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第六話


 狼達を初めて目撃した日から十日。自分が今まで足を運んでいなかった区域を彷徨いだしたからか、何度か狼の群れを見かける場面があった。


 彼らは七、八匹で群れを成し行動している。その範囲は予想以上に広いが、森の深部までは至っていない。また、複数のグループが存在しているらしく、これまで四つほどの群れを見かけている。 


 その中の一つと偶発的に遭遇してしまった時、驚くべき発見をする事となった。



 事の発端は五日前だ。その日も狩りをしながら森を見て回っていたのだが、とあることを考えながら歩いていたせいで狼達の気配に全く気がつかなかった。結果、彼は狼達が食事をしている場面に出くわしてしまった。こちらは考え事に、あちらは食事に夢中で互いの存在を視界に入れるまで認識できなかったのだろう。


 大猪を貪っていた四匹の狼が一斉に自分の方を向いた。突如として現れた怪物に困惑している様子が見て取れた、次の瞬間だった。


『どうしてこんな所に?』


『怖い』


『どうする?』


『はやく逃げよう』


 頭の中に複数の言葉が流れ込んできた。当然ながら自分は言葉を発していないし、目の前の狼以外に生物は見当たらない。


 それらは狼達から放たれたものだと直感した。言葉の意味から考えても間違いではないだろう。


「今のは……お前達なのか?」


 もしかしたら、異世界における最初の意思疎通となるかもしれない。彼は胸の内に溢れる興奮と好奇心を極力、抑え込みながら口を開いた。しかし――


「……行ってしまったか」


 何かしらの反応を期待したのだが、狼達はあっという間に逃げ去ってしまった。残されたのは食べかけの猪の屍と、がっくりと肩を落とした怪物だけであった。


 それでも彼の心は沸き立っていた。一瞬とはいえ、狼達の声が聞こえたのだ。自分の声が届きさえすれば会話だって可能なはずだ。思わぬ形ではあるが、他者との意思疎通の可能性が出てきたことが何よりの収穫であった。


******


 それから五日。あの一件以来、機会を見つけては試行錯誤を繰り返してきた。結果、幾つかの事実が判明した。


 一つは、狼達の声を聞くためにはかなり接近しなければならないという事だ。これは狩りを行っていた狼の群れを発見し、気付かれないように接近しているときに分かった。


 彼らの言葉というべきか意思というべきか。そういったものは近づけば近づくほど大きく響いた。内容を正確に把握できるようになったのは、相当に接近したときだった。直後、こちらの存在に気付いた狼達は逃げてしまった。



 もう一つは、その狼達についてだ。これまで狼の群れを見つけては接触を図ってきたが、ある程度まで距離を詰めるとすぐに発見されてしまう。自分の凶相がいけないのか、それとも巨躯が威圧感を放っているのか。狼達はこちらの存在を知るなり、あっという間に逃げてしまうのだ。


 言葉を聞くには接近せねばならないのだが、それが何よりの難関でもあった。五日前の出来事は特別であり、そう何度も起こる事は無いだろう。


 狼達と意思疎通を行うのは非常に難しい。それが最近出た答えだ。



 最後は狼以外の言葉は聞こえるのだろうか、という疑問についてだ。結論から言えば、こちらも徒労に終わってしまった。ほとんどの動物は自分の姿を見るなり逃げてしまうのだ。何とか接触してみても言葉が響くことはなかった。


 自分が捕食者であることを考えれば当然であり、冷静に思い返してみれば捕食対象と意思疎通が取れても良いことは無いだろう。


 ちなみに、大猪はこちらから接近を図るまでもなく突っ込んでくるので最も近づきやすい対象ではあった。一応、言葉が聞こえるか試してみたが、その結果は言うまでもない。


******


 数え切れない失敗の末、彼は狼への接触を止めた。無論、諦めたわけではない。機会があれば再び狼たちと意思疎通を図ってみようと思っている。ただ、今はそれとは別のことに意識を向けていた。


「たしか、こんなものだったよな」


 目の前には、平たい歪な長方形の木片と細い木の棒がある。木片は倒木を砕き、その欠片から作り出したものだ。ちょうど良い大きさで、それなりに乾燥もしている。


 人差し指の爪を刃物状に変形させ、木片の隅を木の棒の先端と合うように刳り貫いていく。獲物を捌く時もそうだが、こうして簡単な工作にも利用できるのだから本当に助かる。


「よし、早速やってみよう」


 木片を地面に置き、先ほどの作業で出来た木屑を穴の周りに撒く。木の棒の先端を穿った穴に差し込んでから両の掌で木の棒を挟み、ゆっくりと前後に動かしていった。


 最初は力加減が難しかったが、地道に繰り返し動かし続けていくと徐々に慣れてきた。


 これが人間の身であったなら、体力が続かず掌の皮膚に痛みが走っていたことだろう。しかし、異形の今ならばどちらも大した問題とはならない。


 黙々と動かしていると、焦げたような臭いが広がり、木の棒の先端から白い煙が上がりだした。


「おお、煙が出てきた。ええっと、あとは……」


 火種といってもごく小さいものだ。このために良く燃えそうな枯葉を用意したのに、慣れない作業に手間取り、黒く変色した木屑だけを残して種火は消えてしまった。


「失敗か。なんの、もう一回だ!」


 例え失敗したからといって諦めるつもりなど毛頭も無い。むしろ初めて行う火起こしが楽しくて仕方がなかった。子供の頃に戻ったかのように心を弾ませて、再挑戦を始めた。



 それから何度か挑戦した末に、遂に火をおこす事に成功した。予め用意しておいた枯葉や小枝を使って焚き火にまですることが出来た。既に夜ということもあって、その炎は一際明るく周囲を照らしている。



 赤々と燃え盛る炎を見つめる怪物の顔は、これ以上ないほど晴れやかなものだった。

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