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Session #7 (Want to be a) Doctor Sax (2)

「おいおい暗えなあ、全く。こんなんでいい演奏できるわけないだろ」

 唖然とする四人を尻目に、マスターは鼻歌混じりでフェンダー・ローズとDX‐7をシールドでミキサーと結線し、椅子に座ると、持ち込んだ手書きの譜面を広げ、いきなりローズで分厚いコードを数パターン弾き始めた。

「小夜子、良和、マイク立てろ」

「へ?」

「何なの? マスター?」

「ヴォーカルマイクだよ、早く立てろ」

 マスターに急かされ、小夜子と良和はそれぞれの立ち位置にマイクスタンドを立ててヴォーカル用のマイクをセットし、サウンドチェックを済ませた。

「おい、何やるんだよ?」

 ぶっきらぼうにマスターがいった。

 自分でマイクセットさせといて、といった調子で小夜子は露骨に口を尖らせたものの、結局誰も答えられなかった。

「しょうがねぇなあ、じゃ、着いてこいよ!」

 叫ぶなり、マスターは再びローズで分厚いコードのフレーズを弾き始めた。

「え? どういうこと?」

 最初に反応したのは良和だった。4小節でカウントできるそのフレーズの低音部が、マイケル・フランクスの『ドクター・サックス』の冒頭のベースラインを想起させた。

 立ち上がった良和がマスターのバッキングの上にベースソロを重ねた。

「ちぇっ!」

「オレも!」

 小夜子と裕孝が立て続けに反応した。三人はやがて顔を見合わせ、互いに音をぶつけ合った。裕孝のリズムの刻み方に小夜子が同じパターンでつけたり、良和が繰り出すフレーズに裕孝が合わせてドラムで歌ったりなどするうちに、徐々にテンションが高まってきた。

 高揚感が優人の中にあった。

 タイミングを計り、優人がアルトをハードにブロウさせると、顔を見合わせていた四人が一斉に『ドクター・サックス』のイントロに飛び込んだ。

 マスターがローズでブロックコードをぶつけてくる。続いて浅くディレイのかかった優人のサックスがテーマを奏で始めた。


And at six he rolls

Down his sleeves

Turns his collar up

When the boss man leaves

Close the shop

Puts away his tools

Gives the last car keys

To the gas pump fools

Then he's home at last

No more goodwrench scene

And he scrubs his hands

Till they're surgeon clean

Takes a long hot shower

Some cologne and then

The change is complete

He's himself again


 変身は完璧だぜ、ヤツは再びヤツ自身に戻るのさ――優人は泥臭いR&Bを想起させるプレイでギリギリと音を絞り出した。

 後を優人達四人のラップが繋いだ。マイクのない裕孝の口も動いていた。かき消されがちだったが、リズムをキープしながらクールに決めていた。優人も前屈みになってサックス用マイクに向かい、亜実に教えてもらった歌詞をラップした。


At night he's Doctor Sax

He's Mister Tenor Virtuoso

He plays to rhythm tracks on tape

No one like Doctor Sax

Not even Trane or Bird could blow so

The girls have heart attacks, they say

He'll put it all on wax one day


 優人のサックスがマスターのDXのシンセブラスとのアンサンブルを決めると、良和、小夜子、裕孝のコーラスが絡んだ。

 歌いながら小夜子が優人にウィンクを投げた。優人はブロウの間隙を突いて親指を立ててみせた。

「GO!」

 マウスピースを口から離して優人は叫んだ。

 良和が目で合図を送って仕掛け、裕孝がスネアで派手な乱打を繰り出すと、ソロ一番手の小夜子が派手にジャンプしてオーヴァードライヴのフットペダルを踏み込んだ。

 鬱積を晴らすように、小夜子のギターからフレーズが尽きることなく紡ぎ出された。

 身体は激しく揺れるが、その音が揺れたり荒れたりはしない。ハードロックを想起させるギターだが、端正で、決して乱れることはない。知的に挑発的だった。

 とうとう我慢できなくなった良和が小夜子のそばに寄ると、今度は二人でフレーズの応酬を始めた。

 向い合ったり、良和が小夜子の背後に回って腰を寄せる格好を取ったりしながら二人はステップを踏んだ。マスターが甲高い口笛を鳴らした。

 ばきぃっ。

 鈍い音がして、優人の足元にドラムスティックの先端が転がった。

 見ると、裕孝が、スネアを叩いていたスティックをへし折っていた。

 残ったスティックを素早く持ち替え、窮屈な姿勢のままバスドラム、スネア、ハイハットでリズムキープしながら、裕孝はタムの横に引っかけていたスティックケースからスペアのスティックを引き出した。

「優人わりィ!」

 裕孝の口がそう動いた。

 優人が親指を立てると、照れ隠しに裕孝は派手なフィルインを入れ、新しいスティックがライドシンバルを刻み出した。

 クールにブロックコードをぶつけるマスターの爪先も微かにステップを踏んでいた。

 みんな熱くなってる――優人の足も自然に動いていた。ステップを踏みながら、良和と小夜子のチェイスが終わるのを待った。

 ようやく良和がベースアンプの前に戻ってきた。だが小夜子はまだソロを止めない。マスターのそばで嬉々とした表情のまま、派手にカッティングを繰り出し続けた。


Some day

He will live just in his mind

Some way

Leave all his misery behind

His horn

He will blow breaking the curse

Reborn

Under the Flying Red Horse


 いつの日かヤツは全ての哀しみに背を向けて、ヤツ自身のサックスで悪罵の想いを吹き飛ばしてしまうさ――小夜子が練習での打ち合わせを無視し、優人がもう一度テーマを吹くところでリードヴォーカルを取り始めた。ウィンクすると有無をいわさず歌い出した。

 優人は小夜子のヴォーカルに挑むようにカウンターで激しいフレーズを吐いた。

〝ようし……〟

 エンディングを前に、優人はマウスピースをくわえ直した。

 ハイノートをヒットさせ、優人のソロが始まった。

 R&B、ファンクの持つストレートな熱いビートが挑発的だ。優人はそれに応えて叫ぶようなフレーズを放った。

 バッキングに回ったマスターの突き上げは強力だった。ローズで激しいバイヴレーションをバンド全体に与えた。バンドのグルーヴも急激に上昇し始めた。

 小夜子も良和も裕孝も、マスターに必死で食らいついた。

 彼等のグルーヴに乗って、優人のサックスからメロディが尽きることなく吐き出された。

 右側から小夜子が、左側から良和が、まるでデイヴィッド・サンボーンに絡むハイラム・ブロックとマーカス・ミラーのように優人に近づいてきた。

 ブレスの時、二人の様子が一瞬、優人の視界に入った。二人が踊りまくっていたのも優人を挑発した。

 優人の中から過去の痛みも、周囲への違和感も、亜実のことも消えていた。逆に、そんな内面の澱みをサックスに託し、吐き続けた。

 駄目押しにハイノートを一発決めると、激しいブレイクが畳みかけられた。

 それに弾かれて良和、小夜子、裕孝のコーラスが、執拗に優人のサックスと絡みついた。


 Doctor Sax!


 裕孝が派手なフィルを入れる。


 Doctor Sax!


 良和のベースがみんなの下腹部を直撃する。


 Doctor Sax!


 小夜子のギターのカッティングと、マスターがDXで弾くマリンバサウンドのアルベジオが、つかず離れずの感覚で鋭いリズムを刻む。


 Doctor Sax!


 良和、小夜子、裕孝のコーラスのリフがテンションを高める。


 Doctor Sax!


 四人の上に乗って、優人のアルトが叫ぶ。フレーズが四人の間を縫うように駆け抜けた。

 優人はアルトのベルを後ろに向け、エンディングの合図を送った。

 良和がマスターに合図を送り、激しくスネアを乱打する裕孝に向き直った。小夜子は真っ直ぐに優人を見詰めた。

 エンディングが決まった瞬間、優人も、小夜子も、良和も、裕孝も、しばらく口を開くことができなかった。心地よい充実感に、みんなそれぞれが滝のように流れる汗を拭うことすら忘れていた。

 優人は久し振りに味わう、音楽をやる者しか分からない、知的な真剣勝負に酔いしれた。

 マスターは、自分からは話しかけようとはせず、四人に背中を向けたまま、素知らぬ顔で欠伸した。

「人が悪いな、マスターは。いつ覚えたんだよ、『ドクター・サックス』」

 裕孝が口を開いた。マスターは黙って手元の譜面を取り上げた。

「全く、ソッコーでコピーすんの大変だよ」

「え? じゃあ、さっき書いてたのはそれだったの?」

 良和が声を上げた。彼が見たマスターの書き物とは、『ドクター・サックス』のコピー譜だった。マスターは三〇分ほどでコピーを済ませたことになる。

「もっとも、あれだけ毎日しょっちゅう聴かされりゃ、いい加減覚えるぜ」

「そんなモンかい?」

「これでも元プロだ。舐めるな」

 マスターは親指を立てた。

「ねえ、マスター。もう何曲かやろうよ。気持ちいいよ、すごく!」

 小夜子の表情に、不機嫌さや暗さは見られなかった。

「おーし、やろーべ、やろーべ」

 おどけた口調で良和もベースの指板を拭きながら同調した。

「じゃあ、やる予定の曲、片っ端から行ってみようぜ」

「『リカード・ボサノヴァ』!」

「行こ! 行こ!」

 裕孝が叫び、優人はやっと口を開いた。

 マスターは四人を見て微笑むだけだった。同調を求める必要はなかった。

 答える代わりに、マスターはサンバのリフをローズで刻み始めた。


「ああ、さっぱりした。風呂ありがとうね」

 風呂から上がった小夜子が、Tシャツとホットパンツを身につけ、肌を上気させて優人のいる部屋に戻ってきた。

 〝サヴォイ〟を出て、メンバーがバラバラになった後、小夜子は、ちょっと話があるからあんたのとこによるね、とねだってきた。明日にしろよ、という優人をいいくるめて部屋に入ってくるなり、今度は、汗かいちゃったから風呂借りるね、といって勝手に入ってしまった。

「何だよ、小夜子。話って」

 優人はベッドと反対側の壁にもたれかかって煙草を吸った。

「うん、ちょっとね……」

 小夜子は口ごもり、優人のベッドに勢いよく腰を落とした。弾みでベッドの骨組みが軋んだ。

「やだな、音立ててる。少し太ったのかな……」

「亜実が聞いたら思いっ切りむくれるぞ。〝わたしの方がずっと太ってるのにい〟ってな」

「あーあ、寝ても覚めても亜実、亜実ってか……」

 小夜子は鼻白んだ。

「ねえ、優人」

「ん?」

 小夜子はベッドに腹這いに寝そべり、枕に顔を埋めた。

「本当にさ、亜実とやってないの?」

「てめえ、皮肉いいに来ただけなら、さっさと帰れよ」

 優人は吸っていた煙草を灰皿に押し込み、声を荒げた。

「そんなに邪険にしないでよ……」

 小夜子は珍しく、しおらしい声でいってから、枕に埋めていた顔を一瞬、優人に向け、仰向けに身体を入れ替えてから上体を起こし、枕を掴んで両腕の中に抱きかかえた。

「優人……亜実、戻ってくるかな?」

「分かんないよ。でも退院を待っておれの方から電話してみる」

「でも優人……」

「だって、おれのせいだもんな」

 優人は新しい煙草に火をつけた。枕を抱いた小夜子の視線が痛かった。

 部屋のオーディオセットには、デイヴィッド・サンボーンの〈ストレイト・トウ・ザ・ハート〉のテープがセットされていた。バックアップとしてLPから録音したものだ。

 タイトル曲のメロディが二人の間を流れていた。穏やかなバラードだ。

 セッションが終わった時、時計は六時を回っていた。セッションの最後を『アイ・ウィッシュ』で締めてから、〝サヴォイズ・ギャング〟は久し振りにミーティングを開いた。

 マスターは亜実の入院とそれに関する話をそこで改めて話した。

 マスターは亜実の入院先と連絡を取っていた。ケガ自体は大したことなく、数日で退院できるということだった。

 そして優人も、その場で思い切って亜実とのことを話した。四人は黙って聞いていた。

 バンドについては、亜実の代わりにマスターを立て、当面は練習を続けることになった。もし学園祭の前日までに亜実が戻って来なければ、出演しないことにもなった。

 亜実の説得は自分がしなければいけない――優人は思った。

 亜実をバンドに誘ったのも来なくなったのも、結局は自分のせいだ。バンドの中に、いつの間にか私情を持ち込んでいた自分のせいだ。これはもう、自分と亜実との問題だ――これ以上バンドに迷惑はかけられないと優人は思った。

「でも、亜実のこともそうだけど、まさか裕孝がねえ……」

「ああ、確かにな」

 小夜子が話題を変えた。


執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。

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