彼がこわれた日
『やめてっ!!!』
彼女がそう絶叫した。
恐怖と、嫌悪に涙の滲んだ瞳を歪めて。
『もう、いや、いやなの!
みんなみんな大嫌い!!』
喉が焼けるように痛んだ。
息がうまくできない。
指先まで、ピリピリと痺れて
ぞわぞわと、背筋が冷たくなる。
こわい、こわいこわいこわい
それ以上言わないでくれ。
たのむ、から
意識が乖離して、過去へ戻っていくのを感じた。
「やめてっ!!!
なんで、そんなこというのっ
時が来たら、還してくれるっていったじゃない!!
嘘つきっ嘘つき!嫌い!!
もう、全部やだっ!いや、いやなのっ
耐えられないの!
還りたい!!会いたいよお、まま、ぱぱぁっ!!
助けて、返して、かえしてよおおっ!!
しんじゃえ、皆、みんなあああっ
知らない、こんな、世界っ滅んじゃえばいい、んだっ!
嫌い!!おまえなんか、だいきらいっ!!
離して、触らないで!!」
“彼女は、世界を呪った。
やだ、と、たすけてと、かえりたいと、こんな世界は、嫌いなのだと、
しんでしまえと、こんな、せかいは、滅んでしまえと
かえりたいよお、と彼女は泣いた”
彼女は、リストの手を弾き、扉を開けて走っていった。
その後ろ姿を見送ることしかできないまま、視界からいなくなった。
「あ、あ あ 」
ぼろぼろと、涙が溢れた。
目の奥が焼けるように痛んだ。
喉が張り付くようで、息がうまく吸えない。
彼は、自らの精神が狂う音を聞いた。
どうして。
いたいたいたいたいいたいいたい
心は引き裂けて、目の前が暗くなる。
愛してる、あいしてるあいしてるあいしてる、愛している、の に
誰よりも、なによりも、せかいよりも
すきで、いとしくて、
俺はあんたのために生きてるのに
あんたがいなくちゃ生きていけないのに
あんたがいるから生きていけるのに
なにもかも、すべては、あんたがいるからなのに
ああ、あんたは、ちがうんだな。
その事実が、すとんと腑に落ちた。
あまりの乖離に、死にたくなった。
あんたにとって、俺は、簡単に捨ててしまえるものだったんだ
あんたが還りたいとねがっていた事くらい
痛いくらいに知っていたから
手をとってもらえると、思ったわけじゃないんだ。
それでも、好きだという想いくらいは受け入れてもらえると、思っていたんだ。
けれど。
あんたは笑顔の裏で、世界を呪って
あんたは世界を救う裏で、世界を見捨てたいと願って
あんたは、
俺に、手を差し出す裏で、触れることすら厭うほどに嫌っていたなら
俺は、あんたにとってなんだったんだ。
俺が、あんたにしてきたことはなんだ。
あんたにとって、俺は、なんの足しにもならなかったのか
あんたのそばで生きたことに、なんの意味も価値もなかった?
俺は、あんたにとって、ただの道具だった?
ただの盾で、ただの剣で。
俺の思いなんて、どうでもよかったのか
必要のないものだったのか
彼女の蒼い瞳には、
心の底からの恐怖と
たらふくの嫌悪がこめられていた
見間違いようがない。ならそれが全てだったとしたら
今までの、全てが偽りで、何もかもが嘘で
あんた、そんなに嘘がうまかったんだな
それとも、俺が何も知らないだけか
あんたのこと、本当は一つだって理解できていなかったのか
希望は塗りつぶされて、絶望に染まる。
願いは踏みにじられて、
愛情は捨てられて、歪んだ
憎いのに、愛おしい
愛しているのに、こんなにも憎い。
あんたが救いさえしなければ、俺はここまで絶望しなくてすんだのに。
希望がないならば、絶望すら感じなくて
麻痺した心に、苦痛はとどかない
闇の中にずっといれるなら、光なんて忘れたままなら
きっとこれほどは辛くなかった。
こんなふうに捨てるくらいなら
いっそ初めから救ってなんか、くれなくてよかった
ああ、あんたに殺されたかった。
あんたが、俺以外を望んで、俺を捨てるなら
いっそ、殺して行ってくれればよかったんだ。
くるりと、世界が暗転する。
場面が変わる。
「おまえが、望んでくれるなら、私は――っ」
ここに残ってもいいのだと。
白い手が伸ばされる
その言葉が。
おまえが、望むなら……?
もう、のぞんだ。
のぞんでのぞんでたのんでこうてすがって、ねがって
それを、ふみにじったのは、
いらないと、一蹴したのは
かえりたいときょぜつしたのは
あんただろ
「――ふざ、けるな」
だって、あんた、おれのこと
あのめで、
嫌悪と、恐怖の入り混じった目で、俺をみたじゃないか
いまさら、あんたの なにを、しんじろ って
だって、もう、いたいんだ
いたくていたくて、たまらない
こわい、
ああ、おもいだしてしまった
これが、きょうふだ
そうして、彼はこわれた。