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告解は夜の帳にとけて


解散して、借りた部屋のベットで、茜は寝込んでいた。

蹲り、躯を小さく竦めて、

歯を食いしばって、吐き気に耐える。

どうにか、彼らと別れるまでは隠しとおせた。


茜には、拒食症の気がある、そのせいで落ちた体重は戻らない。

行動不能回避のおかげで、食べずとも動けることがそれに拍車をかけた。

吐き癖がついたのも悪かった。

長らくまともに食べなかったことによる、胃弱もあるが、

大元の原因はやはり、精神的なものだろう。


肉や、脂っこいもの、人の手が入ったものが特に食べられない。

肉に成り果てた、彼らの死体が脳裏に焼き付いている。

穢れ切った自分の両手も……。


茜は自分の体質を理解した上で、僅かにしか食べなかったのだが

それでも、受け付けなかったようだ。

刻一刻と吐き気は強まっていく、


ベットを出て、鞄をまさぐって

町から持ってきた、茜が調合した睡眠薬の効果を持たせたものを取り出した。

もう、飲んで眠ってしまおう。

これは、殆ど習慣となっていた。吐き気を抑えて睡眠薬で気絶するように眠る。

逆に言えば薬を使わなくては、満足に眠ることもできない。


いつもと違ってリストに手伝ってもらえばいつでも、材料なら手に入る

在庫を気にする必要はないはずだ。


ああ、でも、眠ることすら恐ろしい。

もしも眠って目が覚めたとき、今までのことが夢だったらと

考えずにはいられない。

リストとイヴと旅を始めたのも。

もしかしたら、あそこから逃げたことも


う、

喉元をせり上がってくるそれに小さく呻いた

握り締めた薬入れがひしゃげていく、


その時、扉をたたく音が聞こえて、びくりと身体を竦ませた。

慌てて、薬入れを鞄に捩じ込む。

扉の向こうから聞こえたのは、


「アカネ、寝た、か?」


「リスト?」


リストの声だった。

寝たも何も、彼ならば扉の向こうからでも起きていることは

聞こえていたろうに、と茜は首を傾げた。

扉を開けてやりながら尋ねた。


「どうしたんだい?こんな時間に」


ああ、と小さく呟いて、気まずげに目を逸した。

彼は皿が持っていて、パンに野菜なんかを挟む、

元の世界でいう、質素なサンドウィッチのようなものがのっていた。


「それ……」


「ああ、少しでも食ったほうがいい

あんた、野菜しか食べてないだろ」


「わざわざ作らせたのかな、そこまでする必要なんてなかったのに

……ごめん、気持ちは嬉しいのだけれど」


食べれば、そのまま戻してしまいそうで。

リストの前でそんなことになるのだけは、絶対に嫌だった。


「肉は……

肉は、使ってない、味付けも薄いから、食べられないことはないと思う」


「ど、して」


「見てれば、肉に手をつけてないことくらいわかる」


「……」


「あんた、どうして――」


どうして、肉が食べられない

俺といない間に、何があった

瞬時に浮かんだ問いは、


「いや、なんでもない」


けれど、それ以上は口には出せなかった。


「一口でもいいから食え、少しでも腹に入れておいたほうがいい

残した分は、俺が食ってやるから」


食べなければ、先ほどの話題に戻ってしまうかもしれない。

恐る恐るといった様子で、茜はそれを口元まで運んだ。

少しだけ含んで、咀嚼し飲み込む。

ぽつり、と声が漏れた。


「……おいしい」


嘘でも世辞でもない。

質素なもので、それほどいいものではないだろうが、

今まで砂を噛むようだった食事を、久しぶりに美味しいと感じた。


リストが、は、と息をついた、それが

安堵からくるものであることに茜は気がついた。

目があった瞬間、目線をそらされた

リストの目尻が赤く染まっている。


「なら、いい」


「あ、ごめん、おまえが頼んだのに」


「いや、初めから全部あんたにだ、

食えるなら、よかった」


「ありがとう」


「まだ食べられるか?」


「ううん、流石にもういいかな

すこし、眠たくなってきたよ」


どこかふわふわとした口調で、茜がつぶやいた。

立ち上がろうとしたリストの袖口を軽く、摘んで引き止めた。


「アカネ?」


「ねえ、すこし、わがままを言ってもいいかな


すぐにたぶん、寝ると思うんだ。

だからね、その間そばにいてほしい


……だめなら、勿論、いいんだけれど」


どこか、縋るように、

けれど途中で、手を払われる恐怖から、手を引っ込めた。


「それくらい、そんなこと

いくらだってしてやる」


リストはそう言って、手を繋いだ。


「おまえにもういちど逢えてよかった

おまえに嫌われたんじゃないって、わかって良かった

一緒に来てくれて、手を取ってくれて

嬉しかった、ありがとう


……おまえは、やさしいね」


どうにかそれだけ囁いて、茜は強い眠気に意識を手放した。

幼い子供が、親の加護を受けなんの躊躇いもなく、眠るように、

深い安堵に包まれて、茜は眠りに落ちていくのを感じていた。




確かに、そんなことくらいいくらだってしてやると

請け負ったのは、リストだ。

嘘ではないし、

彼女の利になるならば、なんだってする。

彼女が望むのならば、なんだってしてやりたいと思う。


そう前置きした上で、けれど、


「なんで、どうやったら、俺の前で眠れるんだ」


余った片手で頭を抱え、低く呻いた。

しかし、眠りについた茜を起こさぬよう、その音量は絞られている。


警戒心くらい、少しは持てばいいのに。


食事の時に、茜が見せた拒絶。

いっそ、それで統一してくれればいい。

そうしたら、一片の期待もしなくて済む。


そんなことを考えながら、リストは繋いだ手の細くて柔い指をなぞった。

こんなに警戒心がなくて、大丈夫なのか。

リストはそんな風に悩むが


今まで茜の日常であった気絶じみたそれとは違う、何人にも脅かされずに、

悪夢に怯えることもない、優しい安息の眠りなど、

茜にとっては数年ぶりであることなど、リストは知る由もない。


寝たら戻っていいと言った。

固く握られているとは言え、茜の力だ。

ちょっと引っ張るだけで、簡単に解けてしまう。


けれど、滑らかな肌が、伝わる温もりが、甘い匂いが、

名残惜しくて、なかなか放す気になれない。


警戒心がないのか、信頼されているのか、試されているのか。

試されているなら仕方ないと思うが、

信頼だったら、こんな場面で信頼なんてもの向けられても困る。


たとえ、性欲が薄い・・・・・方のリストであっても、

求め続けた相手が、自分以外に身を売っていると勘違いすれば、

激高して襲ってしまうくらいには、決してないわけではないし

今の状況だって、かなり目に毒だ。


触れたいと願うし、欲しいと望む。


「……なんで」


――なんで眠れるんだ。

無理やり襲おうとした俺の前で、そんな気を許すみたいに無防備に。


そんなの、何されたって文句も言えないだろうに




繋いだ手を解いて、茜の顔の横に置いた。

ぎし、とベットが軋んだ。それでも茜は目を覚まさない。

固く閉じられた釦を手探りで解いていく、

覆いかぶさるように、唇を寄せた。

くらりと目眩うような甘い匂いに、理性を投げ出したくなった。



く、と自嘲で苦く笑った。

2つ程、外した釦を止めていく、

最後に、目尻に口づけを落として、体を離した。


「嘘なんだ」


あの日に、俺がしたこと。口づけの甘さを。あんたの言葉を、


「忘れたなんて、覚えていないなんて、

そんなのは嘘だ。

あんたのことで、忘れていいことなんて、一つだってない。

ひとつ残らず、覚えている」


穢い、と

おまえだけは、死んでも嫌だと

おまえなんか、大嫌いだ、と


そう叫ぶ声を。

リストを拒絶する言葉を。


ひとつ残らず、覚えている。


けれど、傷つけるためだけに選ばれた言葉に、

本気で傷ついてやるほど、

俺は、甘くないし、優しくもない。


穢いと叫んだくせに、嫌悪も嘲りもなくて

彼女には峻烈な怒りと、絶望だけがあった。

傷つけるために言った言葉なのに、叫んだあんたが一番傷ついた顔をしていた。


それはあまりに卑怯で、けれど

それ以上に、愛おしかった。




一度も言葉にしたことがないため、茜すら知らないことだが

リストには、奴隷になる前の記憶がない。

憶えていては、生きていけないから。


ただ、それでも溢れるようにおもい出す記憶がある。

彼の過去は、




奴隷の時と、いっそ真逆に同じくらいの地獄だった。



リストにとって生まれ落ちた瞬間から

この世界は、地獄そのものだった。


“それ”をもってして、誰かより不幸だと比べるつもりはない。

人によっては、“それ”を幸福と断ずるかも知れない。

だって、リストは奴隷になるまで、飢えも、渇きも、苦痛も、味わったことなどないのだから、

だが、誰が何を言おうと、リストにとっては耐え難い地獄だと、

必要なのは、その事実だけだ。


勿論、奴隷の時の方が、ましだったなどと言うつもりはない。



奴隷とは、

人間でありながら、権利や自由がない所有物だ。

命は軽々しく扱われ、生さえも自分のものではない。


言い換えれば、

人として、扱わなくてもよい、人のことだ。

奴隷という制度の共通認識のもと、人権を奪われた者。


けれど、奴隷は人だ。誰もが知っている。

奴隷だから人として扱わなくてもいい、という文言があること自体

奴隷が、本当は人であると知っている証拠だ。


勿論、それを知っていようと、ものとして扱うのだから

非難はされるべきだけれど、




けれど、リストは苦く笑った。


なんて皮肉だ。


昔よりかは、奴隷の時の方が、よほど自由だった。

奴隷よりも、昔のほうが、


リストは、人ではなかった。


奴隷になって、

縄をうたれ戯れに殴り飛ばされて、頭が割れて滴り落ちる血を見て、


リストは、初めて自分が、生きていることを、知ったのだ。




茜に出会って、初めて、リストは人であることを実感した。

だからリストには、本当に本当に、茜しかいなかった。



おまえは、やさしいね、とふわふわとどこか幼い口調でいう

茜の言葉が、耳に蘇った。


「っ……――!」


「――やさしく、ない、

すこしも、やさしくなんかない」


だってこんなにあいしてる。


絞り出すような声で、囁いた。


俺のいないところで、あんたが幸せになることがどうしても許せない。

元の世界に帰るのも、あんたが誰かのものになることも


あんたがどれだけ不幸になったとしても、俺のそばにいて欲しい。

俺のものにしたいとはいわない


俺のそばにいて欲しい。


二度目の別離は耐えられない。

あんたが元の世界に還るときには、きっと


俺はあんたを裏切ってでも引き止める。

そんなことが簡単に予測できて嫌になる。


あんたが不幸になってもいいから捕えたいと望みながら

逃げ切って幸せになってと願う。


「優しくなんかない、

嫌ってくれて構わない、拒絶してくれて構わない


赦さなくていい、

だから、信頼なんかしないでくれ、



愛してる、どうか――」


その続きは、言葉にすらならなかった。



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