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人鳥温泉街の春夏秋冬

15:人鳥温泉街のクリスマス

作者: 高橋志歩
掲載日:2026/03/01

 12月25日の朝。

 人鳥温泉街のケーキ屋「スチームライジング」の庭に立ち、ケーキ職人のガストンは低い音を立てて冬の空を飛んで行く運搬用ドローンを見送った。

 やれやれ、発送時間に何とか間に合った。ガストンはぽよぽよとしたお腹を揺らしながら家に入った。

 彼は全体に丸々といった感じで太っているが、背が高く体格はしっかりしている。プラチナブロンドの短髪で丸眼鏡の奥の目は灰色だ。その目は寝不足でしょぼしょぼして隈も出来ているが、仕方ない。クリスマスのケーキ屋とケーキ職人は大忙しになるものだ。

 音を立てないようにしてそっと寝室を覗くと、ベッドの上で店長で妻である真由美さんがうつぶせに倒れているのが見えた。精魂尽き果てているようだ。

 ガストンは真由美さんの寝息を確認してから毛布をかけてやって、静かにリビングに戻った。台所を片付け、真由美さんの好きな熱いココアがすぐに飲めるように準備をする。ガストンは料理も得意なので、野菜たっぷりのシチューの下ごしらえも一緒に済ませておいた。後は調理器で煮込むだけでいい。


 一段落してから、ガストンは、自宅のすぐ隣にある店舗に行き開店準備を始めた。真由美さん手作りの三角形のアップルパイをショーケースに丁寧に並べながら、ガストンは惚れ惚れと眺めた。真由美さんのアップルパイは、世界で最高に美しく美味なスイーツだとガストンは信じている。今日もたくさん売れるだろう。疲労は感じても、ガストンはうきうきとガラスケースを磨いた。


 人鳥温泉街駅に到着したクリスマス仕様の外装の観光電車から、がやがやと大勢の観光客が降り立つ。

 夏見春香なつみはるかはその中に混ざって、元気にホームに降り立った。無人駅の改札を出てから駅前広場で、周囲を見回す。ふーん、本当にレトロ感満載の温泉街だなあ、と観察しながらカバンを掛け直して張り切って歩き出す。


 夏見春香は元気いっぱいの20歳だから、遠距離を歩くのも平気だ。その時、広場の隅に設置された大型の天幕から、何やらいい匂いが漂ってきた。どうやら焼き饅頭を売っているようだ。ちょっと小腹が空いたし何より甘い物に目が無い春香は、天幕に引き寄せられた。

 職人さんが「はい焼き立てですよー!」と言いながら手際よく饅頭を焼いている。他のお客の隙間から見ていた春香は、ふと隣のテーブルに並べられた何種類かのペンギンのぬいぐるみに気が付いた。雑貨も好きなので思わず近寄った時、感じのいい声で話しかけられた。

「どうぞ手に取ってみてください。温泉街のマスコットペンギンをモデルにしたぬいぐるみですよ」

 顔を上げた春香は、背の高い爽やかな雰囲気の男性を見た。愛想の良い笑顔を浮かべ、着ているはっぴの襟に『人鳥土産物屋』と書かれている。お土産物屋さんか、と思った春香は突然あれ? と思った。


 ――この人、どこかで会った事がある。


「あの、以前、会った事がありますか?」

 春香の唐突な質問に、男性は一瞬目をぱちくりとさせた。

「いえ。今が初めてだと思いますが……」

 はっと我に返って、顔がかあっと熱くなる。考えなしで突拍子も無い事を口走ってしまった。

「そうですよね! すみません変な事言って」

 男性が笑ってくれたので、春香は安心し、お詫びも兼ねて小さなペンギンのぬいぐるみを買い、焼き饅頭3個入りも買って天幕を離れた。

 恥ずかしさもあって早足だったので、土産物屋の男性が春香の背中を見送る視線には気づかなかった。


 気を取り直して、春香はホカホカの焼き饅頭をもぐもぐと食べながら温泉街の通りを歩き、やがて中央広場に出た。大きなクリスマスツリーの飾りが輝き、観光客が大勢行き来して賑やかだ。そこから少し歩くと、目当ての場所であるケーキ屋『スチームライジング』に辿り着いた。店内にはお客がいっぱいだ。

 春香は、今日この店のアップルパイを買うためにわざわざ電車に乗ってやって来たのだ。幸い数は減っていたけど、アップルパイはまだ残っていた。春香は、にこやかな女性に注文し……ネットのスイーツ記事で紹介されていた店長の真由美さんだ……専用ケースに入ったアップルパイ3個と他にチーズケーキとタルトを受け取って、ウキウキと大満足で店を出た。

 それからケースを振り回さないように気を付けて、携帯端末の地図案内を見ながらまたしばらく歩く。

 手と顔が冷たくなって閉口した頃。ようやく温泉街から離れた場所に建つかなり古い二階建ての旅館の前に出た。営業はしておらず、扉は閉じられ窓の雨戸も閉められている。『なつみ旅館』という古びた看板を見ながら、春香は無意識に口を尖らせた。


 ――お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、本当にこんな古い旅館でまだ頑張るつもりなのかなあ。温泉街からも遠いし、周囲にお店も何も無いし、お客なんて来そうにないよ。


 深呼吸をして、よし、と春香は拳を握り締めた。やっぱり私が何とかしないと。


 ようやくクリスマスのイベントが終わったけれど、明日からは大晦日と新年に向けて忙しい日が続く。

「人鳥土産物屋」の2階でシャワーを浴びて落ち着いた海田は、椅子に座ってうーんと背中を伸ばした。店長の仕事は思っていたよりも忙しく充実しているが、のんびりは出来ないなと苦笑が出る。

 住み込みで店を手伝ってくれているギュンターは何やら夜間撮影に出かけたし、ペンギンの大福は1階のペンギン専用小屋で眠っている。


 静かなクリスマスの夜。


 一人でもやっぱりクリスマスにはケーキだな、と冷蔵庫から『スチームライジング』のアップルパイを取り出す。店長の真由美さんが取り置きをしていてくれたものだ。

 ふと棚に置いた、試作品のペンギンのぬいぐるみが目に入り、昼間の駅前広場の天幕に来た若い女性客を思い出す。


 ――あの、以前、会った事がありますか?


 海田は初対面のふりをしたが、すぐに気づいていた。


 4年前の夏に、手持ちのトランクが壊れてその場から動けなくなり、道路の真ん中で泣きべそをかいていた少女だ。偶然通りかかった海田が、適当な場所までトランクを持って運んでやったのだった。今日まで思い出しもしなかったが、しかし向こうも自分の顔が良くわかったな、と海田は考えた。


 海田自身は元々記憶力が良く、加えて専門の訓練を受けているので一度会って話した人間の顔は、ほぼ忘れない。


 炎天下で一人で泣いていた、背中まである髪を適当にまとめた感じの大きな目の少女。今日会った時は、髪が短くなっていたが、目の大きさは同じ印象だった。

 妙な偶然だが、まあもう会う事も無いだろう。そう思いながら、海田はアップルパイを手掴みでむしゃりと齧った。うん、美味い。


 クリスマスの夜空から、雪がちらちらと舞い降り始めていた。明日の人鳥温泉街はうっすらと雪化粧になりそうだった。

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