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Session #3 Recado Bossa Nove (The Gift) (4)

「亜実ちゃんのことなんだよ」

「は?」

「昨日さ、親の世間話の中で聞いたんだけど、亜実ちゃんって、あの樋川建設の社長の娘なんだって」

「樋川建設?」

 優人は四月に〝サヴォイ〟で見つけた名刺のことを思い出していた。

「ほら知ってるだろ? あの駅前の新しいビル。あれが本社だよ」

「え、あそこがそうなの?」

「何だよ、知らないのかよ」

 小夜子が得意気にいった。

 樋川建設の新本社ビルが完成した時、優人はまだ高校一年生だった。

 この頃の市の玄関口でもあった勝田駅の駅前再開発計画を成功させて一気に成長したもので、新本社ビルもその計画に含まれた。それらの結果、樋川建設は地元ではかなり強い影響力を持つ企業となっていた。

「じゃあ、正に社長令嬢なんだ、マスターがいってた通り」

「それなんだよ。この話の出所、どうもマスターらしいの」

「嘘だろ?」

 この少し前、小夜子の叔父でもあるマスターと、彼女の両親が会話をする機会があったのだが、その際、マスターがそんなことを話したという。

「あんまりそういうこと口にする人じゃないと思ったんだけどな」

「ウチの親も、へぇっ、て軽く聞き流したらしいけど……」

 マスターが樋川建設の営業マンの名刺を持っていたり、妙に事情に詳しかったり……不確かな不安が優人の心に広がった。

 この時点では、何の根拠もなかった。ただ、このことが後に大きな騒動の元になるのではないかという、漠然とした不安だった。

「でもまぁ、親が会社の社長だろうと何だろうと、取り敢えずは亜実自身が協力してくれれば、問題はないはずだよな」

 優人は不安を振り払うように話題を変えた。

「確かにその通りなんだけどね……」

 小夜子も、自分を納得させようとするような口調で呟いた。

「これ聴いてる?」

 小夜子が親指でラジカセを指差した。

 ラジカセから流れているのは、クインシー・ジョーンズの『愛のコリーダ』だった。

 だが音が悪過ぎる。会場にラジカセを持ち込んで直接録音したものだ。

 曲自体もおかしかった。

 本来入っているはずのヴォーカルが入っていない。ホーンセクションのピッチもバラバラだ。そして半ばやけくそ気味に激しくブロウしているアルトは――優人だった。

「げーっ。こんな懐かしいの聴くんじゃねえよなぁ」

 毒づく優人に小夜子は悪戯っぽい笑みを向けた。

「でもこの時のライヴ、聴き直すの久し振りだろ?」

「うん」

 小夜子のかけたテープは、優人達が中学三年の文化祭の時の吹奏楽部の演奏だった。

 この時、顧問だった教師がジャズを含めた黒人音楽やフュージョン系の音楽に理解があり、クインシーの大ヒット曲をやろうといい出したのも彼の方だった。彼がホーンアレンジを考え、それこそクインシー・ジョーンズばりのコンダクトを見せた。

 また優人が中心になって練習を進め、良和はこの時だけトロンボーンからベースに持ち替え、部外者の小夜子のギターまで引っ張り出し、ティンパニを叩いていた裕孝に人前で初めてドラムを叩かせた。

 吹奏楽部の演奏を無理矢理聴かされる生徒で一杯だった講堂が、この曲で一気にダンスフロアになった。この時の快感が、〝サヴォイズ・ギャング〟結成のきっかけとなった。

「アタシ思うんだけど……今の〝サヴォイズ・ギャング〟って、この頃と似たような気分な感じがする」

「ほう」

 優人は胸ポケットの煙草に手をかけ、やめた。小夜子の部屋は〝絶対禁煙〟だった。

「五十嵐さんが名古屋に行っちゃって、入れ替わりに亜実ちゃんが入って……新しいことが始まるような期待感、この頃とおんなじ気がしてきたんだ」

「かもなあ」

「せっかくなんだから、うまくいって欲しいって思う」

「ああ……」

 小夜子の穏やかな物言いに、優人もほっとした気持ちになった。さっき感じた不安が掻き消されていくようだった。

「さて、じゃあ、今日はおれ帰るわ」

「あん、泊まっていけばいいのに」

 優人は立ち上がって小夜子に背を向けた。

 確かに昔は、よくお互いの家に泊まり合っていた。家族同士のつき合いの強い影響だった。二人は小学校の一年まで一緒に風呂に入ったり、四年までは一緒の布団で寝たりしていた。

 でも中学に入り、背が高いだけの、丸太のような小夜子の身体の胸と腰つきに女性特有の張りと丸みが見られるようになった頃から、優人の方が彼女を見る時に構えるようになった。優人が初めて意識した〝女〟だった。

 高校生になり、以前ほど大袈裟には考えなくなったが、やはり小夜子を一番最初にそう感じてしまったことはどうしても引きずってしまう。

 だが当の小夜子は気楽なもので、彼女にとって優人の存在はあくまで〝幼なじみの男の子〟であり、少なくともこの時までは、その認識は基本的には変わっていなかった。

 だからこの頃、優人はそんな彼女に接する度に〝女って、こんな感情に取りつかれて苦しむことないのかな〟と思っていた。

「いつまでも子供(ガキ)じゃないんだから、そう易々と泊まれるかよ」

 優人はそういって小夜子の部屋を出て階段を降り、玄関でテニスシューズを履いた。

「送っていこうか?」

 玄関ドアに手をかけた時、小夜子がいった。

「大丈夫。そんなの要らないよ」

「なあ、優人」

「ん? 何?」

「あんまり無茶すんなよ」

「何しおらしくしてんだよ。お前らしくない」

「だって……アタシは平凡なだけだし、何にもできないから」

「は?」

 小夜子が、今度は急に声を沈ませた。

「う、うまくいかないかも知れないって、そんな不安がやっぱり……」

「考えてもしょうがないんじゃないか? 少なくとも今はさ」

 軽く唇を噛んだ小夜子の肩口を、優人は軽く叩いた。

「これでも心配しているつもりなんだけどな」

「素直に受け止めとくよ、今日のところは」

「お前はリーダーなんだからね、〝サヴォイズ・ギャング〟のさ」

「了解」

 テニスシューズの紐を結び、優人は立ち上がった。玄関のドアを開け、小夜子の方を振り返った。

「おやすみ、優人」

「おやすみ」

 優人は玄関を出た。空気が重い湿気を含んでいた。雨が降ってくるような感もあり、早く帰った方がよさそうに思えた。

「そうだよなぁ、おれ、リーダーだったんだよなぁ」

 小夜子の言葉が思い出された。それから白い下着に包まれた小夜子のお尻も――。

 優人は頭を振って自分の妄想をかき消しながら、自転車に跨った。


執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。

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