第三者が語る彼の状況
リストの友人のカインという新キャラ視点です
きい、と扉が軋んだ。
あーやだなーめんどくさいなー、と心の中で呟きながらも
ため息とともに、カインは娼館の扉を開いた。
特別怠惰な人間というわけでもないのだけれど。
実際問題、誰がここまで無為なことをやりたいものか。
飢えて死ねっていうの!そんな金切り声が耳に残っている。
一度、あの聖女さんも行ってみるといいのに。泣き叫ばれて、水でもぶっかけられれば
現実ってそんな甘いもんじゃないことくらい理解できるはずだ
まあ、あの頭が花畑な奴らが、大事なお姫様をそんなところに行かせるはずもないのだけど、というか、聖女さんは何も知らないままなのは奴らのせいな気もする。
先代は、娼館を優遇だけして、あとは放置していた。
奴隷は開放したってのに、それはちょっと薄情なんじゃないかとも思ったけれど。
今思うと、彼女が正しかったのだろう。
馬鹿みたい!なんでわかってくれないの!娼婦って制度を壊したって無意味なのよ!
そんなのただ、彼女たちの首を絞めるだけ、
綺麗事並べるんだったら、言った奴全員、全財産を、いいえ、半分でもいいわ
寄付したらどう?そうしたら彼女たちは、体を売らなくともいきていける。
寄付できないって言うなら、口先だけなら全員口をつぐむべきよ!
私には、時間がないの!
そう叫んだ少女のことを思い出す。娼婦の実情を知ってしまった今だからこそ
彼女の言葉が理解できる。彼女は正しかったのだろう。
制度を撤廃するだけでは意味などない。娼婦をしなくとも、生きていけるように社会を安定させてから、制度の方に取り掛かるべきだった。
任期は5年、最初から手をつけてはいけない問題であることを彼女は知っていた。
力づくで、壊せる問題と、言葉づくで、片付く問題と、
5年で間に合わなければ、手をつけた分悪化させてしまう問題を、
自分の力量と、優先事項をちゃんと理解していた。
また泣かれるかもな、やになるなあ、とため息が漏れる。
リストも、どっかサボりに行っちゃったし。
カインと同じ目的ということで出て行ったが、あいつがこんなことをするはずがない
基本的に、あいつはあまり誰かといることを好まない。一人の例外を除いては。
命令など、死んだって聞かないだろうし。それも同じく例外はあるけれど
今回付いてきたこと自体奇跡とも言えるくらいだ。
付き合いの長いカインには、ほかに比べたら、ましな対応をするし
近くにいても嫌がりはしない。けれど別にリストから近寄ってくることはないし
そこまで考えたところで、思考がフリーズした。
目の前の光景が理解できなかったためだ。
ひとりの少女が座り込んでいた。
少女にしなだれかかるように、男が少女の膝に頭を載せる格好で転がっている。
幼さすら残す印象のある少女は、男の銀の髪を力なく撫ぜていた。
ぽろぽろと涙をこぼす瞳に、長いまつげは重たげに影を作り、
儚げで、どこか幻想的にすら見えた。
けれど、反対に、色めいた情すら感じて、カインはうろたえた。
娼婦としては着込んだ少女の、服も髪も乱れていたし、
棚から倒れたのだろうものが散乱して
どこからどう見ても、暴行現場なのだが
初めにその印象を受けなかったのは、
少女の瞳に慈愛めいたものを、感じたからだろうか
それとも、寒さに耐えかねたようにまるくなって眠る男のほうが
「リス、ト……!?」
知り合いで、最もこんなことが想像できない男だったからか。
その声に反応するように、少女の瞳が揺れ、
ぼやけていた視線が定まり、ちいさく吐息を漏らした。
顔立ちからくる幼さは、抜け落ち、途端に黒曜の瞳は冷ややかさを秘める
顔立ちと雰囲気がひどくアンバランスで、年齢が掴めなくなった。
「ああ、勇者様のご友人かな。
できれば、連れて帰って欲しいのだけれどね」
「つ、いや、てか、それ。
いき、て……?」
流石にあのリストがこんな女性に殺されるとか、ないとは思うけど
でも、だからってどうしたらこんな状況になるというのだか
そもそも、なんでここにいるかも理解できない。
「ひどいな、人殺し呼ばわりするなんて
もちろん生きてるさ、酒を飲んでしまって、昏倒してるだけだよ」
「ちょ、どういう状況なんだよ、これ!」
「困ったね、あまり騒がないでくれるかい?でないと」
ふ、とため息を漏らして、リストのフードを引き上げる。
その細い指先には、やはり僅かな優しさが滲んでいた。
引き上げた瞬間、彼女の後ろのドアが開いた。
おそらくは娼館の主だろうと思われる男が、物音に気づき出てきたようだ。
「先生、どうかし、は?ちょ、なんだこれ」
無事かよ、おいっ!?
女性は問題ないよ、と言いながらノーモーションで立ち上がる。
もちろんリストの頭はずり落ち、殺人的な音を立てた。
「問題ないよ、じゃねえだろ。一体何があったんだよ!?」
「一言では説明しづらいけどね、
先ほど、酒の瓶を割ってしまったせいで、いや、もちろんふいてはあったのだけど
説教に来た、獣人の騎士が前後不覚になってしまってね。
勘違いがあったようで、襲われかけたのさ。
無理やり酒を飲ませて、昏倒させただけだから、問題ないよ」
カインは恐る恐る、反論してみる。
だってもう状況証拠は揃いに揃ってるんだから
たとえ嘘でも、押し切られれば、どうにもならないわけで
「や、でもそんな酔ったって、そんなことする奴じゃ……」
「うん、最もだね、でも、言っておいただろう?
勘違いがあったようで、と彼は、私を見間違えたんじゃないかな
しきりに聖女、とよんでいたからね」
あー、と頭を抱えたくなった。
反論は瞬時に無効化される。だってそれならありえると思ってしまった。
頼りない弁護でゴメンなーと心のなかで謝っておく。
彼が、彼女を見間違えるところなど見たこともないが、
でも、もしあったとしたなら、そりゃ、こうなるかもしれない。
「面倒なことになったな
このせいで、先生が出てくなんてことになりゃ
俺まで、ヘレナやら街中のやつにぶっ殺されるぞ」
「え?あ、そういえば、先生って」
「私は薬屋なんだよ。今日は受付をかわっていただけでね」
こんな辺境で薬屋なんてものを開いていれば、有難がられるだろうなという事くらい
簡単に想像がつく、よりによってそんな相手を押し倒さなくったっていいだろうに、
割と本気で泣きたくなる。
「さて、どうしようか。状況はわかってるよね?
こういう不祥事は、反聖女グループにとっては垂涎ものなんじゃないかな?」
「どう聞いても脅しだよな、君さ」
目的はなんなの?と引きつった笑みでたずねると、彼女は艶然と微笑んだ。
「安心してくれて構わないよ?
私の頼みを聞いてくれたなら、黙っておいてあげるから」
わずかに首をかしげるような仕草をすると、彼女の髪がさらりと揺れた。
ゆるりと手を挙げ、2本指を上げる。
「一つ目はね、割れた瓶や壊れた棚、
それから、これじゃ営業できないだろうから、その補填もしてほしいな。
二つ目は、そうだね。娼館の一覧からこの店の名前、削除しておいで
おまえならそのくらいのこと、できるよね?」
「は?そんだけ?」
どんな無理難題を押し付けられるかと、戦々恐々としていたせいで
正直拍子抜けしてしまった。
むしろ娼館の主人のほうが驚いているくらいだ。
「おいおい、そんだけでいいのかよ!?先生!」
「うん、構わないよ?実際未遂なわけだしね。
誤解なわけだし、それでいつまでも文句を言い続けるほど
私は狭量じゃないさ」
「無欲すぎんだろ、てかそれじゃ先生に利益なんざ全くないだろうが」
このくらい、聞いてくれるよね?と端正な顔を微笑に形づくった。
構わないけれど、これは断れない状況に持ってかれたな、と思いながら
財布を探っていると、呆れたような声が降ってきた。
「何やってるの、おまえが建て替える必要なんてないよ
どれだけ尻拭い役が身についてるんだい、
危うく同情してしまいそうになるから、やめてくれないかな?」
勝手に抜き取ってしまえばいいんだよ、
別に金銭に拘る様な質の人間でもないだろうしね。
かけてもいいけれど、抜き取ったところで言わなきゃ気づかないだろうさ
女性はそう続けた。それに妙に納得してしまい
リストの財布から支払ったところで、リストが目を覚ました。
「あ、目が覚めたか」
勝手に弁償しておいたからな、と言うと、どうでもよさそうに頷いた。
その間も彼の焦点の合わない瞳は、黒曜の女性を見続けている。
見とれるとも違う。例えるなら何かを探そうとするような。
リストが声をあげようとした。
それを遮るように、女性が唇に人差し指を当てた。
「私の前に、もう現れてはいけないよ。
これで終わりにしようと思うけれど、私は、下衆な小市民だからね、
もしも、問題があって解決できる手段があるなら」
縋ってしまうかもしれないよ?女性はそう囁いた。
ふらつくリストに肩を貸しながら、考える。
リストは、きっと彼女が消えた瞬間で心が止まっているのだと思う。
一秒ごとに少しづつ心を壊しながら。
聖女は、実際のところ、彼のことを何一つ理解していない。
ミツキと名前を呼ぶのは、親愛からではない。
先代聖女は、誰よりも奴隷であったリストを、人として扱ったけれど。
なぜか、彼女は、リストに名を呼ぶことを、許しはしなかった。
最後まで。
だからこそ、リストの中で、タカトオ様は聖女で、
“聖女”は、タカトオ様以外ではありえないのだ。
彼女の呼び名である“聖女”を、彼はどうしても他の誰かに使いたくなかった
ただ、それだけだ。
聖女は、自分を見てくれていると浮かれているが
実際のところ、聖女としてさえ、認められていないと言うことにほかならない。
あなたを救いたいと、幸せになって欲しいと、そんなのはリストにとって
あまりに陳腐な雑音にしか過ぎない。
もう、タカトオ様がこの世界にいない時点で、
ほかの誰にも、彼を救えはしない。
元の世界に戻るタカトオ様が、手を伸ばしたとき、
面倒なことになったな、と思いながらも、リストがその手を取ることを確信していた。
どこかで祝福さえしていた。
にもかかわらず、彼は手を振り払った。
そこに何があったのか、彼が口にしない限り誰にも分からないが。
おそらくは、どうしても許せないことが起きたのだろうと思う。
けれど、彼の思いが変わったわけではない。
だからこそ、それは、彼にとって、悲劇にほかならなかったのだろう。
彼女が、消えた瞬間。
きっとあの瞬間こそ、リストは、死んだ。
だって、リストは彼女のもので、だからこそ、
聖女が消えた世界で、リストが生きていけるはずもない
けれど、最後に手を振り払ったのは、リストだったから。
死ぬことも、生きることもできないまま。
彼は、彷徨うように生き延びた。
でもそれは、ただ息をするだけだ。
彼は食べることも、眠ることも自らしようとはしなかった。
そんなものは、消極的な自殺だ。
死なれては困る連中が、世話役を回して、結局カインに落ち着いた。
そこまで考えてふと思う。
あの黒曜石のような瞳を持つ女性のどこに、彼はタカトオ様を見出したのだろう。