2.五つの石
「……?」
律は首を傾げました。膝で微睡む真っ黒な猫をあやす、肩を優に超える長い黒髪が印象的な、可愛い女の子。会ったことはない筈ですが、どこかで見たことがあるような気がするのです。ですが、それがどこか判らないのです。
「な……何の話?」
戸惑いながらも、少女に問いかけると、少女は首を傾げて――それが、何とも可愛らしい仕草なのです――、答えます。
「ん? どこって、尚人君の病室だよ?」
「――え?」
一瞬、今の声が自分のものだとは、律は思えませんでした。それくらい擦れてしまって、別人の声のようでした。
「何の話…?」
律はまた同じ台詞を言いました。青ざめていく律に対して、少女は事もなげに答えます。
「だって、律ちゃん。毎日、そこにいるじゃない。そこで立ち続けてるじゃん。だから、尚人君の病室には、行かないのかなって」
「あ……あんた誰? 尚の知り合いか?」
だから。見覚えがあるのかも知れない、と律は思いました。――尚の友達。でも、自分は知らない子。ちょうど、この子のような綺麗な女の子たち。そういう子が、成長するにつれ、尚人の周りに増えていきました。ですが、それは仕方がないことです。いつまでも子供ではないのです。もちろん、律だって尚人以外にも友達がいます。お互い、それぞれの世界が広がっていきます。
でも、律は子供でした。年齢はもちろん、精神的な意味でも。少なくとも、同い年の尚人よりも確実に。律はそう思っていました。今現在、尚人の病室に行けないのも、それが原因だと。
「何で……。何で、逢いに行ける? 俺が…逢いに…」
少女は何も言いません。律は泣くことを我慢しながら、少女に向かって、言葉を紡ぎます。泣く価値など、自分にはありません。
いや、もしかしたらそれは、独り言だったかも知れません。声に出したくて、誰かに聴いてほしくて。でも、誰にも言いたくない、心の中の本音。それを律は言い続けます。
「逢いに…行けるわけないだろう? 俺は会いに行かなかった。会うつもりがなかった。会いたくなんかなかったんだから……」
「来い、と、尚は言った…。いつもの公園だと。判るだろうって。ああ、俺は判った。いつもの、家の近くの公園……。いつも、尚たちと遊んだ公園。待ち合わせもいつもあそこだった。気に入りの花壇の側。尚はあの日も言った。あそこで待ってるって……」
ここで、律は言葉を切ります。少女はじっと律を見ています。口を一切挟まず、聴き続けていました。
苦い表情で俯いたままの律は、やがて、言いました。
少女が聴いていてくれたので、安心したのかも知れません。
「でも、行きたくなかった……。俺はもう……友達でいることは……」
ずっとずっと、友達だと信じていました。いつも傍にいて、いつも笑って、喧嘩もして。そんな日々がいつまでも続くと、無邪気に信じて、疑いませんでした。
でも、周囲はだんだん変わっていきました。その関係に不思議がられたり、時には女の子から敵意を向けられたことも一度ではありません。男の子たちには笑われたり。そんな日々が続きました。
尚人は、律の面倒を見るぐらいしっかり者で、律と駆け回ることが出来るぐらい、運動神経も良い。勉強も律は尚人が教えるぐらい、頭も良い。おまけに見た目も良い方。律は尚人と一緒に居て、そんな事くらいよく知っていて。それなのに、ぜんぜん気が付きませんでした。
そんなある日のことです。
尚人が変わったキーホルダーを自宅の鍵に付けていました。尚人の両親は共働きだったので、鍵はいつも持ち歩いていました。その鍵に付いているキーホルダーが前の日と変わっていたのです。休み時間のとき、どうしたのか訊いてみると、少し遠くに住んでいる従姉が、遊びに来たとき、キーホルダーを作って持って来てくれた、とのことです。五つの石が連なり、その一つ一つの石に、"Naoto"とローマ字で書いてあり、その石の色が、それぞれ違っていました。
「前に来たときにな、好きな色で作ってくれるって言うからさ、それでこの色にしてもらったんだ!」
「良いなあ!」
律は、羨ましくて仕方ありません。その五つの色は、二人の大好きな戦隊もののカラーだったのです。
「なあ、俺にも作ってくれるように、頼んでくれよ。同じものをさ」
律も、尚人の従姉のことはもちろん知っていました。律たち兄弟にも親切で、特に律はよく可愛がってもらっていました。だから、頼めば作ってくれる筈でした。
でも、尚人は微妙な顔をしました。「同じ物って……」
律は、それに気が付きませんでした。「"Ritsu"で五文字だろ! 頼んだぞ!」そう言い捨て、校庭に走って行きました。尚人は用事があるので、その日は別行動です。
ですが、律もその日は校庭には行けませんでした。
律にとって、それは寝耳に水でした。
私は律ちゃんよりも(年齢は上なのに、精神的に)子供なので、計画性がまるでありません。だから、次で終わると言えません。
それなのに、律ちゃんは何となく「ちゃん」づけしたくなる。「彼女」もそんな気分だろうなあ。可愛くて、なんて言ったら本人は怒るでしょうが。