第九話 有馬
買い物から帰宅し、無事に旦那様にも挨拶をし終えて、現在。
有馬様が起床したと聞き、手にはお湯を張った洗面器と手拭いを持って私は有馬様の部屋の前に立っていた。
(まずは第一印象が大事よね。でも、どうすれば第一印象がよくなるのかしら。明るく振る舞う? それとも貞淑な感じで振る舞う? ……何が正解かわからない)
いざ有馬様と対面すると思うと緊張する。
これから夫婦になるのだからと思うも、やはり初めては緊張する。
(奥様は捻くれているとおっしゃってたけど、どんな方なのかしら。見た目は奥様に似てるのかしら)
勝手に奥様が男性になったときの姿を想像する。
……とても凛々しくて素敵な殿方が思い浮かんで、妄想だというのにちょっと照れた。
(って、ここで妄想していてもしょうがないわよね。どんなお姿であろうと、どんな性格の方だろうと、千金楽家のために嫁いだ身の上なのだから誠心誠意お仕えしないと!)
「……よしっ」
改めて気合いを入れる。
そして、洗面器に張った湯が冷めないうちにと、意を決して部屋の外から有馬様に声をかけた。
「有馬様、失礼致します。本日より有馬様に嫁いで参りました露草真直と申します。お目覚めとお聞き致しましたが、ご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか」
「………………こほこほっ……どうぞ」
(有馬様の声)
咳混じりながら、太くもなく細くもない中性的な柔らかい声が聞こえる。ただ声が聞こえただけだというのに、私の鼓動はいつになく早鐘を打っていた。
「失礼致します」
緊張で言葉が上擦りながらも、スッと部屋の戸を開く。手元が狂いそうになるのをどうにか鎮めつつ、洗面器を持ちながらまだ有馬様の顔を見ないまま、布団から身を起こしている彼の近くまで行く。
「改めまして、お初にお目にかかります。露草真直と申します。本日より有馬様の元へ嫁いで参りました。至らぬところが多々あるとは思いますが、どうぞ末永くよろしくお願い致します」
平伏して挨拶をしてから、パッと顔を上げる。
するとそこには今まで見たことないほど顔立ちが整った男性がいて、思わず見入ってしまった。
(何て綺麗な人……この方が有馬様……)
少し長めの癖毛のある黒髪で、目鼻立ちがはっきりとしている。目元は奥様には似ているものの、旦那様と奥様それぞれのいいところを合わせたような顔立ち。まるで俳優のような風貌だ。
病のせいか線は細いが、骨格はしっかりとしていて物憂げな色男といった雰囲気を醸し出している。
こんな素敵な人と夫婦になれるのだと思うと、胸がドキドキした。
「あの、僕の顔に何か……?」
「えっ!? あっ、いえっ、その、有馬様のお顔が美しくとても男前だったものですから、ついはしたなく見てしまいました。不躾で申し訳ありませんっ」
あまりにもじっくりと見つめすぎたせいで指摘されてしまい、畳に頭を擦りつけながら謝罪する。
第一印象が大事だと先程あれだけ考えていたというのに、また私は失態をしてしまったと今すぐ穴があったら入りたいくらい羞恥で顔が熱くなった。
「僕よりも真直さんのほうが美しいと思いますよ。ほら、僕なんてこのようなありさまですから。ごほごほ……っ、見苦しいでしょう?」
そう言って苦笑しながら巻いていた包帯を解く有馬様。差し出された腕は、ところどころ発疹ができていてそれが酷く膿んでいて痛々しかった。
「せっかく嫁いでくださったのに、こんな姿の者が夫で申し訳ありません」
悪意は感じない。
けれど、確かに奥様が言っていた通り多少穿ったような捉え方をする方だと思った。
だからあえて私は有馬様の手を優しく包み、全力で彼の言葉を否定した。
「そんなことないです! 見苦しくなんてありません。あの、失礼してもよろしいでしょうか」
「え?」
「その、ずっと同じ包帯を巻いたままでは不衛生ですから、有馬様の手足を拭かせていただければと湯を用意しました。あっ、もちろん触られるのがお嫌でしたらいいのですが……」
初対面だというのに、いきなりグイグイ行きすぎたかもしれない。
有馬様は状況に戸惑っているのか黙ったままだ。
(奥様に言われてつい意気込んでしまったけど、初対面で身体に触れさせてほしいって言うだなんて、はしたないと思われたかしら。これから添い遂げる相手として相応しくないと思われたらどうしよう)
ぐるぐると負のことを考えてしまう。
今まで殿方と接する機会が父とお医者様だけだった私にとって、どう接するのが正解なのかわからなかった。
けれど、奥様に言われた手前引くには引けない。多少強引かもしれないが、有馬様のお役に立ちたかった。
「いや、こほ……っ、けれど、真直さんのほうこそ僕の身体に触れて大丈夫ですか?」
「私は全然! 問題ありません! 私の実母も病気がちで、よく身体を拭いていたので慣れてますし!」
嘘は言っていない。
かなり幼少期の話ではあるが、当時は隔離されるまでせっせと甲斐甲斐しく母の世話をしていたのは事実である。
「傷口は清潔に保ったほうがよろしいですし、きっと拭いた方が気持ちいいですよ。お湯も今ちょうどいい加減です」
「ごほっ、ごほっ、……そうですか。真直さんが嫌でなければ、お願いします」
「はいっ」
許しが出てホッとする。
そして、すぐさま手拭いを湯に浸してしっかりと固く絞った。
「では、失礼します」
なるべく傷口に触れぬように握ると優しく腕などを拭っていく。膿んでいるせいでところどころ血が滲んでいるのを、なるべく滲みないように優しく丁寧に拭うことを心がけた。
「いかがでしょう? 痛みはありませんか?」
「多少滲みますが問題ありません」
「それならよかったです」
一通り手足をしっかりと拭き終えると、先程よりもスッキリしたように見える。
その後すぐさま新しい清潔な布を使ってまた巻き直していった。
「ごほごほっ、……お上手ですね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
純粋に褒められて嬉しい。
女学校でも看護の授業で丁寧で早いと褒められたことがあるが、その技術が役に立ってよかった。
「こちらこそ、ありがとうございます。おかげで痒みなどが引きました。ごほごほっ、真直さんがお手隙のときで構いませんが、もしまた痒みが出た際はお願いしてもよろしいですか?」
「もちろん、ぜひ。というか、毎日します! させてくださいっ」
「こほっ、真直さんはお元気ですね。ごほごほ、……ありがとうございます。では、お言葉に甘えてお願いしようかと」
「はいっ」
有馬様にお願いされたことが嬉しくて、つい口元が緩む。
頼られることが嬉しい。
例え愛のない実家から売られるような結婚であっても、自分が必要とされていて、ここにいてもいいんだということがとてつもなく嬉しかった。
「あの、有馬様。不束者ですが、これからもどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。頼りない夫かもしれませんが、よろしくお願いします」
有馬様に微笑まれて再び顔が熱くなる。
(早く有馬様のお顔に慣れないと……っ)
有馬様のお顔を見るたびに照れてしまう自分を叱咤しながら「では、また明日参りますね」と部屋を出る。
その日は一日悪意を感じることなく、こんなにも世界は静かなのかと思いながら、私は一人あてがわれた部屋で千金楽家に嫁げた喜びを噛み締めて就寝するのであった。




