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Session #2 Face To Face (3)

 沈黙するスタジオの中に奇妙な空気が流れ始めた。理由は、ローズの前で肩をすぼめて露骨にしょんぼりした姿を見せる亜実だった。

 意気込んだものの、大失敗したソロを過剰に気にしている感だった。それは亜実自身の生真面目さの表れだった。

 ただ、他のメンバーには逆に微笑ましく映っていた。亜実は未知の世界に飛び込んだわけで、最初からうまくいく方が珍しい。それは優人も小夜子も良和も裕孝も、更には拓哉もマスターも経験していることだ。

「別に気にすることねぇんじゃねぇの?」

 不意に拓哉が口を開いた。

「大体よ、初心者への要求としては充分無謀だよ。でもそれをあれだけやれたんだから」

「そうそう」

「賛成」

「亜実ちゃーん、あんまり気にすることないからね、そこでエラそうにしてるサックス吹きだって最初はヒドいもんだったからねぇ」

「うるせえよ」

 最後に放たれた小夜子の悪態に、毒づきながらも優人はほっとした。結局、亜実以外に後任の当てがないことも全員が分かっていた。

「そ、そうなんですか?」

 ようやく顔を上げた亜実の表情に明るさが戻った。

「今日はもういいだろ? 続きは下で話そうや」

「りょーかーい」

 拓哉の言葉が合図になり、練習は打ち上げとなった。電源を落としてシールドの結線を解き、機材の片づけを終わらせ、そのまま階下でバンドのミーティングをすることにした。

 もっともこんな場ではビールを飲むのが常で、優人、小夜子、良和、裕孝、拓哉はいつものように缶ビールをマスターに頼んだ。

「うわああっ! あちーっ! 遙さーん、ビールちょうだあい、ビール!」

 店に降りて真っ先に叫んだのは裕孝だった。彼が刻んだパワフルなサンバのリズムは、彼の細い身体から大量の汗を絞り出していた。叫びながら、首に中途半端にぶら下がっていたネクタイを引きむしるように外し、汗が滴り落ちるコットンシャツを脱ぎ捨てた。

「ひろクン、一応女の子いるんだからさァ、あんまりはしたないマネしちゃだめよ。他の客にも迷惑でしょ? はい、バドワイザーでいい?」

「サンキュー」

 黒のタンクトップに手をかけた裕孝を遙が諭した。缶のままバドワイザーを受け取った裕孝はプルトップを引き抜き、一気に半分近く飲み干した。

 一方、アルコール類を生まれてこの方全然口にしたことない亜実はカフェオレを頼んだ。大きめのマグカップを両方の掌で包み込むようにして抱えた。猫舌で、最初の一口を啜った時、熱くて顔をしかめた。

 すでに夕方に差しかかり、客も数人座っていた。いずれも常連客で、〝サヴォイズ・ギャング〟のライヴを見ていた。この時も〝おう、元気か?〟と声をかけるだけで、優人達が制服のままでビールを飲んだり、煙草を吸ったりしても、取り立てて騒ぐほど野暮ではない、正に〝空気が読める〟人達だった。

 まだまだ寛容的な時代だった。

 この頃はまだ、若い世代にとって学校以外の居場所が確実に存在していた。

 結局、どんなに門戸を開こうとしても学校が全ての若者に対して居場所を用意するのは不可能だ。だから優人のように、学校からこぼれてしまった若者には、〝サヴォイ〟のような居場所があったりした。それこそ生きていくために必要なことの幾つかはそこで学ぶことができた。それでバランスが取れていた。

「採用決定、ですかね、優人」

 一息ついて、良和が口を開いた。

「了解」

 優人は良和に向かって返事を送り、亜実に向き直って、諭すような口調でいった。

「おれ達大体土曜か日曜にここで練習するんだけど、次の練習も来てくれるかい? 小夜子と裕孝は?」

「異議なーし」

「おれも賛成」

 小夜子と裕孝が交互に答える。

「これでおれも安心して名古屋に行けるかね」

 拓哉が笑顔で煙草をくゆらせた。

「と、いうことになっちゃったんだけど……一緒にやろうね」

 優人達の返事を聞き、亜実は顔を瞬時にぱっと輝かせ、無言でぺこりと頭を下げた。

「それでは新メンバー加入を祝って、改めて飲むんだろ?」

 マスターがバーボンのボトルを一本、氷をいっぱい詰めたアイスボックス、ミネラルウォーターの瓶、そしてグラスを六つ用意し、カウンターで微笑んでいた。

 そのままコンパに突入したが、亜実だけは一滴も酒を口にしなかった。そして初めて見る優人達の飲み方、騒ぎ方に目を丸くした。

「優人、何ボケッとしてんだよ」

「いや、別に」

 急に裕孝が優人に声をかけた。すでにほろ酔い状態だった。

「確かにひどいもんだと思うよ」

「え?」

千鶴(ちづ)ちゃんのこと」

「ああ……別にいいよ、今更」

 優人は軽く受け流した。だが普段は淡々とした裕孝が珍しく食らいついた。

「学校も何かフォローしてくれるわけじゃないし」

「ま、そんなもんだろ? 誰だって本心では厄介事なんかに関わり合いたくないもんさ……センセのいうこと聞いてりゃ楽だし、センセだっていうこと聞いてくれる方が遥かに気持ちいいだろうし」

「要するに東高の連中なんて、机にしがみつくことしかできねェ馬鹿ばっかりなんだろ」

「はっきりいう。気に入らねェな」

 良和が割って入って毒づいた。

「お前だってそう思ってるんだろ? 良和」

「まあね」

「でもなァ、学校なンてどこも変わんないじゃないかな」

「何が?」

「生徒を全部自分の中でコントロールしたがるってこと」

 裕孝は水割りを一口含んでから、上げてあった前髪を右手で下ろした。

 二重瞼の目元。その下に位置する緩やかな線を描く鼻梁。更にその下の唇は、男とは思えない微かな朱を帯びていた。

「見ろよ、これ。来る途中で慌ててムース買って前髪上げたんだ」

 裕孝は額に手を当て、前髪を押さえた。

 彼の毛先は元々、眉の辺りにかかっていたはずだった。だがこの時、そこにあるべきだった髪の毛が、右側はそのままなのに対し、左側は不自然になくなっていた。

「やられたよ、ウチの生徒指導のバカが」

 裕孝は吐き捨てた。

「結局さ、東高では机にしがみつかせることで生徒をコントロールしようとするけど、ウチの場合、校則でしようとするってこと」

 腕力を駆使して威圧する、生徒指導の体育の教師に押え込まれ、事務用のハサミで前髪だけやられたという。この当時は、まだこんな形での〝教育〟も存在し得た。

「全く、ハサミ振り回して追いかけてくるんだぜ」

「たまんないよねぇ、そういうのって」

 小夜子が溜息をついた。

 前髪を切られた後、裕孝は隙を突いて逃げ出した。ハサミを持って追いかける体育教師もさすがに行き過ぎと思われたのか、周囲に止められたという。

「なあ、裕孝。前から聞きたかったんだけどさ……」

 優人は二杯目の水割りを飲み干し、裕孝に訊ねた。

「お前、今時そんな髪伸ばして……何か意味あるのか?」

「意味って?」

「た、例えば、何かポリシーがあるのか、とかさ」

 裕孝の眉が微かに跳ね上がった。優人の言葉の最後が思わず揺れた。

「ポリシーなんかない方が、面白いんじゃないの? 特に今の時代はね……」

 裕孝は普段の淡々とした口調に戻っていた。

 この頃の裕孝は、音楽以外には余り自身のことを話さなくなっていた。

 元々無駄口は少ない方だったし、別に裕孝が自分の話をしなかったり、自宅に呼ぶことがなくなったからといって〝サヴォイズ・ギャング〟の活動に支障が出たわけではなかったから、優人達も特に気を留めなかった。

 だから、こんな形で裕孝が学校の話をすること自体が珍しかった。

 もしかしたら自分にとって千鶴に関する一切のことは、余りも触れて欲しくないように、裕孝にとって触れて欲しくないところを抉っている――優人はそんな感触を抱いた。

〝まぁ、いいか……〟

 結局、優人ははぐらかされたことを知り、それ以上追求しなかった。他人の内面の傷のかさぶたを、意図的に抉るような悪趣味はなかった。


執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。

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