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第二十一話


 その日、クロは精霊の樹まで遊びに来ていた。以前からお気に入りの場所であったが、トールがエルトリィンの花を植えてからは、もっと好きな場所になっていた。


 巨樹の周りには色とりどりの花が咲き乱れているためか、複数の芳香が混ざり合っている。魔獣とはいえ狼であるクロにしてみれば好ましい環境ではないと思いきや、鼻をくすぐる豊かな香りは実に心地よかった。


 今日は天気も良く、風も穏やかだ。トールと一緒に朝食をとった後、気ままに散策しようかと思っていたクロは絶好の昼寝日和だと思い立ち、彼に一言告げてから足取り軽くここへ駆けてきた。


 巨樹にふさわしい樹冠から漏れる光に、穏やかに吹き抜ける森の風。周りには様々な色の花が咲き乱れ、ふわりと舞う芳香はエルトリィンの花か。


 精霊の樹の根本で横になったクロは大きな欠伸を一つしてから目を閉じる。強烈な睡魔に抗うことなく、ゆったりと眠りについた。


******


『……ぅ……ん?』


 どれくらいの時間が経っただろうか。緩やかに目覚めたクロは、不思議な声が聞こえてくることに気付いた。


「……り、やめ……」

「そ……なけれ……」


 まどろむ意識の中、響く声に意識を傾けてみれば、それらが少しずつ明瞭なものになっていく。初めて聞いた声は一つではなく、何やら会話をしているように思えた。


「でも、相手はオーガだよ? 食べられちゃうかもしれない!」

「彼は普通のオーガではないと思うわ。エルトリィンの花を咲かせる魔物なんて聞いたことないもの」

「それはそうだけど……」


 小さな声でも近くで会話をされては気になって仕方がない。目を開けたクロは欠伸をしてから声の主へと視線をやった。


『……人間さん?』


 視線の先に居たのは、二つの小さな人影だった。ずっと前に見かけた人間と同じような四肢に、トールと比べると露出の少ない服装。背中の透き通るような美しい翅は初めて見るが、人間にも色々な種族がいるのだろうか。


「いいえ、狼さん。私たちは人間ではなく妖精よ」


 人間――ではなく、妖精は困ったように笑った。よくよく見てみれば、人間とは大きさが全然違っている。鼻先に浮いている妖精はとても小さく、クロならば一飲みにできそうだ。


『妖精さんなんだね。僕、妖精さんを初めて見たよ』


 凝った体を伸ばすと、寝ぼけていた頭もようやく冴えてきた。今まで樹海を歩き回ってきたが、目の前にいる妖精という存在は見たことが無かった。


 彼女が纏っている衣は鮮やかな緑色をしており、それはこの樹海の豊かな自然を染み込ませたかのようだ。陽光を浴びると淡い光を帯びる様は何とも不思議で、同時に幻想的でもあった


「私もオーガに懐く狼さんは初めて見たわ。最初は力尽くで従わせているのだと思ったけれど……」

『トールは僕の友達なんだ。そんなことしないよ!』


 大事な友達を悪く言われて黙っていることはできない。むっとしながら言い返すと、妖精は怒るでもなく小さく笑った。


「そうね。ずっとあなた達を見ていたけれど、とても仲が良さそうだったもの」


 これまで妖精の姿はおろか気配すら感じたことはなかった。なのに、目の前の妖精はこちらを見ていたと言う。


『僕たちを見ていたの? 凄いなぁ、全然気付かなかった』


 クロは不思議に思いながらも、深くは考えなかった。自慢の耳と鼻でも捉えることが出来なかった妖精に、素直に感嘆の言葉を向けた。


「必死に隠れていたからね。何度か危ない場面もあったけれど……」

『そうなんだ。でも、どうして急に姿を見せたの?』


 今まで隠れていた妖精が姿を現した。何か理由があってのことだろうと思ったクロは、単刀直入に疑問を投げかけた。


「狼さんにお願いがあるの」


 柔らかな微笑みを浮かべていた妖精が真剣な眼差しをクロに向ける。


『僕に?』

「ええ。あのオーガ……トールさんに会わせてほしいの」

『いいけど、トールに何か用があるの?』


 その予想外な言葉に、クロは思わず問い返してしまった。


「エルトリィンの花を咲かせてくれたでしょう? 直接お礼をしーー」

「シア、やっぱりやめようよ!」


 妖精の声を遮ったのは、また別の可愛らしい声だった。どこから聞こえたのだろうとクロが辺りを見回すと、近くに咲いていたエルトリィンの花から顔を覗かせている妖精の姿を見つけた。


 そういえば、最初に聞こえたのは二人の会話だった。目覚めた時にも二つの人影を確認していたのに、すっかり忘れていた。彼女がもう一人の妖精なのだろう。

 

 クロが視線を向けると、その妖精は慌てて花の影に隠れてしまった。ただ、背中の大きな翅だけは隠しきれていない。


「アナ、さっきも言ったでしょう? あの花がなければ、私たちは消えてしまっていたかもしれないのよ」


 シア、と呼ばれた妖精がふわりと舞い、エルトリィンの花に隠れている妖精に近づいていく。


「ちゃんとお礼を言わないと。妖精は恩知らずだ、なんて私は言われたくないわ」

「でも、危ないよ。オーガだもん。きっと食べられちゃうよ」


 トールはオーガという種族であると、彼自身から聞いたことがある。あの妖精はオーガに怯えているのか、もう一人の妖精を涙目で引き留めている。


『妖精さん。トールは妖精さんを食べたりしないよ』


 見た目はちょっと怖いが、トールは目の前のものを見境なく食い尽くすような性格ではない。むしろ妖精が現れでもしたら、ひとしきり驚いた後で好奇心に目を輝かせることだろう。


「狼さんもこう言っているし、ね?」

「……わかった」


 まだ完全には納得していないようだがそれでも渋々、といった様子で隠れていた花から姿を現した。背中の美しい翅も心なしか元気が無いように見える。


 彼女が身に纏っているのは青い衣であった。透き通るような青は、晴れ渡る大空の色とよく似ている。その姿を見せてくれた時、早朝の澄んだ空気を感じたのは気のせいではないと思った。


『それじゃ、一緒に行こうか。僕に掴まっていいよ』


 クロが頭を振ると、艶やかな黒い毛並みが揺れる。魔獣とはとても思えないふわふわと柔らかい毛は、二人の妖精を驚かせたようだ。


「わぁ。ふわっとしてて気持ちいい~」

「本当、凄く柔らかいわ」


 小さな妖精たちはクロの頭と首筋に飛び込み、全身を包み込むような感触に声をあげた。


『昨日、トールがブラッシング……だっけ? それをやってくれたんだ』


 アーリス砦には人間が使っていた櫛が幾つか残されていた。トールはそれらを使い、定期的にブラッシングをしてくれる。ちょっとくすぐったいが、とても気持ちがいいのでクロも好きだった。


「本当に仲が良いのね。ほら、アナ。きっと大丈夫よ」

「うん……」


 そんな二人の会話にクロはふと気付いた。


『妖精さん達の名前を聞いてなかったね。よかったら教えてくれないかな』


 こうして知り合ったのだから、ずっと『妖精さん』と呼び続けるのも寂しい話だ。お互いの名前を呼びあえば、きっと仲良くなれると思った。


「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はシア。よろしくね、狼さん」

「アナです。その、よろしく」


 緑の妖精がシア、青の妖精がアナ。クロは二人の名前をしっかりと刻み込んだ。


『僕はクロ。僕のことは名前で呼んでほしいんだ』


 クロにとって、自分の名前は特別なものだった。友達から貰った大切な名前であり、同時に大好きな名前でもある。


「失礼したわ。改めてよろしくね、クロさん」

「よろしく、クロちゃん」

『うん! よろしく、シア! アナ!』


 トール以外から名前を呼ばれたのは初めてであったが、それがたまらなく嬉しかった。大きく尻尾を揺らしてから、クロも二人の名前を口にした。


『じゃあ、アーリス砦に向かうね』


 クロは足取り軽く駆けだした。つい普段と同じような速度で走ってしまい、二人の妖精を振り落としてしまわないかと心配したが、頭と首の後ろから聞こえてきたのは楽し気な歓声だった。


 安心したクロは一路、アーリス砦へと進んでいった。


******


 アーリス砦に辿り着いたのは、正午を過ぎた頃だった。トールには日暮れには帰ると伝えていたので、早い帰りに驚くかもしれない。でも、一緒にいる妖精の存在は彼をもっと驚かすだろう。


『二人とも、着いたよ』


 すっかり見慣れた石造りの建物の正面で立ち止まり、すんと鼻を鳴らした。トールは裏庭でやることがあると言っていたから、そこにいるはずだ。


「ありがとう、クロさん」


 礼を言ってから飛び上がったシアに目を向けたクロは、奇妙な違和感に首を傾げた。何だろうと思うと同時に、彼女の衣の色が変わっていることに気付いた。精霊の樹で見たときは鮮やかな緑だった衣が、今は深緑の濃い色に変わっている。


 クロに告げた声も硬く、緊張しているのが伝わってくる。頭に乗っているアナも凍り付いたように動きを止めていた。


『トール、ただいま……』


 二人の様子に戸惑いながらも、クロは声を上げた。ゆっくりと歩き出したクロに合わせるようにシアも一緒に動き出す。


 砦をぐるりと迂回すると、ちょうどこちらに振り向いたトールの姿が見えた。


「おかえり、クロ。今日は早かったじゃ……」


 トールの言葉は最後まで聞き取ることが出来なかった。一緒にいる妖精に気付いたのだろう。驚きの表情を浮かべてシアを見つめている。


「あの……初めまして」


 傍にいたシアがトールの前まで移動し、ぺこりと頭を下げる。背中の翅に陽光が反射すると、光が舞ったように見えた。


 それが怪物と妖精の出会いであった。そして、新しい友達との出会いでもあった。




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