彼らの変化について
「どこか行きたい場所、あるか?
どうしたい……?」
途方に暮れた様子で、けれど
ギルド以外で、と付け足すあたり、リストに意見を曲げる気はない。
「……薬草、取りにいきたいんだけれど……
村にほとんど置いてきたから、薬が殆どなくて」
「わかった、森の方に行けばいいか?」
「うん、
……さっきは取り乱して、ごめん」
「少し驚いただけだから、別に」
「うん」
ぎこちない空気にイヴが耐え切れなくなったあたりで、
薬草の生息地に着いたため、茜が取りに向かう。
リストは、少し離れた位置で、見守るように腰を落とした。
イヴもそれに習って、座り込み、茜には聞こえない程度の声で話しかけた。
「主でも、狼狽えることがあるんじゃな、
なんだか安心したの」
「煩い、
……泣くなんて思わなかった」
リストの力なく付け足された言葉に、イヴは同意する。
「確かにの、“変わったな”じゃったか?
それで、あの子があれほどに取り乱すなど思ってもみんかった」
「……初めて、泣かせたんだ
昔からひどいことばかり言っていたが
それでも、泣いたことなんて、一度もなかったのに」
「そうじゃな、確かに、変わったのじゃろうな、
あの子は、昔とは違う。
話し方も、容姿も、在り方も、
じゃが」
そこまで言って区切ると、リストが後を続けた。
「そんなことは、どうでもいい
あいつが、ここにいる、必要なのはそれだけなんだ」
「そうだの、そもそもあれだけ月日がたてば
変わらんはずがあるまいて
変わったことは、問題ない、じゃが
何が、あったんじゃろうな……」
空白の時間。
彼女に一体、何があったのか。
けれど、
「あの子は、自分で立ち上がるのに精一杯。
無理に暴けば、そのまま、壊れてしまいそうで
容易には触れられん」
「目下は、みまもるしかないかの」
二人が、現状維持という意見にまとまった所で、
茜の用事が終わった。
いそいで欲しいものもないということで、一旦宿に戻ることにした。
ところで、
「あっ」
宿の前でばったり会ったのは、ジュウとラウの二人だった。
ジュウは前髪で顔は半分以上見えないが、嬉しそうに顔を赤らめ、
反対にラウは、あからさまに嫌そうに顔を顰めた。
ぱたぱたと、かけよるジュウに茜は声をかけた。
「また、会ったね」
「は、はいっ、ああの、なまえ、は……?」
「あかね、だよ」
「あ、アカネ、さん、ぼくジュウっていいますっ」
「……そう」
「あ、あの目元が、赤いです。だ、大丈夫です、か?」
穏やかに話す二人の隣で、ラウが、リストを睨みつけていた。
今日は相手をする気もないのか、リストはどこ吹く風だが
痺れを切らしたラウが、ジュウを引っ張った。
「ジュウ、何やってんだよっ、
変なのと関わるなって言ってるだろ!」
「ら、ラウ君っ」
「変なのとは随分、ご挨拶だね。
私は茜と言うよ、おまえは?」
「――っ!!
煩いっ、ブス!!」
瞬間、イヴは空気が凍りついたのを確かに感じた。
勿論、原因はリストである。
ごっ、と鈍い音が響いた。
リストが、ラウの頭を殴り飛ばしたのだ。
「い、ってえっ!」
「黙れ、餓鬼」
「ラウ君っ!! だ、だいじょうぶ!?」
「リスト! そこまでやらなくったって!」
「なにしやがんだ、てめえっ」
「あ、アカネさんっ、ご、ごめんなさい!
で、でも絶対そんなことありませんからっ、アカネさんはとっても可愛いです!!
小さくて、目も大きくてっお人形さんみたいでっ
とってもとってもっ!!」
「容姿について何を言われようが、構ったことではないけれどね
おまえにそれを言われると、とても複雑な気分になるよ」
ぱたぱたと手を振りながらも、茜を褒めちぎるジュウと
呆れたように、力なく返答する茜。
ラウは、泣き出しそうに顔を歪め、リストに喚いた。
「それで、隠してるつもりかよ!狼がっ」
「隠しているつもりがないからな」
「なっ」
ぴしゃりと言い切ったリストの言葉に、
ラウの顔が、泣き出しそうにゆがんだ。
けれど、追い打ちをかけるように、リストが言葉を続けた。
「それで隠しているつもりか?獣臭いんだよ」
「煩いっ、うるさいうるさいうるさいっ!!!」
ラウの見開いた瞳から、涙がこぼれた。
痛烈な揶揄に、激高したラウが叫んで、
咄嗟に店に並んでいた小瓶を、掴んでリストに投げつけ、踵を返して逃げ出した。
がしゃん、と砕ける音が響いて、中に入っていた液体がリストを濡らした。
「リストっ!! 中身は!?」
「ラウ君っ!!?」
中身がただの水だと聞いた茜は、安堵の息を漏らした。
「ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!!」
「構わないよ、怪我もないみたいだし、
おあいこだ、わざとよけなかったというのもあるみたいだしね
いいからおまえは、さっさと追いかけてあげるべきさ」
「は、はいっ!! 本当にごめんなさいっ!!」
ジュウもラウを追いかけていなくなると、
「大丈夫かい?早く拭いて着替えないと風邪をひいてしまうよ
言いすぎたと思ったから、わざとよけなかったんだろう?
別にね、私は気にしないから怒らなくってもいいんだよ?
それにしても、
珍しいね、おまえがこども相手に手を上げるなんて」
どうして、こうなったんだろう。とラウは力なく自問した。
何百回と繰り返した言葉だが、理由なんかわかりきってる。
俺が、――だから
もう涙も出てきやしない。
昔は、こうじゃなかった。
ジュウは、行き倒れているのをラウが見つけたのだ。
昔は、ちゃんと仲も良かった。本当に兄弟みたいに育った。
(どちらかというと、ジュウが弟だったけれど)
確かに、怯えてばかりなやつだったけど、
でも、ラウにだけは怯えなかった。
けれど、あの日を境に、全ては一転した。
何よりも、だれよりも、ラウを怖がった。
びくびくと、目線を合わせようともしない。
そもそも会話にならない。
何を話しかけても、謝罪しか言葉にしない。
仕方ないことと、諦めてしまうには、ラウはあまりに幼く、
ラウには、ジュウしかいなかった。
あの日、ラウも全てを失った。
あの夜、ラウだって絶望していた。
なのに、ジュウから向けられたのは、怯えだった。
ごめんなさい、と
泣きじゃくって怯えながら繰り返される謝罪に、ラウは打ちのめされた。
ラウが大切に思っていた全てが、両手から零れた瞬間だった。
あまりの仕打ちに言葉も出なかった。
なんでっ!!言葉にならない問いは、自身の中で繰り返された。
何に、対して、謝っているのか。
怯えながら繰り返されるそれは、命乞いか。
殴ったりしないのに、傷つけたりしないのに
機嫌を損ねたら、食い殺されるとでも、
――だって、守ると、約束したのに。
――守るから、絶対に絶対に、ジュウは俺が守るから、
二人で、身を寄せて、アレから隠れながら
血を吐くようにつぶやいた言葉は、何一つ届いていなかった。
あんまりにも滑稽だ。
あんまりにひどい。そうラウは思う。
だって、俺だって、望んでこう生まれてきたんじゃないのに。と
それでも、いつかは、元に戻れるんじゃないかと
どうしても諦められなくて、そう、思ってきたのに。
ジュウが屈託のない笑みを、躊躇いなく向けたのは、ラウにではなかった。
会ったばかりの
黒髪で、端正な顔の造りをした、覚めた表情の女
焦がれるように、必死に言葉を紡ぐジュウを見て、
ラウは絶望した。
ずるい、ずるいずるいずるいっ
ラウには、恐怖しか向けてくれないくせに、
あの女には、衒いなく笑うジュウが、苛立たしかった。
ラウが苛立つほどに、ジュウは怯えた。
あのフードで隠した男。
隠したいのは、あの女にだと思っていた。
だから、苛立ちのままに、ばらしてやろうとして失敗した。
ラウよりも、恐れられるはずの狼は、
なんの問題もなくあの女に受け入れられていた。
それどころか、強烈な揶揄を向けられた。
彼らに対しての態度は、ただの八つ当たりで
彼らには一切関係ないことをラウだって、自覚していたから
殴られたことも仕方ないと思うし、
殺されるどころか、加減されたなんて、
狼の癖に随分甘いと、驚いてさえいた。
「ら、ラウ君っ、だだいじょうぶ?怪我してない?」
慌てたような声がかけられて、ラウの思考が止まる。
ジュウはラウの殴られた頭に触れようとして、びくりと手を竦ませた。
なんでもない、と告げると、ジュウは安堵の息を漏らした。
「で、でもね、ラウ君、あんなことしちゃダメなんだよっ」
お前、そんなこと言いにわざわざ追いかけてきたの
ジュウを責める言葉を、唇を噛んで押しとどめて、
力なく、煩い、とだけ返す。
怯えるくらいなら、付いてこなきゃいいのに
いっそ、逃げ出してしまえば、あきらめもつくのに。