その一言が。
「イザベル。君を王妃の座から退ける」
王宮の白い朝議室で、アルマン二世はそう言った。
二十八歳の王は、今日もよく整えられていた。金の髪、青い上着、白い手袋。玉座に座っていれば、それだけで若き名君の絵姿になる。
黙っていれば。
イザベルは、手元の書類から目を上げた。
「理由を伺っても?」
「結婚して三年、子がない」
「はい」
「王家には世継ぎが必要だ」
「はい」
「それに、私はコレットを愛している」
王の隣で、明るい金髪の娘が胸元に手を当てた。
コレット・ド・リュシー。
二十歳。子爵家の娘。白い肌に、桃色の頬、笑うと花が開くようだと、王宮の若い男たちは言った。
その笑みで国庫が増えるなら、イザベルも少しは喜んだかもしれない。
「コレットは、私を癒やしてくれる」
アルマンは続けた。
「君は聡明だ。王妃として何一つ不足はなかった。だが、私は安らぎも欲しかったのだ」
宰相の眉が動いた。神殿長は目を閉じた。 近衛隊長は壁の模様を見ている。
誰も止めない。
もう根回しは済んでいるのだろう。少なくとも、王の頭の中では。
「コレットを側妃として迎える。世継ぎを得られれば、いずれ王妃に立てる」
「私は、廃妃ですね」
「ああ。ただし、君の名誉は守る。静かな離宮を用意する」
「不要です」
アルマンの手が止まった。
「不要?」
「私はモントレイユ公爵家へ戻ります。離宮を賜れば、廃妃でありながら王家の庇護を受けることになりますので」
「君は相変わらず固いな」
「三年、そういう役目でしたから」
イザベルは立ち上がった。
机の上に、まず王妃の印璽を置く。重い音がした。
次に、王妃宮の鍵。神殿儀礼の予定帳。未決裁の慈善基金の帳簿。
隣国ベルティエとの婚姻同盟に関する控え。
北部諸侯への返書の束。
王妃名義で預かっていた寄進目録。
並べるたびに、アルマンの顔から余裕が消えていく。
「イザベル、それは何だ」
「王妃としての私が預かっていたものです」
「そんなものは、宰相に」
「半分は宰相閣下の管轄ではございません。王妃宮、神殿、貴族夫人会、慈善院、隣国王妃との私信。王妃の名でなければ動かないものです」
コレットが小さく首を傾げた。
「でも、そんなにたくさん持っていたなんて、王妃様は大変だったのですね」
「ええ」
「でしたら、これからは皆で分ければよろしいのでは?」
明るい声。春の庭で菓子を分けるような口ぶりだった。
イザベルは、コレットを見た。
「そうなさってください」
「え?」
「私は廃されますので」
コレットの笑みが、そこで初めて少し止まった。
イザベルはアルマンに向き直る。
「陛下。廃妃に、国政へ関わる権限はございません。以後、王妃名義の仕事、王妃宮の管理、神殿との折衝、夫人会の調整、外交儀礼の控えはすべてお返しいたします」
「待て。急にそこまで」
「急に廃妃となるようですので」
宰相が咳をした。ごまかすためではなく、笑いかけたのを押し戻した音に聞こえた。
アルマンは唇を引き結ぶ。
「君は、私に恥をかかせたいのか」
「いいえ」
イザベルは首を横に振った。
「陛下は真実の愛を得られました。私は王妃の座から退きます。何も恥じることはないはずです」
「イザベル」
「馬車は昼前に出ます」
「何だと?」
「父には、昨日のうちに知らせてあります。陛下がこの決定を撤回なさらないことは、よく分かっておりましたから」
アルマンは立ち上がった。
「君は最初から」
「はい。廃される準備をしておりました」
イザベルは一礼した。王へ。かつて夫だった男へ。
そして、次にこの部屋で泣くことになる若い娘へ。
「どうぞ、お幸せに」
それが、イザベル・ド・モントレイユが王宮で発した最後の言葉になった。
*
コレットの部屋は、三日で宮中の者によって整え、白百合の間、と呼ばれることになった。
壁紙は淡い薔薇色に替えられ、寝台には白い天蓋が掛けられた。窓辺には小鳥の籠、卓には砂糖菓子、鏡台には南方から取り寄せた香油。
コレットは喜んだ。
「陛下、夢のようですわ」
「君にはこれくらい当然だ」
アルマンは満足していた。
若く美しい側妃が、王宮の白い部屋で笑っている。その姿を見るだけで、すべて正しかった気になれた。
だが、正しくなかったことは、その日の夕方には分かった。
「陛下、神殿より使者が」
「何だ」
「来月の春祈祭で、王妃宮から奉納する織布と薬草油の数について確認したいと」
「去年と同じでいい」
宰相が口を挟む。
「去年と同じでは足りません。東部で熱病が出ましたので、今年は薬草油を増やすと前王妃陛下が」
「前王妃と言うな」
「失礼いたしました。廃妃イザベル様が」
余計に悪くなった。アルマンは不機嫌に手を振る。
「では増やせ」
「どれだけ増やすかが、王妃宮の控えに」
「なら控えを見ろ」
「王妃宮の控えは、昨日返却されました」
「ならあるだろう」
「ございます。ですが、どれが最終版か判別できません」
アルマンは苛立った。
「なぜそんなものを、イザベルしか分からない形にしておいた」
宰相は軽く首をかしげる。
「分かる方がいる間は、問題になりませんでしたので」
コレットが明るく言った。
「私が見てみましょうか?」
その場の視線が、彼女へ向かった。コレットは少し胸を張る。
「神殿への奉納ですもの。綺麗な布と良い香りの油を選べばよろしいのでしょう?」
宰相は目を伏せた。
「神殿は、病人と貧民へ配るために求めています」
「まあ」
「綺麗な布より、丈夫な布です。香りより、薬効です」
「そうですの」
コレットは少し頬を赤らめるが、アルマンはすぐに庇った。
「コレットはまだ慣れていないのだ」
「もちろんでございます」
宰相は答えた。
「では、慣れていただかねばなりません」
その言い方は丁寧だった。だが、優しくはなかった。
*
翌日、今度は隣国ベルティエの使節団の席次で揉めた。
イザベルが王妃だった頃は、問題にならなかった。
誰を上座に置き、誰の夫人を誰の隣に座らせてはいけないか、どの家の娘に声をかければ空気が柔らかくなるか。
そういうことを、王は知らなかった。知らなくてよかった。
イザベルが知っていたからだ。
「楽しく座ればよろしいのでは?」
コレットは言った。
「皆様、陛下のお客様ですもの」
宰相は額に手を置いた。
「その皆様が、席で家格を見ます」
「でも、そんなことで怒るなんて」
「怒ります」
「大人げないですわ」
「大人げない方々を怒らせないことも、王宮の役目です」
コレットは唇を尖らせる。その仕草は可愛らしかった。少なくとも、アルマンには。
「宰相、言い方がきついぞ」
「では、陛下からお教えください」
「私が?」
「はい。側妃様をお守りになるのでしょう」
アルマンは黙った。
宰相は机の上へ、厚い席次表を置いた。
「まず、ベルティエ王妹殿下の席からです」
コレットは表を覗き込み、すぐに言った。
「名前が多すぎますわ」
*
その日の会議は、二時間で三行しか進まなかった。最後にアルマンは言った。
「イザベルに聞け」
宰相は、それを待っていたように紙を差し出した。
「すでに使者を出しました。返事はこちらです」
アルマンは紙を奪うように取った。短かった。
――廃妃に、王妃宮の儀礼へ関わる権限はございません。
署名はない。ただ、モントレイユ公爵家の封蝋が押されていた。
コレットが小さく言った。
「冷たい方ですのね」
宰相は彼女を見た。
「いいえ。正しい方です」
その日から、白百合の間には、毎日紙が運ばれるようになった。
コレットは、花と香油に囲まれた部屋で、それらを見ないふりをした。
だが紙は、泣いても消えなかった。
*
春祈祭の日、コレットは白いドレスを着た。
似合っていたのは誰の目にも明らか。大聖堂の階段を上る彼女は、まるで絵の中の聖女のようだった。
……ただし、聖女は奉納品の数を間違えない。
「薬草油が足りません」
神殿長は、祭壇の脇で低く言った。アルマンの目が、宰相へ走る。
宰相は首を横に振る。コレットは目を丸くした。
「足りないはずはありませんわ。昨日、確かめましたもの」
「何を確かめたのです」
「瓶の数です」
「大瓶と小瓶が混じっております」
「え」
「王妃宮の奉納は、病棟ごとに配る数が決まっています。瓶の数ではなく、中身の量です」
コレットの頬から色が引いた。アルマンが口を挟む。
「足りない分は後で送ればいい」
神殿長は王へ向き直った。
「陛下。今日は春祈祭です」
「分かっている」
「民の前で、王家が神殿に約束したものを欠いた日です」
大聖堂の外には、民が集まっていた。
病人の家族。貧しい者。孤児院の子供。王家から薬草油が配られると聞いて待っている者たち。
コレットは小さく震えた。
「私、そんなつもりでは……」
神殿長の目は動かなかった。
「つもりでは、傷は塞がりません」
その言葉は、コレットには強すぎて、彼女は涙をこぼした。
けれど、神殿長は母親ではない。
泣いたからといって、誰か別の女を責めてくれるわけではなかった。
*
その日の午後、貴族夫人会の集まりでも失敗した。
コレットは、慈善市の予算を増やすと言った。
「華やかな方が、皆様お喜びになりますわ」
老侯爵夫人が扇を閉じた。
「喜ぶのは誰です?」
「え?」
「慈善市は、兵の未亡人と孤児のために開きます。飾りに金を使えば、その分、冬の薪が減ります」
「でも、綺麗な方が人も集まって」
「綺麗にするなとは申しません。ですが、前王妃陛下は毎年、飾り布を三年使い回しておいででした」
コレットは、またその名を聞いた。
前王妃。廃妃。イザベル。いなくなった女。
なのに、どこへ行っても先にいる。記録の中にいる。夫人たちの記憶の中にいる。
「私は、イザベル様ではありません!」
コレットは思わず叫ぶ。老侯爵夫人は、少しだけ首を傾げこう言った。
「存じております」
それだけだった。
責めるより、ずっと冷たかった。
*
その夜、白百合の間で泣くコレットを、アルマンは肩を抱いて慰めた。
「気にするな。皆、君に嫉妬しているだけだ」
「本当に?」
「ああ。君が美しく、私に愛されているからだ」
「でも、神殿長も侯爵夫人も、私を見ていませんでした」
「見ていない?」
「イザベル様がしていたことしか、見ていませんでした」
アルマンは黙った。それを否定する言葉が、すぐに出てこなかった。
コレットは涙をぬぐう。
「陛下。私は側妃として愛されるのだと思っていました」
「もちろん、愛している」
「では、なぜ毎日、紙を読まなくてはいけないのですか」
「それは」
「なぜ夫人たちに笑われるのですか。なぜ神殿で叱られるのですか。なぜ、私が瓶の大きさまで知らなくてはいけないのですか」
アルマンは疲れた声で言った。
「君が望んだ地位だろう?」
コレットの手が止まった。
「私が?」
「ああ。君は私の隣にいたいと言った」
「愛されたいとは言いました」
コレットは震える声で返した。
「国を背負いたいとは、言っておりません」
その言葉は、白百合の間の絹の壁に、やけにはっきり響いた。
何もアルマンはそれに対し、言わなかった。言えなかった。彼もまた、同じだったからだ。
王でありたいとは思っていた。
だが、国を背負うことは、イザベルがしてくれていた――と。
*
やがて北部諸侯が、王宮への出仕を遅らせ始めた。
最初は病気。次は領地の雪解け。その次は橋の修繕。
理由は毎回もっともらしい。
だが、宰相はそれを見て、すぐに分かった。
「見限り始めています」
「誰を」
アルマンは苛立った。
「陛下を」
「……無礼な!」
「無礼で済むうちに、手を打つべきです」
北部諸侯は、イザベルの母方と強いつながりがある。イザベルが王妃だった間、彼らは王宮へよく顔を出した。
王へ忠誠を示してはいたが、実際には、イザベルの顔を立てていたのだ。
それをこの時、アルマンはようやく知った。
「モントレイユ公爵へ書状を出せ」
「すでに」
「返事は」
宰相は一枚の紙を差し出す。アルマンは受け取る前から、嫌な予感がした。
短かった。
――娘はすでに廃されております。
――王家の内政には関われません。
紙を握る手が震えた。
「どいつもこいつも」
「陛下」
「私を脅す気か」
「いいえ。皆、陛下の命令に従っているだけです」
「何?」
「イザベル様は廃妃。モントレイユ公爵家は、廃妃の実家。王妃の実家ではありません。王家のために無償で動く理由が消えました」
アルマンは紙を卓に叩きつけた。
「では、イザベルを呼び戻せ」
「どの立場で」
「元王妃としてだ」
「元王妃に権限はございません」
「顧問にすればいい」
「廃した妻を、側妃様の失敗の後始末のために顧問として呼ぶのですか」
アルマンは宰相を睨んだ。
「言葉を選べ」
「選んでおります」
その時、侍従が駆け込んできた。
「陛下、白百合の間より」
「今度は何だ」
「側妃様が、ベルティエ王妹殿下への贈り物を変更なさいまして」
宰相の顔が変わった。
「何に」
「真珠の髪飾りを、白百合の香油に」
「なぜ」
侍従は気まずそうに口を閉じた。
アルマンが怒鳴る。
「言え」
「側妃様が、真珠は地味で、香油の方が女らしいと」
宰相は目を閉じた。
ベルティエ王妹殿下は、強い香りを嫌う。そのことは、王宮に少しでも長くいる者なら知っている。
イザベルは毎年、彼女に淡水真珠か薄い絹を贈っていた。
アルマンは知らなかった。コレットも知らなかった。そして、誰も止めなかった。
止める者は、すでに王宮を去っていた。
*
ベルティエ使節団は、三日後に帰国した。滞在を二日残して。
表向きは、王妹殿下の体調不良だったが、実際には違う。
会談は不調。婚姻同盟の更新は保留。国境沿いの通商税についても、返事は持ち帰り。
宰相は、王の執務室で言った。
「陛下、まずいです」
「分かっている」
「分かっておいでなら、なぜ昨日、白百合の間の夜会に出られたのですか」
アルマンは顔を背けた。
昨夜、コレットが泣いた。ベルティエ王妹殿下に香油を受け取ってもらえなかったと。恥をかいたと。笑われたと。
だからアルマンは、彼女を慰めるために小さな夜会を開いた。
その間、ベルティエの使節は宰相だけを相手にした。
――王はこんな時にも側妃を慰めている。
その知らせは、翌朝には使節団全員へ伝わっていた。
「君は分かっていない」
アルマンは言った。
「コレットは傷ついていたのだ」
「陛下」
宰相の声は低かった。
「王冠より、側妃様の涙が重いのですか」
アルマンは答えなかった。答えられなかった。その時間で宰相には十分だった。
*
翌日、宰相は辞表を出した。
同じ日に、近衛隊長が病を理由に休職願を出した。
三日後、神殿長が王宮礼拝堂への出仕を停止した。
北部諸侯は、王宮へ来なかった。
南部商人たちは、支払いを前払いに切り替えた。
王の命令は、書類の上ではまだ強かった。だが、それを運ぶ手が減った。返事を書く者が減った。読み解く者が消えた。
王宮は、一気に動きが鈍くなった。
そうしてアルマンはようやく、最後の使者をモントレイユ公爵家へ送った。
返事は、やはり短かった。
――廃妃に、国政へ関わる権限はございません。
最初と同じ文だった。
同じ文が、今度は王の退路を塞いだ。
***
ヴェルノワ王国が滅びた日、王宮の白百合はまだ咲いていた。
正確には、国が一夜で消えたわけではない。地図はすぐには変わらない。
城壁も、塔も、王宮の門も、昨日と同じ場所にあった。
だが、その日、諸侯会議はアルマン二世の統治権を停止した。
神殿は王の祝福を取り下げ、北部軍は王宮からの命令ではなく、諸侯会議の命令に従うと宣言した。
ベルティエ王国は、国境の保護を名目に軍を進め、ヴェルノワは、独立した王国ではなくなった。保護下に置かれ、諸侯会議が政務を代行する。
そしてその中心に、アルマンの名はなかった。
「なぜだ」
アルマンは白百合の間で言った。
王座の間ではない。そこはすでに封じられていた。
「なぜ、誰も私を支えないのだ」
コレットは窓辺に座っていた。以前より痩せていた。
白いドレスは相変わらず似合っている。だが、もう誰もそれを褒めに来ない。
「イザベル様がいないからでしょう」
彼女はぼそっとつぶやく。その声にアルマンは振り返る。
「……お前まで!」
「だって、そうでしょう?」
コレットは笑わなかった。
「皆、イザベル様がいたから陛下を支えていたのですわ。私ではなかった。陛下でもなかった」
「……黙れ」
「私、愛されれば幸せになれると思っていました」
「黙れ」
「でも、愛されても席次は分かりませんでした。薬草油の量も、夫人たちの嫌味も、神殿の言葉も、何一つ分かりませんでした」
「黙れと言っている!」
コレットは立ち上がった。
「陛下も分かっていなかったではありませんか!」
その声は、初めて王の中に雷のように響き渡った。
「陛下は私を守るとおっしゃいました。けれど、何から守るのかも知らなかった。王冠の重さも、王妃の仕事も、国の仕組みも、何も知らなかった!」
「お前が、私の隣にいたいと言ったのだ!」
「愛されたいと言ったのです! 国を滅ぼしたいとは言っておりません!」
二人は向かい合った。
白百合の香りが、部屋に濃く残っている。かつて甘かった香りは、今は少し息苦しかった。
扉が叩かれる。
入ってきたのは、諸侯会議の使者だった。
「アルマン様」
陛下、ではなかった。アルマンの肩が揺れる。
「王太后の離宮へお移りいただきます。リュシー嬢も、ご同行を」
「側妃だ」
アルマンは言う。使者は淡々と答えた。
「側妃の位は、王の統治権と共に停止されております」
コレットは椅子に手を置いた。
倒れはしなかった。泣きもしなかった。
もう泣いたら動いてくれる相手がいないことを、彼女は知っていた。
*
最後に、アルマンはもう一度だけ手紙を書いた。
相手はイザベル。長い手紙だった。
これまでのこと。国のこと。自分の未熟さ。コレットのこと。
そして最後に、戻ってほしい、と。
王妃としてではない。せめて、ヴェルノワを救う者として。
その手紙は、モントレイユ公爵家へ送られ、返事は来た。
一枚だけ。
――アルマン様。
――私はすでに廃されております。
――ヴェルノワ王家の政務へ関わる権限はございません。
――どうぞ、お健やかに。
署名は、イザベル・ド・モントレイユ。王妃の称号はなかった。
アルマンはその紙を読んだ後、しばらく動かなかったという。
コレットは、それを眺めていたが、何も言わなかった。
言えることは、もうなかった。
*
後に、ヴェルノワの歴史家はこう記した。
アルマン二世は、真実の愛を選んだ王である。ただし、王冠までは守れなかった。
コレット・ド・リュシーは、美しい側妃であった。ただし、彼女が愛された期間より、彼女の名が失敗の例として語られた期間の方が長かった。
イザベル・ド・モントレイユは、廃妃である。ただし彼女が王宮を去った後、誰も彼女の代わりにはなれなかった。
国を支えていたのは、恋ではなかった。
若い王の笑顔でも、美しい娘の涙でもなかった。
誰も読みたがらなかった書類。誰も覚えたがらなかった約束。誰も頭を下げたがらなかった相手。
そのすべてを、毎朝机の上で一つずつ片付けていた女だった。
その女を、王は自分で廃した。
だから彼女は戻らなかった――と。
END




