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聖女の条件


どうして、と叫ぶモニカの言葉を聞いて、

ヘレナの心にあった違和感が、ようやく形になった。


アカネちゃんは普通の人だったんだもん、と

ああ、そうだ。

傷だらけで、脆くて、

どうして、そんな子に、世界なんて押し付けようとしたんだろう。

できるかじゃなくて、

平気なはずがない。大丈夫なはずがないのに。


自分でキッサに感じた思いが蘇った。


どうして、あんな脆くて、弱い子にそんな風に縋れるの

あの傷だらけの細い躰が、折れちゃうよ


ああ、ちゃんと、わかって、いたのに。

モニカの言うとおりだ。浮かれて、喜んで

光に目がくらんで、

見なくちゃいけないものが、なにも見えていなかった。


こんな簡単なことに、

キッサが気付かなかったのは、けれど仕方ないことなのだ。

だってキッサにとって、聖女とアカネの落差はあまりなかった。

アカネが弱さを見せてくれていたのは、あたし達だけなのだから。

だからあたし達は気づくべきだった。


いいや、あの子の瑕を知っているあたしだけは、

気づかなくちゃ、いけなかった。

少なくとも、すがるなんて真似をしてはいけなかった。

自覚したヘレナは、後悔して、自責して、唇を噛んだ。


それにも関わらず、モニカに言われるまで、気付かなかったなど

いっそ大罪にも等しい。


泣き疲れたモニカは、アカネの膝に頭を預けたまま眠りに就いた。


「アカネ、気づいてあげられなくて、ごめん」


「いいんだ」


ふ、と自嘲するようにアカネは引きつって笑った。

涙が頬を伝って、アカネの表情が歪む。

ははっ、小さく失笑した声は歪んでひしゃげていた。


「ほん、とうに、っ」


がらがらと、音を立ててアカネの虚勢は崩れた。


「私は、誰もかもを欺いてばっかりだっ、


私はっ、私はねヘレナ、

私を壊したこの世界を、あの子を、その全てを赦せない。

許すことなんか、できるわけがない。

消えない傷痕は、今もやんで、

いまも、あいつらの笑い声が耳にこびりついている

汚くて、気持ち悪くて、

もう相手はいないのに、憎くて、どうしようもない。


だって、優しくなんか、ない。

強くなんか、ない。

全てを許せるほどに、強くなんかないんだ。


でも、ここで、見捨てたら、

虚勢と、張りぼてだけで取り繕った“私”を保ってはいられない。


それ、に、モニカに、イヴに、

リスト、に見限られたくないっ、嫌われたくないよ

見棄てられたくない、呆れられたくない、捨てられたくない。

一緒にいたい。知られたくない、見られたくない、気づかれたくない。


だって、だから、きめたんだ。

彼らを引き留めるためなら、

赦せない世界だって、赦して

憎いあの子だって、救ってみせるって、きめたんだ」


必死に取り繕って、欺いた全てを血を吐くように零した

アカネは哄笑した、凄絶な自嘲をこめて


「ほ、んと、に、


私はっ……、どこ、ま、で」


醜いんだろう――。


その声は、震えて、かすれていた。


「ぜんぶ、ぜんぶ自分の為だ。

なんて醜い

なんて穢い

なんて、浅ましい


こんなんじゃあ、

だれも好きになってなどくれるわけがない」


「アカっ――」


「ねえ、ヘレナ、話があるんだ。聞いてくれるかな

懺悔と言い換えても構わないよ、


私はこれから、この世界の全てに嘘をつくよ。

みんなを欺く、イヴも、リストも。

何もかも騙して行く。

二度と、泣き言なんて言ったりしない。

二度と、本当のことを言ったりしない。


だけど、私の傷を知っているおまえにだけは、知っていて欲しい」


「うん、聞くよ、なんだって聞いて、

ちゃんと覚えていてあげる」


「私は、うそつきなんだ。

私は世界を救う聖女になる。


はっ、うそだよ。私は聖女じゃないんだ


ああ、勿論先代聖女ではあるけれどね。

私は、聖女には、もうなれないんだ。


これは聖女の、ひいては神殿の特秘事項だよ。

聖女とは、聖らかなる乙女。いいかえれば――、


……あのねえ、本当はね。


聖女は、清らかな躰の女にしか、なれないのさ

あけすけに言ってしまえば、処女、未通……、

それに当てはまることが条件なのだから」


「 あ」


ふ、と彼女の躰の傷痕が脳裏に浮かんだ。

治安の悪いところだから、死体も目にする機会が多かった。

けれど、それでも目を覆いたくなるような。


彼女の傷は、あまりに凄惨だった。

そして、それは、一生涯彼女の躰に残り続ける。


肋骨が浮き出るほどに、痩せた躯。

女らしさを削ぎ落とそうというように、


鉄錆が入り込んだまま、皮膚が治ってしまったせいで、

刺青を施したように、彼女の手首と足首には皮膚が変色している場所がある。

帯状に、細い手首をくるりと一周するそれは、

重たい鉄の枷が、彼女を戒めていたように。


肩甲骨のあたりには、傷痕が引き攣り、変色し、

蚯蚓脹れのような痕がのたうっている。


普段は、袖口の長い服を固く着込んで隠しているが、

加害者の意図が透けて見える傷痕は、

彼女の白く細い躯中を、彩っている。

そして、勿論、それが傷つけるという行為だけで

済んだはずはなく。


純潔が必要だというならば、彼女は


聖女にはなれない。


「ああ、っ」


「男と交わることは許されていないんだ。それは、禁忌だよ。

昔なら、殺されかねないほどのね。


聖女にとって結婚なんてものは、ただのおままごとに過ぎないんだ。

夜を共にすることは出来ず、触れ合うこともできない。


聖女になった女を慰めるためだけにある制度さ」


嘲笑混じりに囁いた。


「私自身は、聖女にはなれない。

ならば、あの子を叩き直すか、

他に、代理を立てるか、


本当に、そんなことができるのかもわからないけれどね、


でも、もしも万が一、すべての人が報われる大団円を迎えられたとしても

私は、どうしようもない。


元の世界に還ったって、この身に訪れるのは破滅さ。

私はね、あの場所で人格を壊されたんだ。

屈辱と、絶望と、狂気と、薬物によってね。

祝福に依って、補正しなければ、生きていけないほどに、


例え神が協力してくれたとしても、元の世界と、この世界の能力稼働率は

天と地ほどの差だ。

立って、話すことすら叶わないだろうね。

“行動不能回避”で無理やり直し続け、ガタがきた傷の関係もあるしね。

私は、元の世界には帰れないよ」


行動不能回避は、聖女の体を補正するものなのだとアカネは言った。

――勿論、死ねばそれまでなのだけれど。とも

行動できなくなるほどの傷を高速で、動けるようになるまで治す、

といったもので、彼女の異様な治癒の仕方を理解した。


「こちらの世界で、リストは、あの子のところに戻るだろうし

イヴは、神に戻るだろう。


私にはね、大団円の、終わりに居場所なんてものはないんだよ」


「だから、嘘でもいいよ、ヘレナ。

この場限りのでまかせでもいい。


もしも、全てが上手くいって、

私が生きていたら、ここに戻って来てもいいかな、

おねがい、嘘でもいいから、頷いて欲しい。

そうしたら、私は――」


怒りによって、目の前が歪んだ。


「いいわけ、ないでしょっ!!?

なんで、嘘でいいとか言うわけ!頷けるわけ無いじゃない!」


無理やり抱き込んで、叫ぶ。


「帰ってきなさいっ!!

絶対、絶対にっ、死んでも帰ってきなさい!!」


抱きしめながら、ヘレナは願った。


誰か、この子を救ってください。

だってあんまりにも、瑕は深くて、重くて

きっとあたし達には、救えない。救いきれない。


いいや、誰かじゃない。同じ場所に立って、

もしも、救える人がいるとしたら、この世界にたった一人だけだ。


銀色の髪を持つ、勇者様。


どうかどうか、この子が世界よりも、救われてと

ヘレナは祈り続けた。


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