第一〇三話 一軒家の自宅
引っ越しました。
今居る場所は俺の家。つい最近、思い切って一軒家を購入した。庭付きである。必然的に、蓄えがかなり消し飛んだ。
グリフォンが居るので前の場所では手狭になってしまい、引越しを余儀なくされたためだ。庭付きを選んだのもそれが理由であり、その条件に引っ張られた結果、相応に大きな家を買う羽目になった。
四人までなら特に不自由無くこの一軒家で暮らせると思う。当然ながら、一人暮らしとしては異常に広い。
その自宅で俺が何をしているかと言えば、フランをこの場に呼び、訓練所でクズハさんから聞いた話を伝えていた。
アサミヤ家に関する情報が些か以上に不足しているため、俺一人で考えても埒があかないと思ったからだ。
今居るリビングには直径一メートル弱の円形テーブルがあり、その周囲に三つの椅子を放射状に配置していて、内二つに俺とフランはそれぞれ腰掛けている。
テーブルの上には王都で購入したカップが二つ。淡いオレンジ色の紅茶が湯気を立てる。繊細な香りを出す紅茶で、元の世界の種類で言うならばヌワラエリヤが近いか。渋みの感じが緑茶に似ている種類だ。
苺と生クリームをサンドしたミルフィーユも一緒に出している。
「では、私も同行します」
即答だった。そして決定事項だった。
「……あわよくば回避する手段は無いかな、とひとまずは思ってたんだけど」
一足飛びに話が進んでいるようなので、ペースダウンを図る。
「穏便に事を進める、というのであれば、これ以上の手段は存在しないと思います。ですので行く前提で話を進めています」
悲しいほどに話が早い。
ああ、全くその通り。穏便に回避するのが難しいなら、回避しない方がマシだと思っているよ。
「そんなに、アサミヤ家ってのは影響力が?」
「爵位を持たずして、この国の上位貴族と同等に近い扱いを受けていますから」
悲しいほどに以下略。
「国にしっかり首輪を付けられてる貴族の方が、まだ動きを読みやすい気がしてきたよ……」
「少なくとも、噂に聞く限りは穏当な方々なのですが」
苦笑しながらフランがそう言ってくれたものの、使いのクズハさんを見た今となってはどの程度信じて良いものか分からない。武芸者という名のバトルジャンキーだったし。
いや礼儀正しかったけれども。戦い方も極めて真っ当だったけれども。けれども。
「ああ、そうだ。質問なんだけど、導師って呼称に聞き覚えはあるかな?」
サギリ・アサミヤさんの名前の前に付けて、クズハさんが呼んでいた。人を正道に導く者、または法要に際して中心となる僧、というのが単純な言葉としての意味だけど。これらは恐らく、今回において意味を外しているだろう。
「導師、ですか。魔法などの分野に於いて類稀な実力と指導力を兼ね備えた人物を指し、そのように呼称することがありますね」
「『導師サギリ・アサミヤが弟子、クズハ・アサミヤ』とかなんとか、訓練所で名乗られてね。エクスナー邸で見かけたお面の男性について、少しでも情報が得られればと思ったんだ。けどそうか、別に二つ名だったりはしないと」
気にはなったものの、マーカーを付ける程ではなかったのでそのまま何もせずにいた。実際こうして接点ができそうな状況になっているのだから、結果論にはなるがやっておくべきだったか。
武術都市オルデンへは行ったことが無いので、エディターの索敵範囲外だ。
「……うん? 魔法など?」
さらっと流していたけれど、考えてみれば少し妙な言い回しだった。
「はい。MPを消費して行うこと、と表現すれば良いでしょうか。例えばリクは、クズハ・アサミヤさんが用いる狐火を見たと仰いましたね。それは妖術と言われる、主に狐獣人が用いる魔法の亜種のようなものの一つです」
MPとは、魔法のみに用いるものではなかったらしい。
それにしても、狐獣人で妖術か。そう言われると、元日本人の転生者の血を受け継ぐというアサミヤ家の一員として、黒髪黒目でなくとも違和感は無い。日本の話、という感じがする。
そうなると、陰陽術なんかもあったりするんだろうか。……MPを消費する陰陽術とは一体。
「ただ、私もあまり詳しい訳ではないのですが……。妖術というのは、狐火のように直接攻撃をするよりも、幻などを使って相手を惑わす類の手段として用いられることが多いようです」
なるほど。となると、あの異常加速は妖術とは別の要因によって実現させたものである可能性が高そうだ。
本人に直接訊けば、案外あっさりと教えてくれそうな気もしている。
「ところで、クズハ・アサミヤさんへのお返事はいつまでにすれば良いのでしょうか?」
「ここに一週間程度滞在するらしくて、その間には欲しいって言われてる。ところで、本気でフランも行くつもりなのかな? 仕事上の都合とかは大丈夫?」
行く気しかない、くらいの感じでフランは話を進めてきてるけれども。
「ここしばらくはギルド職員としての事務や受付よりも、ギルド員としてクエストに行く方に比重を置いていましたから。ある程度長くお休みを頂くことも簡単な状況です」
「それなら大丈夫か。まあ、俺がフランから借りてる分が大きくなり過ぎることは、全然大丈夫じゃないけど」
その点については、もう苦笑するしかない。
そんな風に思っていたら、フランが真面目な顔で口を開いた。
「何を言うのですか。受注期限が厳しくなっているクエストを率先して片付けてくれていること、私が知らないとでも? 依頼主の方々もそれぞれ事情があるのでしょうが、折角依頼を出したにもかかわらず長期間放置されて取り下げとなった際の処理は、とても面倒が多いのですよ。ギルドの怠慢だと、激しく非難を受けることなどしばしばあります」
……いや、そういうのは俺が勝手にやってることで。
だから、微笑みながら優しい眼差しを俺に送り始めるのは是非とも止めて欲しい。というか何故それを知っているのかな。
馬車なんか笑って追い抜ける速度で飛んで複数の依頼をまとめて片付けて……を繰り返していたから、俺の受注履歴を見られでもしない限り気付かれないと思ってたんだけど。
「フロランタン先輩から、お話を聞いていたそうですね。ブラックリスト一歩手前の依頼主に受注期限が過ぎた報告をする場合、念のため荒事にも対処可能な者……例えば私などが、その役目を担うことが多いと」
そうかアンタか、フロランタンさん。余計なことをするな、本当に。いつか、お礼参りでもしないといけないだろうか。
内心で物騒なことを考えつつも、フランの顔を見ていられなくなって。もっと言えば見られるのが耐え難くなって、顔を背けつつカップの中身を啜る。
「勿論、今でも全く無いという訳ではありませんが、対処すべき件数は明確に減っています。そういった事情から、ギルド職員からのリクの評判は、実はとても高くなっているのですよ」
仕事も丁寧で確実ですし、と。そんなダメ押しの一撃のような褒め言葉を貰い、いよいよ俺はフランの顔を正視できない。
「改めて言いますが、武術都市オルデンへは私も同行します。嫌とは、言わせませんからね?」
……そもそもとして、嫌な訳は無いんだよ。
だから、そんな小悪魔じみた笑みを浮かべてこちらを見るのは止めて頂きたい。ただでさえ勝ち目はほぼ無かった上に、惜敗ではなく惨敗になると目もあてられない。
「前にフランが俺に対して、時折酷く強引だって言ったことがあったけれど。お互い様なんじゃないかな?」
「そうかも知れません」
「何で嬉しそうに言うかね」
「ふふ、何故でしょうか」
いかん、何を言っても勝てる気がしない。本当に惨敗している。
「フランが楽しそうで何より。じゃあ、今日か明日の内には俺から返事をしておくよ。同行者が一人居るってことも含めて」
「はい、お願いします」
半ば投げ遣りな感じで言ったにもかかわらず、フランは上機嫌なまま。
いや、訂正しよう。より一層機嫌が良さそうだ。
「オルデンへの移動手段は、ゲイルに乗れば良いか。馬車より圧倒的に速いし、何より置いて行くと拗ねそうだし」
「そうですね。その光景が目に浮かぶようです」
ゲイルの性格は、フランにも良く把握されているようだ。
対ヒロインでは頻繁に敗北する主人公です。