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第十三話


 人間の白骨体の発見という予想外の出来事にトールは硬直してしまったが、それも束の間。地面に倒れている白骨体をじっと見つめているクロに気付き、頭を軽く振ってから同じように黒いマントを注視した。


 何よりも目に付くのは、やはり交差した二本の剣が形作る十字の紋章だろう。マント自体も相当使い古されているようだが、暗赤色で描かれたそれははっきりと視認できた。


『うん、やっぱりそうだ』


 紋章を見つめたまま何度か首を傾げたりしていたクロが、何やら得心がいったように小さく呟いた。


「どうした?」

『このへんてこな絵、僕が見た人間の背中にも描かれていたんだ。多分だけど、同じ人なんじゃないかな』

「……そう、なのか」


 この洞窟はクロが人間を見かけたという場所からも近い。迷い込んだのか、逃げ込んだのか。あるいは目的があって足を踏み入れたのか。それを知る術は無いが、結果として洞窟の最深部で力尽きてしまったのだろう。



 トールは遺体に近づき、しゃがみこんだ。引き裂かないようマントの裾を慎重に掴むと、意外な程しっかりとした作りに驚きながらもゆっくりと捲っていった。


 最初に飛び込んできたのは、使い込まれた暗色の革鎧だった。全体的に薄い作りになっているのは、動きやすさと軽量化を両立させているからだろうか。それでも指先から伝わる感触は弾力があり、耐久性も充分にありそうだ。


 下半身は軽そうな布製のズボンと、股間や膝などに同じ暗色の防具を装着している。こちらも足元のブーツに至るまで肌の露出はなく、軽装ながら樹海を歩き回ることを前提にしている装備のようだ。


 見たところ防具に損傷はなく、血痕らしきものも見当たらない。地面に転がっている直剣も綺麗なもので、何かと交戦したというわけではなさそうだ。とはいえ完全な異世界であるから自分の常識が通用しない可能性もあるが。


 その直剣を手にとってみれば、重厚な刃に驚かされた。刃渡りは長く、重量もそれなりにある。今のトールならば力任せに振り回せるが、人間の身で使いこなすにはかなりの鍛錬が必要だろう。



「完全に白骨化しているな……」


 再び彼――装備などから男性と推測した――に視線を戻したトールは、恐る恐る長袖を捲った。やはりというべきか、そこにあったのは白骨化した前腕だった。足なども明らかに肉が失われている。胴体部は鎧によって一見では分かりかねるが、恐らく同じ事になっているはずだ。


 トールは一通りの確認を終えると、再び全身を隠すようにマントを広げた。横に座っているクロに視線を向けると、ちょうどよく目が合った。


「クロ、一度外に出よう」


 言うが早いか、トールは遺体に背を向けて歩き出した。クロも立ち上がり、先を行くトールに続いていく。


『いいけど、このまま行くの?』

「いいや。また戻ってくるよ」


 最初は慎重に進んだ道だが、危険が無いとわかった帰り道は思いのほか洞口部まで早かった。眩い太陽の光に目を細めつつ、トールは周囲を見渡した。


 この辺りは木々もそれほど密集していない。相変わらず森の中ではあるが、陽光は多く降り注ぐ。その中で、トールは穏やかな木漏れ日が差し込む場所に目を留めた。



「この辺りでいいか……」


 枝葉から漏れた光を受けながら、トールは地面を掘り始めた。硬化変形させた両手十指はさながらスコップの如く地面を抉っていく。人間の身ならば指や爪を傷めているだろうが、怪物の頑丈さならばその心配も無い。


『トール、何をしているの?』


 いきなり地面を掘り出したトールの奇行に首を傾げながら、クロが疑問をぶつけてきた。


「あのまま亡骸を放置するのは忍びないからな。埋葬しようと思うんだ」

『よく分からないけど、この穴を大きくすればいいんだね? 僕も手伝うよ』


 トールの説明も殆ど理解は出来ていないようだが、クロは前脚を使って掘り始めた。鋭く、強固に発達しつつある狼の爪が次々と土を掻き出していく。


「ありがとう、クロ。でも無理はしないでくれよ」


 怪物と狼が一緒になって穴を掘るという奇妙な光景も、さほど長くは続かなかった。土が比較的柔らかいという事も幸いし、人ひとりを埋葬するのに充分な大きさの墓穴は予想よりずっと早く完成した。



 再び洞窟に戻ったトールは、遺体を慎重に運び出した。白骨体を運ぶのは難儀かと思っていたが、大きく頑丈なマントが役立ってくれた。何度か往復するだろうとの予想に反し、一回で済んだのは僥倖だった。


「よっと……」


 見知らぬ遺体とはいえ乱雑に扱うわけにはいかない。マントに包まれた遺体を、掘った墓穴にそっと置いた。興味深そうに覗き込んでいるクロを横目に、墓穴を崩さないように這い出たトールは黙したまま土を掛け始めた。


 さほど深くもない墓穴は瞬く間に埋まっていった。被せた土を軽く均した後、遺体と一緒に運び出した直剣を墓標代わりに突き立てる。そして最後に、近くで摘んでおいた数本の青い花を手向けた。



 緩やかに通り抜けた風が枝葉を揺らす中、トールは瞑目して名も知らぬ者の冥福を祈った。


******


「……そろそろ行こうか」


 しばしの黙祷の後、トールは顔を上げた。予期せぬ形ではあったが、こうして人間と出会う事も出来た。次は生きている人間と出会い、出来れば会話を交わしてみたい。その為に、また別の場所を散策してみることにした。


「ん? クロ、どこだ?」


 横に座り込んでいるとばかり思っていたクロが、いつの間にかいなくなっていた。周囲を見渡してみても、それらしい影すら見つからない。


 何処へ行ったのだろう、と足を踏み出した時。クロが洞窟から軽やかに飛び出してきた。その姿にトールは目を見開いた。それはクロがいきなり現れたからではなく、その口に簡素な作りのナップザックを銜えていたからだった。


「クロ、それは?」

『洞窟の奥で見つけたんだ。さっきの人のかな?』


 言われて気付いた。先ほど埋葬した人物は樹海を歩く為の装備はしていたが、鞄などを持っていなかった。所持品といえば、あの直剣ぐらいなものだ。それだけで樹海に足を踏み入れるというのも考え難い。


 ただ、クロが持ってきたナップザックもさほど大きいものではない。必要なものを限界まで詰め込んでも、数日程度の旅が限度だろう。もしかしたら、人間の生活圏はここからそう遠くないのかもしれない。


「恐らく、そうだろう。クロ、ちょっと見せてくれないか」

『うん。その為に持ってきたんだ』


 トールはナップザックを受け取り、その場に座り込んだ。それなりの期間放置されていたはずだが、僅かに苔が移っているぐらいで状態は悪くない。


 勝手に所持品を漁る事を内心で詫びながら、革紐を解いた。受け取った時に随分と軽いと思ったが、中を覗き見て納得してしまった。


 入っていたのは小さな皮袋が一つと、丸められた羊皮紙らしき物が一つ。それに親指ほどの小瓶が三つ、液体で満たされた状態で入っていた。食料などは無かったが、放置された期間を思えば入っていなくてよかったのかもしれない。



 トールが小さな皮袋を手に取ると、中から金属が擦れる音が小さく響いた。果たして、それは小銭入れであった。


「これは……銀貨、か?」


 中身は銀の硬貨が三枚に、くすんだ黒い銅貨が八枚。それに一枚だけ金貨が出てきた。金貨には王冠を載せた男性の横顔が描かれている。銀貨には翼を広げたドラゴンらしき姿が、銅貨には小さな花のようなものが見えた。


 金貨は一枚しかないが、複数枚ある銀貨銅貨は全て同じものが描かれている。恐らく、この世界かこの地方で流通している貨幣なのだろう。


『食べ物じゃ、なさそうだね』


 トールの肩に顎を乗せて後ろから覗き込んでいたクロが、明らかに落胆した声で呟いた。


「そうとも限らないさ。もしかしたら、大きな肉に変わるかもしれない」


 食欲旺盛なクロらしい発言に苦笑しながら、一枚だけある金貨を指で掴み上げた。


 どれだけの価値があるのかは分からないが、金貨ともなれば肉の塊の一つや二つにはなるはずだ。もっとも、怪物と狼を相手に取引をしてくれる商人がいるかは微妙だが。


『本当に? こんなものがお肉になるのかなぁ』


 訝しげに金貨を見つめるクロは置いておき、次にトールは三本の小瓶を地面に並べた。青が二本に、薄い緑が一本。ラベルなども貼っていなければ、記号や数字などが刻印されているわけでもない。瓶自体に着色がされているらしく、液体が何色なのかは外から見ただけでは分からなかった。


「これはなんだろう。王道なら回復薬とか、かな……?」


 ファンタジー世界を舞台としたゲームは子供の頃よくやったものだ。今となっては随分と曖昧な記憶となっているが、序盤で手に入るのは体力などを回復させるアイテムだった気がする。


 これがゲームならアイテム名や効果などが自動的に表示される。けれど、奇しくもファンタジー世界が現実となった今にそのような便利な機能は無い。


 トールは青色の小瓶を取り、コルク栓を慎重に掴んだ。僅かでも力加減を間違えれば小瓶は割れてしまうので、込める力を調整しながらゆっくりとコルク栓を引き抜いていく。ぽん、と小気味の良い音と共に栓が抜けた時は思わず安堵の息を吐いた。


「匂いは……しないな」

『僕も分からないや』


 小瓶を鼻に近づけて匂いを嗅いでみても、これといった匂いはしてこない。その横で鼻をすんすんと鳴らしていたクロも分からないらしく、不思議そうに首を傾げている。


 嗅覚が駄目なら味覚で確かめてみよう、と思い立ったが毒薬の可能性もある。この肉体であれば多少の毒ならば問題は無い気がするが、絶対とは言い切れない。進んで苦痛を味わう趣味は持ち合わせていないので、青色の小瓶の確認は先送りすることにした。再び小瓶に栓をしてから、薄い緑色の小瓶に手を伸ばした。


 こちらも外見からでは何も分からないが、中身の液体が七分ほどしか入っていない事に気付いた。香料や油といった特徴的な匂いがする事を期待しながら、小瓶の栓を抜いた。


 その直後。クロが悲鳴のような声を上げて大きく飛び退き、そのまま洞窟に飛び込んでいった。


「クロ! 一体どうしたって……なんだ、これ。ハーブか?」


 開けた小瓶からは様々な花を混ぜ合わせたような匂いがした。少しばかり鼻に残るが、気分を害する悪臭というわけではない。


「ん、ハーブ? そうか、獣避けの」


 前にクロが言っていた。人間を見かけた時、鼻の奥がむずむずするような匂いがしたと。獣避けのハーブだろうとの推測は間違っていなかったようだ。トールにはややきつい香水程度でも、クロにとっては逃げ出すほど嫌だったらしい。


 小瓶に栓をすると、立ち込めていたハーブの香りが薄まったような気がした。小さな栓でも意外と匂いを閉じ込めるものだな、と内心で感嘆しながら洞窟に向かって声をかけた。


「クロ、小瓶は栓をしたから大丈夫だ。出ておいで」

『……まだちょっと匂うよ』


 洞窟から頭だけを覗かせたクロが、力なく言葉を返してきた。


「振り掛けたわけではないから、すぐに消えるさ。それでも耐え切れないようなら水を浴びてくるよ」

『ううん、大丈夫。我慢できるよ』


 洞窟から這い出てきたクロは、ゆっくりとトールの元へ戻ってきた。すんすんと鼻を鳴らしてから、先ほどより少し離れた場所に座り込んだ。


「あの小瓶はしばらく開放禁止だな。さて、最後は……」


 トールは最後に残った、丸められた羊皮紙を手に取った。紙とはまた違う奇妙な感触が伝わってくる。皮袋や小瓶と違い、これは随分と古い物のように思えた。


 羊皮紙は予想よりも小さく、トールの両手からややはみ出す程度の大きさしかない。それでも何が描かれているのだろうと胸を躍らせながら、ゆっくりと視線を落とした。



 羊皮紙に描かれていたのは、お世辞にも丁寧に描かれたとはいえない地図らしき絵であった。それも世界地図などではなく、この樹海の一部を記したものらしい。


 なぜ分かったのかといえば、地図の中に一本の木が描かれていたからだ。その木を中心に円形までも描かれていれば、クロと一緒に行ったあの巨樹を思い出すのは当然だった。


 木から伸びる道らしき線に覚えは無いが、その先にある割れたリンゴのような絵にも心当たりがある。恐らく、これは真っ二つに両断された奇岩だろう。


『トール、これ何?』


 いつの間にか背後から覗き込んでいたクロが率直な疑問を口にした。どうやら匂いは消え去ったようだ。


「地図だよ。ほら、私も木の板で何枚か作っているだろ?」

『言われてみれば、トールが持ってる板と似ているね』


 正直なところ、地図自体の歪さも同じようなものだった。ただ、トールが作っている地図とは決定的に異なっている点がある。それは、所々に文字と思われるものが書かれていることだ。


 アルファベットの筆記体に似ているが、文字そのものが根本的に異なっているようだ。達筆なのか悪筆なのか、それすらも良く分からない。日本語で、とはいわないがせめて英語だったらある程度なら理解できるのに、というのも贅沢な話か。


 巨樹や奇岩の上にも書かれており、二箇所とも何らかの名称があるようだ。それに地図の上部にも何か文字がある。もしかしたらこの樹海そのものの名称かもしれない。



「ん? なんだ、頭が……」


 文字をじっと見つめていると、目の奥が急に痛み出した。それに連動するように頭が重くなり、鈍痛がじわりと広がっていく。徐々に頭痛が酷くなってきた、と顔を顰めた直後。最初から無かったかのように痛みが消えた。


 なんとも奇妙な感覚にトールは軽く頭を振った。気を取り直して地図に視線を戻した。どうせ読めないのだから、と分かっていても文字を注視してしまう。


 トールの両目が驚愕に見開いたのは、その直後だった。地図の幾つか書かれている文字の羅列が歪んで見えたかと思えば、突如として言語として理解出来たのだ。先ほどまで意味不明だった文字が、慣れ親しんだ言葉のようにすんなりと頭に入ってくる。


「……精霊の樹」

『なんのこと?』

「この地図に書かれているんだ。昨日行った、あの巨樹の名前らしい。これ、クロは読めるかい?」

『ううん、さっぱり分かんないよ』


 言葉を口に出来るからといって、文字を理解できるわけでは無いらしい。ならば、どうして自分は読めるのだろうか。それに突然読めるようになったというのが引っかかる。


 怪物自身が元から知識や記憶として持っており、それがやや遅れて蘇ってきたのか。それとも地図自体に何らかの仕掛けが施されており、条件を満たした者には理解できるようになっているのか。あるいは――


『他には何て書いてあるの?』

「……最果ての森、とある。それがこの樹海の名前なのか」


 どうにも腑に落ちないトールであったが、ここで考え込んでも埒が明かないだろう。今はクロの質問に答えることを優先させることにした。


「それに、あの真っ二つに割れた岩は『オーガの巨岩』と呼ばれているようだ」

『へぇ、それじゃこっちのは?』


 興味深そうに見つめていたクロの鼻先が、左上に描かれている小屋のような建物に向けられた。この地図に唯一描かれている人工物と思われるそれはトールも気になっていた。


「アーリス砦。ここから近場……とはいえないが、そう遠い場所でもないな」


 地図にある『精霊の樹』と『オーガの巨岩』の位置関係、それに実際に渡り歩いた二点間の移動距離。頭の中で比べてみたところ、三日もあれば充分だろうと推測した。かなり急いで行動すれば二日。クロが全力で駆ければ一日で辿り着ける距離だ。


 人間達がこの樹海――最果ての森を探索する際の拠点である、とトールは考えていた。それならば白骨体の人間が軽装だったのも頷ける。同時に、他の人間が存在している可能性が極めて高い。この時点でトールの進退は決まっていた。


「よし! クロ、このアーリス砦とやらに行ってみよう!」

『面白そうだね! すぐに出発するの?』


 クロもアーリス砦とやらに興味があるらしく、勝手に決めたというのに賛成してくれた。


「そうだな……」


 目的地までは長く見積もって三日といったところ。急いで進む必要は無いが、この世界における建築物を早く見てみたいのも事実。


「食料はまだあるし、何とかなるか。善は急げとも言うし、早速だが向かうとしよう」


 並べていた三つの小瓶と硬貨が入った皮袋をナップザックに放り込む。勝手に持ち去る事を申し訳なく思いつつ、トールは立ち上がった。



 地図には道と思われる線が引かれているが、この辺りには獣道すら見当たらない。古い時代に作られたものなのか、それとも草花の異常繁殖などで隠れてしまったのか。トールは改めて地図を確認し、大雑把ながら自分達がいる場所から目的地である『アーリス砦』の方角を見定める。


 正確に目的地へ辿り着けるかは微妙なところだが、もしも迷ってしまったらまたここへ戻ってくればいい。あるいは迷った先を気楽に散策するのも一興である。


 忘れ物が無いか確認し、トールはクロと一緒に足取り軽く歩き出した。

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