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少年の訣別

手が動かなかった。


恐ろしくて、たまらなかった。

茜は、しなくてもいいのだという。


けれど、でも、


だって、ジュウには、もうそれだけしか、ないのに



償う術など、きっとそれだけしかないのに。


殺せっ、喚き散らす声を幻聴した。

役立たずっ、ヒステリックな金切り声が耳に蘇る。


おまえのせいだ!!! どちらとも判別のつかない声がそういった。


いつだってあの怨嗟の言葉は、ジュウを縛り付けて、戒めている。

声質の違う二つの声は混じり合い、歪んでいった。

あまりにも根本に根ざしたそれは、思考を歪め、視界を狭窄させた。


あのまま、手を伸ばして体重をかければ――。

そんな恐ろしいことを思いつく自分を、嫌悪し、

実行しようとした、自らの両手に怯えた。

けれど、贖罪に怯え、躊躇った自分を、何よりも呪い、恨んだ。


もう、いい


諦めたような、彼の声が騒ぎ立てる思考を分断した。

ジュウは、けれどその言葉が、何よりも恐ろしかった。


ぎゅう、と両耳に手を押し当てて、よろよろと首をふった。


「ごめ、なさ、やだ、やだよお、

頑張る、から、


みすて、ないで」



ジュウは、あの日を思い出した。

全てが始まった日、全てが終わってしまった日。


あの、金色の瞳。




蜘蛛のようにいくつもに分かれた、金色の瞳が細く歪められた。


あ、そっか、ぼくなんかが

幸せになろうとしたから、罰が当たったんだ。

驚愕よりも、恐怖よりも、ジュウはすとんとそう納得した。


やくたたずっ、あんたなんか、生まれてこなけりゃよかったのに

泣き叫ぶ声が、耳に蘇った。

全てはぜんぶぼくのせいで、

何にもできないぼくが、誰にも愛されるはずがなくて

だから、これは当然のことで。


けれど最後に、思い出したのは、

当たり前のように手を差し伸べてくれた、あの子のこと。


誰も知らないでしょう、彼が手を差し伸べてくれたことが、

名を呼んでくれたことが


どれほどぼくを救ったかなんて


本当に本当にほんとうに、ぼくには君だけだったんです。



諦観が、恐怖に塗りつぶされる。


会いたい、もういちど、君に逢いたい。


や、と漏れた声を契機に、逃げようとした足がもつれた、

倒れ込んだジュウに、それは手を伸ばした。

固く目を閉じて、


剣を持った青年が、それに斬りかかっていた。

それの腕から、血が噴き出す。

切り落とすまでは至らない、だが一撃で、剣は粉々に砕けていた。

初めから分かっていたらしく、なんの戸惑いもなく、柄を投げ捨て

次は、空手だったはずの手には剣が出現していて、下段に切り込む

片手で払われただけで、剣は砕けていた。


ちっと舌打ちをして、片手の中身を上へ放り投げるように手を伸ばした。

いくつもの小ぶりな鉄くずが、月の光を浴びて、きらりと光った。

次の瞬間には、それらは全て、剣と成り代わっていた。

雨のように降る剣にたまらず、防御の体制を作った。


それを隙と見た青年は、もうひとつの剣とともに突進した。

その一撃は、的確に蜘蛛の瞳を切り潰していた。


「走れっ!!」


ぐっ、と青年の手がジュウの腕を取った。

月光に照らされて、青年のシルエットを映し出した。

ジュウよりも少し、高いくらいの背で、その頭には――。


――えっ、え、猫、耳?


違う。とジュウは自分の疑問を否定した。

犬とも、猫とも違う。それらよりもう少し大きい獣の耳がついていた。

薄い、茶色の瞳が、ジュウを見返した。


「――え、……?ら、う、くん?」


いつもより大人びて整った顔が、泣き出しそうに歪んだ。

ふと、ジュウは、思い出した。


その獣の耳が、なんの動物のものであるか。


「……――、?」







ぼんやりと、ジュウは、鏡に映った自分を見返した。

ジュウは、あの時に、死んでしまうべきだったのだ。

そうすれば、自らの罪を知らずに済んだ。


ぷつ、と釦を外して、服を落とした。

すっかりと慣れてしまった手順を、指は無意識にでも辿っていく。

鏡に映る一糸まとわぬ姿に、ジュウは自嘲した。


コン、と


扉をたたく音に、ジュウは、びくりと身を竦めた。

慌て、這いつくばるようにして、シーツを体に巻いた。


「わあっ、あ、わっ」


「――あのさ」


「え、ラウ、くん?」









扉を叩く手が震えた。


今までだって何度も何度も、離れたほうがいいと思ったことはあった。

ジュウはラウを怖がっているのだから。

きらわれて、怯えられて、疎まれて

痛くて悲しくて寂しくて。


でも、それでも、ジュウはラウに縋ったから。

いつだって最後に手を伸ばす相手は、ラウだったから

だから、ラウはいつまでも希望が捨てられなかった。


ラウを一番傷つけたのは、


「助けて、あかねさん」

ジュウは、そういった。そのとき、分かってしまった。

とうとう、ジュウを護るという、傍にいる意味さえなくなってしまったのだと。

ジュウは、もう、ラウがいなくてもいいのだと、思い知らされてしまった。

もう、涙も出なかった。


だから、もう、諦めようと思った。

手放してあげようと思った。


だって、そばにいても、ラウはジュウを悲しませることしかできないから。



好きだった、ずっと一緒にいたかった。

一番最初のあの時に、ジュウの瞳を見た瞬間から、

きっとラウの運命はジュウだった。

だけど、もう、これでお終い。

だって、ジュウはラウ以外の人を見つけてしまったから。


最後くらいは、怒らないように気を付けようと思った。

これ以上怖がられないように


ああ、でももう会わないんだっけ。

どこまでも諦めの悪い自分に、ラウは苦笑した。



「あのさ、話が、あるんだ。

大事な話だから、聞いて欲しい」


「ふえっ!?い、いま!?」


「今。今じゃないともう話さない。もう、これで最後だから。

開けるぞ」


ラウが扉の取っ手を回した瞬間。

驚く程強い調子で拒否された。


「だめっ!!!

っ、っつ、ごめ、で、でも、いまは、

あの、服着替え、てて」


声が引き攣った、

最後だから、怒らないと決めたはずで、けれど。

でも、これは、あんまりにもひどすぎる。


「はあ?なんだ、それ

着替えて、るから?だからなに?

俺、ちゃんと大事な話だって言ったよなっ!?」


「ご、ごめっ」


「なにそれ、なんだそれっ!


そんな、そんなことが俺より大事かよっ

これで、最後なのに!」


ある可能性に思い至って、ラウは笑った。


「ああ、そっか、

俺と話したくもないってのかよ、

口を聞くのも、いやってか


言い訳するなら、もっとマシな嘘つけよ……っ!

そんなに俺が嫌いなら、邪魔だったらっ

俺にいなくなって欲しいなら、口で言えば良かったろ!?」


「ち、ちが、ラウ君、そんなんじゃ……っ!!」


「もう、知るかよっ!!開ける、入るからなっ!!」


「だ、だめっ」


ぎい、と扉が軋む。

僅かに開いた瞬間、横から阻まれた。


「そこまでにしておきなよ、ラウ。

少し頭を冷やしておいで」


どこか冷ややかにも聞こえる、茜の声に、

とうとう、ラウは激昂した。


「煩いっ、かんけいないだろっ」


そう喚いて、振った手に、茜の頭が偶然あたってしまった。

がつっと手に伝わる感覚に、ラウは青ざめた。

頬を伝った赤い血に、思わず後時去った、瞬間、

胸ぐらを掴まれる形で、壁に押し付けられた。


「八つ当たりも大概にしろよ」


低く唸るようなリストの声に、ラウは本当に自分が惨めになった。

リストっ、と責めるような茜の声が遠い。


「なあ、ジュウ、俺は村に戻るよ、

あそこはもう俺の帰る場所じゃないけど、行く場所もないから。

もう、お前とは一緒にはいかない。


一緒にいる意味がないなら、ただ辛いだけだから。

それだけ、言いたかったんだ」


「最後くらいは、ちゃんとまともに話したかったけど、

もう、いい、じゃあな」


「や、まってっ」




「私も間違えたけれど。おまえの態度が悪いよ、わかっているね?」


「は、い」


「とりあえず、私が追いかけるよ」


「っつぼくが、追いかけなきゃ」


「そうだね、おまえが追いかけるべきさ、

でも、いま、おまえはそこから出られる状態なのかい?」


「っ、で、られ、ません……」


「だろうね、リストも今の状態でおまえが追っても悪化するだけだよ。

ここで待ってて」


出られるならば、初めからこんなところで押し問答などしていない。

ぴしゃりと言い切ると、茜は踵を返した。

ラウは走る気力もないだろう、どうにか茜でも追いつけるはず。




ラウの後ろ姿を認め、

どうにか、追いつけた、と茜は胸をなでおろした。


「ラウ、ちょっ、と、まってっ」


ぜえぜえと、自分の喘鳴が煩い。


「な、んで、お前が追ってくるんだよ!!

ほうっておけばいいだろ!

うざったいんだよっ!!ブスっ!!」


「あの子が、追ってきてくれないことが悲しいかな?

そう思うのは当然さ、でもね、

そもそも、追ってこられるならば、初めから扉を開けていたんだよ?」


「え、それ……」



困惑したラウの言葉を遮るように、



きぃ、と何かが軋む音がした。



「扉……」


豪奢な、けれど、朽ちかけた扉が、ラウの後ろに出現していた。

これを、茜は、知っている。

ずる、と扉が開いた間から、手が伸びた。

それが穢神のものであることを、茜は悟った。


「ラウっ!!」


絶叫じみた声で呼ばれたラウは、慌てて振り返った。

手から逃れようと、飛びずさって、反射で鉄屑を取り出した。

けれど、怯えるように指が引き攣り、逡巡してあたりを見廻した。


扉の前に姿を現した穢神は、まさに“蜘蛛”だった。

複数の湾曲した腕が並び、4対の瞳がラウを見下ろした。

躊躇ったラウの隙を、見逃すはずもなく、


穢神は、二人を一瞬で扉の中へ引きずりこんでいた。



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