第十五話 日常
(なんて穏やかな日々……)
実家にいたときからは想像もつかないほど穏やかな日常。
千金楽家に来てからというもの、全く悪意を感じることなく、私にはもう悪意を感じる能力が消えてなくなってしまったのではないかと思うくらい周りは静かで、忙しなく家事をさせられることも叱咤されることもない安らかな生活を過ごしていた。
また、側付きの花とはもちろん、義両親ともそれなりに親しくお付き合いをさせてもらっている。
自分だけがそう思っているのではないかとたまに不安なときもあるが、今のところ悪意を感じていないので、恐らく嫌われてはいないはずだ。
夫である有馬様とも少しずつではあるけれど距離が縮まってきていて、有馬様との体力回復のための邸内散策は、あの日以降未だに続けている。
毎日早起きをして任せてもらった蚕室でお蚕様達のお世話をしたあと、有馬様と朝食をご相伴。それから、有馬様の体調のよい日は一緒に雑談をしながら千金楽家の邸内の散策をしていた。
有馬様は私の助言を参考にしてくださったようで生活習慣を見直し、栄養のある食事、適度な運動、しっかりとした睡眠を繰り返しているうちに、徐々にではあるものの以前に比べて体力が向上したらしい。
さらに、発疹で膿んで血だらけだった腕も毎日清潔に保つようにしてからだんだんと発疹が減り、目立たなくなってきている。
ここのところは特に体調がよい日が多く、布団に籠っているよりも布団から出ている時間のほうが多くなってきていた。
そして今、私達は邸内散策を終えて有馬様の私室に戻っているが、そのまま布団に戻るわけでもなく、お互いに座りながら夕食準備の時間までたわいもない話をして過ごしていた。
「もっと体力をつけないとなぁ」
「そうですか? 以前よりもだいぶ体力がついてきたように思いますが」
初日は蚕室を回ったあとは咳が出てしまい、息が切れて眩暈がするとのことですぐに部屋に戻ってしまったが、あれから数週間経った今は咳をする頻度も下がり、息切れも眩暈もすることなく、庭園まで回れるようになってきている。
以前は部屋すらまともに出られなかったというから、だいぶ進歩していると義両親も喜んでいた。
「けほっ。それはそうなんだけど、もっと体力をつけて動けるようになったら、真直さんと一緒に釣りに行ったり買い物に行ったりもできるようになるだろう? 今でこそこんなだけど、こう見えて昔はよく野山を駆け回っていたんだよ」
「そうだったんですか。ふふ、有馬様って意外とやんちゃだったんですね」
今の有馬様からは想像もつかないが、きっと子供の頃は子供らしくわんぱくだったのだろう。
だからこそ、以前のように動きたいと思うのも理解できた。
「そうだよ。よく怪我をしては母に怒られていたんだよ。まぁ、今じゃこんなだけど」
自嘲するように笑う有馬様。
以前に比べて卑下することは減ってきていたとはいえ、有馬様はたまにこうして自虐するような言葉を吐くときがあった。
「あの、つかぬことを聞きますがいつからこのような体調に?」
「うーん、いつからだろう。もうかなり前だから忘れてしまったけど、ごほ……っ、風邪をこじらせてしまってから……かな」
「そうなのですか」
人によっては快復したあと、後遺症が残る場合もあるというのは以前聞いたことがある。
もしかしたら、有馬様は運悪くその後遺症とやらが出てしまったのかもしれないと思うとやるせなかった。
「昔すぎて本調子のときのことはあまり覚えていないから当時とは比べられないけれど、以前に比べて今はだいぶ体調はよくなってきたよ」
「それはよかったです」
「真直さんのおかげだよ。助言もそうだし、食事や身の回りのことなど色々と助けてもらったおかげでここまで回復できたんだ。本当にありがとう」
「いえ、私はそんな……大したことはしてませんから」
実際、何か特別なことはしていない。
助言だって母が言われていたことをそのまま伝えただけだ。他のことに関しても有馬様の身体を拭いて清潔に保つように心がけ、食事はなるべく栄養のあるものを意識して作り、一緒に歩調を合わせて散策しているだけ。
どれもこれも私にとって全く負担ではなく、むしろ実家にいるときよりも楽しく過ごさせてもらって、こちらのほうが感謝したいくらいだった。
「真直さんはじゅうぶん色々してくれているよ。ほら、あれからお蚕様のお世話だって頑張ってくれているだろう?」
「あれは……半分趣味みたいになってますし」
「母も真直さんに任せてからお蚕様の調子がいいって褒めていたよ」
「お蚕様には、短いながらも豊かな生を謳歌していただければいいなと思っているだけで、褒められるほどのことでは」
お蚕様は卵から孵化してから寿命は二カ月しかないのだという。
だからこそ、このわずかな期間を少しでも快適に思うままに過ごしてもらいたくて、掃除をこまめにしたり桑の葉を逐一入れ替えたりと暇があればお蚕様のお世話をする生活をしていた。
正直、自分がこんなにも世話焼きなのだと思ってなかったので、自分にはこんな一面があったのかと自分でも驚いている。
「じゅうぶん褒められることだよ。僕としてもこんな素敵な人を奥さんにできて、鼻高々だ」
「有馬様にそう思っていただけて光栄です」
お互い望んでした結婚ではないとはいえ、褒められるのは嬉しいし、喜んでもらえるのも嬉しい。何よりも、実家とは違って自分の意思で自分の好きなことができるのがとても楽しかった。
だから、この生活がずっと続けばいいなと私は心からそう思った。




