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Session #8 I Wish (4)

「ねえ優人。亜実とは本当に終わったの?」

「しつこいな。亜実と最後に逢った時のことはさっき話したろ。もういいんだよ。ここで逢うと、またおかしくなりそうな気がする」

「あ、そう」

 小夜子はビールを飲み続けていた。目の前の炬燵の上にはすでに数本の空き缶が転がっていた。〝サヴォイ〟でのコンパからずっと飲んでいる状態だった。

「それにしてもお前、結局あの時亜実の家に行ったんだな?」

「そーだよお。女同志じゃないと分かんないことだって、あるんだよ」

「余計なことしやがって、とはとてもいえんよな……」

「へえーんだあ。少しは誉めてよねえーだ」

 悪態をついても小夜子の表情は穏やかだった。優人もそれを同じ気持ちで受け止めた。

「あ、あのなあ、小夜子……」

 優人は口ごもった。亜実にいわれたことが急に気になり始めた.

〝小夜子さん、絶対優人さんのこと好きだよ〟

「ねえ、優人」

「ん?」

「優人には、アタシがどんな女に見えるのかな?」

「どんな女って……」

「例えば……男の間を渡り歩く軽い女?」

「何だよ、そりゃ」

 想像もつかない話に、優人は毒づいた。

「それとも、実はただの半可通(ねんね)だったりして」

「全く……そんなこと答えさせるなよ」

「答えてよっ!」

 突然、小夜子が叫んだ。驚いて優人は見返した。

「優人ずるいよ……」

 小夜子は目に涙を浮かべていた。声も涙ぐみ始めていた。

「だって、あんたはアタシが知らないうちに、いろんな想いをして、いろんなこと知って、どんどん大きくなって、アタシより先に行っちゃって、とうとう本当にアタシの届かないとこ行っちゃうんだもん!」

 投げつけられる小夜子の言葉が、優人に突き刺さった。

「ごめん……結局あんたは自分の思った通りに生きてきただけだし、それをアタシがどうこういうことはできないもんね……」

 小夜子は涙を手の甲で拭った。

「アタシも勘違いしてたんだよね。あんたが大きくなっていくのを、まるで姉貴みたいに見ていただけで、自分では何もしていないんだもん。そうやって自分が何もしないのを正当化しようとしてたんだ。本っ当、馬っ鹿みたい。結局アタシの気持ちって、あんたをいじめて泣かして喜んでた子供の頃とちっとも変わんないんだからっ!」

「小夜子……」

「アタシ……なんにもないもん。ただちょっとギター弾けるだけで、平凡で、ドラマティックなことなんにもなくて……優人や亜実がうらやましかったんだよ!」

 小夜子の声はほとんど絶叫と化した。

「夏のストリートパフォーマンスだってそうだよ! あれだって何だかんだいったって、結局は妬んだ挙句に亜実を困らせてやろうっていうことでしかなかったんだもん!」

「……」

 優人は絶句した。本心を吐露する小夜子からは、ただ切なさだけが放たれていた。

「亜実を説得に行ったのだって、結局は後ろめたさからだけ! 後に残ったのはただ自己嫌悪だけ! 本っ当にアタシって最低ーっ!」

 かける声を失った優人は、泣きじゃくる小夜子をただ見詰めるしかなかった。

「でも……せめていっぺんくらい、アタシの方見てくれたって、ばち当たんなかったのに……優人、あんたいなくなったらアタシ、どうすればいいか、もう全然分かんないよ……」

 優人はやっと立ち上がった。それを待っていたように、小夜子は着ていた男物の、少し大きめのパジャマの上着をはだけた。

 小夜子はその下に何もつけていなかった。締まった身体に乗った乳房や、淡い下腹部の陰りが、優人の目の前に全て露になった。

「信じてもらえる? アタシ本当に何も知らない。だから最後にせめて教えてよ。それくらいのこと、ばち当たんないと思う……」

 優人は、小夜子を痛々しく思った。

 彼女は身体を優人に押しつけてきた。コットンシャツを通して、裸体の小夜子の温もりが彼に伝わってきた。

 優人はその温もりの中で、自問自答した。

 小夜子は自分の方を見てくれてるのかも知れない。けど自分はどうなんだ? ただ小夜子を憐れんでるだけじゃないのか? それで小夜子を抱くのは卑怯じゃないか? 小夜子自身を見ないで、彼女を抱くのは逃げだ。それじゃあ、亜実の時と一緒じゃないか?

 優人は小夜子の身体を引き剥がし、足元に落ちていたパジャマを着せてやった。

「優人、アタシじゃ嫌なの?」

「違う」

「じゃあ、アタシ、どっか汚いの?」

「そんなわけない」

「じゃあ、何でよ!」

「いえないよ」

「答えてよっ!」

「答えられたら苦労しねえよ!」

 口にしたら、すごく安っぽくなってしまう、そんな気がした。

「勝手にしてよ! この石頭!」

 吐き捨てると、小夜子はベッドに潜り込んで布団を頭からかぶった。布団が震えていた。

 優人は大きく溜息をつきながら、再び座り込んだ。

 眠気が襲ってきた。優人は眼鏡を外し、炬燵に潜った。

 あっという間に眠りに落ちた。


 優人が、キッチンから聞こえる水音で目を覚ました時、時計は一〇時を回っていた。

 シャワーを借りようと思い、優人は炬燵を抜け出し、旅行鞄からタオルを一枚取り出して部屋を出た。小夜子のアパートでユニットバスに向かおうとすると、どうしてもキッチンを通らなければならなかった。

 キッチンでは小夜子が、かいがいしく朝食の準備をしていた。

 男物のパジャマを、上下きちんと身につけ、エプロンまでして、小さな野菜サラダを二つ、盛りつけていた。

「小夜子……」

「あ、優人、おはよう」

 前夜のことを気にして、情けない声を出した優人に振り向いた小夜子は、普段と変わらない明るい声で答えた。

「相変わらず、酒強いな」

「ちょっとまだ頭痛いんだけどね……何? シャワー?」

「う、うん」

「じゃあ、朝御飯できたから、部屋で待ってる。浴びてよ」

「ああ……」

 小夜子は用意できた朝食をトレイに乗せ、部屋に戻った。優人は生返事をしてユニットバスに入った。

 湯の温度を調整し、頭からシャワーを浴びる。汗でべたべたになった身体を、熱い湯が流れた。

 優人はバスルームを出て身体を拭いてから手早く服を着込み、部屋に戻った。

 部屋で小夜子は朝食を食べ始めていた。トーストを噛りながら、コーヒーを啜っていた。

「上がったの? もう」

「ああ」

 優人はぶっきらぼうにいうと、炬燵に座り、コーヒーを飲み始めた。

 食べ終えた小夜子は、コーヒーカップを持ったまま、引っ越しと同時に買ったというCDラジカセの再生ボタンを押した。

「あ、CD買い直したんだ?」

 流れた曲はマイケル・フランクスの『ミスター・ブルー』。アルバム〈アート・オヴ・ティー〉だった。

「うん。最近ね。やっぱ便利だよ、これ」

 小夜子はコーヒーカップを炬燵の上に置き、立てかけてあったストラトキャスターを抱え、スピーカーの音に合わせて、優人と亜実との出逢いのきっかけとなった曲のコードを弾き始めた。


We lived, we loved, we laughed, we cried:

We'll never die

And now I think of you

And I change right into Mr. Blue


 僕等は一緒に生きて、想って、笑って、泣いて――亜実、良和、裕孝、マスター、遙、拓哉、そして小夜子――優人は同じ時を共に生きた人々全員が笑ってそれぞれ次の時代へ歩いてゆけることを願った。

 優人が食べ終えるのを待ち、小夜子は食器をキッチンに引き上げた。彼女が洗い物をする間、優人はドライヤーと卓上の鏡を借り、鞄からヘアブラシを出して髪を乾かした。

 小夜子がキッチンから戻ってきた頃、優人は身支度を終え、荷物の整理も済ませた。

「ねえ、優人」

「何?」

「夕べはごめんね。ひどいこといって……」

「いいよ、別に。気にしてないから」

「本当?」

「本当」

 優人が小夜子の額を小突くと、彼女は舌を出して応えた。その無邪気さは、最後に逢った時の亜実に似ていたように思えた。

 二人は〈アート・オヴ・ティー〉を聴きながら、他愛ない話をして過ごした。

 三時を過ぎた頃、優人はブルゾンを着込んだ。小夜子は東高まで送るといったが、優人は断わった。無性に一人になりたかった。

 優人は旅行鞄とサックスのケースを持って玄関を出た。小夜子がぴったりと彼の背後についた。

「参ったあ、まだ雨止んでないのか」

 前夜、アパートに着いてから降り出した雨の勢いは、半日経ってむしろ強くなっていた。傘がなくて困っていた優人の肩を、小夜子が小突いた。振り向くと彼女が青い傘を指し出していた。

「いいのか?」

「うん。使ってよ……ね?」

「分かったよ。ありがとう」

 優人は笑って小夜子の傘を受け取った。

「優人」

「うん?」

「落ち着いたらでいいから、手紙ちょうだい」

 小夜子が唇を強く噛んでいるのが分かった。優人は顔を臥せた小夜子の顎を取り、上を向かせた。小夜子はゆっくりと目を閉じ、噛み締めていた唇を緩めた。

 幼なじみの小夜子。

 やんちゃで我儘で、いつも姉さん女房みたいだった小夜子。

 でも彼女が中に秘めていた本当の情熱を知り、優人の中にあった以前の小夜子のイメージが少しずつ色褪せていった。優人を長く見詰めていた分だけ、実は亜実以上に純粋で、脆く崩れやすいのかも知れなかった。

 ずっと小夜子のそばにいたいとも思った。それで長い間彼女を苦しめた償いができるのならと感じた。

 でも、ここで小夜子から離れずにいるのは自分自身の逃げ、という優人の想いは変わらなかった。

 それならせめて――優人は小夜子と唇を重ねた。

「じゃあ、元気で」

 優人はいい放って、小夜子の身体を突き飛ばすように放し、傘を差すのも忘れ、アパートの階段を駆け降りた。

 小夜子の湿った感情を含んだ視線を優人は感じていた。


執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。

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