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第十七話


 エルトリィンの花を植える場所は砦の裏手と決めた。日当たりも良く、近くに水場もあるとなれば最適と言えるだろう。それに、この一画だけ土地が開けているのも決め手だった。かつてアーリス砦を使用していた人間達もここで農作物を育てていたらしく、鍬や鋤といった農具が収納された木製のこじんまりとした納屋も見つかった。


 使い古されてはいるが、どの農具も問題なく使用できそうだ。とはいえ、今は雑草が伸び放題となっているため、まずは草むしりから始めなければならない。トールは静かに気合を入れ、作業に取り掛かることにした。


 ちなみにクロは今、ここにはいない。僕も手伝うよ、と言ってくれたクロには申し訳ないが、狼であるクロに草むしりを任せるのも酷な話だ。これから行う作業の詳細を伝えたところ、クロは残念そうにしつつも大人しく引き下がってくれた。なら、砦の近くを探検してくるよと言って軽やかに飛び出していったのは、その直後のことであった。


 クロは出会った頃より格段に逞しくなっている。以前は文字通り歯が立たなかった大猪の分厚い毛皮も、今では食い千切れるほどに牙も顎も成長した。元より成獣の天敵は自分のような化物ぐらいしかいない樹海の中だ。何かあったらすぐに戻ってくるとも言っていたから、さほど心配することも無いだろう。


「さて、始めるとするか!」


 足元すら見えなくなってしまうほどに生い茂る雑草は、その根を力強く大地に張っていた。しかし、怪物の腕力を以ってすれば引き抜くのは容易かった。強靭な肉体と無尽蔵な体力が存分に発揮され、瞬く間に雑草が山と積まれていった。


******


 全体の半分ほどの雑草を抜き終えた頃、トールは手を止めた。泉の水を汲んでおいた大き目の桶を取り、すっかり温くなってしまった水で喉を潤した。一息をついてから、改めてトールは周囲をゆっくりと見やった。


 当初はエルトリィンの花の為に花壇だけを作ろうと考えていたが、この一画の広さを見てから少しばかり考えを改めていた。


「何か、野菜でも作れないものだろうか……」


 納屋にあった農具を思い出しながら、トールは一人ごちた。農具があるという事は、何かしらの農作物を育てていたはずだ。けれど、今は雑草ばかりが広がっている。


 以前の世界であれば、季節に合った農作物の種や苗は専門店に行かずとも簡単に手に入った。今は店どころか人間すら近くにはいない。人間達と接触があれば状況も変わるのだろうが、それが何よりも難しい事にトールは既に気付いていた。


 自身の体に視線を落としてみれば、目に飛び込んでくるのは見慣れた薄蒼の皮膚だった。はち切れんばかりの筋肉を覆う皮膚は岩よりも頑強で、温かみはあまり感じられない。外見からも人間では無いと理解していたが、自分が何者なのかはずっと分からなかった。


 その謎が明らかになったのは、砦に残されていた書物によるものであった。


 この世界には人間以外に『亜人』なる種族が存在しているらしい。ゴブリンやオークといったゲームなどで聞き覚えのある名前が幾つか並んでいたが、その殆どが人間よりも能力的に劣るとあった。正確にいえば、肉体的には人間よりも優れている点はあれど、知能面は比べるまでもないとのことだ。


 その中で唯一、例外的に『オーガ』だけが別格とされていた。知能こそ他種族と大差ないが、彼らにはそれを補って余りあるものがあった。


 刃も鈍器も受け付けない強靭な肉体に、岩をも粉砕する膂力。毒などもほぼ受け付けず、多少の傷ならば瞬時に回復するほどの驚異的な生命力も兼ね備えているという。この時点で既に規格外の怪物だというのに、性格は極めて凶暴で、目に映る全てを憎悪しているかのように暴れ回るというのだから手に負えない。亜人の中では飛びぬけて危険度が高い怪物がオーガであった。


 性質はともかくとして、外見上の特徴やおぼろげな記憶から、トールは自身がオーガであると判断した。


 幸いにしてオーガの個体数は決して多くなく、更にはかつての大戦では最優先で討伐された為、今ではその姿を見る事は稀であるらしい。絶滅していた方が人類にとっては幸福である、との記述を見つけた時は何とも複雑な気分になってしまったが。


 ともあれ、オーガなる怪物がひょっこり人間の生存圏に足を踏み入れた時、何が起こるのか。想像できない者はいないだろう。アーリス砦が無人であったことは本当に僥倖だった。


 正直なところ、このままアーリス砦に留まるより、再び樹海の奥に消えた方が互いの為だろう。分かっているのに、ここから離れたくないと思ってしまうのは、この世界の人間と接触してみたいという願望を未だに捨てきれないからか。


「……ま、なるようになるか。さて、仕事に戻ろう」


 しんみりと考えて込んでしまったが、今は忘れることにした。出会ってもいない人間との関係に悩んでいても仕方が無い。


 トールは気合を入れ直し、エルトリィンの花を咲かせるために再び動き出した。


******


 お世辞にも整っているとは言えない花壇が完成したのは、それから三日後の事だった。納屋にあった鍬を拝借して開墾の真似事などをしてみたところ、驚くほど柔らかい土に変化していた。これが正解なのかは分からないが、こうして試行錯誤を繰り返すのも悪くは無いものだ。


 トールは花壇を幾つかに分断し、それぞれ異なる環境にして経過を観察する事にした。水をたっぷりと与える花壇もあれば、逆に土を乾燥させる予定の花壇もある。日当たりも違っており、一部の花壇は木の枝葉によって陽光が完全に遮られている。


 一つの花壇に種は三粒と決めた。人差し指を突き刺し、穿たれた穴に種を蒔いていく。優しく土を被せてから、トールはこの時の為に作成していた物を手に取った。



『トール、これ何なの?』


 種蒔きを興味深そうに見つめていたクロの視線が、トールへと移っていた。


「如雨露……の、つもりだ。水を撒くための道具さ」


 アーリス砦の地下には幾つもの壊れた桶や樽が転がっていた。それらを流用して作成したのは、お世辞にも出来が良いとは言えない如雨露もどきであった。


「見てくれは悪いが、まぁ、大丈夫だろう」


 元より水を撒ければ良いのだ、と半ば自分に言い聞かせながら水を注ぐ。不格好な如雨露を傾ければ、シャワー状の水が溢れ出した。


『おぉー、雨みたいだ! ね、ね、ちょっと僕にも掛けてみてよ!』

「いいぞ。それ!」


 クロの頭に水を掛けてみると、気持ちよさそうに目を細めてから頭を振った。ついでとばかりに全身にも水をやれば、勢いよく尻尾を振り始めた。飛び散る水滴のせいでトールもすっかり濡れてしまったが、水遊びは思いのほか楽しく、花壇のことを忘れてはしゃいでしまった。


「おっと、いかんいかん。せっかく汲んできたのに、全て使ってしまうところだった」


 用意しておいた水の半分近くを消費してから、トールは慌てて花壇に水を撒き始めた。一つにはたっぷりの水を、別の花壇には僅かばかりを。どれが正解なのか、それは花が咲いてから分かるのだろう。


『ねぇ、トール。あっちはどうするの?』


 花壇と同じく柔らかな土壌が剥き出しの一画を向き、クロが小さく問いかけた。エルトリィンの種には限りがあり、耕した土地全てを花壇にするには広すぎたのだ。


「ああ、あれを栽培してみようかと思うんだ」


 トールが視線を向けた先にあるのは、水を張った桶に切り口を突っ込んでいる草の山であった。一見すれば刈り取った雑草のようだが、あれはとある植物の苗である。



 それを見つけたのは、つい先日の事だ。花壇作りもほぼ完成したのでクロと一緒に付近を散策していたところ、一頭の猪を発見した。獲物を見つけたとばかりに飛び出そうとするクロを留めたのは、その猪が奇妙な動きを見せていたからだ。


 見つからないようにそっと忍び寄ってみると、猪は鋭く伸びた牙を生い茂る蔓に器用に絡ませていた。何をしているのだろうと思う間も無く、猪は勢いよく頭を跳ね上げた。同時に、牙に絡んだ蔓が引き抜かれていく。その先には無数の塊根が連なっていた。


「あれは……サツマイモ?」


 思わず漏れてしまった独り言も、鼻を鳴らしながら貪っている猪には届かなかったようだ。土に紛れて色は良く分からなかったが、形は甘藷のそれに酷似していた。


 一株分の甘藷を平らげ、猪は満足したように去っていった。姿が見えなくなってから、トールは足を踏み出した。クロも猪を追うことなく、興味深そうに蔓と甘藷の残骸を見つめている。


『トール、これ知ってるの?』

「昔、これとよく似た物を食べた事があるんだ」


 トールの言う昔とは、もちろん人間だった頃のことだ。砦の書物には食用の芋に関する記載は幾つかあったが、甘藷については読んだ記憶がない。


『……美味しかった?』

「ああ。まったく同じというわけではないと思うが、これも食べてみるか?」

『うん!』


 尻尾を振って目を輝かせるクロの頭を一撫でしてから、トールは周囲を見回した。猪が引き抜いた蔓は、よく見ればあちらこちらに生えていた。その中で、葉が枯れ始めている蔓に手を伸ばした。


 力強く根を張っているかと思ったが、意外なほどすんなりと引き抜けた。サツマイモに似た塊根が二つ、姿を現した。もしかしたらまだ地中に残っているかも、と掘り返してみれば、立派な甘藷が二つも出てきた。


 これがかつて食べたサツマイモと全く同じ物だとは思っていない。似て非なる作物と考えるのが妥当だ。とはいえ、猪が夢中で食べていたのだから味はそれなりだろうと勝手に決め付けていた。


 トールは砦に戻り、石焼芋を作ることにした。じっくりと焼き上げれば甘みが増す、とどこかで読んだ記憶があった。おぼろげな記憶を頼りに、手頃な石を熱してから甘藷を放り込んだ。


 果たして、石焼芋は無事に出来上がった。取り出した甘藷を割ってみると、やや黄みがかかった果肉が湯気を上げる。早速とばかりに口へ運べば、ホクホクとした食感と共に柔らかな甘みが広がっていく。


 品種改良を繰り返した現代の甘藷に比べれば、さすがに姿形も風味も劣っている。しかし、それでも充分なほど美味であった。クロも気に入ったらしく、持ってきた甘藷はあっという間に胃に収まった。


 トールは、その時発見した甘藷を勝手ながら呼び慣れたサツマイモと命名し、これを栽培することにした。エルトリィンと一緒で、サツマイモを育てるのも初めてだ。こちらも試行錯誤を繰り返す事になるだろうが、それもまた一興である。


 花壇にはエルトリィンの種を、鍬で作った畝にはサツマイモの苗を植えた。これらが全て、順調に育っていくわけではないだろう。しかし、出来る限りのことはしてみるつもりだ。


『お芋、いっぱい食べられるといいね!』

「そうだな。頑張って育ててみよう」


 相変わらず食欲優先な言葉にトールは小さく笑い、クロの頭を優しく撫でた。

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