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照らされた舞台と、彼女の記憶

さてさて、どうしようかな。

娼館からは、私の言ったとおり、営業できないから店番もいらない。

と追い出されてしまった。


行くあてもないが、家に帰るのもなんだか。

しかしあまり出歩いて、教会や、軍の連中と顔を合わせるのもうんざりだ。


しょうがない、帰るかな。一人でいると余計なことを考えてしまいそうだったが、

さらに精神状態を悪化させたいわけでもない。


ヘレナの家への帰路を歩いている途中、小石を蹴った

目線を上げると、地肌の覗く崖が目にとまった。

いつもとほとんど変わらないように見えるそれは、けれど

僅かな違和感を覚えた。

耳をすませると、ぶち、と何かが引きちぎれる音。


祝福の能力を稼働させる。

記憶を手繰り、関連しそうなキーワードを拾い上げていく。

瞳を閉じ、確認するように呟く


穢神が来てから、ここは天候不順が多い。

今日こそ晴れているものの、特にこの一週間は雨が多かった。


「降水量、は……、平均して……」


水平面に対する傾斜の角度。

崖の高さ。

木の根による保持力による相殺。


その全てを加味して、今現在かかっていると思われる、負担は――。


「――うん?これは、まずい……かな?」


疑問形になったのは、重要なキーワードが足りないせいだ。

アンノウン混じりの答えでは、詳細まではつかめないものの、音を聞けば、

このまま放置しておいていい類のものではないことは、理解できる

といっても、どうにかできるわけでもないので、できることと言ったら

この道をできるだけ通らないようにする、くらいだろうけれど。


ちょうど、祭りのため、村人の多くは集まっている。

ついでに、足りない情報を聞いて、時期まで特定しておくのもいいだろう。





そう思って、ヘレナから教えてもらった場所へ行った。

聞いていなければ、どうあっても見つけられないだろう。全力で隠しにきている。


「私の勇者」


聞き覚えのある、よく通る声がそんな事を言った。

どうやら、聖女を演じるモニカが、演劇を行っているようだ。

向かい合うように、膝をつく少年はもしかしなくとも

リストをモチーフとしているのだろうか。狼の耳が、覗いているため、間違いないだろう。

狼どころか、犬に準じる獣人はここにはいないはずなので、あの耳は偽物かもしれない。


「私の勇者。どうかその力を私に貸して頂戴、

哀れな人を救って、悪い人を罰するために。

私は、この世界を変えたいの。私一人では難しいことも

お前さえいれば、私は、なんだってできるわ」


ふ、と笑ってしまった。あの時は必死でそんな洗練した言葉など出てこなかった。

支離滅裂に言葉だけ連ねた。自分でも意味がわからないくらい。

それでも、かれは


「はい、この身をかけ、あなたをお守りします」


『俺が、あんたを、守る』


言葉も違うのに、彼の言葉が蘇る。


「あなたを害そうとする、そのすべてから

あなたが傷つかないように

あなたがその意思を貫けるように」


『人から、神から、世界から、全てから

あんたが傷つかないように

泣かないで、いられるように

歩いていける、ように』


ふわりと聖女の手を取り、くちづけを落とす。

忠誠を誓う騎士のように。


「私は、あなたと共にあります」


『あんたをひとりにはしない』


「私の――


――俺の、光。


だから、とあの時、彼は


途方に暮れたように、口をつぐんだ。

その続きは、一体何が言いたかったのだろう。そんな風に考えてしまった。



おまえは、私を光と呼んだけれど。

私にとっての、光はおまえだったんだ。

ずっと、そうだった。

私は弱虫で、暗闇の中でなど生きてはいけなかったから


おまえの光であれるように、そばにいてくれるように

見捨てないでいてくれるように

必死に取り繕って、努力して、虚勢を張ってでも歩き続けた。

こんな私でもだれかを、救えるように

そうして、いつかおまえを救えたなら、と


だけど、私は結局、おまえの光には、なれなかったよ。

もう、今や聖女ですらない。

穢され、手を汚し、痛みに怯えて自らを守るため蹲る私を

おまえは、どんな目でみるだろう。


軽蔑するような、アイスブルーの眼差しを想像して、恐怖に指が震えた。

震える指先で、彼に触れた唇に触れる。


熱い感情がこみ上げて、息が詰まった。

忘れてなどいなかった。忘れられるはずがなかった。

私の最愛の人。

きっと私の一生で一度の恋だった。

もう、ほかの誰にも恋などできないと思う程に。


抱きしめられて、くちづけを落とされて

人違いであっても、許せないと思っても

それでも、嬉しいと、思ってしまった。


どれほど彼を愛しているか、思い知らされてしまった。


彼がもう一度、わたしの手を取ることがあるなら

きっと、どんなことだってするのに。


どんな嘘だってつくのに。


割れるような拍手の中、私はただ立ち尽くことしかできなかった。








演劇を見ながら、ヘレナは泣き出しそうになるのをこらえていた。

もちろん、聖女様の話は好きなので、それもあるが、

なにより、こんなことができるようになるほど

モニカが健康になったことに、感動していた。


昔から、体は弱かったが、アカネが来るまでは、本当にひどかった。

立ち上がることさえできない有様で、

ヘレナさえ、姉が娼婦をしているからこの子に、天罰が当たったのではないかと、

思わずにはいられないほどだった。


モニカを良い医者に連れて行くほどの金もない。

情けなくて、かわいそうで、

それでも、私のせいで大変でごめんねと謝るモニカが、愛しくて。

この子を守るためなら、なんだってやろうと思った。

だから、二人きりで生きてきた。


アカネを見つけたとき、彼女は本当にひどい状態だった。

初めは、見なかったふりをしようとした。

見ず知らずの相手を養う余裕など、あるはずもないのは明白だったから。

共に生きれば、情が湧く。無力な身で大切なものを増せば、辛くなるだけ。

なのに気がつけば家に連れてきていた。

力なくポロポロと涙を流す、絶望した黒曜の瞳を、放っておくことなどできなかった。


生きるか死ぬかの瀬戸際を彼女はどうにか、脱した。

その頃には、彼女が普通ではないことに、もう気がついていた。

恐ろしい程、傷の治りが早かったからだ。

けれどその治癒力も、彼女が命を取り留めた頃になれば、速度を緩めた。

だから、彼女の体に残る傷跡は、生涯消えることはない。

普段の生活ならともかく、激しい運動をすることはできないだろう。

今でも、夜などは痛むのか痛み止めと、睡眠薬を常用していた。

死にさえしなければ構わないと言わんばかりのその治癒力は、彼女への好意からでないことは理解できた。


モニカにはできるだけ、傷跡を見せないようにした。

見ただけで、暴行犯の意図が透けるような怪我を、モニカには見せられなかった。

なにも知らないモニカは、友達ができたようだと、無邪気に喜び、

反応の少ないアカネへいつも話しかけていた。


それが功を奏したのか、少しずつ言葉を話すようになった。

ある日、ぽつりとモニカの病気は治せるかも知れないといった。

たぶん、アカネが笑ったのは、モニカが治った時が初めてだ。


ありがとうと、泣きながら言った

モニカは、アカネに抱きついた。アカネは、

ぎこちなく、笑った。


アカネといえば、どうしてもモニカを見たくて、娼館の受付を任せてきてしまったが

本当に大丈夫だろうか。とヘレナは不安になる。

あの娼館の男に、いいだけおどしは言っておいたけれど

アカネは、とても頭がいい。知らないことなどないのじゃないかと思うくらい。

けれど、とても心配だ。


頼りないというわけではない。いい子だし、責任感は強く

擦れて諦めたふりをしているが、本当は正義感も強い。


ただ、なんというか鈍い、というか、隙が多いというか。

モニカの言う、あんまりものを知らない、というのは信じられないが。


演劇は、終盤に向かっていく。

それとともに、思考は別のことに移っていく。

モニカが演じる、聖女様。


この世界は、きっと少しゆがんでいる。

どこからか、ひとりの少女を連れてきて、世界を救え、などというのは

最初からおかしな話だ。


この世界で、生きていたわけじゃない少女には

きっと、この世界を救う義理などないのだから。

無理やり、この世界をちいさな肩に押し付けるのは、あまりに酷い。


今代もそういう意味では、同じなのだが、女としてあまり気に食わない。

それに、彼女の周りはほとんど全員、彼女の味方なのだから

ヘレナくらい、なにを言ったって構わないだろう。


それに先代聖女の場合、もっとひどかった。

モニカよりも、まだ幼い少女が、親しい存在から引き離されて

役立たずと言外に罵られ続けるのだから。

考えただけで、ぞっとする。


それでも、彼女は勇者とともに、世界を少しだけ変えた。


この地が、聖女信望なのは、理由がある。

彼女は、一度この地に来たことがあるのだ。

本当に一瞬だったけれど。


奴隷を開放し、娼婦館へ厳しいルールを儲けた。

給料を増やすことや、娼婦の意思で拒否も可能にすること、衛生管理、など

貴族へ、不正の証拠を盾に、溜め込んでいる財産を、寄付させること

領主へ、暴利な税の取立てをやめさせることを約束させた。


もちろん、業突張りな連中がおとなしく聞き入れるはずはなく、

追い詰められた領主は、兵士たちを公衆の面前で、彼女に差し向けた。

数十人の屈強な男たちが、剣を聖女に向けた。

聖女は身じろぎすることもなく、殺してはだめよ、そうつぶやいただけだった。

瞬間、勇者によって兵士たちは、なぎ倒された。

それを行った勇者は、まだ足りない、というように不満げにうなった。


「あんたに、剣を向けた」


「命令されただけよ」


皆が見ている場で、兵士に命令したのだから、言い訳も言えない。

すぐに、領主は更迭された。

そうして彼女は、当然の様に頭を下げた。



目の前の演劇では、勇者は、聖女にひざまずいた。

舞台が暗転する。


演劇はおわり、割れるような拍手があたりを包んだ。

贔屓目も入っているかもしれないが、数回の公演の中で一番出来がいい。

拍手の大きさも、それを裏付けているように思えた。


「あれ、薬屋……?」


その時だった。隣から少し驚いたような声が聞こえたのは。


「ヘレナ、薬屋はこないっていってたんじゃねえの?」


出入り口のあたりを指差すようにした少年は、

モニカと同い年の、猫の特徴を持つ獣人で、キッサといった。

戦闘に特化した種族ではない猫にしては、割と強い方で、

黒い猫耳が特徴的な、幼さの残る可愛らしい顔立ちをしている。


「そのはずだけど、本当にアカネがいるの?」


「お前らみたいなのと一緒にすんな

この距離で間違えねえよ」


「ふうん、なら、何かあったのかもね

話聞きに行くわよ」


「はあ、なんで俺まで、お前一人で行けよ」


「あんたが見つけたんじゃない。

なに、まだ名前教えてもらえなかったこと、すねてんの?

いっそ、面と向かって聞いてみればいいじゃない」


そう言ってみると、キッサはふてくされたような態度で

んなみっともない真似できるかよ、と言った。

まったく獣人ってのは、メンドくさい。


ずるずると引きずっていくと、アカネを見つけた。


「っ、え、あ、アカネ!?何泣いてるの?大丈夫?」


黒曜の瞳が、呆然と涙をこぼすのをみて、彼女が倒れていた時を思い出し、ぞっとした。

彷徨うように、視点が合っていく。


「ああ、ヘレナ。大丈夫さ、なんともないよ」


「な、なんともねえって、そんな感じじゃないだろ」


「キッサじゃないか、久しぶりだね。最近会わないから、心配していたんだよ」


キッサの顔が真っ赤になった。

なんてわかりやすい奴。残念なことにアカネの方は毛頭気づいてないようだが。


「とりあえず、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?

ヘレナの家の前に、地肌の見える崖があるよね?

あれを見た限りでは、前に土砂崩れが起きていると思うのだけれど、

起きた時期を知らないかな?」


「ええ?私があの家に住み始めた頃には、もう崩れていたはずだけど」


「あ、確か、14年前だぜ、

俺が生まれる一ヶ月くらい前に崩れたって、言ってた気がする」


それを聞いたアカネは僅かに眉をひそめた。


「7日……、誤差前後三日ずつ、といったところ、かなぁ

ああ、でも、数十キロ以上の外部負荷がかかったときには、その限りじゃないし」


「どうかしたの?」


「うん、キッサ、教えてくれてありがとう。

あまり、あの道は通らない方がいいよ?

最近は雨ばかりだろう?近いうちに土砂崩れが起きてしまいそうだからね

さて、ここに集まっている人には話してしまおうか」


崩れることをわかっているような口調にヘレナは首をかしげた。

問い詰めようとした言葉は、無邪気な声にかき消された。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん!見てた?

わたし頑張ったよ!!」


飛びついてきたのは、妹のモニカだった。

もちろん、完璧だったよ。と言うと嬉しそうに笑った。


「あ、アカネちゃんもいる!!ね、どう?」


「ふふ、とても愛らしいかったね。本物よりずっときれいだよ」


「アカネちゃん!ありがとう!!大好き!

ていうか、なんでキッサもいるの

あんまりわたしのアカネちゃんに近づいたらだめだよ!」


「ああ!?誰がお前の……、じゃなくって

いちゃ悪いかよ、おま、え……」


アカネを間にして、喧嘩をするのはいつものことで

微笑ましく見ていると、キッサが何かに気づいたように固まった。

アカネを引き寄せるようにして、キッサはぶわりと尻尾の毛を膨らませた


「お前、犬の匂いがする」


「キッサは鼻がいいんだね、でも狼なはずだよ?」


何でもないことのように、さらりと告げ

周りが驚愕した。


「お、狼!?おま、薬屋!怪我は?!」


「アカネちゃん!狼って獣人のだよね!?

大丈夫?なんもされなかった?!」


「なんだってそんなのに出会ってんのさ!

狼の獣人なんて、滅多にいないってのに」


こくりと小さく頭をかしげた。

危機感がないったら、心配になるのはこういうところがあるからだ。

見ればすぐわかるようなキッサの好意にも、彼女は本当に気づいていない。

自分に向けられた好意や、欲望に対しひどく鈍い。

他人同士の感情には驚く程、鋭いにもかかわらず。

そのアンバランスさは、アカネの印象を一層危ういものにしている。


地獄を見たであろう少女の、自己防衛なのかもしれないが、

鈍いというより、いっそ欠落と言っていいほどかも知れない。


「娼館に来たのさ、私を娼婦と間違えたみたいでね

ちょっと襲われかけて、

それで、まあ、店が散らかってしまったから、追い出されてしまったんだよ」


「大丈夫なの?!」


「うん、問題ないよ、心配してくれてありがとう。

キッサもありがとう、嬉しいよ。おまえには嫌われていると思っていたから

でも、薬屋……というのはよそよそしいから、できれば名前で呼んで欲しいのだけれど」


キッサが驚いたのはもちろん、アカネも僅かに驚いていた。

言えないと思っていた言葉が、ふと口をついたとでも言うように


「は、はああああああっ!?お、おま、

お前が名乗んなかったんだろーがっ!?」


「名乗らない?何の話かな?」


「あ、あっ!アカネちゃん!もしかして知らないの!?」


困惑したような空気が流れる中、モニカが声を上げる。

すると、アカネは首をかしげた。


「し、知らないって、んなわけないだろ。

誰でも知ってるような常識だぜ?」


「モニカ、もしかして私は、またやらかしてしまったかな?」


「うん、だいぶね!」


アカネは、痛そうに軽く頭を抑えた。

もしかして、本当に知らないの、とヘレナが尋ねると、


「うん、わからない。

知ってることと、知らないことの差が激しいんだよ。


特に個人的に生きるための常識は、私が覚えても、

彼らの役には、立たないそうだからね

なにを教えてないのかすら、教えてもらえなかったさ」


「アカネちゃん、最初は火のつけ方とか、お風呂の入れ方もわからなかったんだよ?

お姉ちゃんには、言ったはずだけど」


「すまない。でも、まだそういうことなら、分からなければ聞けばいいんだ。

けどね、常識というか、暗黙の了解というのか

そういうものに至っては、何を知らないのかわからないからね

話をしていて、齟齬がでるまでは気づけないことが多くて――」


とても厄介なんだよ。とアカネは締めくくった。

唖然とする二人を尻目に、アカネは僅かにしゃがんだ。

いたずらっぽく微笑み、


「教えてくれるかな、モニカ先生?」


「うんっ!あのね、獣人は――」



瞬間、耳を打つような轟音に声はかき消された

外部からの、負荷によって建物は思い切り軋んだ。

外から、逃げ惑うような悲鳴と、人のものとは思えない絶叫。


平穏な世界が終わる音がした。


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