第二十八話
アーリス砦には地下室がある。燭台やランタンといったまだ使用できそうなものから、壊れて使い物にならないであろうガラクタまで様々な物が雑多に転がる物置と化している場所だ。
何度も足を運んでいる、すっかりと見慣れたアーリス砦の地下室には小部屋が二つあった。
一つは同じように物置となっており、これまた同じようにガラクタが置かれている。そして、もう一つは何も無いがらんどうな部屋であった。
しっかりと動く木の扉まであるのに、何かを置いた形跡もない。初めて見つけた時はクロと一緒に心躍らせながら扉を開け、顔を見合わせて落胆したのも良い思い出だ。
半ば忘れかけていた小部屋を思い出したのは、岩塩窟で見つけた魔具を眺めていた時だった。冷気を操作することが出来るという魔具に、トールはふと思い立った。
これを使えば冷蔵庫が出来たりしないかな、と。
地下室の小部屋といっても、それなりの広さがあった。とはいえ、オーガの巨体ではかなり窮屈に感じてしまう。それでも中に入れるだけマシだと思いながらトールはまず室内に棚を設置することにした。
どうして置いてあるのか分からない、壊れた家具をシアが魔法によって分解し木材へと変えていく。それをアナがふわりと浮かせて小部屋の前まで運んでくれる。人間用の工具を手にしたトールが四苦八苦しながら不格好な棚を組み上げていった。
狼であるクロは手伝えない事を残念そうにしていたが、シアやアナの魔法に目を輝かせたり、トールの危なっかしい手つきにそわそわしながら見守ったりと意外に楽しんでいるようだ。
部屋の左右に棚を作り終わった後、奥に飾り台を置いた。その上に魔具を飾ると、その姿形もあってか高価な装飾品を展示しているように見えた。ここまでくれば、あとは最後の仕上げを行うのみである。
「それじゃ、お願いしていいかい?」
「ええ、任せて」
一歩下がったトールに代わり、シアが飾られた魔具の前に飛んでいく。何かを小さく呟いてから彼女が魔具に触れると、淡い光を帯び始めた。同時に室内の温度が急激に下がっていくのが分かった。
「わわっ、思ったより冷たいわ!」
『すごい、ここにいても分かるよ!』
予想以上の冷気に部屋の外にいたアナとクロも驚きの声を上げた。
「こんなものかしらね」
初めての魔具は自分で使ってみたかったが、室内を冷却するのに一番大事な要素である。中途半端にトールが操作するよりもシアに任せた方がいいだろうと判断した。
「魔具の効果を絞っておいたから冷え過ぎることは無いと思うわ」
「ありがとう、シア。これで冷蔵庫代わりになりそうだ」
それは決して間違っていなかった。部屋の奥に置かれた魔具からは冷気が溢れながらも、凍り付くほどでもない。また、冷気をなるべく室内だけで収まるように効果範囲の調整もしてくれた。
魔具に不慣れなトールでは、このような繊細な操作はまず不可能だっただろう。
「それじゃ早速、肉と果物を置いておこう」
トールは持ち込んだ籠から肉を取り出し、棚に並べていく。さらにはリンゴやブドウといった森で採取した果実を逆の棚に置いた。
最果ての森は精霊が活発であるため、冷やしたところで食材が腐ってしまうのは早いかもしれないと不安を抱いた。けれど、シアによれば無人でもない限り二、三日で腐るようなことはないとのことだ。とはいえ、保存食でもなければ早めに消費したほうがいい、とも語った。
こうして完成した冷蔵庫により、トール達の食生活はまた変わっていくことになった。魔具の冷気は食品の保存だけでなく、氷菓の作成も可能になった。というのも、魔具の周辺は一段と温度が低くなっていて、水などを置いておくと凍ってしまうほどだ。
そこでトールはリンゴやブドウの果汁を使って簡単なアイスやシャーベットを作ってみた。これが予想以上に美味しく、果物を採取した際は一部をそういった氷菓用に加工するようにしていた。
更には岩塩と冷暗所が揃ったことで干し肉の作成に取り掛かってみたりと、トール達は日々を楽しく賑やかに過ごしていった。
*******
月日は穏やかに流れ、気付けば妖精たちと出会ってから一年が経過していた。トールとクロはオーリス砦を拠点にし、シアとアナは変わらずに精霊の樹に住んでいる。毎日顔を合わせているわけではないが、親交は続いていた。
その日、トールはアーリス砦から少し離れた場所で座り込んでいた。目の前には大きなまな板が置かれ、右手には刀身が半ばから折れている直剣を持っている。
これは地下室に無造作に転がっていたもので、折れてしまった今でも四十センチほどの長さがある。剣先は見つからず、本来の長さや刃の形は残念ながら分からなかった。
試行錯誤ながら手入れも行っているので、それなりの切れ味もある。トールはこれを包丁の代わりとして重宝していた。鍔が邪魔で力任せにへし折ってしまった事は心の中で謝っている。
「ね、ね。何を作るの?」
そんなトールの左肩に座り、好奇心に翅を揺らしているのはアナである。初めて出会った頃の怯えが嘘のように無くなり、二人きりというのに気にした様子もない。
今日、クロは妖精たちが住む精霊の樹まで足を運んでいる。トールがエルトリィンの花を移植してからというもの、精霊の樹の周辺は美しい花が咲き誇る花園となっている。それを管理しているのがシアであった。
トールも時折手伝っているが、今日はシアだけで問題ないとのことで別行動となった。その作業を見学してくるよ、と言い残して精霊の樹へとクロが向かっていったのはつい先ほどだ。本当の目的は昼寝をするつもりだろう。
久しぶりの一人きりの時間は、妖精たちと同じように花壇の整備に費やされた。雑草を抜き、水を撒き、全体を見て異常がないかを確認していく。シアが定期的に見てくれるのでエルトリィンの花が増えすぎるということもなくなっていた。
花壇だけでなく、サツマイモを育てている畑もしっかりと目を光らせる。こちらの生育も順調で、もう少しすれば芋が収穫できるだろう。
大方の作業を終えて小休止しようと思った瞬間に、トールの腹がぐぅっと鳴いた。休憩ついでに一人でこっそりと何か食べてしまおうかと企んだ時、昨日の夜に残った肉が地下の冷蔵室にあったことを思い出した。
冷蔵室から肉と香草、そして包丁代わりの折れた剣を取り出し、まな板を用意した時にアナはふらっと現れた。ちょうどまな板の前に座り込んだ所だったので、トールが何かを作ると判断したらしいアナは目を輝かせて左肩に飛び込んできた。
思わぬ来客に驚きつつも、トールは歓迎して調理を開始した。
「これからハンバーグを作ろうと思ってたんだ。アナも食べるかい?」
「食べる!」
岩塩を手に入れてから、これまで何度かハンバーグを作ってきた。最初は朧げな記憶を頼りに何とか作り上げたが、歪な形で見栄えも悪かった。それでも味は胸を張れるものであり、皆も喜んで食べてくれた。
「それじゃ、作っていこうか」
籠から取り出した猪の小さな塊肉を剣でゆっくりと刻んでいく。力を入れすぎるとまな板まで叩き斬ってしまうので慎重に行う必要があるが、これも今では慣れたものである。
「そういえば、アナはどうしてここに? シアの手伝いをしているとばかり思っていたが」
とんとんと剣で肉を切りながら、トールの口からふと疑問が零れ落ちた。
「そのシアから、今日は手伝わなくてもいいって言われたの。ま、確かに今日の作業はわたしが居てもあまり意味ないしね」
「そうだったのか」
「うん。でも終わったら勉強するからって言われてさ。逃げてきちゃった」
えへへ、と笑うアナの姿にトールも頬を緩めた。
話をしている内に塊肉はミンチとなり、それに予め微塵切りにしておいた香草と岩塩と混ぜ合わせていく。充分に混ざったことを確認し、丸く形を整える。
「よし、こんなもんだろう。アナ、薪を幾つか運んでくれるかい?」
「任せて!」
桶の水で手を洗っている間、アナは砦の裏手に飛んで行った。すぐさま戻ってきた彼女の後ろには十本ほどの薪が追従するように浮かんでいる。
あれはトールが倒木を利用して切り出したものだ。斧で薪割などフィクション作品の中でしか見たことが無かったが、やってみると意外なほど難しく、そして楽しいものであった。ついつい夢中になってしまった結果、砦の裏手には山積みになった薪が鎮座している。雨で濡れないよう、シアが屋根を作ってくれたのも良い思い出だ。
「ここに置いておくね」
「ありがとう、助かるよ」
以前から使用している石組みの竈に火口となる乾燥した燃えやすい葉を並べた。素早く火をおこして火口に燃え移らせ、細い枝を折りながら放り込んでいく。続いてアナが持ってきてくれた薪を投入していけば、しっかりと火が立った。
そこへ使い古した石板を置いてしっかりと熱を持たせる。やがて火の勢いが落ち始め、頃合いを見計らって猪の脂を落とした。木の枝で作った箸で滑らせるとあっという間に溶けていった。
「それじゃ、焼いていくぞ」
「焼こう焼こう!」
その上にハンバーグを置けば、途端に食欲を刺激する音と匂いが広がった。ごくりと喉を鳴らしたのはトールかアナか。
片面に火が通ったことを確認してから、トールは再び折れた直剣を手に取った。崩れないよう慎重にハンバーグと石板の間に刃を入れる。
「よし、ひっくり返すぞ」
「うん……」
ここで失敗すれば悲しい結果になるのは目に見えている。トールは覚悟を決め、アナは固唾を呑んだ。
「それ!」
くるりとハンバーグが回転した。少しも崩れることなく、無事に片面を焼き始めたことでトールはそっと息を吐いた。
「お見事!」
「成功してよかったよ」
わいわいと騒ぎながら焼き続け、頃合いを見計らってハンバーグを半分に切り分けた。断面からは肉汁が溢れ、音を立てて石板に落ちていく。一番肉厚な場所を切ってみたが、しっかりと火が通っているようだった。
「ちゃんと焼けたかな。さ、召し上がれ」
「いただきます!」
きちんと手を合わせてから、アナは魔法を発現させた。ハンバーグが妖精サイズへと砕かれ、アナの口へと運ばれていく。
「美味しい! とっても美味しいわ!」
もぐもぐと動く頬に手を当てて、アナが大きな声を上げた。その背中では翅が喜びを表すようにせわしなく揺れている。
「では、私も一口」
トールもハンバーグを切り分け、箸で口に放り込んだ。塩だけのシンプルな味付けだが、その分しっかりと肉の旨味が感じ取れた。濃厚な旨さが口内で暴れ回った後、香草の爽やかさが鼻を通り抜けていく。
「これも上手く出来たようだ」
「うーん、幸せだわ……」
うっとりとしながらもアナは次々にハンバーグを食べていく。外見からは想像もできない健啖さにトールは口角を上げた。
人間の大人ならば満腹になるであろう大きさのハンバーグは、あっという間になくなってしまった。その大半を小さな妖精が食べたとはとても信じられないだろう。
「あの……」
「ん?」
食後のハーブティーを飲もうと準備していたトールに、アナが消え入るような小さな声をかけた。
「ごめんなさい。ほとんどわたしが食べちゃった」
どうやらハンバーグを食べ過ぎたことを気にしているらしい。
「いいさいいさ。あんなに喜んで食べてくれると、私も嬉しいからね」
その言葉に嘘はない。アナの食べっぷりは見ていて気持ちがいいくらいだ。あれほど喜んで食べてくれるのなら、作った甲斐があるというもの。
それはアナだけでなく、シアやクロも同じだ。彼女たちもトールが作ったものを喜んで食べてくれる。その姿を見るのがトールの楽しみでもあった。
「そんなに気にする必要はないよ。それより、ハーブティーはどうだい? 幾つかの花をブレンドした新作なんだ」
「ありがとう、トールさん! もちろん頂くわ!」
ティーカップを片手に、トールとアナはゆったりと談笑を始めた。珍しい二人での会話だからか、普段はあまり話題にならないことでも盛り上がった。
そんな穏やかな時間が終わりを告げたのは、ちょうどティーポットが空になった時だった。会話の途中、不意にアナが飛び上がったのだ。
「トールさん、シアとクロちゃんがこっち向かっているわ」
「シアが?」
クロはともかく、今日はシアがこちらに来る予定はなかったはずだ。精霊の樹での作業も終わり、クロと一緒に遊びに来たのだろうか。これまで何度かあったこともあり、トールはさほど気にはしなかった。
だが、それもアナが隠れるようにトールの左肩の後ろに回り込んだことで認識を改めた。
「アナ、何かあったのか?」
「うん」
怯えたように顔を覗かせたアナは、そのまま驚くべき言葉を重ねた。
「こっちに向かっているのは二人だけじゃない。知らない気配が二つ、一緒に来てる」
「……なんと」
トールは驚愕を隠せず、唸るように一言だけ呟いた。
「追われてる、とかではないみたい。多分だけど、二つはクロちゃんに乗ってる」
「なら、危険は無いとみるべきか」
アナの発言にトールは少しばかり緊張感を緩めた。二人に危険が迫っているのならば、こちらも相応の対応が必要になる。しかし、行動を共にしているのであれば、一刻を争うような状況ではないのだろう。
この予期せぬ来客は、きっと自分たちに大きな変化をもたらすだろうとトールは確信に似た予感を胸に抱いた。




