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第十一話


 一人で気楽に樹海を彷徨い歩くというのも悪くはないが、やはり仲間がいるというのは良いものだった。これまで食してきたもの、見てきたものがクロと一緒だと違って思えるのだから不思議なものだ。


 そのなかでも、狩りについては驚くほど効率が上がっていた。これまで鹿や兎といった比較的、素早い動物は何度か狩りに失敗していたのに、ここ最近は成功率が跳ね上がっている。


 トールが陽動として派手に追い掛け回し、気付かれないように迂回したクロが獲物を強襲し、仕留める。何とも単純な作戦だが、これが絶大な効果を上げていた。そのおかげで肉に困ることは一切なかった。


 それに、今まで手が届かなかった場所に生っている木の実や果実なども、クロの助けによって口にすることが出来た。もっとも、グレープフルーツに似た柑橘系の果実を食べた時はあまりの酸味にお互い悶絶したものだが。



 賑やかながらも楽しい日々は過ぎていき、気付けばクロと行動を共にするようになってから二月が経過していた。


 その日、トールは血抜きを終えた猪の解体を行っていた。慣れた手つきで腹部を切り裂き、内臓を取り出していく。それは一部を除いてクロのおやつとなる。


 早速とばかりに心臓に喰らい付いたクロを横目に、トールは皮剥ぎの作業に取り掛かっていた。こちらも危なげのない手つきで行っていたのだが、ふいにその動きが止まった。


「そういえば……」

『んぐ、どうしたの?』


 今日の猪はそれほど大きくなく、心臓も食べやすかったのだろう。ほぼ一口で平らげたクロがトールの呟きに反応した。


「クロは人間を見たことってあるか?」

『ニンゲン……?』


 以前は何度も人類の痕跡を探しては、手掛かりが掴めず落胆していた。最近はクロと一緒に行動するのが楽しくて忘れていたが、どうしてか猪の解体している今に突然思い出した。


「ああ。姿は私のような二足歩行なのだが、体はもっと小さくて……」


 木の枝を使い、地面に拙い人間の姿を描いていく。自分と皮膚の色が異なっている事や服を着ていて肌の露出が少ないだろうという推測も合わせて説明した。


「こんな感じかな。どうだ?」


 子供の落書きのような絵となってしまったが、一応これで人間がどういったものか分かると思う。説明している間に食べていた肝臓を飲み込んだクロは、しばらくの間その絵を見つめていた。そして何故かすんすんと匂いを嗅いでから顔を上げた。


『ん、見たことあるよ』

「……ほ、本当か?」


 実のところ、あまり期待していなかった。けれど、予想に反してクロは見たことがあるという。驚きに目を見開きつつ質問を重ねた。


「どこで見た? いつ頃の話だ?」

『トールと会う少し前だったかな。森を歩いていたら、この絵みたいな動物を見たよ。トールの仲間だと思ってたけど』


 考えてみれば、大きさも見た目も全然違ったな。とクロは付け加えた。


「やっぱり人類は存在していたんだな! クロ、その場所はまだ覚えているか?」

『ちょっと遠いけど、覚えてるよ。トール、行きたいの?』

「ああ。ぜひ案内してほしい。よし、この猪を解体したら出発しよう」


 善は急げ、とばかりにトールは猪の皮剥ぎを再開した。しかし逸る気持ちが抑えきれず、かなり雑な作業となってしまった。仕舞いには力任せに皮を剥ぎ、強引に肉を切り分けた。


 大きな葉でモモ肉を包み、蔓でしっかりと結んでから篭へ放り込んだ。胴体部分は四つに切り分け、こちらも用意しておいた葉で包む。一本の長い蔓を使って四つの塊を結んでいく。皮剥ぎに続いて、こちらも普段より随分と荒っぽい作業となってしまった。


 クロが食べなかった内臓の一部と毛皮、それに猪の頭部を掘った穴に埋める。あっという間に準備を終えたトールは、クロを急かしつつ早速行動を開始した。


******


 思い出深いリンゴの巨木を通り過ぎ、トールとクロは森の深部とは逆方向へ並んで歩いていた。クロの話によれば人間らしき姿を見たという場所はまだまだ先らしい。


「なぁ、クロ。お前が見たという人間なんだが、どんな様子だった?」


 その途中。お互いに気楽な会話を交わしながら進んでいたが、トールはふと浮かんだ疑問を口にした。


 クロが人間らしき姿を目撃してから既に二月以上が経過している。その者が今も同じ場所に留まっているとは思えなかった。というより、この樹海を人間が意味もなく彷徨うというのも奇妙な話である。


『僕も遠くから見ただけだから、よく分からないんだ。でも、何か探していたのかも』

「探していた?」

『うん。なんか薄い皮みたいのを見ながらきょろきょろしてたよ』


 その人が見ていたのは地図だろうか。これまで樹海をあちらこちら歩いてきたが、人間が欲するような物など見たこともない。


「宝物でもあるのかな? というより、クロ。よく人間を襲わなかったな」


 トールがクロを初めて見かけた時を思い返してみれば、お世辞にも良好な健康状態とは言えなかった。飢えた狼の前に、猪のような牙も鹿のような俊敏性もない人間が現れればどうなるか。間違いなく、絶好の獲物として認識される。


 ちなみに今のクロは出会った頃よりも着実に大きくなっている。それはただ太ったというわけではない。四肢にはしなやかな筋肉が付き、全身も強靭な体躯になりつつある。このまま成長を続ければ、雄々しく精悍な成獣になる事だろう。


『なんか変な匂いがしたんだ。鼻の奥がむずむずするような。僕、あれ嫌いだ』

「ふむ。獣避けのハーブか何かだろうか」

『よく分かんない。その人間っていう生き物を見たのはそれが最初で最後なんだ』


 どうやらクロも人間を食べた事はないようだ。これまで何人も食べてきたよ、と気軽に言われでもしたら、何と答えればいいか言葉に詰まってしまう。杞憂に終わり、トールは内心で安堵した。


「そうか。けど……その、だな。出来れば、これからも人間を襲わないでくれると嬉しいんだが……」

 

 何とも自分勝手な考えであり、弱肉強食の世界で生きる狼に向かって言うべきことではないと理解している。けれど、クロが人間を食い殺す姿は見たくなかった。


『トールが言うなら。お肉も少なそうだしね。あ、そうだ。ならトールも僕の仲間を襲わないでほしいな』 

「ああ、もちろんだ。約束しよう」


 クロは文句一つ言わずに納得してくれたのだ。これで自分だけ首を横に振るなど出来るはずもない。トールの快諾が嬉しいのか、クロは歩きながら尻尾を軽やかに振った。


******


 人間らしき姿を見たという場所に到着したのは、それから三日後の朝方だった。かなりの距離を移動したように思えるが、実のところ全力で移動すれば一日もあれば辿り着けた。


 時間を掛けて移動したことに大した理由はない。慌しく出立したが、よくよく考えてみれば初めて足を踏み入れる場所だという事を思い出したのだ。人類の痕跡を追う事を忘れたわけではないが、焦燥感にとらわれても良い事はないだろう。


 見上げる空は抜けるような青が広がり、緩やかに吹く風は濃密な自然の香りを運ぶ。ただ目的地だけを見据えて歩き続けるより、それらを楽しみながら進んだほうがずっといい。


 そんなわけで、のんびりと歩きながら自分専用の地図をせっせと作成したり、クロが見つけた甘いブドウを一緒に食べたり、見つけた泉で水浴びをしたりと穏やかながら楽しい道中であった。



 そして三日後の今。トールとクロは目指していた目的地に辿り着いた。


「ここがそうなのか?」

『うん。あの変な形の岩を覚えていたんだ』


 クロが鼻先を向けた大きな岩は、確かに奇妙な形をしていた。道なき道に突如として現れたそれは、丸いリンゴを包丁で切ったかのようにほぼ真ん中で両断されている。断面はとても綺麗なもので、面白くも興味深い奇岩であった。


 それにこの辺りは地形も随分と変わっている。相変わらず見渡せば木々ばかりだが、地面の一部は地殻変動が起こったように隆起したり陥没したりしている。階段程度の段差しかない場所もあれば、トールの背丈以上に隆起している場所もある。


 そのせいで地中の根が露出し、枯れてしまっている木もある。一方で、傾斜しながらも逞しく成長を続けている木々もあった。


「これはまた……凄いところだな」


 今までの場所と比べると、やはり随分と変わって見えた。いったい何が起こればこのような大地となるのか、気にならないと言えば嘘になる。けれど、今は自重することにした。


「クロ、前に言っていた変な匂いはしているか?」

『ううん。全くしないよ』


 鼻の良いクロが言うならば間違いはないはずだ。となると、この付近にクロが見かけた人間はいないと思っていいだろう。


「よし、とりあえず色々と見て回ろう。クロ、お前も何か見つけたり気になったりしたら知らせてくれ」

『ん、分かったよ』


 注意深く探索すれば何か手掛かりが見つかるかもしれない。トールはゆっくりと歩きながら周囲に目を走らせていった。



 二手に別れて探索を行ったが、これといった発見は無かった。自然に包まれた場所で人間の、それも二月以上も前の痕跡を辿るのは至難であった。現地に行けば手掛かりぐらい簡単に見つかるだろうと楽観的に考えていたが、流石に見通しが甘過ぎたようだ。


 気付けば太陽も真上で輝く時間となり、再び合流したクロが空腹を訴えてきた。トールとしてもちょうど腹の虫が騒ぎ始めた頃で、ここで昼休憩をとる事にした。


「やはり、そうそう上手くはいかないものだなぁ」

『もう少し探してみる?』


 トールがこんがりと焼けた骨付きモモ肉を食べながら呟けば、大きな骨を齧っていたクロが言葉を返してきた。


 同じ大きさのモモ肉を一緒に食べ始めたのに、クロはあっという間に食べてしまったらしい。肉が大好きなクロだが、骨も豪快に噛み砕いて食べてしまう。更には果物や茸なども平然と食べるので、これが体の成長の早さに繋がっているのだろうとトールは推測していた。


 それはさておき、トールはこれ以上の探索はあまり意味が無いと考えていた。這い蹲って隅々まで見たわけではないが、新たな発見の望みは薄そうだ。


「いや。折角、ここまで来たのだからな。この辺りを散策するのも悪くはないさ」


 人間の痕跡を辿る事だけに集中して動き回るのも疲れてしまう。気楽に森を歩けば良い気分転換になるだろうし、意外な発見があるかもしれない。


『それなら僕、面白い場所を知ってるよ。すぐ近くだから案内できるけど、行く?』

「一体どんな――いやいや、聞いてしまうと楽しみが減ってしまうな。クロ、案内してくれ」


 トールに行かないという選択肢が存在するわけがなかった。素早く後片付けを終え、火が完全に消えている事を確認してから立ち上がった。


『こっちだよ。ついてきて』


 先導するクロに続いて歩き出す。クロの言う面白い場所とやらに心が躍るのを自覚した。


 

 人間の痕跡を発見することは叶わなかったが、この先には未だ見ぬ光景が広がっているのだ。少しばかりの失敗が何だというのか。上手く事が運ばなかったからといって、旺盛過ぎる好奇心が消滅するわけではない。


 トールは落胆もそこそこに、次なる目標に向かって足取り軽く樹海を進んでいった。

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