気がある。顔の造形はすっきりしていて、美人の部類に入るだろう。
そう、美人だ。つまり女性だ。
「やあ、スミレさん。稽古中に突然すまないね」
スミレさんと呼ばれたその女性も剣道着を着ていて、しかし色は白い。胴は周囲と同じ黒いものを付けている。歳は、二十代後半といったところだろうか。落ち着いた雰囲気の人だ。
「いえ、構いませんよ。それにしても、導師がここへ足を運ばれるのは珍しいですね。……ああ、お客人の案内中でしたか」
サギリさんの後ろに居た俺達に視線を向けて、得心がいった様子のスミレさん。
「初めまして、私はスミレ・アサミヤ。この剣道場で剣を教えています。……実に見事な黒髪黒目ですね」
ここに来てから、もう何度目やら。俺の外見的特徴に驚かれるのは。今もそこかしこから、視線を感じるし。
スミレさんも髪は黒いが、目は青紫色だ。黒に比較的近い色なので、ぱっと見では分からなかった。
「お褒め頂きありがとうございます。私はリク・スギサキと申します。こちらはフランセット・シャリエ。私の冒険者仲間です」
「初めまして。フランセットです」
ともあれ自己紹介をしておく。
「リクさんと、フランセットさんですね。ところでリクさんの方は、剣を振るわれるのでしょうか?」
「はい。といっても、我流の拙いものですが」
剣と無縁なら、わざわざここに連れて来られはしないだろうしな。
「リク殿の剣は見事なものでありますよ。速さと鋭さを兼ね備えた、素晴らしい腕前です」
クズハさんが熱っぽく語った。止めてくれませんかね、それ。
「クズハ、貴女がそうも賞賛するほどですか。これは期待せざるを得ません」
スミレさんも、笑顔で真に受けないでください。勘弁してください。
「どうでしょう。折角剣道場へとお越し頂いたのですから、ひとまず私の門下生と試合をしてみるというのは」
ひとまずというのは、そこに必要な言葉だったんですか?
状況次第で、例えば貴女との連戦になったりしませんか、その言い方だと。
「ちょっとした交流試合のようなものです。お互いにとって、良い刺激になると思うのですが」
アサミヤ家って、穏当な人達って前評判だったんだけどなー。いざ踏み込んでいくと、全然そんな感じがしないんだけどなー。
そんなことを思っていたら、フランが俺のすぐ傍までやって来た。
「リク、頑張ってください!」
「リク殿、自分はリク殿に期待しているのであります!」
ちょっと待った。フランはまあ良いとして、クズハさんは何で俺の方を応援してんの!?
「見目麗しい女性二人にこうも期待を寄せられて、リク君は果報者だね」
「そうあからさまな圧力を掛けなくても、別に逃げたりしませんよ、サギリさん」
小さな溜息を一つ。それで気持ちを切り替える。
「分かりました。胸をお借りします」
そしてはっきりと、スミレさんにそう告げた。
「雰囲気が一瞬で変わりましたね。実に良い目です。それではこちらも準備をしますので、少々お待ちください」
不敵な笑みを浮かべたスミレさんが踵を返して、門下生達に声を掛ける。どうやら門下生の中でも、一番の実力者が指名されているらしい。
灰色の短髪に黒褐色の目を持つ、大柄な青年。顔は強面、体躯はがっしりとしていて、見た目にも強そうだ。ほとんど睨むようにこちらを見てくる。
本当に睨まれている気がする。
調べてみれば、おお、マップの判定が警戒だ。アサミヤ家訪問中において初めての感じで、何だか新鮮だな!
自分(や仲間)に具体的な害が発生しない限り、負の感情を向けられても気にしない主人公。