第一〇一話 鷲獅子
鷲獅子は“じゅじし”と読みます。
私は読めませんでした。
四大霊峰が一つ、ズュートケーゲル。この世界の最南端の陸地であり、かの人類最強、白のラインハルトが現在のレベルに到達した場所である。
山肌には巨大な岩がそこら中に転がっており、見るからに登山には向いていない。山頂は雲を突きぬけ、その姿を地上から見る事は叶わない。
生息する魔物は全てが上級のそれであり、弱者の存在を容易く否定する。
そんな場所で、俺は仲間と共に戦闘を行っていた。
「ゴガアアアア!」
大気が震える大音量で、青緑色の巨人──ギガントが吼えた。
その背丈は成人男性を縦に六人ほど並べたくらいで、今まで俺が見た魔物の中では断トツに大きい。身に纏うのは腰みののような瑣末なもので、手に持つ棍棒も実に荒削りな仕上がりだ。
しかし、前述の巨体から放たれる一撃は必殺の威力を持ち、それが二体も居るのだから手数も馬鹿にならない。
ジ・ウィンドによる風を纏い、俺は空を飛んで二体のギガントの間を翔ける。俺の身体を、巨木のように太い棍棒が幾度も掠めていく。
荒々しい風の音を聞きながら、敵に対し丁寧に剣を振るって着実に切創を刻む。
その間、何も攻撃を行っているのは俺だけではない。腹部へは鋭く尖った巨大な氷柱が何本も射出され、足元では山肌がオセロのように返されて執拗に脚部へのダメージを蓄積させている。前者はフラン、後者はドミニクさんによるものだ。
敵が巨大であることを逆に利用し、攻撃対象ではなく攻撃部位を分担してみた。仲間への攻撃について心配する必要性がかなり薄まるので、これはこれで自由にやれて良い。俺は元々遊撃手向きなのもあり、気が楽だ。
ギガントからすれば、視界内を飛び回る俺は羽虫のように鬱陶しいことだろう。なのでもっと鬱陶しくなろう。
執拗に目を狙ってみると、俺へのヘイトがかなり高まったのが分かる。攻撃頻度が明らかに上がった。
相対位置、攻撃タイミングを調整して……、敵二体の攻撃をぶつけさせる。
衝撃に耐えられず、一体が棍棒を取り落とした。好機だ。
エアロⅡによる速度上昇をしてジ・ウィンドの風を纏った上に、モノ・ウィンドで更なる加速。今の俺に出せる最大速度で空を翔け、無手となった個体の左目を狙う。
眼球から側頭部にかけて大きく切り裂くと、後ろから大絶叫が聞こえてきた。
それから程なくして、戦闘は終了。
片目を失ったギガントが錯乱したように暴れ、ドミニクさんの攻撃で転倒し、そこへフランのトリ・アクアによる超巨大氷柱が頭部に直撃。仲間がやられて孤立したもう片方のギガントの後ろへ回り込んだ俺が、ジ・ウィンドの風を纏わせたエディターで首を刈った。
悪くない結果だろう。
「リクが敵の注意を引いてくれるからよお、大分やり易かったぜ!」
二体のギガントを解体しながら、ドミニクさんが上機嫌に言う。
「胴体部への私の攻撃が遮られないよう高度を一定以上に保ってくれていましたから、私もとても戦い易かったです」
俺が出した簡易なテーブルセットの上で飲み物を用意しながら、フランも俺を褒めてくる。
「上級の魔物相手は経験が少ないけど、足を引っ張らずに済んだなら良かった」
そして俺はドミニクさんと同じく解体作業中。
ギガントの素材は、肉は使い道が少ないけれど皮や骨、血などは色々と使えるらしい。なので関節部で切断してから部位ごとに、片っ端からアイテムボックスへ放り込んでいく。
心臓付近にあった魔石を取り出してみると、俺の頭ほどの大きさだった。
「しかしまあ……、どんだけ入るんだよ、リクのアイテムボックスは」
ドミニクさんが解体の手を止めて、俺の方をしげしげと眺めてくる。
「自分でも分かりません。便利なんだから良いじゃないですか」
「まあな」
あっさりと納得した、というよりは理解を放棄した感があるドミニクさんの言葉だった。
元々細かいことは気にしない人だしな。
手早く解体作業を終えてから、桶に入れた十分な量の水と石鹸で手を洗う。
「こんなところで贅沢に水を使うってのは、こうも異常な光景だったか」
ドミニクさんが俺の隣にやって来た。
「ここに居る三人だけなら、一週間くらい補給無しでもやっていけるだけの物資がありますしね」
本当は一ヶ月くらいだけど。少なめに申告した方がいざってとき融通が利くし。
それでも十二分に多かったようで、ドミニクさんからの視線がさっきから凄まじい。
「軍の連中が聞いたら、白目剥きそうな話だ」
仕舞いには空を仰ぎ始めた。
「兵站は大事ですからね。士気に直接関わってきますから。ところで水と石鹸、使いますよね?」
「おう、ありがたく使わせて貰うぜ」
先程までの態度は何だったのかと問いたくなる素早さで、ドミニクさんは返事をした。使って問題無いなら、躊躇う理由も無いか。
エディターによる索敵で周囲に脅威が存在しないことを確認しつつ、椅子に座ってコーヒーを飲む。普段はどちらかと言うと紅茶派な俺だけど、魔物の解体直後で血の香りが残る状況では楽しめそうもなかったので、この選択だ。
「シルバーファングにフレイムエレメンタル、そんでさっきのギガント。続けざまに上級の魔物を討伐したってのに、こうも余裕があるたあ、驚きだな」
上機嫌な様子でそう語るドミニクさんは、麦茶のような飲み物を飲んでいる。大きなジョッキに入っているので、ビールのようにも見えた。
「バランスが良いですよね、このパーティー。魔法剣士二人と魔法使い一人って字面は、魔法ばかりに見えますけど」
実際、魔法をガンガン使っている訳だけど。エディターを用いたHPからMPへの変換とフランの回復魔法のお陰で、MPを潤沢に使えるのは強い。
なお、ドミニクさんには既にエディターの機能をそれなりに説明している。
「通常であれば、MPの枯渇を心配しなければならない構成でしょう。ただ、リクもドミニクさんも、通常の剣士とほぼ変わり無い継続戦闘能力がありますから、通常のMP回復手段のみでもさほど深刻にならないとも思いますが」
フランが飲んでいるのは俺と同じくコーヒー。
使っているカップは俺と同じものだけれど、王都で一緒に購入したものではない。あれはもっと普通の、平和なシチュエーションで使っている。万が一にも割れたりだとか、そういったことが無いように。
ああ、そうそう。フランもドミニクさんをドミニクさんと呼ぶようになったんだ。ファーストネームで呼ぶようになった、ってことだけど。
「とりあえず、リクの能力が諸々卑怯なんだよな」
「豊富な物資による体調の維持に、ステータス編集による戦力の格上げ、更にはマップ表示による確実な索敵、ですからね。一人で何役をこなしているのでしょうか」
卑怯ってなんですか、と俺がツッコミを入れる前にフランが同意した。
「大容量の運搬屋、変則的な付与術師、全方位への斥候……ってとこか。そんで魔法剣士としての役割も十全に果たすとなりゃあ、何だお前、ヤベエな」
「大容量のアイテムボックスも、多機能で使い勝手の良い魔法剣も、貰い物ですよ。だから俺に訊かれても困ります」
使いこなす努力こそしているものの、元々は貰い物なんだ。それを忘れてはいけない。
もっとも、魔法剣については単純にそう言い切れるものでもないけれど。
ここで、マップに気になる情報が出てきた。
「……ん、こちらに接近しそうな魔物が一体。グリフォンか。アーデを連れて来てやっていれば、喜んだかも知れない」
フォルストオイレとシャッテンカッツェの計二体を飼っている今なら、あいつも特に欲しがらない可能性もあるけれど。
「適当に相手をして追い払ってくる」
残っていたコーヒーを飲み干して、立ち上がる。
「一人で大丈夫ですか? よろしければ私も同行しますが」
するとフランも立ち上がり、そんな有り難い申し出をしてくれた。
「いざとなったらAGIに極振りしてぶっちぎるから大丈夫」
けれど俺一人で問題無いだろう。
「速度自慢のグリフォン相手にそう言えるのは、上級冒険者でもほとんど居ねえだろうな。まあ、気を付けて行ってこいや」
気楽な様子のドミニクさんの言葉を聞いてから、俺は風を纏って空を飛んだ。方角は南、グリフォンが居る方へ。
ジ・ウィンドの風で真っ直ぐ南下していると、一分程で姿を確認できた。
日の光を反射することで薄い金色に輝く鷲の頭部、翼、前肢にあたる足。良く発達した筋肉が伺える、白い獅子の下半身。中々の巨体で、詰めれば背中に大人三人くらいを乗せられるだろうか。
こちらを見るグリフォンの目は、深い緑色をしていた。
「完全な空中戦は、中級のワイバーン以来か」
相手を正面から見据えて、エディターをしっかりと握り直す。
グリフォンも一際力強く羽ばたいてから、一気に加速し接近してきた。
俺はカウンターを狙って程々の速度を維持。間合いを詰めるタイミングを見極め、次の一瞬で決めるつもりでいたところでグリフォンが急旋回。そのまま少し距離を取り、滞空してこちらをじっと見てくる。
何だろう。マップ表示を見ても、グリフォンの表示は警戒と平常を行ったり来たり。
と思ったら、また結構な速度で近付いてくる。今度は前肢の爪をこちらに向けてきた。
今度は微妙に攻撃っぽいけれど、それでも敵対判定にならないのでカウンターは狙わず回避に専念する。
前後左右、おまけに上下にも空を飛び、やっていることはまるで鬼ごっこ。なおも判定は敵対ではなく。
……こいつ、興味本位で俺と遊んでやがる。
グリフォンは知性が高いと聞いていた。
知性が高い生物は一般に、個体ごとの性格差が出易い。人間なんかは典型例だろうし、今俺の目の前に居るグリフォンもそうなんだろう。
捕まる気配が無い俺に痺れを切らしたのか、グリフォンが一度俺との距離を取り、加速してから俺を捕らえようとしてくるようになった。単純な速度に加えて旋回性能も高いので、回避の難易度が上がってしまう。
まあ避け続けてるけど。
風属性中級魔法のジ・ウィンドとエアロⅡの併用を舐めないで貰いたい。AGIへ割り振った値もかなりあるし。
とはいえ、流石は上級の魔物で速度自慢の種族だ。保険の為にVITはそのままにしているにしろ、現状の速度では然程の余裕は無い。一応、ここから更にモノ・ウィンドを使うことはできるけれども。
天地が幾度も忙しなく引っくり返る視界の中、三次元マップ表示でグリフォンの位置を確認しながら、この状況にどう決着をつけようかと思案する。
短絡的な考えをするならば、グリフォンを仕留める案がある。しかし今なお敵対表示にならないグリフォンの判定を見ていると、それは少しばかり躊躇う。
まだMPに余裕はあるが、いつまでも続けていてはそれも枯渇する。その前にグリフォンが飽きる可能性は、果たしてどの程度か。
あちらは俺を捕まえようとしているのだから、逆にこちらが捕まえてみるのはどうだろうか。状況の変化は起こるかも知れない。
という訳で、一転攻勢だ。
掴まれれば骨をへし折られそうな立派な前肢を避けてから、グリフォンの背中へするりと回る。そのまま首にしがみ付く。
羽毛が柔らかい。素晴らしい肌触りだ。
そんな呑気な感想を抱きつつ、大暴れして振り回される覚悟を決めていた俺を待っていたのは、意外な状況だった。
なんと、グリフォンが非常に大人しい。
「抵抗しないのか……?」
しきりに後ろ、つまり俺の方に首を回そうとはしてくるものの、振り落とす素振りは無い。ただ普通に翼を動かし、滞空している。
背中に寝そべって首に掴まっている体勢だったのを、馬にでも乗るような体勢に変えてみる。やはりその間も、抵抗はされなかった。
「テイム対象として人気が高いとは聞いていたけれど……」
想定外の事態に、俺もどうして良いか分からない。とりあえず、肌触りが良い羽毛の生えた頭を撫でる。
グリフォンは気持ち良さそうな鳴き声を上げてきた。
判定は既に、平常で落ち着いてしまっている。敵対どころか警戒ですらない。
「どうしたもんかね……」
これはもう、テイムに成功してしまっている状況ではなかろうか。そんなつもりは皆無だったんだけど。
こうなった以上、連れ帰るという選択肢がかなり現実的な話になってくる。
「まあ、どうするにせよフラン達のところに戻ってみるべきかな──っと?」
マップ表示に、こちらへ急接近する魔物の反応。フレイムエレメンタルだった。
地上からこちら目掛けて、俺とグリフォンを纏めて焼けそうなサイズの火球が飛んできている。
『モノ・ウィンド』
俺一人で回避するのも気が引けたので、グリフォンも一緒に風で移動。すると数秒前まで俺達が居た場所を、先程述べた火球が通過していった。
「おや、臨戦態勢?」
グリフォンの方は突然の強風にやや驚いた様子だったものの、すぐ近くを飛んでいった火球を見て敵を見定めたらしい。フレイムエレメンタルを鋭い眼光で射抜き、俺を乗せたまま急降下する。
フレイムエレメンタルは、その名の通り火の精霊だ。人の上半身だけを火で象ったような姿をしており、胸部にある魔石以外の箇所には物理ダメージがほとんど通らない。ただ、上手い具合に火の身体から魔石を抜けば、結構あっさり倒せたりする。俺は今日、そうやって倒した。
それはさて置き、レール無しのジェットコースター気分を味わう今の俺の視界には、僅か数メートル先にフレイムエレメンタルが居る。
グリフォンの前肢に備わった鋭い爪が黄緑色の光を纏い、フレイムエレメンタルに襲い掛かった。頭部を狙ったと思しきその一撃は、けれど微妙に反応されて右腕部分を千切り取るに留まる。
地面すれすれの低空飛行、からの急上昇をするグリフォン。フレイムエレメンタルから火球による反撃が来るも、危なげ無く回避している。
背中に俺が居るので普段と少々勝手が違うはずだが、流石は飛行を基本技能とする魔物だ。不安は無いらしい。
とはいえ、背中でお荷物だけをやっているのも申し訳無い。エディターではリーチが少々短いので、半ば冗談で購入していた馬上槍を入れ替わりに取り出す。
まさか本当に使う機会がやって来ようとは。
再度、グリフォンの急降下。フレイムエレメンタルから火球が複数飛んでくるが、俺の風魔法で大半を迎撃。残る幾つかも、グリフォンが自発的に回避し距離を詰める。
やはりグリフォンの爪が黄緑色の光を纏い、フレイムエレメンタルを狙う。だがこれは避けられ、しかしながらDEXに値を振っていた俺の突きが胸部の魔石に命中。魔石に罅を入れつつ、そのまま体外へと弾いた。
然程質の良い武器ではなかったので、穂先が少し融かされてしまった。まあそれは良いか。
一拍遅れて、炎の身体はその形を保てなくなり霧散する。後に残ったのは、地面に転がる罅の入った魔石のみ。
「流石はDEX振り……。楽々と魔石を狙えた」
速度に優れるグリフォンに乗っていたお陰でできたステ振りだ。感謝の意を込め、目の前にある頭を撫でる。
グリフォンは再び高度を取っていたけれど、先程までフレイムエレメンタルが居た辺りに降り立った。そして首を下げて、すぐ上げる。その嘴には、罅の入った魔石が咥えられていた。
なんと、首をこちらに近付けてくる。どう見ても、魔石を拾ってくれたんだろう。
俺は馬上槍をアイテムボックスに収納し、手を出す。すると思った通り、そこへ魔石を落としてくれた。
「お前は人懐っこくて賢いな」
魔石をアイテムボックスに収納してから、改めてグリフォンを撫でる。先程よりも丁寧に。
その後、何となくアバウトにグリフォンとの意思疎通を図りながら、フラン達の居る場所へと戻ってきた。勿論、グリフォンの背に乗った状態で。
グリフォンがゆっくりと羽ばたきながら、幾らかフラン達と離れた地点に着地。そして歩いて更に近付いていく。
「気付いたらグリフォンのテイムに成功してた」
「一体どうしたら、そんな事になるってんだ」
突っ込みはドミニクさんからだった。目を丸くしながら、俺とグリフォンを交互に見てくる。けれど緊張した様子は無い。
フランは特に驚いた表情をしていないけれど、それはそれでどうなんだろうか。平然とこちらにやってきて、グリフォンの首周りを撫で始めたし。
「いや、こいつが空中でじゃれて来まして。試しに背中に乗ってみても、随分と大人しくて。そこに唐突にフレイムエレメンタルが攻撃を仕掛けてきたので、協力して討伐したら仲良くなった次第です」
「いっそ作り話だって言ってくれや」
そう返すってことは、信じて貰えたのか。
いや、全部事実だったけれど。自分で言ってて嘘っぽいとしか思えなかったけれど。
「この辺りで空を飛ぶ生き物はグリフォンくらいなものですから、翼も無く飛んでいるリクの姿はとても興味をそそったのではないでしょうか」
触り心地の良い羽毛の感触を堪能していたフランが、冷静に分析した。
「ほら、この子も頷いています」
グリフォンの頭部が上下に動いている。
……このレベルで人語を解するのか。
「紋章学において知識を象徴する程、グリフォンは賢い生き物です。人の言葉を発することはできずとも、理解することは十分にできますよ」
内心で驚いている俺の疑問に、素早くフランが答えてくれた。相変わらず、俺の表情を読むのが上手いな。
「そりゃあ、テイム対象として人気が出る訳だ……。速い、強い、賢いと」
思わずといった具合で呟いた俺に、グリフォンは機嫌良さげな鳴き声を上げた。
「まあ、言葉が分かっているなら話は早い。これから宜しくな」
俺はまた、グリフォンの頭を撫でた。
次話、久々登場のアイツが少しばかり荒れます。