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Session #1 Isn't She Lovely (3)

 突然、良和がローテーブルの上に置いていたテープをベッドの脇にあるステレオのカセットデッキにセットし、再生ボタンを押した。

「ああ、さっぱりしたア」

 一曲目のイントロが終わり、サックスのテーマが入るのと、シャワーを浴び終えた小夜子が居間に戻ってくるのが、ほぼ同時だった。

「優人、お前何食って生きてんだよ。冷蔵庫の中、ビールだけじゃんか。ほら」

 いい捨てると、小夜子は小脇に抱えていた四本の缶ビールを優人達一人ずつに投げた。

 小夜子が優人の部屋の冷蔵庫を勝手に空けるのはいつものことだった。優人は受け取った缶のプルトップを引き抜き、ビールを一口飲んだ。

「優人、ハンガー借りたよ、ちょっと服かけさせて」

「了解」

 小夜子は特に着替えを持ってきていたわけではなく、制服のスカートにTシャツという格好だった。だがスカートの上からでも、彼女のすらりと伸びた足のラインは見て取れた。そして隙間から覘く、褐色に日焼けした素足の眩しさが優人の目を打った。

「何? もうミーティング始めてんの? ずいぶん懐かしい曲かけてるじゃん」

 まだ完全に乾いていない、栗色のショートボブのヘアをバスタオルで拭いながら小夜子もビールを飲み、そのまま優人と良和の間に座った。この日は普通のスカートだったから、上品にも足を横に組んでいたが、パンツルックだったら恐らく平気で胡坐をかいた。

 もう少し恥じらいらしいモノがあればなぁ……と優人は思った。

 スピーカーから流れているのは、一週間ほど前、春休み中に行なった〝サヴォイズ・ギャング〟の演奏だった。

 スティーヴィー・ワンダーの『イズント・シー・ラヴリー』。基本的にはインストゥルメンタルでカヴァーしていたが、客のリクエストによっては小夜子なり、良和なりをヴォーカルに立てることもあった。

 大きくゆったりとグルーヴするシャッフルに乗ったテーマに続き、フェンダーローズ・エレクトリックピアノのソロが入る。この上なくファンキーだった。

「でもマスターってさ、ほんとすげえよな。もろジャズの人かと思ってたら、いきなりこんなソロやっちゃうんだもんな」

 裕孝が改まっていった。

「最近思うんだけど、マスターって出てくるソロフレーズと顔つきが、ドン・グルーシンにそっくりだと思わんか?」

 良和の言葉にみんなが笑った。

 確かに西海岸フュージョンのキーボーディスト、ドン・グルーシンにマスターはそっくりだった。


 物心ついた時には優人のそばに幼なじみの小夜子がいた。

 性格は至って明るく、優人に対して(あね)さん女房的態度に出たがるのは、その頃から変わらないが、優人も反抗することを覚えたので、他愛のない口喧嘩の回数はむしろ増えた。

 更に優人が一人暮らしを始めてからは、〝親が月に一回は来てやってくれるからいいよ〟といっても小夜子は聞かず、〝掃除洗濯してやるよ〟と週末に部屋に押しかけ、朝早くから叩き起こすようになった。

 一方、小夜子には無名ながらかつて東京でジャズピアニストとして活動していた叔父がいた。

 小夜子にとっては母方の叔父に当たる彼は自分の才能を早くに見切って勝田市に帰り、繁華街からほんの少し離れた十代町(としろまち)一丁目にレンタルスタジオとジャズクラブ〝サヴォイ〟を併設し、それで生計を立て始めた。

 ただすでにこの時はレンタルスタジオの経営は止めていた。そして彼の好意により、そこは〝サヴォイズ・ギャング〟専用スタジオと化した。

 〝サヴォイ〟とは、一九二六年にニューヨークのハーレムに作られた巨大なダンスホールのことで、スタンダードナンバーの『サヴォイでストンプ』でも歌われている。またモダンジャズの巨人チャーリー・パーカーが、その絶頂期を残したジャズ・レーベルの名前でもある。

 店の名前の由来を知るのはマスターだけだが、結局、誰もはっきりと訊くことはなかった。ただ〝サヴォイズ・ギャング〟の名前の意味を優人は〝サヴォイの悪ガキども〟と解釈していた。

 優人と小夜子を音楽の世界に誘なったのがマスターだ。彼の本名は有田恭彦(あるたやすひこ)というが、誰もが彼を、いつもマスターと呼んでいた。

 小学校四年の時、それぞれアルトサックスとギターを手にした優人と小夜子は、六年生になった時に小学校の課外クラブとしては珍しい、できたばかりのジャズビッグバンドに籍を置き、ベニー・グッドマンの『茶色の小瓶』やデューク・エリントンの『A列車で行こう』を演奏したりしたが、この時は二人とも、それほど音楽にのめり込んでいるわけではなかった。

 決定的だったのは、中学三年の時の文化祭で、優人、良和、裕孝が所属していた吹奏楽部がフュージョンやソウル、R&Bのナンバーを何曲かやったことだ。部外者の小夜子のギターまで巻き込んだこの時の演奏が〝サヴォイズ・ギャング〟結成のきっかけとなった。

 以来、優人は本格的にジャズ・フュージョンにのめり込んでいったし、ロックをやりたがっていた他の三人もいつの間にか視線を変えていた。

 元々誰もやりたがらないことに首を突っ込みたがる連中だから、ジャズという未知の音楽を突きつけられて飛びつかないわけがなかった。


「オレ、やっぱ今年は出てえよ」

「――」

 優人は黙って良和を見た。

 コイツ、何か隠してるな――優人には何の根拠もなかったが、そう感じた。

「お前、今日は何か変だぜ」

「しかし何でまた?」

 優人に続き、小夜子が頬杖をついたまま訊ねた。裕孝は缶を口にして、良和を見た。

「いや、別に対したこっちゃないけど……たださ、高校卒業したら今度こそオレ達本当にバラバラになると思うんだ。多分〝サヴォイズ・ギャング〟も今年が最後さ。だからできそうなことは全部やっときたいんだ」

 口調は明るかったが、どこか寂しさもあった。それは普段の良和なら決して見せない表情だった。

 良和と優人は中学一年の時に同じクラスになって以来のつき合いだ。

 〝破天荒〟という言葉は彼のためにあるんじゃないかと優人は思っていた。特に一緒に東高へ入学して一層強く感じるようになっていた。

 成績はトップクラスで、模擬試験校内順位の上位十人の中に常に顔を出す。それだけなら彼も単なる味も素っ気もない優等生だが、彼が他の級友達と一線を画すのは、生き方に確固たるポリシーを持っていることだと、少なくとも優人はそう思っていた。

 良和は中学時代から吹奏楽部でベース兼任でトロンボーンを吹いていた。東高に進学しても彼は一年の夏までは吹奏楽部に入っていた。彼がそこを辞めたのは、夏の全国コンクールの県選で東高が予選落ちした後の反省会で、顧問の音楽教師――この頃まだ生きていた言葉でいえばオールドミス――と大喧嘩したことが原因だった。

 本番の録音テープを再生しながら重箱の隅を突くような小言を一時間もぶった挙句、コンクールに出る以上、勝たなければ何の意味もない、といったことを口にしたものだから、良和は我を忘れて激怒した。

「おいババア! 何ふざけたこといってんだよ。こんなことやってて本当に楽しいのかよ? 結局優勝して、てめえの名誉になることしか頭ン中にゃねえんだろ!」

 互いに火を吹くような大喧嘩が始まった。無論、〝センセイ〟に逆らうことを知らない優等生達に良和の味方をするなんて大それたことができるはずもなかった。

 良和はその場で吹奏楽部を辞めた。〝練習の苦しみは音楽する楽しみがあってこそ〟と信じる彼にとって、体育会系の〝苦行〟を要求する吹奏楽部は肌に合わなかった。以来彼は美術部に転部し、イラストレーションの勉強をしながら、音楽はバンド一本に絞った。

 小さな画材店を営む父親と、市役所に勤めながら市立のアマチュア混声合唱団で歌う母親を持つ良和が、幼い頃から音楽と絵に興味を持つようになるのは当然の成り行きだった。

 とにかく賑やかな家族で、中学の時、休日にメンバー全員で遊びに行ったら両親が交互に部屋にやってきては一人息子と漫才さながらの会話を聞かせた。

 特に良和の性格は完全に父親譲りで、自分の息子が中学三年にして酒も煙草もたしなんでいるというのに〝死なない程度に健康管理ができてりゃいいんだよ〟と一喝する辺りは息子そっくりだ。そして優人は、その両方とも良和に教えられた。

 とにかく何をやるにも自分に自身を持って生きていた。

 いつも迷走していて自分の生き方にヴィジョンも持てず、歯軋りばかりしているような不快感に悩んでいた優人には、その姿がすごく羨ましく感じられ、時には嫉妬を抱く時もあった。

 だが、バンドのボトムを地を這うようなラインで支えてくれる彼のベースに接すると、そんな想いは霧散した。

 こっちがどんなに落ち込んでいても、彼の持ち前の明るさでいつの間にか元気にさせられている――優人にとって良和とは、そんな男だった。


「要するにだ、お前のやっておきたいことってのは……」

 ビールのアルミ缶を握り潰した裕孝が口を挟んだ。

「キーボードのレギュラーメンバーを入れて東高の学園祭に出たいってとこかな」

「でもどーすんだよ。人選は」

「そりゃそうだ」

 優人の言葉に良和は苦笑した。

 〝サヴォイ〟では、この一年ほど前から〝サヴォイズ・ギャング〟をセミレギュラーのハウスバンドとして生演奏を再開していた。

 元々は生演奏を聴かせる店で、開店当時はマスターが東京で作ってきた人脈を元にプロのジャズメンのライブを行なっていた。だから優人は、再開に際してマスターが四人を起用したのは、〝サヴォイズ・ギャング〟の腕を見込んだ上でのことだと純粋に思った。またマスターには他の面でも大きな恩を感じていたから、優人は引き受けた。

 以来、〝サヴォイズ・ギャング〟は不定期に〝サヴォイ〟のステージを踏んだ。

 その際、何度かキーボードのサポートを必要とする時があった。大体はフュージョン系の曲をやる際だが、マスターや他に縁のあった人に頼んでいた。いずれにせよ、そんな人達を高校の学園祭に引っ張り出すのは難しかった。

「まあ、東高の学園祭に出るには、この馬鹿をいいくるめれば大したことはないけどさあ」

 いいながら小夜子は優人を指差した。

「とにかくどうすんのさ、キーボード」

「何とかできねぇもんかなぁ」

 良和が頭を掻いた。

 だがピアニスト、キーボード奏者をきちんと入れることは当然、基本的には四人でやってきた〝サヴォイズ・ギャング〟に全く新しいメンバーを入れることを意味した。

 人間の集まりであるバンドは生き物のようなところがあるから、新メンバーを加えてバンドを組み立て直すのは、実は容易ではない。ただ良和もそれはよく知っているはずだし、また幾ら破天荒でも考えなしの自己主張はしない男で、自分の自己顕示欲を満たすためだけにバンドを一から組み立て直すことを強要するなどできない男だと優人は思っていた。

 一方で優人は穏やかに笑って見せる良和の目に、大きな決心で東高の学園祭にこだわっていること、そしてこれ以上の妥協を許さない強い意志を見ていた。

「とにかく探してみるか」

 視線を宙に漂わせたまま、優人はいった。

「もし学園祭に出るんなら、やっぱりフュージョンっぽいライヴにせにゃならんだろ。キーボードなしじゃ、やっぱキツいしな」

 良和がバツの悪そうな笑いを見せた。優人は吸っていた煙草を灰皿に押し込んだ。用心のために数適垂らしておいたビールに火が落ち、じゅっ、という音を立てた。

「出るか出ないかを決めるのは、その後でもいいだろ?」

「了解」

 良和はそれだけいった。

 何となく気の重くなるミーティングだった。三人が帰った後、優人はベッドに寝転がり、ぼんやりと考え込んだ。

 考えてみれば良和のいう通りだった。

 〝サヴォイズ・ギャング〟でライヴができるのは、確かにこの年が最後だった。その前にやれそうなことを全部やっておきたいという良和の気持ちも分かった。でも卒業後に誰かが確実に死ぬわけでもない。集まろうと思えば集まれる。

 アイツは何にこだわってるのか――この想いが、この夜の優人のこだわりとなった。


執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。

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