旅立ちの前に
「ん、……、っう」
幼いうめき声に、目が覚めた。
ゆるゆると開かれた大きな金色の瞳は、焦点が定まらず
ぼんやりとあたりを彷徨った。
あどけない表情は、幼く見えるが、それでも
眠っている間に、僅かに成長し、10才を超える位にはなっていた。
「イヴっ!!」
「タカ、ト……?」
われ、は、と長い間話していなかったような、
舌足らずで、かすれた声が痛ましかった。
「イヴ、ごめん、ごめんね
治せなくて、ごめんねっ
上手く、できなくて、ごめんね
いか、ないで、行かないでっ
おいていかないで、おねがい、見捨ててしまわないで
私、頑張るっ、から
ちゃんと、今度は、だか、ら」
「あまり泣くでない、瞳が溶けてしまいそうじゃ
タカトオは、さみしがりだからのう
主が、それを望むならば
我も、ともに行こう」
伸ばした手が、細くてきれいな指に包まれる。
「世話になったんじゃろう?
挨拶はせんでよいのかの」
「うん、彼らにとって、私はもう先代聖女だからね」
そう言って、苦く笑った。
「モニカっ!!」
扉の向こうから、キッサの声が聞こえた。
布団の中で、モニカはぎゅう、と体を竦めた。
そうでもしなければ、今にも体が震えて
泣いてしまいそうだったから。
だって、気づいてしまった。
彼女の、表情に
「何不貞腐れてんだよ!バカモニカ!!
神様、目を覚ましたって!明日の朝には、もう旅立つって!
アカネ様、もう行っちゃうんだぞ!?
本当に、何も話さないままでいいのかよ!」
そんなの、いいわけない、けれど――とモニカの幼い思考はぐるぐると回る。
黙っていると、キッサは言葉を続けた。
「アカネ様が今まで嘘ついてたのが
ショックだったってのはわかるけどさあっ!!」
うそ
ぴくりとモニカはその言葉に反応した。
「うそ……。
嘘、だったのかな、なにも かも
いままでの、ことばも、わらったのも
ぜんぶ、っ全部」
「それはっ、
それ、は、違うだろ!
たとえ本当にことは、なにも言ってくれなかったんだとしても
その中に、本当がひとつもないなんて、ことはない
絶対っ!!」
「明日、絶対来いよ!」
わかってないの、キッサの方だよ、
バカキッサ、とモニカは小さく呟いた。
何にもわかってない。
うそだったら良かったのに
ひとつ残らず、みんなみんなうそだったら。
わたしは……
「……アカネちゃん」
大丈夫だよ、と囁いた彼女の声が耳に蘇る。
ほんとうに?
ほんとうに大丈夫なの?
……なにがだいじょうぶだっていうの?
村人総出で見送ってくれることになった。
けれど、
「モニカは……、
ううん、何でもないよ」
ヘレナへの自分の言葉を打ち消して、苦く笑った。
だってもう、どうしようもない。
あの幼い瞳に、嫌悪が浮かんでいたらと、恐ろしくて
暴く勇気すらありはないのだから
――さあ、もう行こうか。
「あ、アカネ、さま……っ!
あの」
どこか戸惑ったようにヘレナが、声を上げた。
「うん、さようなら
ありがとう、ヘレナ
おまえたちが助けてくれたから
私は、生きていられるんだ」
さようなら、ともういちど口の中だけで囁いた。
ありがとう、大好きだよ。
「っ、あ、待ってっ!!」
思わず、といったふうにヘレナが声を上げた。
その時だった。
「アカネちゃんっ!!」
呼び声は悲鳴じみていた。
走ってきたモニカは、息を切らせ、握り締めた手が震えていた。
焦燥、怒り、怯え、恐怖。それから、決意
伝わってきた複雑な感情に、首をかしげた。
「もに、か……、
見送りに、きて、くれたの……?」
けれど、モニカは怯えたように小さく首を左右に振った。
大きな瞳の端に、溜まった涙が零れた。
「モニカ、どうしたんだい?
なにがあったの、だいじょ……」
大丈夫だから、と続けようとした言葉がかき消された。
「大丈夫じゃないっ!!大丈夫じゃないもんっ!!
なんにも大丈夫なんかじゃない!!なんで気づかないの!
なんでそんなこと言うの!!?」
幼い子供が、自分の意思が伝わらないと泣くように、
モニカは、地団駄を踏んで叫んだ。
「モニカ、どうしたの?」
やだ、と小さく呟いたモニカは、
しがみつく様に、私に抱きついた。
「いやだっ!!
いっちゃやだっ!!いかないでっ」
「モニカっ!なにいってんだ!!」
慌てた制止がキッサから飛んだ。
けれど、爪さえ食い込ませる勢いでしがみついて離れない。
「アカネ、落ち着くまでついていてやるが良いよ。
出発は明日に伸ばしても構わんじゃろうて」
ゆっくりと仲直りしておいで、
とイヴが続けた。
「リスト、主も幼子相手に吝気のような真似を起こすでない。
さて、誰でも良いが、一日分の宿を紹介してくれんかの」
「……アカネ、待ってる」
そう囁くと、リストも背を向けて、イヴを追って行った。
「モニカ、一度家に戻ろうか」
こく、と頷いた。
けれどしがみついたまま、離れようとはしないので、
ヘレナと引きずっていくことになった。
どうにか着いた家のベットに、二人で座ってヘレナと慰めていると
ようやく話せるまでになった。
「わたし、ね、
ずっと、聖女さまって強い人だとおもってたの
つよくてやさしくてきれいでかんぺきで
例えば、今代聖女様みたいな人
でも、アカネちゃんみたいな人だなんて思わなかったの」
「モニカっ!!」
「いいよ、ヘレナ。
ごめんね、強くなくて、完璧じゃなくて、でも
私は……」
「違うっ!!違うの、そうじゃないの!!
つよくて、やさしくてきれいでかんぺきで
それで、勇気があって、傲慢で、傷つかなくてっ!
わたしたちとは、違う人なんだって
違う世界に生きる人なんだって
違うものが見えるひとなんだって
だから、すがってもいいんだって!
助けてくれるんだって!!
本気で、思っていたの」
ぽた、と彼女の柔い頬を伝って雫が零れた。