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聖女のすがた

少年の母親の脳裏に浮かんだのは、自分の子どもが燃やされる姿だ。

感染を食い止めるために行われる行為は、やはり焼却廃棄だろう。

生きていた人の延長ではなく、ただのモノとして、

穢らわしいものとして、嫌悪され唾棄され、

燃やされる。


それが正しいことだと、理解した上で、

それでも、母親として、到底看過できるものではない。

どれだけの、不利益になろうとも、

愚かな行為と蔑まれようと、


けれど、ただの少女にさえ見える先代の聖女の行動は、

全く予想とは違うものだった。


膝をつき、彼女は子どもを抱きしめたのだ。

なんの躊躇いも、躊躇も嫌悪もなく、

なんの、縁もない、顔すら知らない子どもの、

黒く爛れ、膿んで、まるで腐ったような屍体を。


まるで、愛しい自らの子だとでも言うように。

美しく麗しい、壊れやすい宝石だとでも言うように、

優しく愛おしげに、


母親の代わりに、と言うように

その姿に、思わず声を失くし、見入った。


「ごめんね」


細く震える声が、そう囁いた。


「救ってあげられなくて、ごめんね」


優しく髪を撫ぜる細く白い指は、あっという間に血で汚れた。

彼女の頬を透明な雫が、伝った。


その変化は、とても遅いものだった、けれど、確実で。

爛れは、薄らぎ、黒い穢れが引いた。

先代聖女に吸い込まれるように、消えていく。


「いたかったね、ごめんね、

さみしいね、すぐに、ままのところに、返してあげるから、ね」


ゆっくりと体を離したときには、少年の穢れはなくなっていた。

苦痛にゆがんだ顔は、元通りに穏やかな表情を浮かべていた。

見開かれた瞳を閉じさせると、彼女は母親を呼んだ。


母親の手に、侵食した穢れを撫ぜるようにして消した。


「どうか、抱きしめてあげてください」


母親は、子どもを抱きしめ絶叫した。


殺された男の子どもが、

殺された女の恋人が、

殺された少女の友が、


奇跡のような光景を前に、聖女へ必死に縋った。

どうかどうか、私のいとしいひとを、と


蹌踉いた彼女を、

勇者が引きとめようとするが、触らないで、そう拒絶して


ふらつきながらも、誰の手も借りずに、ひとりひとりに声をかけながら

彼女は殺された全員の屍体の穢れを払っていった。


もう、歓声はあがらない。

もう、誰も言葉をあげない。

聖女は、血でしとどに濡れそぼり、泥に塗れ、汚れていた。

その姿は、あまりに凄惨で、目を背けたくなるようなものだった。


けれど、

ひとり残らず誰もが、その姿に見蕩れていた。

初めに彼女を叱責した母親すら、声さえなくし、涙を零して、



それほどに、あまりに、その姿は美しかった。




「な、まえは、……?」


息も絶え絶えに、けれど、

しゃんと背筋を伸ばして、聖女は、そう尋ねた。


「忘れません、絶対に、なにが、あろうと

助けられなかった人を、失ったあなたたちのことを、

彼らが生きていたことを、死んでしまったことを


私は、忘れません。一生、背負って生きていきます」


深々と、頭を下げる彼女を、責めることができるものなど

もう、誰ひとりとしていなかった。

誰もが心に浮かんだ言葉――。



ああ、これが、聖女か。












「聖女、さま」


ぽつりとジュウが囁いた言葉は、ラウさえ聞いたことがないほどに

焦がれたような、激情に彩られていた。


「ジュ、ウ……?」


ぞわ、と肌が粟立った。嫌な予感がする。

浮かんだいくつもの言葉は口にすることさえできずに

繋いだ手が、何の抵抗もなく解ける。

確かにつながっていたはずの、何かが崩れる音を、聞いた。

遠ざかる背中に、手を伸ばした。


まって、いかないで

声にならない願いは、叶うことはなく、ジュウは茜に叫んだ。


「あ、アカネ、さん、おねがい、です。

ぼくも、あなたと一緒に行きたいっ、連れて行ってください

な、なんでもする、します。途中まででいいから」


ぼくは、あなたと一緒にいたいんです。


茜の手に縋って、

泣きじゃくりながら、必死に自分の言葉を伝えようとする

あんなジュウを、ラウは知らなかった。


心が死んで行くのを感じた。

空の手がとても冷たい。



「そう、途中まで、ね」


「……はい」


「いいよ、ついて来るといい。

望むならば、私がおまえの逃げ場所になってあげよう。


でも、間違えてはいけないよ、おまえの居場所は私ではない。

逃げ続けられる道理などはない、すぐに向かい合わねばならなくなる。

いつまでも逃げ続けては、一番大切なものを失ってしまう。

それを、ちゃんと理解しているかい?」


「……は、い」


「ならば、おいで」


ジュウの手を小さな手で覆うようにする。

そっと手放した時には、穢れは薄らいでいた。

怯えながらも、ラウの方を振り返るとジュウは目を伏せた。


「あ、ラウ、君、あの、あ、その、ごめん、なさ」


「もう、いい……」


力なく、そうつぶやくと、茜が声を掛けた。


「ラウ、お前もおいで」


「えっ?」


一瞬何を言われたかわからずに、ラウは何度か眼を瞬かせた。


「で、でも、おれ、は」


「なにか、問題でもあるのかい?」


「ら、ラウ君、だめ、かな……?」


「や、問題、ない、けど」


「なら、決まりだよ、

でもとりあえず、もう一泊宿を借りてもいいかな

おまえたちは、自分の宿に戻って、明日おいで」







同じ宿を借りて、自分に割り振られた部屋に戻ったところで、茜は、力尽きた。

がくん、と足に力が入らなくなって地面に転がりそうになったところで、

掬い上げるように、抱きしめられた。


濡れそぼった血は、衰弱した躯にはひどく重くて、

冷えた液体は、容赦なく茜の体温を奪っていた。


冷えた躰を温めようとするように、彼は茜の身体をかき抱いた。


「り、スト……?」


「もう、いい」


泣き出しそうになった茜は、唇を噛んだ。

泣きたくない。

今縋ってしまえば、ひとりでは立ち上がれなくなりそうだったから。


「だい、じょうぶ、だよ」



ああ、もう言わないといったはずなのに、

けれど、そうでもしなければ、泣いてすがってしまいそうだった。


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