異世界転移したけどアレルギーで大ピンチ
【プロローグ】
世の中には、身体に爆弾を抱えて生きている人間がたくさんいる。
いわゆる「アレルギー」というやつだ。
俺こと、山田もその一人だった。
食物アレルギーに、特定の食べ物に対する極端な過敏症。俺の体質は、一言で言えば「現代社会の地雷原」である。
「あれ美味しそうだな」と思って一口食べれば、数分後には全身に真っ赤な発疹が浮き出て猛烈なかゆみに襲われる。運が悪いと口の中や喉の奥が風船みたいに腫れ上がり、呼吸すら危うくなって救急車のお世話になる。そんなスリリングな経験なら、人生で数え切れないほど通り過ぎてきた。
だからこそ、俺は細心の注意を払って生きてきたのだ。
しかし、今日だけは違った。
「今日こそは、限界突破して食ってやる……!」
大学のきつい講義を乗り越え、俺がやってきたのは駅前の「焼肉食べ放題」である。
俺の大好物は焼肉。肉ならアレルギーの心配もほとんどない。網の上でジュージューと音を立てるカルビやロースを想像し、胃袋のエンジンを全開にして意気揚々と店に入った――その、まさに着席しようとした瞬間だった。
自分の足元に、禍々しくも美しい、紫色の幾何学模様が浮かび上がった。
(これって……もしや……)
視界が真っ白な光に包まれ、俺の意識はカルビの香ばしい匂いと共に、遠くへと連れ去られた。
【1日目】
眩い光に目がくらみ、反射的にぎゅっと目を閉じる。
恐る恐るもう一度目を開けると、そこは――。
煤けた石造りの、やたらと天井が高い教会のような建物だった。ステンドグラスから差し込む光のなかに、神々しいローブを纏った老人と、その周りで涙を流して祈る人々が見える。
「おお……! おお、ついに! 勇者召喚が成功したぞ!」
「やっと……やっと、この世界に救いが……ううっ」
(これはまさかの、ネット小説でよく見る異世界転移ですか!? てことは、俺が勇者……?)
状況を把握しかねた俺は、ひとまず目の前で大興奮している白いヒゲの老人に声をかけた。
「あのー……すみません? お喜びのところ大変恐縮なのですが、私はなぜここに呼び出されたのでしょう? というか、できればすぐに元の世界に戻していただきたいのですが。今まさに、網に肉を乗せる直前でして――」
「何故とな!? そりゃあお主、魔王を討ち滅ぼしてこの世界に平和をもたらしてもらうために、我が国が総力を挙げて勇者召喚を行わせてもらったのだ!」
こちらの言葉を遮るように、老人が大声で割って入ってきた。
「それにそなた、一度召喚された以上、もう元の世界には帰れんぞ。ヤキニク? とやらはよく分からんが、お近づきの印にこれをやろう。我が国の至宝、バヌーナだ」
差し出されたのは、見事な黄色の、どう見てもこちらの世界における「バナナ」だった。
俺は一歩後退し、引きつった笑みを浮かべた。
「すみません。私、バナナ……いえ、バヌーナアレルギーでして。それを食べると呼吸困難になるので、いただくことができません」
「何と……!? それは……って、アレルギーとはなんだ? 食べられないとは、何か呪いか病気でもあるのか? おい、今すぐ医者を呼んでまいれ!」
「はっ!」と、周囲の騎士たちが慌て慌てて動き出す。
「いえ、病気というか、生まれつきの体質でして。特定の食べ物を受け付けない身体なのです」
「ふむ……。異世界にはそんな奇妙な体質があるのか。ならば仕方ない。この海産物をやろう。東の海から魔法で冷やして運ばせた、とれたての甲殻類だ。生で食しても絶品だぞ」
目の前に差し出されたのは、立派なハサミを持った、瑞々しいエビとカニだった。
嫌な予感が確信に変わる。
「……すみません。これも、食べるとじんましんが出て喉が腫れます」
「なんと! これもか! 困ったのぅ……」
そう、俺は甲殻類アレルギーでもある。
甲殻類をナマでいくなど、俺にとってはギロチン台に自ら頭を乗せるようなものだ。
「悪いが、今すぐ用意できる他の食べ物はないのぅ。この聖教皇国アルステッドは、神聖な動物を殺めて肉を喰らうことが法律で禁じられておる。ゆえに、この国で主食となるのは海産物と果物、そして神聖な乳と卵なのだ」
老人は、第十代目教皇アルステッドと名乗った。肉食禁止というそのルールを聞いた瞬間、俺の目の前は暗くなった。
「今日は長旅で疲れたであろう。そなた用に豪華な客室を用意してある。おい、勇者殿を部屋へお連れしろ」
教皇の執事に案内された部屋は、無駄に広い割に、ぽつんとベッドと机、椅子があるだけの殺風景な空間だった。
「はぁ……」と深いため息をつき、腹の虫が鳴るのを無視して、執事から手渡された冷たい水を一気に飲み干す。
水だけは、アレルギーがなくて本当によかった。俺は泥のようにベッドに倒れ込んだ。
【2日目】
「……ん……んん」
パチッと目が覚め、「やべ、大学の一限遅刻する!」と飛び起きたが、目の前に広がっていたのは見慣れたワンルームの天井ではなく、異世界の高い石天井だった。
そうだった。俺は昨日、拉致同然でここに連れてこられたんだった。
トントン、と部屋のドアが激しくノックされた。
「勇者様、お目覚めですか! 本日は、戦いに赴くための武器と防具の仕立てを行います!」
部屋を出ると、昨日の執事と仕立て屋が待ち構えていた。
「勇者様には戦場で兵たちを鼓舞していただかねばなりません! 眩いばかりに目立つ、最高級の金属で鍛えたフルプレートアーマーをご用意いたします!」
「……あの、もしかして、全身金属製ですか?」
「もちろんです! 特級の白銀鋼を使用します!」
終わった…。
「すみません。俺、酷い金属アレルギーなんです。直接金属が肌に触れたり、汗で溶け出したりすると、全身が痒くなって水ぶくれだらけになります」
「なんと……それすらもダメなのか!? それでは金属製の鎧は着せられんな……。皮か竹の装備にするしかない。だが、それだと防具としての強度は落ちるぞ。目立つようにド派手に染色して、戦場に立ってもらうしかないな……。武器はどうするのだ? 剣も金属だが」
「……鞘と、柄が鉄じゃなくて、直接刃に触れないようになっていれば大丈夫です」
「なるほど。ならば、柄に厳重に皮を巻き付けたロングソードにしよう。鞘も特製の木製にしておく」
防具が竹製のド派手ピンク染色に決まったところで、教皇が様子を見にやってきた。
「勇者殿、昨日から何も食べておらぬな。すまなかった。今日は神の恵みである、牛乳と卵料理のカスタード風ポタージュを用意させた。これならお腹にも優しかろう!」
目の前に置かれたのは、湯気を立てる白いミルクと、黄色いとろみのあるスープ。
俺の脳裏に、最悪の警告灯が赤く点滅する。
牛乳は乳糖不耐症だ。そのまま飲むと、一瞬で過激な腹痛と下痢に襲われる。温めれば少しはマシだが……。
そして、卵。これは純然たる卵アレルギーだ。加熱してあっても、この量を食べたら確実に口の中がイガイガして腫れてくる。
「すみません……。あの、牛乳を限界まで温めたいのですが、卵料理の方は、どうしても食べられません」
「なんと、卵もダメか! お主、一体何が食べられるのだ……」
教皇の顔が、あからさまに引きつっている。
「牛乳の温めなら、勇者殿は魔法が使えるはずだ。歴代の勇者は皆、強力な魔力を持っていたからな。火魔法でパッと温めてみせよ!」
「魔法! なるほど、そういうファンタジーなやつならいけるかも!」
俺は少し期待して、温かい牛乳のコップに向けて手をかざした。心の中で「火球」と唱えてみる。
しかし、指先からは、小さな煙すら出なかった。
「……出ませんね」
「火魔法の適性がないのかのぅ。仕方ない、給仕のものに温めさせよう。しかし、これほどアレルギーだらけとは……我が国の特産物が全滅ではないか。動物を殺して肉を食うわけにもいかんし……」
結局、俺がその日口にしたのは、じっくり温めて乳糖を分解しただけのぬるい牛乳と、硬くて味のないパン二つだけだった。
その後、騎士団の指南役に引き合わされ、剣の訓練と魔法の特訓を受けた。
「さあ、魔力を練り上げてください!」と言われて全力で頑張ったものの、俺が放てたのは、顔にかかるとちょっと冷たくて気持ちいいレベルの、小さな水球だけだった。魔力の限界値が一般の兵士以下らしい。
「なるほど……勇者様は、剣で戦う肉体派のようですね!」
引きつった笑顔の指南役にそう言われ、俺は一日中、重い木刀を振らされる羽目になった。腹は減る一方だった。
【3日目】
そして、最悪の三日目がやってきた。
朝一番に謁見の間に呼び出されると、教皇が血気盛んな顔で地図を広げていた。
「勇者殿! 本日、初陣を飾ってもらう! 王国近くの大きな巣窟に、難易度Aの魔物『ゴブリンエンペラー』率いる軍勢が出現した! 我が軍の規模は一千。敵はおそらく万を超えるが、我が国の精鋭騎士を送り込むから問題ない。勇者殿には精鋭騎士百名を率い、先陣として突撃し、檄を飛ばしていただきたい!」
「は? 万を超える……? いや、ちょっと待ってください、俺、まだ三日間牛乳とパンしか食べてなくて、力が出ないんですけど――」
「さあ、出陣の準備だ!」
俺の抗議は一切無視され、俺はド派手にピンク色に染色された竹の防具を身に纏い、柄にぐるぐると皮が巻かれたロングソードを腰に下げさせられた。
そのまま、騎士たちの詰所へと連れて行かれる。そこには、全身をギラギラとした鉄の鎧で固めた、屈強な男たちが整列していた。
「静粛に! こちらにいらっしゃるのは、先日召喚された救世の勇者、山田殿だ! これより、先陣の精鋭百名を率いて出陣なされる! 勇者殿、皆に檄を!」
百人の屈強な騎士たちの視線が一斉に突き刺さる。
空腹で頭がクラクラするなか、俺は声を振り絞った。
「え、えー……。みんな、今日は大変な戦いになると思う。敵は万単位らしいけど……俺たちが先陣を切って、道を切り開く! だから……とにかく、死なずに生きて帰ろう! 終わったら、みんなで美味いもん食べよう!」
「おおおおおーーーっ!! 生きて帰り、美味いものを食う! シンプルにして最高の檄だ!」
「勇者様万歳!」
騎士たちの士気は無駄に跳ね上がり、そのままの勢いで即、戦場への進軍が始まった。
――三日間、水と、ぬるい牛乳と、硬いパン今日の分を合わせて四つ。
現代日本の成人男性の平均摂取カロリーを大幅に下回る限界状態で、俺の身体は悲鳴を上げていた。一歩歩くたびに、膝がガクガクと震える。
【エピローグ】
戦場である巣窟の前に到着した。
『突撃ーーー!!!』
本陣からの法螺貝の音が響き渡ると同時に、先陣の精鋭たちが一斉に洞窟へと駆け込んだ。
中には、醜悪な緑色の皮膚をしたゴブリン、そしてそれよりも一回り大きいハイゴブリンが、文字通り地面を埋め尽くすようにうじゃうじゃと蠢いていた。その数、ざっと二千は超えている。
「うおおお! 聖教皇国の名にかけて!」
騎士たちは果敢に突っ込んでいく。俺も、生き残るためにロングソードを抜き、必死に剣を振るった。
しかし、特訓した魔法を使おうとしても、出てくるのは弱々しい『水球』だけだ。ゴブリンの顔に当たって「冷たっ!」と嫌がられる程度の嫌がらせにしかならない。結局、頼れるのはこの重い金属の剣だけだった。
戦いが始まって、すでに二時間が経過していた。
「おい……第二陣の増援はまだなのか!?」
周囲の騎士が叫ぶが、後方からの気配はない。
そして、俺の体力は完全に底をついていた。
「はぁ、はぁ……っ、くそ、力が入らない……」
腕が鉛のように重い。剣を一度振るだけで、視界がチカチカと明滅する。完全に極度の低血糖状態だ。
一歩踏み出そうとした瞬間、泥に足を取られて身体が大きくもつれた。
「あ――」
隙だらけの俺の背後に、ニヤリと下品な笑みを浮かべたゴブリンが回り込む。
手にした錆びたナイフが、ピンク色に染まった竹の防具の隙間をすり抜け、俺の背中に深く突き刺さった。
「がはっ……!?」
生々しい衝撃と激痛。
力が抜け、ロングソードが手から滑り落ちる。地面に膝をつき、そのまま倒れ込んだ俺の視界に、四方八方から棍棒やナイフを持ったゴブリンたちが群がってくるのが見えた。
「ギギッ!」「ギガガッ!」
(嘘だろ……。焼肉、食べたかったな……)
容赦のない打撃と刃が、俺の身体にオーバーキル気味に降り注ぐ。
薄れゆく意識のなかで、俺は自分の人生で一番最悪な三日間を呪いながら、ゆっくりと冷たい地面に沈んでいった。
アレルギー持ちはつらいよ。
感想等良ければお願いします。




