Prologue ~ March, 1988.
1987年、ある場所であったであろう、ある物語です。あくまでフィクションであり、決して私小説などではありませんが、ひたすらバンド活動にのめり込んでいた、当時の僕の想いが強く反映されていることは否定できません。読後、何か一つでも心に残るものがあれば、それは僕にとって望外の喜びです。
一九八八年、三月。
彼はバスに乗っていた。
自らの母校となる高校近くのバス停の前にバスが着いた時、彼の腕時計の針はすでに四時を回っていた。
バスを降りると、彼は生徒だった頃と同様に裏門から校舎に入った。
三学期の修業式を明日に控えていても、普段と変わらない光景が彼の目の前で展開されていた。雨のため、グラウンドが使えなくなったからか、体育館から聞こえる運動部の練習の声がいつもより大きかった。
この数週間前まで、彼が身を置いていた教室がある三年生用の校舎の廊下と階段では野球部が室内トレーニングを行なっていた。また芸術棟、クラブ棟と呼ばれる建物では、文化系の部や同好会に所属する生徒達が、それぞれの想いを込めて語り、動き回っていた。
ただ彼には縁のないものだった。
高校から最寄の駅まで、歩いたら大体二〇分くらいだが、それでも寝台列車の出発までかなり時間は余るようだった。
すでに時代遅れになりかけていた寝台列車に乗ろうと思ったのは結局彼の気分だったが、その在り方が自身と重なるように感じられたのも真実だった。
彼にとっては馬鹿を繰り返した場所で、決していい思い出など残ってない高校だったが、一方で東京に発つ直前になって感傷的になっている自分を感じてもいた。だからこそ、特に目的もないのに校舎に立ち寄ったのかも知れなかった。
彼は振り切ろうと思った。
新天地で、また一人で生きてみる決心が揺らがないうちに後にしようと思った。
もったいぶったポーズをわざと取って傘を差し、彼は正門前の坂を降り始めた。
すると彼の反対側から赤い傘を差し、制服を着た少女が坂を昇って来た。
見覚えのある歩き方だ。
すれ違う直前、彼は眼鏡をいじり、軽く少女の顔を覗き込んだ。
すでに少女は彼にとって一九八七年を象徴する存在となっていた。一九八七年と聞けば少女の顔を思い浮かべるほどに鮮烈な印象を得ていた。
出逢った頃は長かった髪を切り、男の子かと間違えそうなほどのショートボブだったが、一年前に出逢った時に、そこにたたえられていた真剣さゆえに射すくめられた、大きく澄んだ瞳は変わっていない。
彼は歩みを止めた。
少女が一歩一歩、確実に近づく。
〝一年……か……〟
彼の想いが一瞬、一年ほど前に遡った。
不器用だけど懸命だった、あの頃に――。
執筆に際しての参考文献・資料等につきましては、連載完結後に表示致します。御了承下さい。