いってらっしゃいの意味
一章の本編はこれで最後です。
まだまだ続きますが、ひとまずここまで読んで下さりありがとうございます
モニカが目を覚ます前に、と家を出た私は、
リストと、イヴが泊まっている宿に向かった。
扉を開けようとした瞬間、勝手に勢いよく扉が開いた。
「え、あ、わぁっ!?」
引きずり込まれて、視界が真っ暗になった。
リストに抱き込まれたのだと、理解したのはかなり遅くなってからだった。
抱きしめるその体は何故か、微かに震えていた。
「リスト……?」
「待ってた」
そう言って、肺の中を空っぽにするような、深い息を吐く。
来ないかと思った、と小さく呟いた。
抱き潰すような、それは、骨まで軋む音がした。
「いっ、り、リスト?」
「犬かなにかか主はっ!!
アカネを潰すでないぞ、
主と違って人の身は脆いからの!」
「っ、あ、悪い」
イヴからの叱責に、リストは慌てて体を離した。
一気に入り込んだ空気に、肺が引きつって噎せた。
痛かったけれど
服越しのぬくもりが、ひどく名残惜しくて
彼が触れたところが、
あいつらの手の感触を塗り潰すようで、
一瞬だけ、忘れさせてくれるようで
すこしだけ、化け物じゃなくなれたようで
もう少し、抱き締められていたかったと、心のどこかで願った。
けれど、その願いは口に出すことは出来なかった。
だって、おもいだしてしまった。
彼が、あんまり昔と変わらないから、一瞬だけ忘れていた。
どれだけ自分が醜いかを思い出した。
どれだけ自分が穢れているかを思い出した。
彼に触れる権利すら持っていない事を思い出した。
一番大切な彼らにすら、嘘を吐いていることを思い出した。
今までの浮かれた願いが、叩き潰される感触が、した。
「アカネ?」
「ううん、何でもないよ。
早く出発してしまおうか、今出れば、日が落ちるまでに
次の街に付けるはずだよ」
「もうよいのか?
こちらのことは気にせんで構わんぞ?」
「うん、大丈夫だよ、ありがとう」
ふと思い出した。
「あ、ねえ、リスト。
おまえって、酔っている時の記憶って覚えているの?」
「は……」
「いや、だからおまえが娼館に入ってきた時のことだよ」
「娼っ……!?」
尋ねるとリストが固まったので、
補足すると、イヴが絶句した。
ああ、なんかめんどくさいことになった。
「あああああアカネっ!!?」
「ああ、大丈夫、受付をしていただけだから
で、リスト、覚えているのかな、いないのかな?」
「……あ、いや、……ない。
覚えて、ない」
「そう、ならいいよ。
それでいいよ、思い出さなくていい。
……ごめん」
忘れているのなら、それでいい。
彼に対して、酷いことをいって傷つけたことを。
あの口づけを。
私は、忘れないから。
きっとあれが最初で、最後だ。
門のところまで行くと、ヘレナとモニカが待っていた。
「モニカ、起きたんだね。
行ってくる、さよ――」
「駄目っ!!
さよならなんて、言っちゃだめ!
あのね、お姉ちゃんから聞いたんだ。
いってらっしゃいって、
無事帰ってきてね、って意味なんだって!
だから、
だからね、ほんとは嫌だけど!」
でも、いってらっしゃい!とモニカは笑って手を振った。
「いってらっしゃい、あんまり辛くなったら
いつでも帰っておいで」
「……うん、ありがとう。
いってきます!」
嘘ばかりで、欺いて、張りぼてで取り繕ってて
強くなくて、優しくなんかないけど
でも、この世界に大切な人がいきているのなら、
大嫌いなこの世界を守りたいと、思えたことだけは嘘ではないから。
ヘレナ達と話していた間、リストとイヴは、門の前で待ってくれていた。
彼らと一緒に行くのだと思えば、恐怖が和らいだ。
きっと大丈夫。
もう、ひとりじゃないから。
もう、道を間違えたりはしない。
見送りが終わって、家に帰る道中で、
なぁんだ、とヘレナは安堵し、拍子抜けさえしていた。
だって、リストのアカネへの態度を見ていれば、すぐにわかった。、
いっそあからさまなほどに、リストはアカネを愛していたから。
どうしてアカネが気づかないのかと、疑問に思う位だ。
愛している、離れたくない、嫌われたくない、
そう、一心にアカネを求めるその姿は、
あんまり狼らしくなくて、
むしろ、犬っぽくすらあった。
いや、そうでもないか、主従としてというわけではないのだろうから。
ひとりの女性として、ちょっとこわいくらいに、
リストはアカネを愛している。
あれじゃあ、今代が好きだなんて、アカネの勘違い以外ないだろう。
そう思って、ヘレナは苦笑した。
だってアカネ以外なんて目にもうつっていない。
お互いともお互いの想いに気づけずに遠回りする、
不器用な姿はいっそ、微笑ましくさえあった。
本当にアカネは鈍い、そう苦笑して――。
――――あ、れ?
違和感に、総毛立った。
鈍い、本当にそれだけか?
好意に対して鈍い、自信がないとか、思い込みがあるからとか、
そんなことで、説明がつくレベルなのか、あれは。
あんまりにも、アカネらしくないあの、
好意を、踏み潰すといってもいいような行動の全ては。
だって度の越えた自己犠牲は、彼女を愛する人への冒涜であり、
アカネが大事に思う人を、傷つけることになる。
アカネらしくない、それらの差異の正体。
もしも、彼女の行動が、
“自分が、誰にも愛されていない”という前提の下の発露だったとした、ら。
ああ、違和感は、ずっとあった。
恋に繋がる、それだけではない。
モニカの時だって、あれほど人の感情の機微に鋭いアカネが、
何故引きこもっていたか、どうして気がつかなかった。
戻りたいといった時だって、嘘という前提でなければ、
受け入れてもらえないと、思ったからあんなことを言ったのか。
あたしたちが、言葉にして、やっと驚いたように、
あれ、私好かれていたのかな、というような反応は。
リストを怒らせた時も、神様がモニカを人違いしたときだってそうだ。
それらは、先代聖女、つまりは
アカネへの好意から成り立つ行為だったじゃないか。
本当に、愛されていないと、思っていたのか。
だって、そんなの
あんなにも、人の思いが理解出来る子が、
――ああ、それが間違いだったとしたら。
能力の負担のせいで、
自分ですら把握しきれない副作用が、おそらくまだまだあるのだと、
アカネはそう語ってくれた。
真実彼女が囚われたところは、悪意が吹き溜まる地獄だったろう。
悪意を汲み上げ続けた、代償が
これが、そうだとしたら。
“自分への好意だけが、彼女の目には、映らないとしたら”
だれも好意を自分に向けてくれないように見える、彼女にとって、
世界はどれほど辛いものだったろう。
痛くて冷たくて悲しくて酷くて、怖くて、辛くて、絶望で、恐怖で
彼女にとっての、悪夢は、終わってなどいなかった。
地獄か悪夢のような世界を、彼女は、
赦すと、救うと宣言した。
それは、どれほどの――。
それは、以前の彼らを知らない外部の人にしか、気づくことは出来ないだろう。
伝えないと、と体が引きつった。
でも、どうやって。もう彼らは門を出てしまった。
モンスターや、獣が徘徊する中を、どうあがいたって
彼女たちのところまで辿り着けるはずがない。
今から人を探したって、間に合わない。
モニカをおいていくことも、連れて行くこともできない。
ちくしょう、とヘレナは呻いた。
どうして、ああ、いつだってあたしはこうだ。
いつだって、一歩だけ間に合わない。
「アカネ、ごめん」
アカネに、教えてあげたかった。
あんたは、ちゃんと愛されてる。
あんたが見るより、ずっと世界はあんたに優しいのに。
一章の本編はこれで終わりですが、2話ほど挿話があります。
挿話と言いながらも、作者の未熟さで本筋に入れられなかった伏線回となっておりますので、読んでいただけるとありがたいです。
今後の展開で少しは唐突感が減ると思います。