第二十七話
周囲が夜闇に支配される時間。トールは焚火の前に座り込み、使い慣れた石板で大猪の肉を焼いていた。食欲を刺激する音と匂いが広がると、狼の尻尾と妖精の翅がそわそわと揺れた。
やがて肉が焼きあがると、小枝で作った箸を使って大きな木皿に移動させていく。普段ならばクロとアナが目を輝かせながら食べ始める所だが、この日は少し違っていた。
肉を焼いていた焚火とは別に、小さな竈を作っていた。石で組んだ簡易的なものだが、フライパンでウイカの実を炒るには十分な大きさだ。
炒り終えた二つのウイカの実を用意しておいた平たい石の上で擂り潰していく。やがてウイカの実から出た油分によって徐々に粘り気が出てきた。そこへ細かく刻んでおいた香草を振りかけ再び混ぜていく。ちなみにこの香草はシアが教えてくれたものである。
よく混ざったことを確認し、トールは木製のキャニスターを取り出した。水がなみなみと入るジョッキよりも大きいキャニスターは、このためにシアとアナが協力して作ってくれた贈り物だ。
中に入っているのは、本日手に入れたあの岩塩である。洞窟から採掘した岩塩の塊はそのままでも食用に出来そうだったが、二人の妖精が魔法によって不純物まで取り除いてくれたのだ。
岩塩はミルを使用した後のように粗く砕かれているものの、妖精たちにとっては納得のいくものではなかったらしい。
自分たちが大地の精霊をもっと上手に操れれば、より細かく美しい塩に精製できた。それに、これより多くの岩塩を処理できたはずだ。と言って二人は肩を落としていたが、とんでもない話である。
塩用のキャニスターを作成するだけでなく、岩塩をこんなに食べやすく精製してくれたのだ。トールは頭を下げて感謝の言葉を伝え、労う意味も込めて夕食は豪華なものにしようと決めた。
大きな肉をただ焼くだけでなく、ウイカの実を使ったナッツソースを作ることにした。人間だった頃にクルミやアーモンドのナッツソースを食べたことがあり、ウイカの実で同じように作ってみようと思ったのだ。
やがて完成したソースの味見をしてみれば、木の実の香ばしさやほのかな甘みに細やかな香草の刺激と清涼感が混ざったソースは美味だと胸を張れる出来だった。
ナッツソースを絡めた猪肉は妖精と狼の口にもあったようで、皆が喜んで食べてくれた。あっという間になくなってしまったが、また作ってほしいと口を揃えて言ってくれたのは何とも嬉しいものだ。
調味料があるというのは肉だけでなく、木の実やキノコも一味違って楽しめる。焚火を囲んでの夕食は、普段よりも大いに盛り上がった。
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賑やかな夕食も終わり、トールは食後のハーブティーで喉を潤していた。熾火になった火床を挟み、シアも同じようにハーブティーを口に運んでいた。
満腹になったクロはしばらく火床を見つめていたが、今では丸まって寝息を立てている。先ほどまで談笑していたアナも眠くなったらしく、クロの毛に埋もれるように眠っている。
時折、火床からパチパチと音が飛び出す以外は静かな夜の一時であった。
「ウイカの実を使ったソースは美味しかったわ。あんな料理もあるのね」
ふと言葉を漏らしたのはシアであった。炒ったウイカの実を好むシアは、あのナッツソースを非常に気に入ったようだ。
「私も初めて作ってみたが、美味しく出来てよかったよ」
「人間達が塩を欲する理由も分かるわね。でも、どうしてあの採掘場は放棄されたのかしら?」
「確かに。海から塩を手に入れるより楽だと思うが……」
最果ての森から海まではかなり離れていると聞いた。内陸部で塩を入手するのは一苦労だろう。何かしらの輸送手段か、あるいは代替の品物でもあるのだろうか。
「ま、それは置いといて。あれ、どうするの?」
続けて言葉を重ねたシアが視線を向けた先、そこにあるのは小さな金属製の小箱であった。頑強に組み上げられ、堅牢魔法まで付与されている様は金庫のようにも思えた。ただ、鍵の類は見当たらない。
「ああ、これかい?」
地面に無造作に置き忘れていた箱に手を伸ばし、トールは手のひらに乗せた。金属製なだけあり、さほど大きくないのに確かな重さを感じる。オーガだから片手の手のひらに置けるが、人間ならば両手が必要だろう。
手でそっと箱の蓋を持ち上げると、飛び込んでくるのは青く美しい宝石だ。その宝石を固定するように銀細工が施され、一本の革紐が通されている。
一見すれば青い宝石の装飾品だが、淡い光を帯びたと同時に箱の周囲の空気が少しだけ冷たくなった。
「魔具……初めて見るが、綺麗なものだなぁ」
それは、この世界で初めて触れた魔具であった。
その小箱を見つけたのは、岩塩を採掘して洞窟から出ようと通路を戻っていた時だった。洞口の入り口から採掘場まで一本道だと思っていたが、途中で分岐していることに気付いた。
そんな道を前に歩みを止める一行ではない。賑やかな声を上げながら進んでいくと、先にあったのは雑多に採掘道具が転がる物置のような場所であった。それほど広くもなく、松明の灯りだけで内部を十分に照らし出せた。
大きな木箱や樽も置いてあるが、半分は壊れており、無事な半分も中は空っぽだ。特に目を引く物も無い、と思った時にアナが見つけたのが、この金属製の箱であった。施錠されていない代わりか、しっかりと堅牢魔法が掛けられている。
子供のころに遊んだゲームに出てくるような宝箱とはまるで違うが、もしかしたら貴重な逸品が入っているかもしれない。
期待に胸を膨らませながら箱を開けたトールの目に飛び込んできたのが、この青く美しい魔具であった。
「この魔具には冷気を操作する魔法の術式が組み込まれている……だったか」
トールは箱から魔具を出さず、色々な角度から眺めながら呟いた。
「ええ。それほど上質な物ではないようだけど、ちゃんと効果を発揮するはずよ」
「ほー。綺麗な宝石をあしらったペンダントにしか見えないよ」
「あら、魔石だって宝石の一種には違いないわ」
「なるほど、魔石か……魔石?」
感嘆しながらシアの説明を聞いていた時、ふと聞き慣れない単語が出てきた。
「魔石というのは魔力を帯びる不思議な鉱石でね」
カップを置いたシアはふわりと飛び立つと、ちょこんとトールの右肩に腰かけた。そのまま箱の中の魔具──魔石を指差しながら言葉を続けていく。
「魔法との相性がいいものだから、魔具に多く利用されているの」
「へぇ。なら魔具には魔石という物が必須なのか?」
「組み込まれた魔法を繰り返し使用できるような魔具には必要ね」
魔具を使用するためには魔力を伝達させればいい。しかし、魔法効果を存分に発現させるには相応の魔力が必要になる。その為に役立つのが魔石と呼ばれる特殊な鉱石だ。
遍在する魔素から少しずつではあるが自然に魔力を得て蓄積する性質がある他、人の手により魔力を込めることも出来る。そうして秘めた魔力により魔法の発現を補助し、また、繰り返し使用することが可能となる。
上質な魔石ほど莫大な魔力を蓄えることができる。大規模な魔法や複雑な効果を発揮するような魔法ほど多大な魔力を要することから、魔石の質を見れば魔具の品質も分かるという。
「それは凄いな……」
シアの話を聞きながら、トールは唸るように驚きの声を上げた。
「さっきも言ったけれど、それほど上質な魔石ではないから。組み込まれている魔法は氷を生み出す程度だと思うわ」
「いや、それでも凄いよ。ここの環境では氷なんて見ることはないからね」
こんな小さな魔具で氷を生み出せるとは、本当に魔法とは驚くべきものだ。特に科学が発達した世界の記憶があるトールにとってはなおさらだ。電気と機械が揃ってようやく自由に作れる氷が、この世界では小さな魔具一つで可能なのだから。
「それで、トールさんはこの魔具をどうするのかしら?」
彼女によればオーガであるトールにも魔具を使用できるという。魔力操作に慣れる必要はあるが、一日もあればすぐに使えるだろうとのことだ。
「実は、これの使い道はもう決まっているんだ」
これを使って魔法を自在に操りたい、と思う気持ちはある。しかし、ここではそれを向ける相手がいない。敵と呼べる存在はいないし、クロが手伝ってくれるので狩りに使う必要もない。無駄に自然を傷つけることはしたくないので、木々に向けて氷を打ち出すというのも論外だ。
そこでトールは、この魔法の冷気を生活に役立てることに決めた。というより、この魔具の効果を聞いた瞬間からその使い方にしようと決めていた。
首を傾げているシアに、その計画をこっそりと打ち明ける。すると、驚いたように目を見張った後で楽しそうに笑ってくれた。
「ふふ、相変わらず面白いことを考えるのね。私も手伝うわ」
「本当かい? とても助かるよ」
トールとシアは顔を突き合わせて会話を続けていく。
凶悪な顔つきの怪物と美しく可憐な妖精というまったく正反対な外見の二人であったが、その声は同じように弾んでいた。
魔という文字ばかり……




