第一〇五話 導師との対談
ひねくれ者同士の対談です。
自然体でありながら、不思議と隙の見えない所作でこちらへ歩いてくるサギリさん。エディターによる判定は平常表示になっているが、否応にもこちらの警戒は高まる。
「はは、そう硬くなる必要は無いよ。とはいえ面を被ったままの男を怪しむのは道理でもある。──まあ、この面は外さないのだがね!」
明るくからからと笑うサギリさんに、クズハさんが湿度高めの視線を送っている。それからこちらに向き直り、一転して申し訳なさそうな表情を浮かべつつ口を開く。
「師匠の無礼な振る舞い、弟子として謝罪するのであります」
「おおっと、その無礼な振る舞いの代わりにこれから渾身のおもてなしをしようとしていたというのに。弟子に謝られてしまうのが先だとは」
漫才じみたやり取りが繰り広げられている。何なんだこれ。
「まあ良いさ。履き物は脱いで、上がって欲しい。茶の用意はできているんだ」
一度フランと顔を見合わせ、それから靴を脱いで畳を踏む。すると──
「……これは、一体?」
──茶室、に視界が変わった。
正面奥に床があり、壁には松の木が描かれた掛け軸がある。右手はすぐ壁で、小さな窓からは流水を表現した枯山水が伺えた。左側に部屋が広がっていて、茶器が揃えられている。
サギリさんは折り目正しく正座して、自身の前方の畳を指し示した。
「どうぞ、そちらへ。ああ、フランセットさんには正座の習慣が無いだろうから、部分的に掘り炬燵のような形状にしておこう」
不思議なことを言ったサギリさんだが、次の瞬間に理解させられた。言葉通り、畳の一部に四角い穴が空き、丁度足が入れられるようだ。
……建物全体が魔法具にでもなっているのだろうか?
「クズハ、今日は君も客畳の方へ。茶は私が点てるよ」
サギリさんの隣へ行こうとしていたクズハさんを手でも制しながら、穏やかながら有無を言わさぬ様子で言い切った。
クズハさんは素直に従い、俺達と同じく客畳へ。
全員が座ると、サギリさんが徐に茶の用意を開始する。
白い茶巾で丁寧に茶入を拭う。茶匙をその上に乗せる。
柄杓を左手に取る。釜の蓋を斜めに持ち上げ水滴を落としてから、蓋置きに乗せる。
柄杓を右手に持ち換え、釜の湯を掬い、茶碗に注ぐ。
茶筅で湯を回し、そして湯を捨てる。
茶入に入った抹茶を茶匙で掬い、茶碗に入れる。
再び釜の湯を入れ、茶筅を持ち茶碗の中に。手首を前後に素早く動かしながら、ゆっくりと左右にスライド。茶を点てる小気味良い音が鳴る。
茶碗の中で茶筅をくるりと一周させてから、畳に置く。
茶碗を手に取り、半周させてこちらに差し出す。
差し出された茶碗は確かに一つだったはずだが、三つに増えていた。それぞれ俺とフラン、クズハさんの目の前に存在している。
更には桜色の和菓子らしきものが、優しい色合いをした薄水色の小皿に乗って出されていた。
ビックリ箱みたいな人だというのは、この短期間で十分に理解した。だからもう、深く考えるのは止めよう。
──ただ冷静に、警戒する。
さてと。マップ表示ではそれぞれ単に抹茶と表示されているし、和菓子と表示されている。ならばそれらに毒の類は入っていない訳で。
「師匠がいつにも増して、才能を無駄遣いしているのであります……」
もやもやした感じの微妙な表情を浮かべながら、クズハさんが茶碗を手に取り口元に運んだ。しかし抹茶を一口啜るや否や、蕩けたような表情になる。
「ああ、とはいえ、やはり絶品であります……。和菓子の甘さと抹茶の苦みが手を取り合い、お互いを素晴らしく引き立てているのであります……」
表情だけでなく声からも伝わってくる、実に幸せそうな様子のクズハさんだ。
そう、早くも和菓子にまで手を出していた。
「クズハは相変わらず、茶と菓子が好きだね。お二人も、どうぞ召し上がれ。茶が冷めてしまわぬ内に」
サギリさんに促され、俺はひとまず隣のフランに視線を向ける。同じくフランもこちらを見てきた。
≪現状は問題無し≫
テキストを打ち込み、フランにだけ見えるように表示する。それから目の前にある茶碗を手に取った。
茶の香りを強く感じる。何処か落ち着く香りだ。
迷わず口を付け、一口啜る。
クズハさんが表情を綻ばせた理由が、一瞬で分かった。
抹茶の苦みが実に穏やかで、単純に美味い。泡も実にきめ細かく、滑らかだ。
和菓子の方に手を伸ばしてみると、これもまた絶品。恐らく単品ではやや控えめに過ぎる甘さが、抹茶の苦みと合わさることで絶妙なバランスを取っている。
見ればフランも俺と似たような感想を抱いたらしく、表情はとても穏やか。
「どうやらご満足頂けたようで、何よりだ」
サギリさんは相変わらず怪しい面を被っているものの、酷く優しげな声色はこちらの警戒を真正面から崩していくようだった。
なんというか、本心を語っているような気がする。ほぼ初対面の、しかも表情を隠した相手だから自信は無いけれど。
そういえばサギリさんの目の前にも、抹茶と菓子が現れていた。一体いつ用意したのやら。
「大変美味でした。仮にお店を開いたなら、連日盛況になるのは間違いないと確信できる程に」
フランが表情そのままに、上機嫌に言った。
これは確実に本心を語っている。表情だけでなく声色にも表れている。
「茶屋を開く予定は、今のところ無いけれどね。ただ、寺子屋のようなものは開いているよ」
寺子屋とな。江戸時代において読み書きや計算などを教えていたものか。
のようなものと言っている以上、恐らく教えている内容は違うだろうけれど。
「武術都市オルデンにおいて、魔法やその亜種についての造詣が深い者は少ないものだから。私程度の知識でも、教えられることは多いんだ」
ほらやっぱり。教えている内容が魔法関連ということも、予想できていたものだ。
「師匠のその謙遜は、特大の嫌味にしか聞こえないのであります」
ほんわかした表情で抹茶を啜りながら、毒を含んだことを言うクズハさんだった。実に器用なものだと思う。
「そういえば、サギリさんは魔法具作成もされるそうですね。アインバーグからここまでの移動にクズハさんが使用していた青龍も、貴方の作だと伺っています」
当たり障りの無い話はないかと思案して、俺個人としても気になっていた話を振ってみた。何せ、博識なフランですら驚いていた代物だ。
「ああ、アレか。東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武と。四神シリーズは私の趣味で組んだ代物だけれど、アサミヤ家の中でもそれなりに受けが良くてね。近々、黄龍か麒麟でも作るべきかと考えているよ」
同レベルの魔法具が最低でもあと三つあることが発覚した。これから更に増えそうなことも。しかもアレが趣味レベルらしい。
話は変わるが、サギリさんの面を茶碗が貫通している。
良く見ると、面の下半分が僅かに透けている? 面には実体が無いのか? 気にはなるけれども、ひとまず置いておこう。
「ところで、早速だが本題に入ろうか」
手に持っていた茶碗を置いて、サギリさんは居住まいを正した。
エディターによる判定は平常のまま。けれど纏う空気は張り詰めている。
「恐らく既に承知のこととは思うけれど、アサミヤ家は日本人転生者を積極的に受け入れている。それはアサミヤ家の始まりが日本人転生者であることに起因していて、まあ、言ってみれば望郷の念を形として残した訳だね」
淡々と語るサギリさんは、真っ直ぐに俺の目を見ている。こちらを探る様子は無く、ただ透徹としていた。
「積極性に富んでいるとは言い難い日本人だけれど、やり始めると止まらない人種でもある。最初は小さな規模から始まったアサミヤ家は、気付けばこんな状態だ。下手な貴族より、歴史も影響力も持つようになった。例えばこのオルデンの地は当然ながら和の文化など持っていなかったが、アサミヤ家の影響を受けて、今ではすっかり定着してしまっているほどに」
和の文化に近いものがあったからオルデンを本拠地としたのではなく、逆だったのか。
俺としても、日本茶や和菓子が堪能できるのであればそれはとても良いことだけれど。
とはいえ、茶道を披露されたのには驚かされたな。元は中国の文化で、そちらでは途絶えてしまったくらいのものだから。
「リッヒレーベン王国内の東西南北それぞれに存在する四大都市、その東の都市であるオルデンの半分を掌握しているような状態にあるのが、現在のアサミヤ家だ。その一員となれば、爵位に例えるなら最低でも子爵程度の扱いを受けられる。アサミヤ家当主に関していうならば侯爵か、或いは公爵にも手が届く程のものだよ」
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。この国の爵位を上から順に並べるとこうなる。
最低でも子爵程度とのことなので、なるほどメリットは大きいと言えるだろう。
「ましてや君は、アサミヤ家が重視する黒髪黒目を非常に色濃く持っている。アサミヤ家における待遇は高いものとなり、それは必然として対外的にも影響する。君がアサミヤ家に入る利点は十分にあると思えるが、どうだろうか?」
熱心な勧誘の言葉、だと思う。けれど何故だろうか、全く熱意が込められていない気がするのは。
「仮にアサミヤ家に入るとして、何かしらの義務は発生するのでしょうか? 利点のみの説明では、申し訳ありませんが判断できかねます」
何だか不安そうな表情でフランが俺を見てくるので、とっとと話を決着させたい。謎の罪悪感が酷いんだ。いやもう謎でも何でもない気はしているけれども。
「和を尊び、義を重んじる。アサミヤ家の法はこの二言に集約されているよ。もう少しだけ具体的にいうならば、仲間を裏切らず、恩は忘れない、といったところかな。要は、人道に悖る行為をするな、と」
性格に難有りという自覚がある俺としては、微妙に危うい感じがする。
「……では、アサミヤ家に在籍した上でアインバーグに居を構えるというのは?」
「それは難しいな。オルデンから出られない訳では勿論無いが、本拠地はこちらとして貰うことになる」
私も度々遠出はしているがね、と付け足された。
「それなら、今回のお話はお断りさせて頂きます。実は将来的に喫茶店を開く予定なのですが、それはアインバーグでと既に決めているのです。わざわざお時間を取って頂いたというのに、申し訳ありません」
今そう決めた。だから別に、嘘ではない。
「喫茶店ならば、オルデンでも開けると思うのでありますが……」
控えめながら、クズハさんがそんな意見を出してきた。
クズハさんとしては、俺がアサミヤ家に入ることに賛成の立場なんだろうか。
「オルデンも、街並みを少し見ただけですが良い所だとは思います。ただ、私が思い描く喫茶店とは雰囲気が合わないもので」
苦笑しつつ、即席の言い訳をべらべらと。ただし苦笑は割と心からのものだ。
ぺたんとした耳がとても痛ましい。こちらの心が苦しい。
なお、彼女の師匠であるサギリさんの前なので、念のため敬語だ。
「アインバーグで喫茶店ではなく、オルデンで茶屋を開くというのも悪くないと思うが、どうだろう?」
相変わらず熱を感じない提案をしてくるサギリさん。
その本心は、何処にある?
「正直なところサギリさんが点ててくださった抹茶は大変に美味でしたが、基本的には紅茶の方が好みでして」
のらりくらり。本心に幾らかの混ぜ物を入れて語り、かわしていく。
「ここへは、どうやら初めから話を断りに来ていたようだね。クズハの良い競争相手になってくれるかと期待していたのだけれど、無理強いはできないな」
如何にも残念そうに肩を竦めるサギリさんだが、どうにも胡散臭い。俺が断ろうと思っていたことを、最初から把握していたような気さえする。
……穿ち過ぎだろうか?
胡散臭いですね。