第二十二話
予期せず出会った小さな妖精と思われる存在を、トールは目を瞬かせてから改めて見やった。
体長は三十センチほどだろうか。身に纏う深い緑色の衣からは細く白い四肢がすらりと伸びている。そして何よりも目立つのは背中の美しい翅だ。緩やかに動きながら太陽の光を受けて煌めいているのを見る限り、その翅で飛んでいるわけではないらしい。
神秘的でありながら可憐な姿は、端整な顔立ちと相まってまるで精巧な人形を見ているようだった。しかし、不安を色濃く写した表情と右往左往する目線が彼女が生ある存在だと印象付ける。
「あの……」
そんなことを考えていると、目の前の妖精が消え入るようなか細い声を発した。そこで、自分がじっと彼女を見つめていることに気付いた。その気はなくとも、オーガの凶相では睨みつけていると思われても仕方がない。
「失礼、怖がらせてしまったら申し訳ない。ええっと、私はトール。オーガと呼ばれる種族をしています」
トールは慌てて頭を下げてから、珍妙な自己紹介をした。既に好印象とは程遠いようだが、挨拶もできないと思われたらそれこそ友好関係など築けないだろう。
「私はシアといいます。その……妖精です」
僅かに目を見張ってから、妖精は小さな声でシアと名乗ってくれた。
「なんと……やはり本物の妖精」
想像した通りの存在に、トールは好奇心が膨れ上がるのを感じた。当然ながら、人間として生きていた時に妖精を見たことなどない。創作の中でしか存在していなかった妖精とこうして出会えたのだ。出来ることなら、もっと多くを語りたいと思った。
「妖精のこと、ご存知なのですか?」
「いえ、それほど多くを知っているわけでは。ほんの少し、文献で読んだことがあるだけです」
トールの知る妖精とは創作物に登場する者たちだけだ。作品によって性格も役割も異なっている。一言に妖精といっても千差万別である。シアがどのような妖精なのか、今の状況では見当もつかない。
人間だった頃に妖精が登場する作品を見たことがあります、などと言うつもりはないので、トールは言葉を濁して答えた。
「オーガが文献……?」
「ところで、今日はどういったご用件で?」
その返答に何やら驚愕しているシアが気になりつつも、深く聞かれると面倒なことになりそうだと判断したトールは話題を変える意味も含めてシアに問いかけた。
「あ、そうでした。今日はトールさんにお礼を言いたくて」
「お礼? 私に、ですか?」
トールとしてもシアの目的が気になっていたが、その答えに思わず首を傾げてしまった。
「はい。トールさんはエルトリィンの花を咲かせて下さいました。そのお礼を言うため、私たちは参りました」
エルトリィンの花と妖精がどのような関係なのか。気になるトールだが、それ以上に気を引いた言葉があった。
「私、たち?」
「はい。ほら、アナ。あなたも出てきなさい」
シアが振り返り、クロの方を向いた。トールが同じように視線を向けると同時に、クロがさっと体ごと頭を伏せた。
その後ろに隠れていたのだろう。もう一人、妖精の姿がそこにあった。遮蔽物がいきなり無くなったことに驚いたようで、あわあわと視線を彷徨わせてからシアの背中に引っ付いた。
「ごめんなさい。この子、ちょっと怖がりなんです」
背中で震える妖精を気遣いながら、シアは困ったように笑った。
「まぁ、オーガですからね。それも仕方がないかと」
一方のトールも、妖精が怖がる理由に心当たりが多すぎて思わず笑ってしまった。
見境なく暴れ回ると言われるオーガの凶悪な顔つきにこの巨体である。そんなものが目の前にいるのだから怖がるのも当然だろう。シアも最初はかなり不安そうな表情であったが、今はだいぶ和らいでいるように見える。少しは話が通じると思ってくれたようだ。
「それで、エルトリィンの花と――」
もう一人の妖精についてはそれ以上触れないでおこう、とトールは話を戻そうとした。しかし、口から出た言葉は最後まで言えなかった。
『トール、僕お腹空いちゃったよ』
クロのお腹から響いた音で途切れてしまったのだ。目が合ったクロは尻尾を大きく振ってから、力なく呟いた。
「そういえば、私も昼食がまだだったな」
その言葉を聞いた途端、トールの腹もぐうっと鳴った。朝からずっと肉体労働を行ってきたからか、思ったよりも激しく腹の虫が騒ぎ出した。
「そうだ、収穫したサツマイモを食べてみようか。どうです、お二人も食べてみますか?」
エルトリィンの花の一件で急激に成長したサツマイモは、事態が鎮静化した後も順調に成長を続けていた。最初の収穫が出来たのが二日前のことだ。二十個近く収穫できたサツマイモはアーリス砦の暗所に保存している。
予想以上に大きく育ったサツマイモの幾つかを収穫したその日に食べてみたところ、これまた予想以上に美味しいものであった。
「サツマイモ……?」
この世界ではサツマイモと呼ばれていないようで、シアは聞きなれない単語を口にしながら首を傾げている。
『すっごく美味しいお芋なんだ! 一度食べてみるといいよ!』
クロはサツマイモを気に入っているらしく、先日も三つの大きな芋をぺろりと平らげている。今も嬉しそうに目を輝かせているのがいい証拠だろう。
「まぁ。それならお言葉に甘えて……トールさん、よろしいですか?」
「もちろんですよ。先ほどの話の続きは食べながらするとしましょう」
トールとしても訪ねてきてくれた客人をもてなしたいと思っていた。いつまでも立ち話――妖精は空を飛んでいるので立ち話と言っていいかは微妙だが、このような場所で長々と話し込むのも失礼な話だ。
「アナも、いつまでも隠れていないの。あなたもお芋、食べるでしょう?」
「……食べる」
シアに隠れながらも、アナと呼ばれた妖精が顔だけ覗かせてトールを見てくれた。
「わたし、アナです」
「私はトール。よろしく、妖精さん」
笑いかけてみたが、やはりオーガの顔立ちは凶悪なものらしい。会釈をするなり引っ込んでしまった。少し寂しいと思いながらも、不快に思うことはなかった。
オーガが恐ろしい怪物であることは理解している。そんな自分と向き合い、堂々と会話を交わしているシアの胆力こそ驚くべきものだ。
「では、焼き芋の準備に取り掛かろうか。クロは二人をいつもの場所に案内してくれ」
『このあいだ作った所だね。わかったよ。さ、二人とも行こう!』
戸惑った様子の二人を気にすることなく、クロは尻尾を振って歩き出した。トールとクロを何度か見返した後、シアがぺこりと頭を下げてから追っていく。それを更にアナが慌てて追う姿を微笑ましく思いながら、トールも行動を開始した。




