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Session #2 Face To Face (1)

「樋川亜実。二年六組。合唱部所属……」

 良和は、まるで興信所の調査員が依頼人に身元調査結果のレポートを淡々と読み上げるように亜実のプロフィールを語った。

「早くからクラッシックピアノを始め、中学二年の時に県内のピアノコンクールで入賞。東高での成績はいつもトップクラスで品行方正、問題行動一切なし。進路指導部の教師達に有名国公私立大学を狙える逸材として一目置かれているという噂まであり。性格は至って明るく、また容姿はいわゆる〝美少女タイプ〟で全校生徒の憧れの的……」

 優人は耳を傾けつつ、仏頂面のままカップに半分ほど残っていたブレンドコーヒーを一気に飲んだ。冷めたコーヒーの苦味が舌に残った。

 優人達はジャズクラブ〝サヴォイ〟で亜実の到着を待っていた。

 亜実と出逢ったその日に優人は彼女のことを〝サヴォイズ・ギャング〟のメンバーに電話で話をした。亜実がすでに演奏を見ていて、本人がやりたがっていることも告げた。

 ただ優人達は、まだバンドの中での彼女の演奏を聴いていなかった。

 次の日に急遽〝サヴォイ〟で話し合い、練習に亜実を呼ぶことにした。

 優人は翌朝に音楽室に出向き、練習する曲を収めたテープとコード譜、そして〝サヴォイ〟の住所と電話番号を書いたメモを亜実に渡し、土曜日の練習に来て欲しいといった。亜実は文字通り飛び上がって喜んだが、いわば〝オーディション〟を兼ねていることは伏せた。

 テープには、ディジャルマ・フェレイラの名曲『リカード・ボサノヴァ』を入れた。それも前年夏の〝サヴォイズ・ギャング〟と〝ソリッド・スウィング・オーケストラ〟の共演によるものだ。

 この時、ライヴの最後でアンコールが繰り返されて準備していた曲がなくなってしまい、困った末にメンバーをピックアップしてジャムセッションを行なった。優人にとっては、ハンク・モブレーのハード・バップなボサノヴァのイメージが強烈なこの曲を、軽快なサンバで演奏し、大いに受けた。そして初めて優人達の演奏を見た時、ほとんどジャズを知らなかった亜実がマイケル・フランクス以外で分かった曲が『リカード・ボサノヴァ』だった。そこでこの曲を初回の練習に持ってくることにした。別に『ミスター・ブルー』でもよかったが、初練習でマイナーバラードをやるのは正直しんどいように優人には思えた。

「しかしまぁ優人よ、お前さんの最も嫌う、いわゆる典型的な東高生ですな……お前本当に知らなかったのか? 彼女のこと」

「どーせおれは知らなかったよ」

 優人は大袈裟に毒づいたが、とにかく亜実が東高でそんなに有名人だとは本当に知らなかったから仕方がなかった。

「それにしてもお前はずいぶん事情通のようだな、良和。何だかんだいってもやっぱりお前も東高生ってことかい?」

「馬鹿。お前が知らなさ過ぎるだけの話だよ」

「そういうけど、お前だってあの時学食で彼女の顔見ても分かんなかったじゃないか」

「顔は知らなかったってことはあるだろうさ。とにかく東高にいて彼女のことを知らないヤツははっきりいって〝もぐり〟だぜ」

「……」

 良和にいい返す言葉を失くしてしまった優人は、来る前に買っておいた煙草の封を切り、一本くわえて火をつけた。

「おい、まだ来ないのか? その噂のピアニストは」

 そう声をかけたのが〝サヴォイ〟のマスターだ。彼は洗い物をしていた手を休めてカウンターから身を乗り出し、笑顔で優人達に訊ねてきた。

「小夜子も裕孝も上で待ちくたびれてるんじゃないか?」

「あ、五十嵐さんいたんだ」

 優人が視線を転じると、カウンターでキーボード情報誌を広げた青年がコーヒーを飲んでいた。

 五十嵐拓哉(いがらしたくや)――勝田私立大学のジャズ・ビッグバンド〝ソリッド・スウィング・オーケストラ〟のレギュラーピアニストだ。

 童顔に黒いボストンフレームのメガネをかけた、ちょっと小柄なこのピアニストを、優人が最初に紹介されたのは、高校一年から二年に上がる直前の三月で、優人達が初めて〝サヴォイ〟でライヴをやることになった際、彼にPAを手伝ってもらったのがきっかけだった。シンセサイザー類にも詳しいことからPA関係にも強く、オーケストラ内ではその方面でも重宝がられていた。

 その後、夏の〝サヴォイズ・ギャング〟と〝ソリッド・スウィング・オーケストラ〟の共演後は、よく優人達のライヴやセッションをサポートした。

「全く、おれも〝サヴォイズ・ギャング〟を解雇(クビ)になっちまうんだなぁ……」

「五十嵐さん、それ皮肉? 嫌味?」

「まぁ、名古屋移住も正式に決まったし、ちょうどよかったのかもな」

「え? 決まったの? いつ?」

「五月の連休終わったらすぐにでもな」

「じゃ大学は?」

「もう退学届は出した」

 拓哉は肩をすくめた。

 この頃、優人から見ても、拓哉のピアニスト、またその他ミュージシャンとしての力は突出しているように思えていた。だから、いつか何らかの形でこんな狭い街など飛び出していくだろうとは感じていたが、ついにその時が来たか、と思った。

 長期休暇などを利用して東京や大阪、他に国内の様々な土地にピアニストとしての〝武者修行〟に出ていたが、名古屋の老舗のジャズクラブから〝ウチで働きながら活動してみるつもりはないか〟と話が来たのがこの年の初めで、拓哉は〝身辺綺麗にしてからすぐに行きます〟と即答した。ただその後にいろいろと手間がかかり、結局五月の連休明けまでずれ込んでしまっていた。

「マスター、パスタ足りなくなってたので注文しときますね……あら、まさクン来てたの?」

 厨房から髪の長い女性が現れ、優人に声をかけてきた。

「お昼食べたの? 何か作ろうか?」

「いや悪いけど。もう練習始まっちゃうから」

「了解……マスター、いいですか?」

「じゃ、パスタとピザ生地用の小麦粉も頼む」

「分かりましたぁ」

 答えると、彼女はキャッシャー近くの電話の受話器に手をかけた。

 神代遙(かみしろはるか)――優人が高校に入るのと同時に、勝田市立大学の教育学部に現役一発で合格、岡山からやってきた。

 優人が高校一年の時から、彼女は授業の合間に〝サヴォイ〟でウェイトレスのバイトを始めたが、それも三年目を迎えた。そして、〝サヴォイズ・ギャング〟と拓哉の橋渡しをしたのも遙だった。

 大学について遙は〝地元の国立大学に入るには点が足りなかったのよ〟と謙遜したが、この頃、どこにどう進めばいいのかが分からなくなっていた優人は、羨望の眼差しを向けざるを得なかった。

 ただのんびりした性格で、バイトを始めた最初のうちは皿を割ったり、注文を間違えたりで、マスターの〝従業員研修〟も大変だったが、二年近く経って大分慣れ、この頃には〝サヴォイ〟の看板娘的存在になっていた。

 かと思えば優人と良和と裕孝で猥談めいた話をしているといきなり顔を出し、〝あんた達サイテー〟と毒づいてみたり、逆にいきなり、黙って優人の紅茶に大量のブランデーを入れてみたりなど、無邪気な悪戯に興じてみたりもした。

 優人達にとって彼女は気のいいお姉さんでもあった。

「そういえばまさクン、今度のピアノの子ってマイケル・フランクスが好きなんだって?」

「そっか、遙さんも好きだったんだよね?」

「その子、結構通だと思うよ。AORのアーティストで、ボズ・スギャッグスやボビー・コールドウェルじゃなくってマイケル・フランクスが好きだってんだから」

「遙さんも?」

「あ、あたしは他には別に知らないけどねぇ」

 遙自身は、何か楽器をやるわけではなかったが、リスナーとしてマイケル・フランクスが好きで、よく聴いていた。

「小夜子と裕孝は、もう上でしょ?」

「なぁんか張り切ってたみたいね、二人とも」

 小夜子と裕孝は優人や良和より先に〝サヴォイ〟に到着し、早々と二階のスタジオに入っていた。小夜子は、彼女がいう〝最近調子が悪くて思ったように歪んでくれない〟オーヴァードライヴの調整のため、裕孝はスネアのチューニングのためらしかった。

「部活はサボるっていってたからな、やっぱ補習かな?」

 優人は壁にかけてある、もうすぐ約束の四時を指す時計を見ながら呟いた。

 東高では毎週土曜日の放課後、希望者を集めて入試対策の補習をやっていた。任意参加とはいえ、その成績の優秀さのため、教師達に注目されていた亜実だから、部活はサボれても補習まではそうは行かず、律儀に机に向かっているに違いなかった。

 優人と良和は亜実と同じ東高生なので、初めて来る亜実が入りやすいように〝サヴォイ〟で待つことにした。

 それにしても――良和が教えてくれた、亜実に関するプロフィールの中で優人にはどうしても引っかかることがあった。

 〝性格は至って明るく〟ということだ。

 初めて優人と言葉を交わした時に彼女が見せた様子が、ひどい〝根暗(ネクラ)〟というほどではないにせよ、その口ごもり方といい、もじもじした態度といい、優人のイメージする〝根明(ネアカ)〟とは余りにかけ離れていた。

 優人にとっては、〝根暗(ネクラ)〟と〝根明(ネアカ)〟という言葉だけで、単純に人の傾向や性癖を分けて押し込め、一方を他方が一方的に貶める在り方は、彼が最も嫌悪する、この時代の空気が持っていた〝無責任な明るさ〟の象徴以外の何物でもなかった。

 ただその単純な分け方に照らし合わせた場合、何かに怯え、思い詰めているように思わせる亜実の態度から優人は、脳天気集団の中で〝みんなお友達だよ〟なんて顔ができると思えなかった。

 一方で単に世渡りが上手いだけとも見えなかった。それなら初めて優人と逢った時も最初からもっとはしゃぐはずで、練習に誘われた時に改めて飛び上がる必要などない。

 優人はまだ二回しか逢っていないその少女と自分の間に、同じ種類の人間が持つ〝匂い〟を感じていた。

 不遜かも――優人は笑みを噛み殺そうとした。

 四時を一〇分ほど過ぎ、そろそろ優人も準備をしようとケースからサックスを取り出して組み立て、リードを選んでいた時、ゆっくりと入口が開いた。ドアについていた鈴が小さな音を立てた。

「遅くなりましたぁ、すいませーん」

 入ってきた亜実は、優人を見つけると慌てながら、そして済まなそうにいった。

 彼女は東高のセーラー服の袖を捲り上げていた。またスカートの下から覗く足元は、ローファーの革靴に白い三つ折りソックスという組み合わせだった。

 亜実は肩を縮めて俯きながら、上目使いにじっと優人達を見ていた。

 優人はストラップを首にかけ、リードをつけたマウスピースにキャップをかぶせ、空になったケースを左肩にかけた。そして右手にサックスを抱えてスツールを降り、亜実の方を向いた。

 先に上がってるよ、という合図を優人に送って良和はベースの入ったソフトケースを抱えて階段を登り、スタジオへ入った。

 また、この日はサポートとして拓哉も入ることになっていたが、その彼もそそくさと階段を駆け上がった。

「やあ」

 優人は亜実に声をかけた。

「本当にすいません。遅くなりました……」

「もうみんなスタジオに上がってるよ、早く行こう」

 優人はマスターに練習開始を伝え、階段を登り始めた。亜実は何もいわず、不安気な、幼い足取りでついてきた。


執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。

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