彼女と彼は歩き出す
わかっている。
助けてくれたわけじゃないことくらい。
彼は、穢神を倒しに来ただけで、
偶然、割り込む格好になっただけで、
庇ってくれたなどというのは、ただの思い上がりで。
わかって、いるのに。どうして、こんなにも――
鈍い銀色の光が一閃した。
軽く薙いだだけのその威力は、あまりに強力で
蔦は引き千切られ、穢神の腕がごろりと地面に転がった。
しかし、すぐに腕の断面から、濡れたような新芽が芽吹き、
何本もの蔦が寄り集まって、腕を形作った。
次の瞬間には、何事もなかったように、黒い服に覆われた腕が伸びていた。
ち、と舌打ちをして、追撃しようとしたリストの足が、唐突にがくんと崩れた。
原因はすぐに理解した。
彼に飲ませたアルコールは、いまだ抜けていなかったに違いない。
急激に動いたせいで、薄れたアルコールが再び回ってしまった。
穢神は、その隙を見逃さなかった。
一歩下がったのを合図に、周りの花が活性化を始めた。
蔦が穢神とモニカを包み込み、球体を形作り――。
ごくり、とまるでそんな音でもしそうな動作で
地面が彼女達を飲み込んだ。
何もかも、全部、私のせいだ。
「――っつ、モニカぁ!!貸してっ」
無我夢中で、リストの剣を奪って引きずった。
彼女が飲み込まれた場所に、剣を突き入れようとした。
まだ、蔦は残っている。
穢神のところまで、引きずり混んでくれるかも知れない。
剣を振り上げた所で、リストに押さえつけられた
「やめろ!馬鹿か!?なにやってるんだあんた!
あんたまで飲み込まれるぞ!」
「いやだっ!離してくれ、連れて行かないで!
返して!モニカっ!!」
半狂乱になってリストの制止を振りほどいて、手を伸ばした
ぱん、と頬を弾かれた衝撃に、思わず座り込んでしまった。
震える手を握り締め、立ち尽くしているのは
「へ、れな……」
「もう、いい」
ヘレナは、ぽつりと力なく呟いた。
俯いているせいで、影が射して顔が見えない。
「あ、ごめ、ごめん!
私のせいだ、全部、全部
モニカは、取り戻すから――」
「もう、いいっていってるのよ!!
行って何ができるの!!」
そう叫んだヘレナは泣いていた。
「すこしでも可能性があるなら、行って欲しいわよ
モニカを助けてって、言いたいわよ
当たり前じゃない!
でも、フラフラなアンタが行ってどうなるの!?
アンタまで殺されちゃうだけじゃない!」
忘れていた。
このせかいはいつだってやさしくなくて
権力やお金をいいように使う一部の人以外
無力なままであれば、何もかも奪われていくだけなのだと。
喪失に蹲って、絶望に泣いて、苦痛に怯えて
そんな人たちを見続けたから、
だから、彼の手をとった時に決めたんだ。もしも叶うなら、私は
「あのとき、助けなきゃよかった!
わかってたのに、力もないのに、守れもしないくせに
大切なものを増やしたら辛いだけだって
知ってたのに!
いかないで……お願い、
アンタまで死んじゃったら、あたし、どうやって生きていけばいいのよぉ」
「ごめん、けど、私は行かなきゃ
モニカは、連れ戻すよ、絶対にね。
勝算さえ、あればいいんだろう?」
縋る温もりを引き離して、囁いた。
私は、
だれかを、まもりたかった。
正しくあの時の願いを、思い出せたから。
だからもう逃げ出すわけにはいかない。
苦痛も、喪失も、死も、罪も、
免罪符になんかしない
踵をかえして、彼と向き合った
「私を穢神の巣まで連れて行って
いくらなんでも、場所くらい突き止めてあるんだろう?」
「もうじき軍の連中がここに来る、任せておけばいいだろ」
彼は、面倒そうに吐き捨てた。
目を合わせすらしない。
会話をする気がないことが、伝わってきて
少しだけ泣きたくなった。
「冗談じゃない。優先順位がちがうよ
聖女を守って、穢神を倒して、モニカを連れ戻すって?
彼らに全部やり遂げる実力があるとでも?役者不足だよ」
「だからって、あんたに何ができるって言うんだ
行けば取り戻せるとでもいうのかよ
そんな非力な腕で?剣の持ち方すらまともに知らないくせに?
自分は特別だとでも言うつもりか、弱いくせに自惚れるな
俺は、あんたの自己満足に付き合うつもりはない」
痛烈で、辛辣な言葉だが、まともに目があった。
というか、大体彼はこんな感じだった。
「何を言っているのかな
私は頼んだ覚えはないよ
おまえに断る権利などありはしないさ
おまえは私に何をしたのか忘れたのかな
私に近寄った場合利用させてもらうといったはずだよ
これは懇願ではない
脅迫であり、交渉だよ」
「助けてもらってよく言えるな、あんた」
彼が浮かべたのは怒りというよりも
呆れや、困惑だ。
「利用できるものは、何だってするさ
ここで口論している暇はないんだ、とっとと返事をしてくれないかな
おまえの主にでもバラされたいのかな」
途端、彼の瞳に焼けるような怒りが過ぎった。
また間違えたのだと瞬間的に悟った。
「言えるもんなら、言いつけてみろよ!!
なにも知らないくせに――」
「な、子供みたいなことをっ」
「俺はあんたが、誰に言いふらそうが困らない
勝手にしろよ」
「――っ!!私を押し倒したくせに、ひらきなおらないでよ!
誰と見間違えたか知りたくもないけどね
酔って見境なくして、我慢ならなくなるくらいなら
とっとと告白でもしてしまえば良かったのに!!
いい加減、女々しいよ!!」
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんだ!?
名前すら教えてもらえないのに、言えるわけないだろっ!!」
「なんだい、それっ
ちゃんとよんであげてるそうじゃないか
結局、手も出せないなら意味がないとでもいったところじゃない!?
だから男なんて!!」
「ああ?!」
激昂しかけた彼は、けれど落ち着かせるように大きくため息をつくと
ガリガリと頭をかきむしりながら踵を返した。
「あー、もう知るかよ」
立ち去ってしまおうとする彼に、必死に取り縋った。
「まって、まってよ
私が無力なことくらいわかってるよ、お願い、
おまえに言うしかないの
おまえしかいないの
一度だけでいいんだ、
まもりたいんだ、助けたい
おねがい、私におまえの力を貸して」
大きく開かれたアイスブルーの瞳が凍りついた。
見開かれた瞳が、頼りなく溶けるように揺れた。
たったいっしゅん、彼は
今にも泣きそうな顔をした。
全く予想していなかった反応に、思考が止まった。
だって、あんな
迷子の子どものような、かおを
「ただでさえ、成長している穢神だ
俺でも殺せるかすらわからないのに
この状態であんたと、子どもを守りながらなんて、戦えない
あんたの命なんて保証しない」
「それでも、それでもいいから
私にもう一度機会を頂戴。
もう、間違わない、今度こそ守りきってみせるから」
するりと、彼の手は解かれ、今度こそ遠ざかる背を
絶望とともに見送るしかなかった。
けれど、振り返った彼は私を見つめた。
「行くなら、さっさとしろ
あの子供なら殺されることはないだろうが
人違いにあれが気づいたらどうなるかわからない」
「いって、くれるの……?」
「俺の気が変わらないうちに、早くしろ」
「あ、ありがとうっ」
「アカネっ」
彼の背を追った私に、ヘレナから声がかけられた。
不安げな顔に、微笑んだ。
「大丈夫、きっと守ってみせる」
彼が、手伝ってくれる。
ならば、できないことなんて、きっとない。
だって、ひとりじゃないんだ。
それが、短い間だけだとしても。