嘘つきの懺悔
ジュウの泣きじゃくる声だけが、部屋を占めていた。
「ごめんなさい、ごめ、やだ、やだよ
見捨てないで」
――頑張る、から、殆ど半狂乱になって繰り返していた。
傍目から見ても、このままでは心を壊してしまうであろうことは明白だ。
瘧のように身体は震え、焦点は定まらない。
それでも、惰性で衣服を身に付け、果物用のちゃちなナイフにすがりついた。
標的が、もうジュウの手のとどかない場所にいることも。
それ以前に、そんなナイフでは人を殺すには刃が足りないことも、
もはやジュウには関係なかった。
ラウを失った恐怖や、罪悪感、自らへの憎しみが、怯えや理性を叩き潰していた。
「もういちど、やりなおすから」
譫言のようなそれは、けれど、凍りついたように硬かった。
「がんばるから、ゆるして
みすてないで、きらわないで」
狭窄し、歪んだ思考は、選択肢を一つしか提示しない。
それしか方法はないのだと
ラウが、それを、ジュウに望んだことなど一度だってないことを、
そんな根本的なことにさえ、気づけないほどにジュウは追い詰められていた。
人の命を背負って、それで生きていける程に、ジュウは強くなかった。
ジュウは、それを正しく理解して、
けれど、脳裏でころせ、と喚き散らす声に
逆らうことができるほどの強さもなかった。
そんなものは、人格を、心を、全てを否定し尽くされた生の中で、
疾うに、失ってしまっていた。
幽鬼のように、ナイフを抱いて立ち上がった。
ころせ、ころせ、ころせっ!!!男とも女ともつかない声が
いくつにも反響し、繰り返し、頭に響いた。
この声に、突き動かされるように、ジュウはドアノブに手をかけ――。
「なにをするつもりだ」
面倒そうに、投げやりに、嫌々といった様子で
けれど、凛として、どこか力強いそれは、
頭に響く声を、切り裂いて、ジュウの足を縫いとめた。
途端、突き動かしていた重圧がなくなったようになって、蹈鞴を踏んだ。
「えっ……!?」
あんたがいなくなると、俺がアカネに怒られるんだ。
と面倒そうに嘯いて、どさっと無造作な音が聞こえた。
どうやら、扉の前にリストが腰を下ろしたらしいと知れた。
「あんた、なんでラウに謝るんだ」
唐突な問いに、ひたすら困惑した。
そもそも、自分に話しかけてきたこと自体、驚くべきことだった。
茜やラウやイヴと仲がいいのは知っていたが、
ジュウ自身は一言も話したことさえなかったのだから。
問いの形をなしていながら、断言するようなそれは、
まるで、ジュウの答えを知った上で聞いているようだった。
だからこそだろうか、ジュウは困惑しながらも言葉を紡いだ。
「え、あ、だっ、て、ぜんぶ、ぼくのせい、だから」
それは、ジュウにとっては、当然のことだった。
ラウへ、何千回と謝ったって到底許してもらえないことを
ジュウはしているのだから。
「命乞いに聞こえる」
「えっ?だ、れに?」
おもっても見ない言葉に、言葉の意味が理解できなかった。
命乞い?だれが、だれに?
「え、な、なんで、そんな」
「あいつは獣人だ。
それも、狼と並ぶほど、特殊な種族だ」
一度、息をつくようにしてリストは続けた。
「謝るな」
「で、でも、けど、だって、ぼく、はっ」
泣き出しそうになりながらも、言葉を続けようとして、
どうして、こんなにも全てをさらけ出してしまいたくなるのだろうと、
ジュウは疑問に思った。
普段、ジュウはあまり他人と関わりだからない。
ジュウにとっては、すべてが恐ろしくみえるのだから。
なのに、
けれど、思い至った事実に、
すとんと腑に落ちるように、理解した。
ああ、そうか、リストさんは、アカネさんに似ているんだ。
何一つ同じところなんかないのに、
なんにも似ていないのに、
正反対なのに、
たとえば、同じ道を反対に進んできたように
たとえば、すべてが反転して映る鏡のように、
姿でも言葉でも、雰囲気ですらない、
もっと、もっと根本のところ。
彼らの在り方は、
茜とリストは、正反対に、よく似ていた。
ほかに誰が知っていただろう。
きっと、茜も、知らないし、リストさえも覚えていない。
けれど、ジュウはただ一人、それを感覚で気づいた。
それを理解しては、もうダメだった。
衝動に突き動かされて、溢れるように言葉がこぼれた。
まるで、懺悔でもするように、ジュウは語りだした。
「ぼく、は――」
ぼくは、一生誰にも愛されずに生きていくんだと思っていたんです。
だって、とろくてやくたたずで、何にもできないから
ぼくにとって嫌われ、疎まれることは、あんまりにも当たり前のことで
疑問も、怒りも、悲しみも、感じないくらいに当然のことで
ずっと、これからもぼくはそうやって生きていくんだ。って、
だから、彼と出逢えたのは、本当にぼくにとって奇跡だったんです。
ぼくに手を伸ばして、家族をくれた。
しょうがないなと呆れながらも、根気よく何もできないぼくに色んなことを教えてくれた。
なまえを呼んでくれた。笑いかけてくれた。好意を向けてくれた。
こんな、ぼくを、守ると言ってくれた。
それは、ぼくにとって、ありえないことでした。
それが、ぼくにとってどれほどの幸福だったかなんて、きっと
どんな言葉を尽くしたって、かけらも伝わりっこない。
うれしくて
しあわせで、しあわせで、しあわせでっ!!
彼といると、目の前が見えなくなるくらい輝いて――。
幸福に目がくらんで。
だから
だから、忘れていたんです。
ぼくは、しあわせになんか、なろうとしちゃいけなかった。
幸せになんか、なれるはずがなかった。
だから、罰が、当たったんです。
でも、どうして、ぼくだけだったらよかったのに。
どうして、彼まで。
もう、どれだけ謝ったって、取り返しがつかないのに
許してもらえるはずがないのに
迷惑をかけ続けているのにっ
なのに、離れたくない。
嫌われたくない。
本当のことを、話すこともできないのに
なのに、ぼく、は、彼が好きなんです。
好きで好きで、本当に愛しているんです。
だって、あんなふうに優しくしてくれた人は初めてだったんです。
初めての好意を与えられて、好きにならずにいられるはずがない。
でも、
「で、でも、すべては
全部、全部っ、ぼくの、せい……なんですっ!!
どうしたら、言えるって言うんですかっ
彼の、すべてを奪ったわたしが、
ラウ君が好き、なんて、言っていいはずがないのにっ
ぼくのせいなのにっ
わたしさえいなくなればっラウ君はっ!!」
言葉を選ぶように、何度も突っかかりながらのつぶやきは、
言葉を重ねるにつれ、勢いを増していく。
最後はもう、絶叫にも等しかった。
「……、わたし、な」
慟哭を遮るように、リストの投げやりな言葉がかけられる。
ジュウは、一瞬困惑し、気づいた瞬間絶句した。
「え?……あ、っ――あ!!」
「……!? ぬ、主、まさかっ」
いくら口を塞ごうと、言葉に出してしまった事実は無くならない
イヴが驚愕した声を上げた。
その時だった。
リストが、あることに気づき、呟いた。
「あ、かね……?」
リストが呆然とこぼした言葉が引きつってふるえていた。
ふつ、と茜の気配が唐突になくなった。
いなくなった。この世界から。
まるで、
あのときみたいに。
「いない、いなくなった、どこに」
焦燥感にかられて、うつろに繰り返した。
あのときみたいに、あんたは
あんたは、俺をおいていくのか。
ゆるさない。
許さない、赦さない、そんな、ことは。
もう二度と。
「リストっ、一瞬、一瞬じゃが、いま穢神の気配がしたっ!!
アカネが、いなくなったのか!?」
穢神。
言われれば、腐敗臭がした記憶がある。
その言葉に連鎖するように、連想した。
攫われた。奪われた。
はやく、とりかえさないと。
ころす。
手足を引き裂いて、目を抉り出して、何百回でも、ころしてやる。
怒りが高熱となって、視界を白く焼き切った。
瞳が焼けるように熱い。
濾過され純化していく殺意に、彼は一歩を踏み出した。
鞘から剣を僅かに抜いた。そして、唐突に、
鈍く光る刀身を、きつく握りこんだ。
血が剣を伝い、溢れていった。
リストの瞳に、理性の色が戻っていった。
「っつ、ぐ、う」
「リスト!? 主、何をやって……っ!?」
「なんでもない。場所は、わかるか?」
「あ、ああ、じゃが」
「穢神が、いるんですかっ!?
アカネさ、ラウ、くん、は……!?」
悲鳴のようなジュウの言葉には答えず、
リストは一言だけ言い残して、いってしまった。
「あんたはここにいろ!!」
ジュウは蹲るように扉の前に座っていた。
「あいつ、だ。あいつが来た。
なん、で、
どうして」
ラウ君に、アカネさんに、
不安と焦燥感で、崩れてしまいそうな心を支えるために、
ジュウは、囁くように、歌を零した。
母が、ジュウに教えてくれた唯一のうた。
“oyim.akuran”
聞いたことすらない、ことばと、旋律を奏でる
ジュウの澄んだ声は、空気を震わせた。
“iaiasok.imugem……”